☆つる姫の星の燈火☆

いい日だ

今週はずっと雨じゃなかったんかいっ!焦って青梅に行ったのに!いやしかしあの日はそこまで蒸し暑くなった気もします。

残暑の厳しい江戸地方ですが、皆様の町、台風の影響は大丈夫だったでしょうか。

 

病を知る前、ちょうど2年前ですが、夏の18切符で亡くなった祖母の一周忌のため帰省する途中、兵庫の竹田城址を訪れました。

きつい山道を登りながら、今にして思えばその時の心臓はかなりシビアな状態だったのですが、

「私はもう人生の坂道を上り切ったのだろうか。。後は楽に降りて行けるのだろうか、いやでも山道は下る時もきついんだよな。。」

などというようなことを考えました。

その時57歳。下の子も大学に入っていわゆる子育ては終わっており、ほとんど後ろめたさもなく旅に出れる自分がとても幸せに思え、

「これまで生きてきた中で、今が最高にしあわせ」だと思える自分がいました。

 

その二ヶ月後に病が発覚して今に至る訳ですが、最近話題の小林麻央さんのブログの言葉を見てうなずいています。

「私はそんなに悪い事をしたのか・・・」

多分病気になった方の多くが感じる事ではないでしょうか。

そして「なぜ私なのか」と言う思いも。

私は最初病気になった事を友人知人親戚に打ち明ける事に、とても抵抗がありました。

「負けた」気がしたからです。私が病気になった事を喜ぶ人がいるのではないかとか「誰かが五寸釘でもさしたか」などいう被害妄想ま

で。

そう思うような出来事があったからですが、そんなことを思う自分を嫌悪しました。

病気になった事に負い目を感じました。

ごく親しい友人にだけ知らせた手術の事、入院の事。

「そうでもない人」「元気になってから話せばいい人」には敢えて言う事もない、と病気を隠していた私は、今年のお正月の年賀状で多

くの知り合いに病気だったことを告白しました。もちろん手術は上手く行って順調に回復している事を添えて。

孫が生まれました。子どもが結婚しました。夫婦でどこそこに行きました。幸せそうな家族写真の届く新年早々。

私の年賀状は異質だったでしょう。いまにして思えば申し訳なかったかなとも思いますが。

多くの知り合いがその年賀状を見て、声をかけてくれるんじゃないかって期待する自分がいたのです。

ところが、その想いは見事に裏切られました。

でも考えてみれば、そりゃそうですよ、私の中で「そうでもない人」も混じっていたのですもの。

優しい言葉、勇気のもらえる言葉を期待する方が間違っていたのです。

でも、結局間違ってなかったんです。

勇気出して病気を告白してよかったなって。

友人や知り合いの中での、自分の位置や存在の価値が見えたような気がしました。

みんなそれぞれ幸せに暮らしているんだな、あるいは私のことなんかに構ってられない状況にある人もいるんだろうな、って。

本当に身勝手な言い方で申し訳ありませんが、それが私のいう人間関係の断捨離でした。

去る者は追わず。今年はさるどしですし。

私なら、社交辞令だけでもお見舞いの言葉をかけるだろうな、とも思いました。私ってそういう人間ですから。

それがいいのか悪いのかわかりません。形式的な言葉をかけるくらいなら何もしない方がいいのかも知れないとも思います。

親戚も然り。別にお見舞いが欲しい訳ではありませんが、親戚から「大丈夫ですか」の一言もなかったのには、本当に驚きました。日

本には悪い習慣があって「してもらってるから、返さなきゃいけない」というのが普通だと思ってましたが、そういう観念はこの人たちに

は必要ないんだなって、逆に気が楽になりました。

 

本当に大切にしなくちゃいけない人がわかりました。

 

ちょっと嫌な雰囲気になっちゃいましたね。これがメインではないのでもうちょっとお付き合いください。

昨日息子夫婦が来ました。

先方のご家族とそろっての会食はありましたが、つる姫家だけで全員揃ってのはじめての5人での会食でした。

私の病気が発覚する前後に出逢った二人。

私が苦しんでいる時にお付き合いを始め、私がもがいている時に結婚を決めていた二人(爆)

 

そしてつくづく思ったんです。病気になったのが自分でよかったな~~って。

もしもそれが家族の他の誰かだったら、もっと苦しくて辛かったと思います。私の性格上、私まで病気になったかも(苦笑)

息子たちが結婚してから一緒に来てくれたのが、病室じゃなくて我が家でよかったなって思いました。

元気になって、息子たちのために滅多にしないお料理をして(自爆)迎えてあげられることができてよかったなって。

姑から「言われた」「された」と思っている事をお嫁さんにはしない、という意識もありますが、息子の嫁さん、という意識より一人の

女の子、一人の人間として接している自分がいて、彼女から学ぶ事も多いのです。

息子と出会ってくれて本当に有り難いという気持ちが強いのです。

フーテン息子は結婚しないんじゃないかって思ってましたから。

 

