いまさらですがこのシリーズは
食事中、体調の悪い時に読むのはやめた方がいいですよ
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話せば長いけど、大学病院を見捨てて新しい病院にかかり
そこに命を託そうと決めた私ですが
年が明けて成人式も無事終わり、1月14日から入院して
19日の朝9時から手術ということになりました。
手術当日の朝は、年末に無事帰国していた息子も含め、家族がみんなで来てくれたのですが
テレビで観るようにストレッチャーに寝かされ、Vサインをして見送られるというような事はなく
手術着に着替えて徒歩で手術室に向かいました。
その時はもう、自分でも意外なほど恐怖感も緊張感もなく
実家の弟に勧められてGyaoで観た、妖怪ウオッチの曲が頭の中を流れていました。
よーでるよーでるよーでるよーでる ♪
手術室に降りるエレベーターに乗る時が、家族との別れでした。
ドアが閉まる時、笑顔で息子と娘の目をしっかりと見ました。
主人の顔までみる時間がありませんでした(笑)
私が不安そうにしていたら皆はますます心配になる。。
誰の顔にも笑顔はなく、青ざめて見えました。
きっと私以上に家族は緊張していたのでしょう。
手術室に入る前に、部屋の前の椅子に座って手術用のヘアキャップをかぶりました。
長い髪はまとめてその中に突っ込んで、手術室へ入ります。
中の様子を見回しながら手術台へ向かいました。
人の脳は本当に不思議です。
恐怖感を消すような、なにかしらのホルモンが出てくれているようでした。
まるで工場のように機械だらけの広い手術室の中では、多くのスタッフがてきぱきと準備をしていました。
履いていたピンクのクロックスを脱いで手術台へ上がりました。
まな板の上のつるは、これから起こる事を他人事のように考え
仰向けになり、高い天井を見上げました。
温かみのない幾つかの白い電気が、私を冷ややかに見下ろしていました
まだ麻酔は出ていませんからね、と麻酔のマスクをつけられて、
次に左手の甲に何か針を刺されました。イテッ。
ここに至るまでの検査の中には、吐くほど辛いものもあったけど
手術は全身麻酔、眠っていればいい・・・・・・・・・・
覚えているのはそこまで。
一度意識が戻ったような記憶がありました。
白い光がぼんやり見えて、ダヴィンチ・・という声を聞いた気がしました。
実は手術直前になって問題が発覚し
万が一ダヴィンチで無理な時は、正中切開に切り替える、という事になっていたのです。
正中切開だと喉の下からの傷跡が残ります。
胸元を出す洋服は着れなくなるのかな、と思ったものです。
生きていればそんな事はどうでもいいのかも知れませんが、腐っても女性ですから。
その声を聞いて、ああよかった、ダヴィンチで手術出来たのだな、と思ったような気がします。
後で聞いた話ですが
一回意識が戻ったような気がしたのは夢ではなく
手術が終わってから主人と息子が声をかけてくれたそうです。
ダヴィンチで手術出来たよ、という声は主人だったようです。
全く覚えていないのですが、息子が声をかけてくれた時に
息子の方に顔を向けて握手したらしいのですが
握る力がびっくりするほど強かったと聞きました。
無意識のうちの、自分の中の「母」
母は強し。
ちゃんと意識が戻ったとき、目は閉じたままで周りの様子を耳と鼻で感じていました。
どこかで音楽が流れています。
多くは90年代の歌謡曲でした。福山雅治さんの「桜坂」が印象に残っています。
どうやら隣に寝ている患者さんの希望で、スタッフや先生がCDをかき集めて来て
音楽を流しているようでした。
なんだそういう事なら私も長渕剛を持ってくればよかった。。と思いました。
母は剛。
やり取りを聞いていましたが、お隣のオジサン?はかなり我儘な方のようでした。
いいのか悪いのかわかりませんが、病気になって入院しても周りに気を遣っていた私は
我儘言えて、受け入れて貰えるのって羨ましいな・・
こんな時なら我儘も許されるのかなって、思いました。
自分が思うように生きるのを我儘というなら私は我儘かも知れないけど
他人に対しての我儘は出来ない性分で。
さてそのうち「つるさん、目をあけましょうか」という声がしたので目を開けると
見える所の壁に時計がかかっていて、翌朝の6時過ぎでした。
もうこんなに時間が経ったんだ。
家族の事を想いました。
テレビドラマだったら、目をあけた時にそこに家族がいるんだけどなあ。
後で聞いたことですが思いのほか身体への負担が大きかったので
予定より長い時間眠らされたようでした。
しばらくすると救急車で患者さんが運び込まれてきました。
ちらりと見えたのですが、白髪混じりの坊主頭のおじいちゃんでした。
看護師さんが声をかけました。
「〇〇さん、ここ、どこかわかりますかー?」
「・・・・・・。・・・・足立区・・・・」
そ、そっちかい!
私は全く動かないで、心の中で大爆笑しました。
びょういん・・と答えると踏んでいたからです。
しかもここは杉並区(爆)
どうやらおじいちゃんは足立区の病院からこちらに搬送されて来たようでした。
どんな心臓の病か知りませんが、聞こえてくる会話からは
ほとんど家にいて寝ておられ、一人でトイレに行く位しか動かないような生活をされているようでした。
高齢での手術は負担も大きく大変だとは思いますが
せめてお散歩でもできる生活には戻れないのかなって、他人事ですがそう思いました。
手術が終わったばかり、生まれ変わった私の初笑いは心の中での出来事でしたが
生きてまたたくさん笑えるんだな、と実感した瞬間でした。
生まれ変わってもどうやら私のキャラはあんまり変わっていないようでした。
手術中に入れられていた体中のチューブは、まだ入ったままでしたが
しばらくすると、口や鼻からチューブを抜いてもらえました。
もの凄い大きなものや長いものが口と鼻から出てきたので
びっくりして違う発作を起こしそうでした(笑)
これなら口からトランプやピンポンの玉を出せる手品が出来そうだ。
快気祝いの席の一発芸にするか。
意識が戻ってからの時間の流れは
日常の時間の意識とは全く違って、長くも短くも感じませんでした。
ただICUの中の人の動きや音を感じているうちに過ぎて行きました。
夕方3時から4時前位だったでしょうか。
看護師さんに付き添われ、しっかりと歩いて病室に戻りました。
尿道に入っていたおしっこの管も抜いてもらえたので
トイレにも一人で行くことが出来ましたが
そこで私が見たものは!?
つづく
さてさて筆が乗ってまいりましたぞ
ご訪問ありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