理性や常識ではとらえられないような出来事を奇跡と言いますが、神的力に帰される異常で驚嘆すべき出来事をいい、宗教や信仰に結びついている事が多いようです。
先日、テレビ番組でそんなような話をやっていました。
最後のほんの数分を見ただけだったので、全容はわかりませんが、
どうやら、歩けなかったご婦人が、信仰によって奇跡的に歩けるようになった、というような話だったと思います。
信じる者は救われる、っていうのはキリスト教の言葉だったかな。
先日も書きましたが、神や仏にお参りして本当に願いはかなうのかと。
私の結論は、願いが明確な事が一番肝心な事だということでした。
そして、一方、神仏に関わらず、人の脳の不思議。
脳をだます、という事があるのを思い出しました。
私が今抱えているむずむず脚症候群に関していうと、この病は完治はしないと明言されました。
薬も完治のためではなく、対処法だけ。
原因が、動脈硬化とか、鉄分不足などとはっきりしている部分もありますし、脳の神経物質である作動経路に障害が生じる事によって起こる場合もあるそうです。
私には、この病に関しては、肉体的な問題はないのです。
だとしたら、脳。
歩けるようになったというご婦人は、奇跡を起こすという泉?のある場所に行き、祈り、水を飲んで、いわゆる宗教的な力を借りて、奇跡を起こしました。
脳学者の方の話も聞きましたが、事の真相、詳細は、百聞は一見に如かずが座右の銘の一つである私には、鵜呑みにはできません。
ただ、キーワードに「呼吸法」があったことで、私なりに考えをまとめてみました。
脳からは、興奮などを引き起こすアドレナリンやドーパミンのバランスを調整し、しあわせを感じやすくする神経伝達物質、セロトニンが分泌されています。
しあわせホルモンとも呼ばれるこのセロトニンと、呼吸中枢は、深くかかわっているそうです。
瞑想やヨガなど、呼吸を意識する事は、このセロトニンを活性化させるらしい。
身体に異変を感じた時、落ち着いて深呼吸をする癖は、病気になってから身に着けました。
結論。
「奇跡」とやらを起こしてみようと思いました。
奇跡を起こしたご婦人には、信仰という強い支えがあったと思います。
信仰のメリットは、それが心の軸になること。良くも悪くも、同じ信仰を持つ仲間の存在も大きい。
それがあるから、想いや願いを継続して祈る事が出来る。
今回も、アンテナが、キーワードを捉えましたが、何やかや、日々気づきを忘れていき、元の木阿弥になることが多いわたしです。
特定の神や仏に偏る事はありませんが、心臓の手術以降は、心の奥底に、弘法大師様がおられます。
昨日、むずむず足の件で、対処法の相談をしました。
薬の処方も、今回は受けなくて、多分もう、そのクリニックを訪れる事はないと思います。
梯子した、循環器内科のお薬とは、縁は切れませんが、不整脈もほとんど気にならなくなっています。
この薬も、飲まなくていいんじゃないかと思ったことが何度もありましたが、薬の血中濃度を確認するために、昨日は血を抜かれました。
暗黙の了解といいますか、かかりつけの先生は、私の思いを察してくださってるように思えました。
ちょっと何が言いたいかわからない内容になっちゃったけど、ただひたすら神や仏に祈るのではなくて、
呼吸を意識した瞑想(自分と向き合ったり、自分を客観的に見る時間)、適度の運動、笑う事で、しあわせホルモンとやらを増やす日常を心掛けてみます。
完治しないと明言された足の不快感は、改善されていくような気がする、というか、改善されると信じて。
てなことで、3日間、実家で美味しいものばかり食べて、だらだら過ごした娘も、今日から出社。
私もこたろうも、いつもの日常に戻ります。
ただ、その日常も、もうしばらくしたら、大きな変化を迎えるのですが、それはまたお話します。
それがまた、しあわせホルモンを減らすことにならなきゃいいのですが(汗)
娘が来ると、必ず娘の方にくっついて寝るこたろうくん。
甘えん坊のこたろうくん、あざといお顔。
そういえば、先代ロッキーが歩けなくなったのも、夏でした。
獣医さんは、あまり希望的な事を言ってくれませんでしたが、治療を始める前に、突然復活して歩けるようになった時、奇跡が起きたと思った。
歩けなかったのは、なにか一時的な物だったのかもしれませんが。
獣医さんも首をひねっておられました。
奇跡って、神や仏が起こしてくださるのでもなく、人の心、想いの力が起こすものなのでしょう。
その想いを支えるのが、人それぞれ、神や仏、家族友人、あるいはペットという最高のパートナーなのかもしれないですね。
さて、つる姫に奇跡は起こるでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