世の中が変わってきたと思うのは今に始まった事ではありませんが
昔はどこの小学校にもあった二宮金次郎の像が様変わりしているとか。
小田原市に生まれ貧しい農家で育った彼は、家事の手伝いの時も熱心に勉強し
農村改革の指導者となりその後も色々されたそうで(爆)関心のある人はググってね。
勤勉の象徴とされていた彼の銅像を、色々にアレンジして
私から見れば冒とくとでもいうような、勉強しながらおしっこをしている金次郎像などもあります。
また、薪を背負っているのが虐待にあたる?様な事を言っている人もいるようで
変だなと思うのは私だけかなあ。
また昔話の内容も変わっているようですね。
桃太郎では鬼から取り返した宝物をおじいさんとおばあさんに持って帰るのですが
今は村人たちとシェアするという結末だそう。
他にも、悪者は殺されたりしないで怪我をするにとどまるとか。
しかし、今の世の中を見てみれば、私たちの頃にはあまりなかった
子が親を殺す事件がとても増えたように思います。
それは「悪者をやっつける」こととは全く違う次元のものです。
子どもを守る、という事が曲解されているように思います。
この先を考えると、そらおそろしい気がします。
子に育てられた親としては、これからの未来の子どもたちの事がとても心配。
保育園問題も色々大変なようですが、
簡単に「死ね」などと言う言葉を使ってしまった親御さんも反省されているとか。
それぞれの事情があるのは十分わかりますが
子どもが小さい時はお母さんが長い時間そばにいてあげる事ができる社会が必要なのでは。
こんなこと言うとものすごく反響があると思います。
少なくとも私はそう思って子育てをしました。自己満足かもしれません、育った子を見ると(汗)
人に押し付ける物では決してありませんのでご理解ください。
公の場で言葉を発するのはとても責任がある事で、一部分だけを拾い上げて批判を受ける事もままあるようです。
そう思うたび、ブログ停止を思う私です。
言葉の大切さ難しさを痛感する、にわか文学おばさんのつる姫なのでした。
いや言葉に限りませんね。表現するという事は、受け止める人の数だけ感じる物があるという事。
考えすぎると何も言えなく書けなくなるので、やめときます。
一部分だけ切り取って非難されるのも厄介な事です。
正しいと思っていることが言えない、言っても曲解されるのは悲しい事ですね。
それが言葉の力、というものなのでせう。
素敵な一日を
ありがとう
つる姫