☆つる姫の星の燈火☆

つる姫の四国八十八ヶ所逆打ち霊場めぐり~こころの中に~

小一時間の朝のお勤め後の、住職さんのお話の時、

一体私は、元気なのか何なのか、お腹がグーグーなっていて恥ずかしかったです。

お勤め後の精進料理の朝食をいただき、いつものように早めに部屋に戻って

体調を整えます。血圧は少し高めですが今日もなんとか行けそうです。

 

いよいよ奥の院へお礼参りです。

奥の院には弘法大師様の御廟があり、

ゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された弥勒菩薩が、

ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われる時、共にこの世を救うためにこの場所で待っておられるの

だとか。

しかし、この数字を見ると太陽系が消滅するほどの年月。

人類そのものが存在するかどうかも分からない未来に、この世を救うために現れるということ自体

深い意味があるように思えます。

今の人類に救いはないのでしょうか。

台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、

折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿を思い出します。

 

樹齢何百年もの杉林の中を歩きます。

まだ観光客も少なく、昨夜の大雨で洗われた空気は、

ここが特別な聖なる場所だと感じさせてくれます。

沢山の慰霊塔の中には、何人かの戦国武将の物もありました。

因みに信長は死体が見つからなかったのでここに骨などはありません。

またこの5個積まれた塔には、上から、空、風、火、水、地の意味があるそうです。

御廟へと続く橋「御廟橋」

ここからは空海大師の霊域に入るとされ、

この橋を渡るときに空海さまが迎えて、帰りは見送ってくださると云われています。

お迎えしてくださっているお大師様が皆様には見えますか?

ここから先は撮影禁止です。

 

お大師様の御廟前で最後のお経を読み終えて、すべての行程が無事に終わりました。

どれ一つ欠く事もなく、すべてをクリアできた私の嬉しそうな顔。

前夜に体調の事を話していたのですが、この日も何事もなかったように先頭を歩いていた私を

皆さんはどう思って見ておられたのでしょう。

足の不自由なご婦人は、二人だけの時に

「ご自分が大変なのに、私の足の事を気にしてくださって・・」と言ってくださいました。

私こそ、こころの中では彼女の頑張る姿に力をいただいていたのです。

その彼女は、最初の頃よりも足が動くようになられ、最初は手放さなかった杖を

最後の頃には持たないで歩いておられました。

引き続きリハビリを頑張れば普通に歩けるのではないかと感じました。

他の方も色々な荷物を背負っておられたかもしれません。

前半で二名の方が帰られて最後は6人でしたが、観光ではないこの旅はそれぞれの方にとって

とても意味のあるものになったのではないでしょうか。

 

つい今しがた雨の上がった空を見上げると

雨上がりの天空に、美しい日暈が出ています。

この様子を見て、大日如来さまを思い浮かべました。

優しいお顔の大日如来さまが、よく頑張ったと、やさしく見下ろしてくださっているように見えました。

思えばこの旅の始まりは雨。

最終日も雨となりましたが、まさにお礼参りが終わった時にこの太陽が見えた時

私の巡礼の旅を象徴するように感じました。

空を見上げているのは私だけでした。

私は道端の花や、頭の上の空を見上げる気持ちを忘れないでいられたことに感謝しました。

6人になって、余裕のできたタクシーの席に座り

窓に顔をよせて日暈を見上げながら、曲がりくねった山道を下る車に揺られて、無事に旅を終える感慨にふけります。

「なんのためにきたのか」という気持ちが再び頭をもたげます。

 

病気がわかった時、運命を恨んだ。なんで私なの?と。

手術を受けて悪いところを治せば、今まで以上に元気に暮らせると前向きになった。

でも現実はそうじゃなかった。悪いところは治ったのに違う不具合が出てしまった。

こんなはずじゃなかった。発覚する前の方が元気だったじゃない。。。

でも、病気によってなくしたものなど何もない、むしろ得たもの、気づいたことの方が多い事を知った。

死はいつも自分の後ろにある。

死を身近に感じたからこそ、それまで以上に日々を大切にしようと思った。

周りに迷惑をかけない範囲でやりたいことをやろう。

間違いなく後半に差し掛かったいまの命の人生の目的をみつけよう。

本も出した。会いたい人にもあった。そして長年の夢だったこの旅に出た。

しかしこの旅で、もしかしたら体に負担をかけて命を縮めたかも知れない。

それは運命。自分の力では変えられない天命。

 

