今週はずっと雨じゃなかったんかいっ!焦って青梅に行ったのに!いやしかしあの日はそこまで蒸し暑くなった気もします。
残暑の厳しい江戸地方ですが、皆様の町、台風の影響は大丈夫だったでしょうか。
病を知る前、ちょうど2年前ですが、夏の18切符で亡くなった祖母の一周忌のため帰省する途中、兵庫の竹田城址を訪れました。
きつい山道を登りながら、今にして思えばその時の心臓はかなりシビアな状態だったのですが、
「私はもう人生の坂道を上り切ったのだろうか。。後は楽に降りて行けるのだろうか、いやでも山道は下る時もきついんだよな。。」
などというようなことを考えました。
その時57歳。下の子も大学に入っていわゆる子育ては終わっており、ほとんど後ろめたさもなく旅に出れる自分がとても幸せに思え、
「これまで生きてきた中で、今が最高にしあわせ」だと思える自分がいました。
その二ヶ月後に病が発覚して今に至る訳ですが、最近話題の小林麻央さんのブログの言葉を見てうなずいています。
「私はそんなに悪い事をしたのか・・・」
多分病気になった方の多くが感じる事ではないでしょうか。
そして「なぜ私なのか」と言う思いも。
私は最初病気になった事を友人知人親戚に打ち明ける事に、とても抵抗がありました。
「負けた」気がしたからです。私が病気になった事を喜ぶ人がいるのではないかとか「誰かが五寸釘でもさしたか」などいう被害妄想ま
で。
そう思うような出来事があったからですが、そんなことを思う自分を嫌悪しました。
病気になった事に負い目を感じました。
ごく親しい友人にだけ知らせた手術の事、入院の事。
「そうでもない人」「元気になってから話せばいい人」には敢えて言う事もない、と病気を隠していた私は、今年のお正月の年賀状で多
くの知り合いに病気だったことを告白しました。もちろん手術は上手く行って順調に回復している事を添えて。
孫が生まれました。子どもが結婚しました。夫婦でどこそこに行きました。幸せそうな家族写真の届く新年早々。
私の年賀状は異質だったでしょう。いまにして思えば申し訳なかったかなとも思いますが。
多くの知り合いがその年賀状を見て、声をかけてくれるんじゃないかって期待する自分がいたのです。
ところが、その想いは見事に裏切られました。
でも考えてみれば、そりゃそうですよ、私の中で「そうでもない人」も混じっていたのですもの。
優しい言葉、勇気のもらえる言葉を期待する方が間違っていたのです。
でも、結局間違ってなかったんです。
勇気出して病気を告白してよかったなって。
友人や知り合いの中での、自分の位置や存在の価値が見えたような気がしました。
みんなそれぞれ幸せに暮らしているんだな、あるいは私のことなんかに構ってられない状況にある人もいるんだろうな、って。
本当に身勝手な言い方で申し訳ありませんが、それが私のいう人間関係の断捨離でした。
去る者は追わず。今年はさるどしですし。
私なら、社交辞令だけでもお見舞いの言葉をかけるだろうな、とも思いました。私ってそういう人間ですから。
それがいいのか悪いのかわかりません。形式的な言葉をかけるくらいなら何もしない方がいいのかも知れないとも思います。
親戚も然り。別にお見舞いが欲しい訳ではありませんが、親戚から「大丈夫ですか」の一言もなかったのには、本当に驚きました。日
本には悪い習慣があって「してもらってるから、返さなきゃいけない」というのが普通だと思ってましたが、そういう観念はこの人たちに
は必要ないんだなって、逆に気が楽になりました。
本当に大切にしなくちゃいけない人がわかりました。
ちょっと嫌な雰囲気になっちゃいましたね。これがメインではないのでもうちょっとお付き合いください。
昨日息子夫婦が来ました。
先方のご家族とそろっての会食はありましたが、つる姫家だけで全員揃ってのはじめての5人での会食でした。
私の病気が発覚する前後に出逢った二人。
私が苦しんでいる時にお付き合いを始め、私がもがいている時に結婚を決めていた二人(爆)
そしてつくづく思ったんです。病気になったのが自分でよかったな~~って。
もしもそれが家族の他の誰かだったら、もっと苦しくて辛かったと思います。私の性格上、私まで病気になったかも(苦笑)
息子たちが結婚してから一緒に来てくれたのが、病室じゃなくて我が家でよかったなって思いました。
元気になって、息子たちのために滅多にしないお料理をして(自爆)迎えてあげられることができてよかったなって。
姑から「言われた」「された」と思っている事をお嫁さんにはしない、という意識もありますが、息子の嫁さん、という意識より一人の
女の子、一人の人間として接している自分がいて、彼女から学ぶ事も多いのです。
息子と出会ってくれて本当に有り難いという気持ちが強いのです。
フーテン息子は結婚しないんじゃないかって思ってましたから。
本当に、本当に本当に嬉しくて素敵な時間でした。
最後には、娘が息子たちをを車で駅まで送ってあげる、と言い始め、私もびっくりでした。
いつもクールな娘も、自分もなんかしておもてなししなくては、と思ってくれたんでしょう。
子育て間違ってなかったなって、思った日でもありました。
娘とお嫁さんは年も近くて、二人でランチしたこともあるようです。娘もお嫁さんの事を好きでいてくれて嬉しいです。
本当に「いい日だった」って、寝る前に思いました。いい日だ、って言葉が自然と出たのは何年ぶりかな。
これが「家族」ってものなんだなって。
いい日ばかりじゃないけど(笑)
手放す物、離れていくものがあれば、入ってくるものもある。
よいものが入ってくるように、こころも家も整理しとかなくちゃって思った日でした。
何が言いたかったって・・?
やっぱし私は病気になってよかったんだなと、改めて思ったって事です。
「病気をした」という形容詞をつけるのはやめようと思ってたけど、病気をしたからこそ幸せってものが何なのかわかった気がするとい
う事です。
今日の言葉
人間はすばらしい。自然はすばらしい。生まれてくるってことはすばらしい。
死ぬってこともすばらしい。病気になるってのもすばらしい。
紀野一義
今日の一句は勉強中につきお休みします(爆)
鶴燈火(つるとうか)にするか。
感謝 合掌
つる姫
青梅のカメムシ
カメムシにさえ、愛おしさを感じる優しいおばさんなんだよ(爆)