まず、第三弾
http://www.youtube.com/watch?v=HQYiExzgVqw&feature=player_embedded
さて久々に涼しい朝でした。
が、夜中蚊が入っていて痒くて目が覚めてしまい、眠たい朝となっております。
3連休は3連勤でしたので、なおさらでございます
最近あるブログを読んで、とても考えさせられたことがありました。
>>目的をもって何かを始めると、最初のうちは純粋な気持ちで取り組むことができます。
そして、ある程度の結果を収めてくると、他者からの評価が出てきます。
純粋な気持ちで頑張ったものには、人の応援を受ける力があります。これは嬉しいことです。
が、同時に危険な存在でもある。
徐々にその “人からの評価” を目的にしてしまうことがある<<
その部分から広がった私の想いを書きます。
人間はみんな母親の胎内から、生まれてきて
笑った、食べた、立った、歩いた、そんな当たり前の(ような)ことで喜んでもらえるけれど
そんな時期が過ぎて月日を重ねると、比べられたり評価されるようになってくる。
純粋にただ生きている事だけでは済まなくなってくる。
保護者の価値観で他人と自分の子を比べられてしまうことも多々あります。
保護者の価値観を知らず知らずに植えつけられて育つのでしょう。
また、何かにつけて「評価」されるようになってくる。
でもって、それをはき違えて
学芸会の主役を作らなかったりとか、運動会で順位をつけないとかする。
確かにそういう面で脚光を浴びない子どもやその保護者にとっては
余計なストレスを抱える必要はないかも知れないけれど。
ただ競争を避けるのは、違うんじゃないかな。
競争といういい方はしっくりしないですが、
人間として生きていくうえでは、負けて悔しいという想いは成長につながります。
いえ、つながって欲しいものです。
ライバルというのは、お互いを高めあうものであって
相手を蹴落とそうという事ではないと思うのです。
人間はまた特殊ですが、草だってなんだって、自分の種を繁栄させるために
色んな進化を続けているんですもの。
一体何が言いたいのかって
「評価」
人からのもの、自らに対するもの。
100人の人間には100通りの考え方や個性があります。
100万人の支持を得る事も素晴らしいと思うし
1人の賛同を得る事も嬉しい事だと思いますが
人がどう思うかを先に考えて行動するのは、ちがうなあって。
私は「人様がどうおもうか」をとても気にして生きてきました。
それは育った環境によるものです。
人の評価を先に考えてしまい、自分の目的を見失って
逆に突拍子もない事をしでかしてきました
まあそれは、私の個性であり結果的に今がある訳ですから
全否定の人生ではなかったわけですけれども。。
一体全体何が言いたいのかって
評価を気にしないで、この時期は氷菓を気にして暮らしましょうと言う事で
よろしければ、若者のブログに足を運んでください。
http://world-jumper-kenta.at.webry.info/201307/article_2.html
素敵な一日をお過ごしください。
感謝をこめて
つる姫
鎌倉大仏様が猫背なわけは、その下に立って見上げるとわかるんですって。
何かの番組で観てぐっときました。