先日ちょっと書きましたが、このところお料理というものに、割と時間や頭を使っています。
お料理をするのは、ボケ防止にもなるというのをちらっと思い出しましたが、別にそれを意識したわけでもないのです。
そもそも、料理はあんまり好きじゃなくて、お料理の得意な奥さんが欲しいと思うような奥さんだったのですが(爆)
子どもたちが小さい頃は、四季折々のイベントにアイディア料理を作るのは好きでした。
お弁当も当時はあまりなかったキャラ弁で、他のお母さんが私の作ったお弁当の写真を撮るような、そんなママでもありました。
当時デジカメが発達していなかったので、写真が残っていないのがとても残念です。
で、子どもが大きくなって家でご飯を食べない事が増えてくると、全くやる気なし。
それが最近、スマホで料理のアプリをとってから、つる姫の食の人生がまた変わる。
具合が悪くても食欲だけはあったあの時期。
食べ物を買いに買い物に行く、キッチンに立つ、食べるという事が、つる姫を動かした、と言っても過言ではないでしょう。
あの時期に食べる事も出来なかったら、いまのつる姫はおりません。
もともと食べ物に拘る方ではなかったですが、食べるということは、人間にとって、命を繋ぐための手段だけではないのだな、とも思いました。
とはいえ、すべての人間に当てはまる訳ではなく、食べれなくて亡くなる命も大勢いる世界です。
私たちのいる場所は、食べるものをはじめ、物が溢れて、反面心の中が空っぽになったり、ぜいたくな悩みが生じたり。
先日の話に繋がる所もあるかも知れませんが、肉体と魂が融合しない、というのはそういう事も原因なのかも知れませんね。
生きるために食べる。そのために生き物は進化してきたのでしょうが、人間ってそうシンプルではないのでしょう。
そんな事を思いつつ、昨日は何年振りかに手作り餃子を作りました。
買ってきたキャベツがあまりにもまずくて、この天候のせいで野菜の味がおかしいのかな、って思ったのですが、生でも炒めてもダメなので、餃子にしてみようかと。
娘が小さい頃一緒にタネを包んだ記憶がありますが、昨日は一人でもくもくと皮の数の24個の餃子を包み、スマホで焼き方をググって、焼いてみました。焼き方結構ネックですよね。
割とうまくいきました。
キャベツの味は餃子にしても少し気になりましたが、まあオッケーです。
ビールに合うよ。
まだキャベツが残っているんですが、捨てるのはもったいないし、なんかいい方法はないですかねえ。
さて、こんな風にギョーザつくりました~~あ♪という記事で終われないのがつる姫の星の旅人。
昨日の記事にまたも少し追加させてください。
>若い頃から私は、こころの奥は宇宙と繋がっている、
と漠然と思い続けています>
と書いたのですが、そのあとRさんから次のようなメッセージをいただきました。
>>正にこれ↑ です!
SBFのジョネットもハートセンターから瞑想に入り
そこから光の存在や光の世界に繋がるそうですが
たくさんのYoutubeを出しているスピリッチュアルな友人は
意識をハート(心臓)の奥深くに向け、その奥の
小さな空間というところからしか、異次元や高次の世界には
繋がれないと先月私に話してくれました。
>>
これを読んで、ドキッとしました。
「ハートの奥の小さな空間」
私の心臓はいつから壊れていたんだろうって、病気がわかってから思いづつけていました。
僧帽弁というところが、かなりダメージを受けて血液が逆流していたのですが。
心臓が悪くなるなんて全く思っていなかった私が、いまだに心臓を意識せざるを得ない状態にあるってことは、きっと何かの意味があるのだろうなあと受け止めると、なんだかまた違う世界が見えてくる気がします。
私の使う「宇宙」というものが、「光の世界」「異次元・高次元」と一致するのかは、まだわかりません。
そして、心がハートにあるということが「心臓」にあるのか「脳内」にあるのか、というと私にはわかりませんでしたが、心臓手術を受けた後、こころは「心臓」にある、って思いました。
そのことは多分、入院後のブログに書いたような気もします。
*諸説ありますから私の個人的な見解です。いちいち書いとかないと(笑)
人生に無駄なし。
起こる事には意味がある。
そうも思えない事が山ほどありますが、出来る事なら、ポジティブに考えた方が得ですよね。徳、ですか。
もし今度心臓からの声が聞こえたら、何か違う反応が出来るような気がします。
またもや台風が四国の方に近づいているようです。またもや気をもみますが、被害が拡大しませんように。
自然に悪意はないです。人間の得意とする知恵を働かせないとね。
感謝をこめて
つる姫
(ブログ開設から2594日)