元気にしております。
一方、都知事さんは、過労で入院されたとか。
賛否色々ですが、よほどの頭脳や精神力がなければできない、大変なお仕事だと思います。
ゆっくりと休養されて、ゴリンピックに向けて頑張ってください。
開催は反対ですが、それとこれとは別ですよね。人として。
さてさて、このところ早朝にお散歩することが多いのですが、多くのご高齢者の皆さんが、お友達同士でおしゃべりしながら散歩されています。
ボケ防止や、お友達の消息確認に、とても大切な時間でしょう。
そんな皆さんとすれ違いざま、そのおしゃべりの内容が聞こえてくることもあります。
その中で、お嫁さんに対する不平不満らしき話を聞きました。
何でも、自分の洗濯物を一緒に洗ってくれない、とか?
話は一部しか聞こえませんでしたが、そういえば亡くなった姑も、同居のお嫁さんに洗濯物を別々にされていたなあ、と思い出しました。
嫁姑に関しては、これはもう永遠のテーマで、双方言い分があると思いますし、自信が姑になった今は、思い当たる節もございます。はい。
私も、様々な愚痴を、自分の母親や友人に聞いてもらったこともありますが、愚痴には何のメリットもない、と思うようになり
自分を正当化する、相手に同意してもらうための、愚痴をこぼしてしまう自分を恥ずかしく思うようになりました。
意見を言うのと、愚痴をこぼすのは別だなあと。
自分の方が正しいという事を誰かに同意してもらいたい、その事は恥ずかしいことではないと思いますが、
事と次第にもよりますが、どちらか一方の話だけを聞いて物事を判断するのは間違ってます。
自分の考え方を変えれば、いい。
過去と他人は変えられないんだ、と言い聞かせてみますが、まあ、修行が足りないので腹が立つことはたまにあります。
そんな日々の果てのつい昨日、おばあちゃんたちの愚痴を聞いて、例のサトリが(爆)
聞いてくれて、同意してくれる相手がいるってことは、とてもいいことではないか。
愚痴自体の有効性はないかもしれないけど、言える相手、自分の考えに同意してくれる相手がいるってことが大事なんだ。
おしゃべりしてすっきりしても、お嫁さんの態度は変わらないけど、すっきりする瞬間があるというのは、よいことなんだと。
近隣にお友達がひとりもいない、また作ろうともしなかった私は、愚痴を言う相手がいないのをラッキーだと思っていた部分もありましたが
意味のない愚痴や不満を言える、気の置けない友達がいるっていうのは、とても大切だな、と思いました。
とまあ、こたろうと歩きながら、そんなようなことを考えた私ですが、とりあえず愚痴にも価値というかメリットがあるな、と思った次第です。
しいて言えば、内容にもよるけど、その〆には、必ず前向きな言葉を添えること。
そこが肝心。
クレームはとてもありがたいアドバイスととらえる企業もあるように、愚痴を聞いて我を省みる、わがふりを直すチャンスでもあるのです。
聖人君子でも仏陀でもない私が、愚痴や不満を言う自分を軽蔑することはないじゃないか。
そのあとに、前向き建設的な思いが残れば。
SNSなど匿名で誰かを誹謗中傷するのとは、大違いだ。
愚痴なんて、かわいらしいものだな、と。
ちゅうことで、愚痴に潜む一利を追求してみた朝なのでした。
今日もつつがなく過ぎますように
感謝をこめて
つる姫
私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。
コメント一覧
つる姫
ぽんたん
最近の「フォト&エッセイ」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事