☆つる姫の星の燈火☆

#2120 つる姫の誕生日ひとり旅~化野をゆく~

京都駅に着いたのが8時前後でしたか。

あらま、そういえば丁度通勤通学の時間帯だったわ。年中無休じゃなくて、無勤の私にはそんな時間の感覚が失われているのです。

京都駅から、多少混雑したJR山陰線で嵯峨嵐山へ。途中で学生さんたちが降りて、車内はガラ空きとなりました。

駅を下りて、とりあえず目指すは、愛宕念仏寺。

グーグルのナビにしたがって、車の通る広い道沿いの緩やかな上りの道をてくてく。

迷った訳ではないが、これが失敗だったと後で気づくことに。

確か40分ほどの道のりだったと思うのですが、あと少しというところで、下方にもう一本狭い道があり、

嵯峨鳥居本という歴史的建造物群保存地区という表示が。

苔生した茅葺の屋根もみえたので、そこにあった階段を下ってみることに。

よい感じですね。

時間が違えば、茶でもしたのですが。

この鳥居が地名の由来でしょうか。

もともとこの地区は化野(あだしの)と呼ばれ、京の人々の埋葬の地だったようです。

お店屋さんに、この道を行けば愛宕念仏寺に行けると聞いて、9時過ぎに最初の目的地に到着。

 

まずは、参拝者もつく事の出来る三宝の鐘。

鐘を突くと、静謐な空気に音の波紋が広がっていくのが、みえるような気がしました。

同時にカラスが、カアと鳴きました。

木々の葉は落ちているけれど、羅漢様に絡みつく苔の奥深い緑色。

頬にあたる、朝の冷たい風。手に伝わる鐘の響き。

徐々に消えて行く鐘の音。辺りにゆるり漂う冬枯れのにおい。

現代人が失いつつある、五感を呼び起こす空間がありました。

さすがに苔をなめてみることはしませんでしたけれど。

ここは、奈良時代に建立され、平安の醍醐天皇の頃に洪水で廃寺となり、その後天台宗の僧によって復興したのですが、戦時中に再び無住寺となり、昭和25年の台風被害で廃寺となったそうです。

その後、仏像彫刻家の方が住職となられて再興されたそう。

ここにある千二百羅漢様は、寺の復興のため昭和56年から、一般の参拝者によって彫られたものだそうです。

ふれ愛観音様がおられます。手に触れて拝むために作られた観音様だそうで、触れることによって人々の心身の痛みを癒してくださいます。

お身体は冷え切り、結露していましたが、御心はあたたかいのですね。

 

この場所は、少しだけ太陽が透けて見える位の曇り空がとても似合う。

カンカン照りでは、趣も違うだろう。

やはりつる姫は「持っている」のです。

感謝と合掌

ま、カンカン照りなら、他の理屈を並べていた事でしょうが。

あらまあ、なんとも楽しそうにお酒を酌み交わす羅漢様も。

お酒は飲んでも罰は当たらんのだ~♪

最後に再興してから、さほど時間は経っていなかったようですが、近年訪れた寺社仏閣の中でもかなり感動したお寺の一つでした。

他に参拝者がいなかったのも、ラッキーでした。

紅葉も桜もないですが、冬の京都の一番よいところは、人が少ない事です。

誕生日が2月でよかったなあって、この3年間この時期に京都に来て、特にそう思いました。

まああえて言えば、ちょうど春節とやらで。。。

実際、寒い田舎の冬に生まれた時は、かまどに薪をくべて沸かす産湯がなかなか沸かなかったりして、大変だったようです。親に感謝ですね。

は?かまどでお湯?いつの時代の生まれだって?

はい、縄文時代ではないですよ。

昭和30年代。戦争が終り、育った時期は高度成長期。

物はそこそこありそこそこ足りず、日本の歴史の中でも一番いい時代だったと自負しておりますが、何か。

見飽きませんね。本当に皆さん良いお顔。

お参りを済ませ、ついでに「一応行っておこう」世代は、念のためお手洗いもお借りして、化野念仏寺を目指します。

そうなんです。先ほど「失敗した」と申しましたが、ここで気づいたのは、ナビを頼りにして歩いてきた国道みたいな道ではなく、嵯峨野巡りの小道があったんですよ。

先ほどの保存地区を通る道。あれを嵐山から道なりに行くと、お店屋さんや神社仏閣が点在しているんです。

ナビは親切に最短距離で、ナビゲートしてくださったようです。

皆さんがお出かけの際は、必ずと言っていいほど、嵯峨野巡りの道を調べて歩いてください。

 

