☆つる姫の星の燈火☆

感動した

昨日から肌寒いくらいのお江戸。

今朝もひんやりしていますが、今日は気温が上がりそうです。

さて、先日父の戦争体験の手紙をご紹介したところですが

折しも、知り合いの大学生が広島の平和記念公園を訪れて

感じたことをブログに載せていました。

感動したので、よろしかったら読んでみてください。

 

めちゃくちゃ長いですから

忙しい人はスルーしてください

 

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〇昨日思ったこと @平和資料館


5年ぶりに行った平和資料館。5年前の記憶は、正直怖い気持ちがしたことだけを覚えています。途中で気持ち悪くなって、目を背けてしまった自分がいました。


5年の歳月がたった今、僕がどういうことをおもうのか。目を背けないで見れるか。そういうことを考えて、資料館に入りました。


戦争についての知識を改めて得ることができました。


そして、資料館内で出会った案内ボランティアのおばちゃんの話がとても印象的でした。その方も、戦争を体験していました。


「今の子供たちは、8月6日が何の日か知らないんだよ。」と言っていました。僕は驚きましたが、おばちゃんは「私たちが鎌倉時代のことを知らないようにね。」と言いました。


そして、写真に写っている着物の名前とかを聴かれましたが、僕は答えられませんでした。たしかに知識が浅はかだった。そう思いました。


まずは自分の国について知ることの重要性を強く言っていました。そして、僕の旅について話すと、本当に良い選択をしたと言って応援??てくれました。


そして最後に手書きの名刺をお渡しすると、本当に喜んでくれて僕の方も幸せな気持ちになりました。


出会ってくれてありがとうございます。


その後に、遺品などを観ました。変形の仕方など、想像の範疇をはるかに超えています。威力のすさまじさを感じました。


資料館では、戦争の実態や悲惨さを再確認できました。


資料館の一番最後が、特に印象的でした。


一つは、市民が描いた絵。原爆投下後の状態を思い出して書いたそうです。これには言葉を失いました。経験した人にしか描けない絵。そういう印象を受けました。


もう一つは、世界各国の偉い人のメッセージ集。


正直口先だけだなと思う人が多く、あまり心に刺さりませんでしたが、いくつか印象に残った言葉もあります。


その中の一つに、「過去を記憶できぬものは、同じ過ちを繰り返す」という言葉があります。


戦争というものを身近に感じない今の日本で、徐々に戦争というものは記憶から薄れてきていると思います。僕も人のことは言えないと思いますが。。


でも、それを忘れたとき、同じ過ちを繰り返してしまう気がします。


資料館をみて、とにかくこういうことはもう二度としてはいけないということは、ほとんどの人は思うと思います。


これをしっかりと記憶することが大切。そして、知ろうとすることが重要だと感じます。


戦争を知って、その悲惨さを知って、二度と戦争をしないという気持ちをもつ。


それが大切に思い、また、今の 戦争がない日本 というものが本当に素晴らしく平和で幸せであると感じました。


そして、もう一つ特に思ったことは、日本にいる以上歴史は日本の視点からしか見れないということ。


たしかに原爆を受けた国としてそれを知ることは大事です。


ただ、原爆ではないにしても日本が他国に対してしてしまったことも多くあると思います。


それは、日本の教科書ではさらーっとしか書かれていないかもしれないけど、被害を受けた国ではどういう風に教えられているんだろうという疑問が生まれました。


そういう視点で海外に行きたい。それこそが、本当に日本を知るということ。そう思いました。


日本一周ヒッチハイクの旅が終わってからの海外旅の位置づけや意味合い、行く地域などが大きく変わるかもしれません。


今思い出したのはこれくらいです。




〇今日思ったこと @国立広島原爆死没者追悼平和祈念館


昨日地図を見ていて目についた資料館。正直、この資料館の存在を知りませんでした。せっかく来たし、この存在を知ったのも何かの縁。行ってみよう。そう思って入りました。


入場料は無料。驚きつつも中に入ります。