本当に、本当に本当に嬉しくて素敵な時間でした。

最後には、娘が息子たちをを車で駅まで送ってあげる、と言い始め、私もびっくりでした。

いつもクールな娘も、自分もなんかしておもてなししなくては、と思ってくれたんでしょう。

子育て間違ってなかったなって、思った日でもありました。

娘とお嫁さんは年も近くて、二人でランチしたこともあるようです。娘もお嫁さんの事を好きでいてくれて嬉しいです。

 

本当に「いい日だった」って、寝る前に思いました。いい日だ、って言葉が自然と出たのは何年ぶりかな。

これが「家族」ってものなんだなって。

いい日ばかりじゃないけど(笑)

 

手放す物、離れていくものがあれば、入ってくるものもある。

よいものが入ってくるように、こころも家も整理しとかなくちゃって思った日でした。

 

何が言いたかったって・・?

やっぱし私は病気になってよかったんだなと、改めて思ったって事です。

「病気をした」という形容詞をつけるのはやめようと思ってたけど、病気をしたからこそ幸せってものが何なのかわかった気がするとい

う事です。

 

今日の言葉

 

人間はすばらしい。自然はすばらしい。生まれてくるってことはすばらしい。

死ぬってこともすばらしい。病気になるってのもすばらしい。

紀野一義

 

 

今日の一句は勉強中につきお休みします(爆)

鶴燈火(つるとうか)にするか。

 

感謝 合掌

つる姫

青梅のカメムシ

カメムシにさえ、愛おしさを感じる優しいおばさんなんだよ(爆)


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

コメント一覧

つる姫
ブライトアイさま
たまたま昨日息子とブライトあいさんの事話してまして、ご主人に連れて行っていただいた激カラの料理の話もしてました。メキシカンだったのですかね。実はあの子辛いのは苦手なんですよ(笑)
娘もお嫁さんも辛いのが苦手で、お子さまだなーって、笑ってました。娘なんか、お寿司のわさびもだめなんです。

よいですねー。夏でも25℃とは。
日本は25℃でで夏日30℃で真夏日でしたが、近年35℃以上の猛暑日なんて言葉が出来ましたもん。
そのうち40℃の酷暑日なんてことも?
そちらにおられる間に行ってみたいなー(*^o^*)
ブライトあい
えぇ~、とんでもないです!
私の怪我は全く長男さんやつる姫さんに
責任のある事ではないですよ!!!
それよりも、せっかく寄って下さったのに
ご不便をかけ申し訳ありませんでした。

東京での再会を楽しみにしています。

クエンカは有難い事に6月からずっと
日中の気温が15℃~17℃という快適さです。
年末辺りだと、最高気温が25℃前後かな。

海岸沿いやガラパガス島、そしてアマゾンは
湿気も多く暑いです。
つる姫
ブライトあいさん
コメントありがとうございます。
あの時のお怪我、私も息子も責任を感じておりまして。
なんというタイミングだったのか、と。

>>動けなくなってから、これはいい内省の期間だと
エネルギー的な壁を張り、静かに回復期を過ごし、
殆どの方たちとそれまでのご縁を切らせて頂きました。

私も、勝手に友達だとか昔の恩人だとか思い込んでたんですね。よい機会でした。
連絡いただけなかった人を、冷たいもんだなって感じたり、形式だけ年賀状だけの付き合いは断とうと思った自分って、心が狭いかなって思ってましたがブライトあいさんのコメントを読ませていただいて、心が狭いとかの話じゃないなって思いました。
病気をしてから新たに出逢った人たちも沢山います。

ううむ・・・まとまりませんが、ともかく病気も私の人生の一部で、沢山の事を学んだことは確かです。
決して無駄な時間ではありませんでした。

お会いした時に沢山お話ししたいです。

それにしても、今日も東京は暑いです。
クエンカは今はどんな気候ですか?


ブライトあい
ターニングポイント
素敵なご家族の集まりに心が温まります💛
長男さん、私も想像していたより早く、とんとん
拍子で結婚されたのは新鮮なサプライズでした。

つる姫さんの術後の周りの反応の感想は
ある面私も似通った体験をしました。

アメリカ横断中の長男さんをお迎えに行く日に
私は緊急手術をする怪我をしてしまいましたが
その後、それまで心にかけていた人たちからの
反応というか、無関心にも近い反応に
考えさせられました。
日本人たちだからと、私が勝手に理想的に
思い込んでいたのも反省点でしたね。
思い込みとは・・とそれを見直すいい機会
でもありました。

動けなくなってから、これはいい内省の期間だと
エネルギー的な壁を張り、静かに回復期を過ごし、
殆どの方たちとそれまでのご縁を切らせて頂きました。

その後すぐに今の地への引っ越しを決めたのですが
あの怪我は、その当時の私のマンネリ人生に
活を入れる役目を果たしてくれました(笑
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