☆つる姫の星の燈火☆

#346 写真から絵に

実家は、写真館を営んでいました。

スタジオで写真を撮ったり、暗室で現像したり、婚礼写真などを出張撮影に行く父の姿を幼いころから見て育ちました。

写真が普通の日常のそばにあり、特に意識して育ったわけではなかったです。

物心ついて、何歳の時だったか忘れましたが、家族で都会に住むおばあちゃんの家に遊びに行って、近くの公園でやっていたバラ祭りを見に行きました。

その時に、父にカメラを渡されて、写真を撮ってみろと言われました。

その頃はもちろんフィルムカメラです。

現像するまで、どんな写真になっているかわかりません。

 

父が現像して写真になり、家族で出来上がった写真を見ました。

私が撮った写真を見て、父がとても褒めてくれました。

初めて撮った写真は、ピントも合ってぶれもなく、切り取った景色も悪くなかったようです。

幼心に、ものすごくうれしかったのを、今でも覚えているので、私が写真というものをことさら意識したのはその時だったのかもしれません。

中学になり、お年玉などをためたものと、親も少し助けてくれたお金で、カメラをかいました。

そのカメラで、自宅近所のお祭りを撮った写真が、コンクールで入賞しました。

以前書いたようにも思いますが、その時、学校の先生が、「お父さんが撮った写真でしょ」と言ったんです。

気の弱い私が、それに対してどう返答したのか記憶にないのですが、とても傷つきました。

それを父母に伝えると、とても怒って、確か先生に話をつけに行ったような気もします。

 

その後、高校では写真部に入りましたが、精神的に色々な時期で、途中でやめてしまいましたが、

大人になってからも、自分の親が写真屋さんだと知った人からは、ことあるたび、写真屋の娘だから写真が好きなんだねとか、写真が上手みたいなことを言われました。

それを父に話すと、写真屋の子どもが写真を好きだったり上手だとは限らないのにな、と言いました。

確かにその通りで、八百屋の子どもが野菜嫌いかもしれないし。

父はそういうことを言う人でしたから、自分の仕事や好きなことを敢えて子どもにもやらせようとは思わない人だったのでしょう。

悪く言えば、自分さえよければ、な人でもありましたが、その分、子どものすることに口を出すこともしませんでした。

なかなかできることではないですよね。親として。

 

一時はカメラにお金をかけていた時期もありましたが、まあ大した金額でもないし、そこまでこだわったわけでもないけど、旅に出るときも大きなカメラを持って歩いていました。

今は、コンデジしか持ち歩きません。

絵を始めてからは、絵の素材になるものを写せればそれでよかったからです。

 

ただ、先日カワセミさんと遭遇してから、レンズが~~と思ってしまい、いいレンズに心が動いた瞬間もありました。

でも、この先暑くても寒くても、フィールドに出て野鳥を撮影できるような体ではないことも承知してるし。

しまい込んでいた、私の中では一番いいカメラが終のカメラになると思います。

 

つまりその、私が写真が好きだったのは、多分あの時の写真をほめられたのがきっかけかもしれませんが、それは写真屋としての親の言葉じゃなくてもよかったのだろうと思います。

八百屋の子どもが写真家になることもあるってことです。

つまりその、何かを好きになったり興味を持ったりするきっかけって、奇跡のようなものかもしれないなって。

 

今日の言葉

好きこそものの上手なれ

 

子どもの時でも、大人になっても、何かを好きになり夢中になれるものがあればいいですね。

結局言いたかったのは、私が写真を好きなのは、写真屋の娘だったからじゃあないってことです。

もちろん、環境が整っていたことに間違いはないけど。

そして、やりたいことがみつからないという悩みを持つこどもたちに、何かのきっかけが訪れることを願います。

大人は生活のためにやらなきゃいけないことがあるけど、その大人だって、趣味があるかないかで、生活の質や心のありようも変わってきますよね。

さらにいえば、そのためには、お金も必要になってくるけども。

 

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感謝をこめて

つる姫


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

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