中に入ると、らせん状の道があって、そこには原爆の説明書きが書いてあります。昨日平和資料館で見たことを思い出しながら、確認しながら歩きます。


その道が終わると、ドーム状の少し広い空間に出ます。


そこは、平和祈念・死没者追悼空間でした。


物静かな空間。中心には噴水があり、その天井には天窓、ドーム状の壁には、被爆当時の広島市内の状況がわかるように360度の写真がありました。


そこにいた警備員の方と少しお話をしました。


「この空間は、死没者を追悼する空間。中央の噴水は、当時 水をください と言って亡くなっていった人たちを追悼する意味を持っています。これは水盤になっていて、原爆投下の8時15分を表しています。壁の当時の市内の様子は、1945年の死没者と言われている14万人とあわせて14万枚のタイルで作られています。」


ということを教えてくれました。


そして、「広島県人でもこの資料館を知っている人は少ない」と言っていました。


この空間の中心で、僕は目を閉じて考えました。


昨日見てきた戦争の惨禍を思い浮かべ、流れる水の音を聴きながら『現在では蛇口をひねったら水が出る。当たり前になっているけど、飲み水が確保できることって本当に幸せなことなんだ。水を求めてなくなっていった人のことを思うと、本当に辛かっただろうな。』という風に感じ、今生きていることが本当に幸せなことなんだなっていうことを思いました。


「まずは日本を知るという姿勢は本当に重要だと思う。そして、よくここによってくれたね。良い旅を!」と応援してくれた警備員の方とお別れして先に進みます。


この先には、原爆死没者の氏名と遺影が見れるところがあります。


顔を見ていると、ご年配の方から小さな子供まで、老若男女たくさんの人の顔がありました。『なんでこの人たちが死ぬ必要があったんだろう。この人たちが何か悪いことをしたのか。』とても憤りを感じました。


名前の検索システムがあったので試しに自分の名字を調べてみましたが、いらっしゃいました。なんともいえない気持ちです。


その先には、企画展があります。今年度やっているのは、[しまってはいけない記憶 家族への思い]というものでした。


実際に原爆を体験した市民の方の体験記がいくつか見れるようになっています。


絵と体験記を合わせてみれるモニターがあるのですが、これをみて僕は気分が悪くなりました。


昔からそうなのですが、感情移入しやすく、まるで自分がそれを体験しているような錯覚に陥ってしまいます。戦争ものの映画とかを見ると、すぐに正常ではいられなくなって目を背けてしまっていました。


背けてはいけないことだとわかっていながらもできなかった過去の自分。


5年前は資料館でそれが起こり、少しは心が強くなったのか昨日はしっかりと見れたので安心していましたが、今日この映像をみて、心がいたくなって、一度目を背けてしまいました。


本当に情けないです。


目を背けてはいけないことなのに、辛くて背けてしまいました。知っておくべきことなのに、逃げようとしました。


体験した人はもっとつらい思いをしているのに・・・。


少し落ち着いてから、もう一度すべてを見直しました。


それを観終わると、そのまわりにはほかの体験談が書かれた冊子が並べられています。


一人ひとり、全部読みました。


読んでいるだけでも心がいたみます。


どの人も同じような状況を書いていたので、本当にそうだったんだろうなと思います。


目玉が飛び出している人、顔がパンパンに腫れた人、皮膚がただれた人・・・。想像をはるかに超えていますが、これは見た人にしかわからないのだと思います。


でも、見ていない人にもわかるのは、まさに地獄絵のような状況であったということです。


僕はこの体験談を見たときに、本当にここに来てよかったと思いました。


資料館の方もたしかにためになります。そこには、原爆についてをしることができるものがあります。


ただ、僕にとってはそれ以上に、生の体験談を見たことが本当に重要に思えました。


一人ひとり直筆で書いてある文を読んでいると、さらに心に突き刺さりました。


ここでも先ほどとは別の警備員の方とお話ししました。グアテマラに10年いた方でした。


「最近の学生は海外志向だけど、自分の国のことをしっかりと知っていくべきだと思うよ。」と言っていました。他にもいろいろお話ししました。ここでも僕の旅を応援してくれました。


