今日も尊敬する先生のブログで、忘れそうなことを思い出させていただき、朝からなんだか気分がよいです。
先週、息子や娘と貴重な話ができた事からはじまり、最近はよい気づきの多い実り多き日々。
広重ぶるう、やっと読み終えました。
これをきっかけにあの時代の絵師たちの話をもう少し読んでみたくなりました。
以前にも数冊読んでいますが、今度は北斎かなあ。
そういえば、昨日、長年続いていた必殺シリーズで、北斎が殺されちゃって、ああだこうだ、最後は主水が死んだという映画を観ちゃったんです。
あらら、主水のイメージが全然違っちゃったなあという感想でしたし、主水が死んだのが納得できなくて、観ちゃった、と書きました。笑
名取裕子さん、東ちずるさん、そして、柏木由紀子さんがめちゃくちゃ美しかった。
皆さんお年を重ねられてもいまだお美しいですが。
話が逸れましたが、江戸時代の画家の話にしても、残された資料などからひも解いて、作家の方が書き上げたストーリーではありますが、とても興味があります。
現代のように、私を含め、誰もかれも自己満足の絵や写真を簡単にSNSなどで公開する時代ではなかった。
私自身もそうですが、実際に足を運んで写生したり、生き物を観察して描くことも少ない。
コンピューターで合成したり、いまやAIが素晴らしい作品を作ってくれる。
決してすべてを否定するつもりはありませんが、神社仏閣などの彫り物や絵などをみるたびに感動するし、誰が見るかもわからないのに描き残された、洞窟に描かれたアートに、かえがたいロマンを感じます。
今さらで、諸説あるようですが、ナスカの地上絵、あれはいったいなんだ。
音楽にしてもそうですが、ただ命をつなぐための鳥のさえずりや、獣たちの咆哮と、人間が作り上げるものとは違う。
生き物たちが、生き残るために独自に進化させた形や色なども、人間が感性で組み合わせて創造するものとはちがう。
やっと少しだけ、人間という生き物のすばらしさを認められそうになった、にんげんのわたし。
重き荷を負いて、坂道を上るように、人ってのは他の人には見えない荷物を背負いつつ、生きるため以外の笑顔を作って生きているのかもしれませんね。
自分でいうのもあれですが、私も重いものを背負っていますし、今日はそれを書こうと思ったのですが、
つる姫劇場復活のために、それはまた、笑顔で書ける日まで置いといて、
まだまだ坂道を上ります。坂の上の一条の雲に希望を託して。
今日の言葉
私たちは同じ空の下に住んでいるが、皆が同じ地平線を持っているわけではない。
⇒ We all live under the same sky, but we don’t all have the same horizon.
ドイツの元首相、コンラート・アデナウアー
ご訪問いただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