やはり来てよかったんだ。この旅で学んだことは計り知れない。

事と次第にも寄るけれど

行動しないで考えるより、行動したことから考える方がいいかも知れない。

生きてさえいれば、命の燈火が燈ってさえいれば

すべての出来事をこれから先の糧にできる。

 

この旅を元気いっぱいで回っていたら、それはそれで素晴らしい旅だったでしょう。

しかしまだまだ不安定な体調と向き合いながら、決して誰にも弱音を吐かずにいれた事も大きな学びでした。

これからも、言わなくて済むことは心の中で消化していける。

心の弱い私も、少しだけ強くなれた気がします。

 

人生は思うようにはいかない。

何があってもまずは受け入れなければ前に進めないという事を、改めて思うのでした。

お大師様と廻った88ヶ所の霊場の旅。この旅も人生の縮図でした。

こころの軸を見つけたように思います。この先も決してぶれない軸を。

それは今はまだ言葉にできないし、この先もできないかも知れない。

敢えて言葉にする必要のないものかもしれない。

言葉にできたとしてもここに公開することはないと思います。

人はそれぞれ他人が侵す事の出来ない魂の聖域を持っているのだから。

たとえ親でも家族でも、立ち入れない場所を持っている事は決して悪い事ではない。

人は一人で生まれ、人と出逢い関わりそして別れ、そして一人で死んでいくものなのです。

それは決して「孤独」という事でも「厭世」でもない。

私にはとても即身成仏は出来ないし、悟りの境地にはたどり着けないだろうけど

極楽浄土や天国は、肉体を離れた魂が向かう何処か遠い空の果てにあるのではなく

生きているうちに自分の心の中に創るものだと、私は思います。

弘法大師様に感謝をこめて 合掌

 

 

つる姫

 

明日は番外編。こうご期待。

 

 

 

 

 

 

 

 


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

コメント一覧

つる姫
ワダケイシュウさん
その通りだと思います。
駆け足で回ったので一つ一つのお寺をはっきりと
把握できませんでしたが、沢山の杖とわらじを奉納してある光景は覚えています。
今後の人生に大きな影響を与えるたびになった事も確かです。
ワダケイシュウ
病気もお遍路も自分に向き合う事なんだと思います。
88番に山のような杖やいざり車の奉納を見ました?真面目に自分と向き合い御大師様と同行すると奇跡は起きるんですね。僕もその昔の四国路から人生が変わり、今ここにいます。四国に行かなければ、絶対にこの里山には来ていませんでした。不思議ですね。
つる姫
ブライトあいさん
こちらこそ、読んでくださってありがとうございます。

ご利益を求めた旅ではありませんでしたが
帰宅早々、身辺に変化が。
それはまた別の時に聞いてください。
とにかく無事に旅を終えたことに感謝してます。

合掌
ブライトあい
とても読み応えのある内容をシェアーして下さり
心からありがとうございました!

合掌
つる姫
Yoshicoさま
私は恵まれていると思います。
病気をしなければできなかった事
分からなかったことが沢山ある。
でも
>>日々目先の事に・・>>
そんな日々が懐かしく、またとてもありがたい事だと思えます。
普通でいられることがどれだけ有り難い事かと。

番外編お楽しみに~~♪



Yoshico Hino
http://dimples.main.jp/
お遍路さんの日々、多くのものを感じとられたのですね。
様々な思いが去来する重みのある時間空間は、なかなか過ごせるものではありません。
日々目先のことに押し流されている私も、自分と向き合う旅、したくなりました。

それにしてもご無事でご帰還、ほんとによかった!
番外編、うふふ・・・
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