企画展の後には、資料コーナーがあります。


原爆に関する書籍がたくさん置かれています。今回は読むことはできませんでしたが、今後徐々に読んでいこうと思います。


そして、PCコーナーがあって、被爆体験者のインタビューや映像資料などが見える設備があります。


この中にもたくさんのデータがあってすべてを見ることはできませんでしたが、今の僕と同じ20歳の時に被爆した方の映像を3人分閲覧しました。


僕と同じ年にこんな経験をしたのか。そう思うと、今の社会が本当に恵まれていることがわかりました。


にもかかわらず、僕たちにとっては今が当たり前です。もっと感謝しないといけない。そう思いました。


その中で特に印象に残ったのは、


「賢く、優しく、強くなってください。そうすれば日本は必ず良くなります。」


ということを言っている人がいました。


賢くというのは、戦争についてしっかりと学んで、その無意味さを知って、二度とそういうことを起こさないようにするということ。


優しくというのは、人に対して優しくあれということ。


強くというのは、心を強く持って、我慢したりするということ。


これだけ伝えたいとその人はおっしゃっていたため、ここでも共有しました。


資料室では、ほかにもたくさんの体験記があります。


僕はこの量に驚きました。全部読むとしたら何日かかるだろう。それくらいの量です。


今回は読めませんでしたが、次はもっともっとゆっくりと訪れようと思います。


そして、今回体験記を見てて思ったことが二つあります。


一つは、体験者全員が言っていること。


「戦争は、再び起きてほしくない。ましてや核兵器なんて絶対に再び使ってはならない。私たちだけで十分だ。」


これはみんなが言っています。


こういう人たちが頑張って核廃絶を世界に向けて発信しているのに、実際の世界ではいまだに核実験が行われ、もっと恐ろしい兵器もうまれていると聞きます。


軍需産業が儲かるとか、闇の世界で政治とつながっているとか、なんだか知りませんが、被害を受けるのは罪のない人たちです。


戦争をする人たちは、国民をゲームの駒として見ているのだろうか。人の命をなんだと思っているんだ。そう思います。


二つ目は、生き残ったことの辛さ。


被爆体験を話している方々が、すぐにそれを話せるようになったとは思えません。


目の前で愛する人が亡くなって、本当の辛さを味わったのだと思います。


その日のことを思い出すだけでも、気がおかしくなるのではないかと思います。


そのつらさを乗り越えて、体験を伝えてくれること。


これは本当にありがたいといったら言葉が違うかもしれませんが、貴重なことであり、大切にすべきことだと思います。


やはり、経験者の言葉は重みが違います。


それを知ることは、大切です。


伝えてくれることに感謝して、これからもそういう言葉を学んでいきます。


そういう人たちの中に、本当の強さをみました。



もし広島に来たときは平和資料館だけではなく、こちらの国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の方にもぜひ行ってほしいと思います。



最後に、広島市内を歩いていて思いました。『67年前には70年間草木も生えぬといわれたこの地。それがここまでになったのは本当に数えきれない人の努力があったのだろう。日本全体としてもそう。今の平和な社会ができるまでには本当に多くの人の手がかかり、多くの辛さがあってできたのだろう。これを当たり前に思わずに感謝しなければ。』と。




戦争は人の手が起こしたことです。これを忘れてはいけない。人の手で人が殺される。これはあってはならないことだと思います。


戦争じゃなくてもそう。最近通り魔事件がありました。殺された人に何の罪があるんだろう。どちらも本当に気の毒でたまりません。その人の死で、周りの多くの人が辛い思いをする。


そうかと思えば、自ら命を絶つ人もたくさんいる。必死で生きようとしても生きられない人もいるのに。



命について、これからたくさん考えることになりそうです。







正直まだまだ伝えきれませんが、とりあえず思ったことを忘れないうちに書き綴りました。



僕はこの二日間でたくさんのことを得ました。


ここに書いたこと以外にもたくさん感じたことがあります。それはメモ帳に書いてありますが。



僕は今回得たことが何になるかはわかりません。


将来にそういったことに対して仕事をするかもわからないし。


でも、こういった過去を知ること。知ろうとすること。


それは大事なことなんじゃないかと思います。


まずは自分について知らないと何もできないように、まずは日本のことを知らないといけないのではないかと思います。


まだまだ僕が今回感じたことは至らない部分もたくさんあると思います。


でも、確実に、今の自分が感じたことは大切にすべきだと思うし、知っておくべきことであると思います。



本当に今回来てよかったです。




今回のブログは、僕がとても感情的になって書いたものであるので、途中に不適切な文面などがあるかもしれません。「被爆者」という言葉を使ってしまいましたが、それもどう表現したらいいかわかりませんでした。他にも、もしよくない表現があったら指摘していただけると嬉しいです。


