先月5月30日の事ですが、知人の愛犬が虹の橋を渡ったという知らせを受け取りました。
保護犬だったというRくんは、こたろうくんと同じミニチュアダックスの男の子。
お散歩が大好きだったそうで、最期の日まで、普通にご飯を食べ、お散歩もしたそうです。
保護された子だったため、正確な年齢はわからなかったようですが、最後は優しい家族と暮らせて幸せだったと思うし、それ以上に家族を幸せにしてくれて、潔いあっぱれな最期。
天寿を全うして虹の橋を渡りました。
了承を得て、ワンちゃんの写真をちょっと加工して載せます。
よかったら、一緒に彼の冥福を祈ってあげてください。
めちゃくちゃイケワンですね。お目目がくりくり、お鼻が真っ黒。
虹の橋を渡ったRくんです。
天国で、ロッキー君と出会っていたら、一緒に遊んであげてくださいね。
毎日そばに寄り添ってくれていた彼を失ったご家族の想いは、察して余りあります。
保護された子たちにもいろんな事情があったのでしょう。
でも、どんな事情があったにせよ、彼らは元の飼い主を恨むという気持ちは持っていないと思うんです。
あるのは、恐怖だけで、ただ恐怖のゆえに吠えたり噛みついたりするのだと。
だからこそ、そんなにも純粋な命を、都合で捨てたり虐待なんて、絶対してはいけない。
先代ロッキーを失ってしばらくしてからですが、ワンコは存在自体が愛そのもののだと気づきました。
自分が世話をしているのではない、こちらがお世話されていたのだと。
いつもそばにいてくれて、当たり前にそばにいたからこそ、気づけなかった大きな愛だったと。
誰かを亡くした時、もっとああしてあげれば、こうしてあげれば、という、残されたものの後悔と悲しみ。
失ってから初めて気づき抱く思い、それは去っていった命からの最後の大きな愛のギフトなのかな、と感じます。
その愛の深さは、時には残ったものを苦しめるほど重い。
だからこそ命の尊さを教えてくれる。
だから、毎日、「愛してる」「大好きだよ」を伝えましょう。言葉では照れるけど、態度だけでも。
後で知った事ですが、Rくんが虹の橋を渡ったちょうどその頃、私は娘と先代ロッキーの話をして泣いていました。
亡くなった知らせを聞いて、きっとロッキーも多くの仲間たちと、虹の橋の向こうでRくんを迎えてくれたのだろうな、と思いました。勝手なこじつけかもしれませんが、ロッキーも自分を思い出してほしかったのかなって。
人にせよペットにせよ、いつもそばにいたものがいなくなる喪失感は大きいですが、一つの命が残してくれた大切な事を忘れないで、今日も一隅を照らしましょう。
死は終焉ではなく、すべての命が通る、一つの通過点。
またいつかどこかで。
この時期ですから、紫陽花を手向けます。
でも、食べちゃダメだよ、毒があるからね。
Rくん、生まれて来てくれて、そしてKさんと出会ってくれてありがとう。
Kさん、ブログにすることを承知してくださりありがとうございました。
短時間でもあり、文章力もなく、こんなことしか書けませんですいません。
皆様、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日の言葉
「死者への最高の手向けは悲しみではなく感謝だ」
ソーントン・ワイルダー
ご訪問いただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