☆つる姫の星の燈火☆

ぜひ訪れて欲しい田舎の森と故郷の歴史

すっかり秋めいた東京です。

窓を開けて寝ていたら肌寒かったです。

今日は私の田舎でやっている事の一つを宣伝させていただきます。

http://taishaku-sukora.com/pages/pulanserapi.html

是非一度訪れてください。普段は写真屋の私の弟も森のこみちガイドとしてご一緒させていただきます。

予約の際はガイドは「林さん」ご指名でお願いします。

私に似ないでトークも上手。来られる方のために一生懸命勉強しています。

 

私の田舎と言えば昔から牛で有名で、大正天皇が崩御されたときの棺を牽いた牛は

この地の豊萬号と言う神石牛だったのですよ。

https://wagyu-ninsho.jp/pdf/013.pdf

小学生の時まで牛市場があり(江戸時代か・・)写生大会で牛を描きに行く事もありました。

松阪牛なども、もともと生まれはこの神石牛だというような事も聞いた事があります。

実家のある所は「呉ケ峠」と言うところで、旅の途中でちょうど日が暮れる峠、だったようで

かつては小さな町の通りに4件旅館がありました。宿場町的な所だったのだと思います。

もちろん今は一件も稼働していません。

近くに国定公園があるのですが、私が小さい頃は休みの日に観光バスが沢山来ていました。

道端で遊んでいると、観光客がバスの窓からお菓子をくれたことを覚えています。

きっと、昭和30年代半ば、高度成長期、経済が上向いてお金に余裕の出来た人々だったのでしょう。

今にして思えば、ものを上からよこすなど、失礼な行動の様にも思えますが

あの人たちに悪気とか、高飛車な気持ちはなく、

戦後の物のない時代を過ぎて、小さい子を見ると何かあげたい、という純粋な思いだったように思います。

幼い頃ですから、観光バスが来るとそれを期待するようになってしまった記憶もあります。

しかし、私はギブミーチョコレートの世代ではないので、ご了承ください。

 

私の育った昭和30年代は日本で一番良い時代ではなかったかなと自負しております。

物がそこそこあって、そこそこ足りなくて。

 

話が戦後に戻りましたが(爆)

住んでいた頃は、自分の田舎の歴史などを殊更意識することはありませんでした。

小さな田舎にも長い歴史があり、紐解いていくととても興味深いものです。

実家の周りには狭い範囲に3つも4つも城があって、群雄割拠の時代もあったようですよ。

普段は田畑を耕しているお百姓が何十人かで、やあやあ、と闘っている光景を想像すると

今に比べれば可愛いもんだなあと言う気がしてきます。

実家の裏の川を挟んだ小さな山にもお城の址があります。

私は若い頃とそして今、自分のルーツにもとても興味が湧き、母方は奈良の方から出ていると聞いているので

この秋には何年振りかに奈良方面に、ルーツを辿る旅に出てみたいなと考えています。

若い時はそれをする時間がなかったので、やるなら今でしょう。

その奈良ではやさしい笑顔のお化けを見たり、タヌキのタクシーに拾われたりと(笑)

不思議な体験を何度もしているので、今回も楽しみです。

 

すすきの揺れる斑鳩の里を歩いたときは、細胞が郷愁を覚える・・と言うような感覚もありました。

もし行けたら、山の辺の道を制覇するつもりです。

前行った時はスタートが遅くなって日が暮れてしまい、途中で断念しました。

全長は35キロほど?ハイキングコースなら確か16キロくらいの道のりだったと思います。

以前の私なら楽勝ですが今はどうかな

保険証を忘れずに持って歩かないと(爆)

 

今こうして生きているのはご先祖様があっての事。私もいつかはご先祖様になる訳です。

出来るだけ子孫に祟ったりしないように気をつけます(爆)

 

さて一昨日の夕焼けです。

屋根に上るのはやめておきましたが、不気味な雲をみて

また何か起きなければよいな、と思ったら、西の阿蘇山が活発になっているようですね。

大事になりませんように。

これ以上被災地が増えるのは辛い事ですが、その度に人は知恵を重ね

次へと踏み出して行かなければならないのです。

生きているってことは、きっとそう言う事です。

 

 

ありがとう

つる姫


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

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