心の中で文字を組み立てることがほとんどの今日この頃、言葉の大切さを感じることが多いですが、昨日、行ってらっしゃい、という言葉をメインでストーリーを書いたことを思い出して、なんとなくただいまの語源調べてみました。
昔、帰宅した時にたらいで足を洗いながら、その日の出来事を家の人たちと会話する時間を意味していたそうです。
その足を洗う、「たらい間」が転じてただいま、になったという説もあるそうです。
諸説あるようなので、そういう話もあるよ~と受け止めてください。
幼い頃から、元気に挨拶しよう、ということは、親や学校などで教えられてきました。
私は気の小さい子だったので、大人の人とすれ違っても、相手によっては、どきどきして挨拶ができないこともありました。
挨拶もできない子だと思われたこともあったでしょうし、そういう自分を幼心に情けなく思っていました。
アメリカに行った頃は、知らない人でもハイ!と挨拶してくるのに最初は驚きました。
まあ、状況にもよりますが、素敵な国民性だと思いました。
一番得意な英語はHIでした。
はい。
40年近く前のあの頃と今のアメリカは違うでしょう。
日本でさえこの40年の間に色んなことが変わりましたからね。
ただ、いってきますいってらっしゃいおかえりただいま、おはよう、こんにちは・・・・
独りでは使う事のない言葉はたくさんあるし、そもそも言葉は他人に思いを伝える手段ですもんね。
私は、行ってきますもただいまも言わないんです。
こたろうのために、しれっと出かけて、ただいまの代わりに、お留守番ありがとうって、ご褒美をあげます。
行ってきますを覚えたら、ママがどこかに行っちゃうと覚えるでしょう。
これが正解かわかりませんが、こたろうは私が帰って来た時はきちんと前足をそろえて、お布団で待っています。
ご褒美をもらってから大喜びで飛びついてきます。
それが、私のただいまと、こたろうのおかえりの挨拶です。
話が逸れましたが、ただいまの語源がそうだとしたら、昔の人は、たらいで足を洗いながら、無事に帰ってきた者と家で待っていた家族とのほのぼのした時間があったのですね。
テレビもスマホもない時代の、家族の団らんは今の何十倍もあったことでしょう。
いってきます、ただいま、おかえり、ちゃんと言い合える家庭。
それが当たり前だった時代もあったはずですが、家に居場所のない子どもたちも多くいるようです。
いったいいつから当たり前の挨拶が当たり前にできなくなったのでしょうね。
今日の言葉
誰が考え出したのでもない私たちの遠い祖先から伝わってきたこのあいさつというものは、いわばお互いの毎日のくらしの潤滑油とでもいった、尊いはたらきを果たしているのである。
松下幸之助
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つる姫