もし、この文章の中で不快な思いになった方がいたら申し訳ありません。


ただ、僕が今感じたことを忘れないためにも、そして、これを多くの人に見てほしいと思ったので書かせていただきました。


長い文を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




最後に、


ここに来れたこと、ここで出会ってお話ししてくれた人、今自分が生きていること。すべてのことに感謝します。


そして、戦争で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

 

 http://world-jumper-kenta.at.webry.info/

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私も

戦争を体験した事も、大震災の被害にあった事もありません。

自分が出来る事はなにか・・・そんな想いで

結局何もできないで過ごしてきた日々でしたが

彼のブログを読んでいて思いました。

 

大きなことはできないけれど

見て聞いて知って、考えてそして

今この時に、感謝することはできる。

体験としての記憶も、痛みも傷もないけれど

一年に一回でも、記念日にだけでも

心から手を合わせて、祈る事は出来る。

多くの人がそうすることで

亡くなった人たちの命が輝きを取り戻す。

そして、生きている者たちの命が磨かれていく。

 

知らなくても考えなくても生きていけるし

お金持ちや偉い人になれるかもしれない。

考え方も価値観も違う人は沢山いるけれど

私は、彼のような若者が増殖してくれることを祈ります。

 

そんな朝です。

今日は銀座でお仕事してきます。 

夜の蝶ではありません。

昼の蛾です。

 

今日も笑顔で頑張りましょう。

今日も笑顔でお疲れ様。(夜ご覧になった方へ)

 

感謝をこめて                                  つる姫

 

 

 


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

コメント一覧

つる姫
るみこさん
コメントありがとうございます。

私が訪れたこの時
ひとりの若い女の子が、
真剣な顔でこのドームを見あげていました。
回りには、Vサインで記念写真を撮る若者たちがいました。

これからも、世界平和を祈ることしかできません。
いや、祈る事は私にもできる。
そう思って命を生きようと思います。
るみこ
毎日
この美しい青年のブログを拝読しています。

時々「日記にまとめて書きます」って書かれている
特別な出会いや気づきをどこに書かれているのか分からなくて
残念に思っていますが(笑)

4月に平和記念公園に夕方少しだけお邪魔して
小さなネイティブの笛を吹かせていただきました。

つる姫さまの写真のドームに向かって。

日本帰国の際のお役目のひとつが果たせたような。

その日は朝仙酔島から宮島に移動し、そのまま弥山に登り
数時間参拝をしたあとだったので
平和記念公園に着いた時にはかなり疲れていましたが
一日の最後、ある流れの最後の夜がそこで終了した事がありがたかったです。

世界平和と和合・和解が実現しますように。

つる姫
テバネさん
釣れてよかったです。

この写真は去年私が広島に行った時のものですが、原発事故の後だったのもあり
以前と違った目でこのドームを見ました。
資料館には行っていないので
また機会を作って行こうと思います。

小松左京さんはすごいと思います。
何十年も前にあんな小説を書かれたのですから。

コメントありがとうございます。

テバネ
http://blog.goo.ne.jp/m1445
私は何度も足を運びました。
子供達も小さい頃に釣れて行きました。

あの資料館は一人でも多くの人に見てもらいたいと考えています。

社員さんを広島に釣れて(違った)連れて行った時も、当然コースに入れました。

戦時中は原子爆弾で九州と中国地方が被害を受け。
平成では原子力発電で東北が被害を受け。

ん~・・・・・・・・・涙

日本は小松左京の世界に入って行くのか(大汗)
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