そう言えば、そのナビの道で思い出しました。

駅から歩きはじめて数分、20代半ば位の女の子が、こちらに向かって走って来ました。

多分、通勤電車の時間が迫っているのでしょう、と思ったら、私の数メートル先で、思いっきり転倒。

ガツンと膝から落ちて、道路に寝転んだような格好になりました。

お若いです。頭を打つまでは行きませんでした。

助けに行こうかと思う間もなく、あっという間に起きあがりました。

再び早足で私の横を通り過ぎようとする彼女に、大丈夫ですか?と声をかけようか、余計なお世話か?と一瞬迷った時、その女の子のどこからか、何かがポロリと道路に落ちました。

イヤリングかボタンか、そんなようなものでした。

私の方に転がってきたので、拾い上げて、声をかけるタイミングだなと思って

「大丈夫ですか?気を付けてくださいね」と言って、落ちたものを手渡すと、お礼を言って、再び駆け足で駅の方に向かって行きました。

あら~、まだあんなに走れるんだ。

あの転び方、私なら再起不能に近い形でひざを痛め、下手すると寝たきりになるな、と思いました。

私は基本せっかちで、急がなくてもいいのに急ぐこともたまにありますが、余裕を持った行動をしないと命にもかかわるなあ、と思った次第です。

そうそう、そう言えば去年、映画に向かって走った事もありました。

くわばらくわばら。

袖摺りあうも多生の縁とは言いますが、ナビを設定せず、あの時彼女からボタンか何かが落ちて来なければ、あの道を歩き、あの子に話しかける事もなかったし、彼女は転んだ恥ずかしい姿を他人に見られることもなかった。

いや、逆に言えば私があそこを歩いていた事によって、磁場が狂い、彼女が転倒したのか。

それなら申し訳ござらんが、人生のタイミングとかって、ふしぎなものですが、私に対する仏様の警告だったかも知れないですね。

慌てるな、急ぐな、と。

そして、丁度私とすれ違う時に、私の方に物が落ちてきたのも不思議な事です。

 

話がかなり逸れましたが、愛宕念仏寺から10分ほどで、化野念仏寺に到着。

ここは、10数年前友人と訪れたお寺。

この場所で、友人が写真を撮ってくれたのを、よく覚えています。

高校の同級生で、出席順の席が前と後だった事で話すようになり、同じ誕生日だったと知ったこともあり、そのうち親友になりました。

大学も同じ東京でしたが、結婚してからも時々彼女から旅に誘ってもらい、京都や鎌倉を二人で歩きました。

行先はすべて彼女が、当時ですから「ガイドブック」で調べて決めてくれて、私はいつも、まかせっきりでした。

私は、今年も誕生日に元気に旅をすることが出来ましたが、同じ誕生日だった彼女は数年前、肺がんで亡くなりました。

 

長くなるのでまたもやつづく。

誕生日から、もう一週間経ちましたよ。

今日も笑顔で過ごしましょう。

感謝をこめて

つる姫

(ブログ開設から2768日)


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

コメント一覧

つる姫
ぽんたんさま
コメントありがとうございます。
羅漢様たちは昭和56年くらいから彫られた物のようですが、この苔の生し様は、もっと長い歴史をかんじますよね。
愛宕念仏寺には、先入観というか、何も知らないで訪れたので、それもよかったのです。
何に対しても先入観を持っていると、本当の自分で接することはできないと思います。
なので、座右の銘が『百聞は一見にしかず」

今日も寒いですが、ご自愛ください。
ぽんたん
つる姫さん、
ごめんなさい、石仏さん達、
昭和25年生まれと勘違いしてましたf^_^;
早とちりでm(_ _)m😅
ぽんたん
本当に、時間が止まったような(^^)
タイムスリップした様な(^^;
石仏の皆さん、つる姫さんの良い時代も
ずっとそこに😃そしてタライの時も、もっと前から(^^)

なんとも不思議。石仏との出会いも、転んだ女の子との出会いも(^^) そしてまだまだ旅は続くのですね😃
なんか、凄い オチ がありそうな(^^) イエイ‼️

夢の世界に💤
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