皆様
8日に亡くなった祖母の葬儀も無事に終わり、昨夜帰宅いたしました。
皆様からのあたたかい言葉、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
昔から100歳まで生きてね、と言い続けていましたが
お婆ちゃんは満98歳でした。
ところが、享年百歳、と書かれてあり驚いたのですが
何か数え方があるようで、享年は百歳だったのです。
去年の3月末に一度危篤状態になって生還し
何度か逝きそうになりながらも、意識を取り戻してきました。
実家の目の前に特別養護老人ホームがあるのですが
お婆ちゃんはずっと前から、そこに入れるのを待っていました。
私が6月にお見舞いに行ったときは、まだ実家からは車で20分ほどの施設にいたのですが
その後7月にその夢がやっと叶って、とても喜んで移動してきたそうです。
そして、この8日。
朝母がいる時間に、目を閉じていたお婆ちゃんが、大きな息をひとつしたそうです。
母が「どこか、しんどいの?」と声をかけると、もう息をしていなかったそうです。
それが最期でした。
午前9時40分だったそうです。
10時過ぎに実家から自宅に電話があり、日曜なので主人が電話に出て連絡をくれたのですが
仕事中でしたので、携帯にかかった電話に気づかずにいたら
職場から徒歩一分の自宅から主人が駆けつけてくれて、それで知りました。
仕事をとりあえず出来る限りまとめて10時半に帰宅しました。
お通夜は当日。支度はあるし新幹線と車だけでも最短6時間半ほどかかりますから
どう見ても間に合いません。
そして、お寺さんの都合で葬儀は翌日11時からと再度連絡が入りました。
明日の朝出たのでは間に合いません。
いつもはない予定が10日と11日に入っており、10日の約束をキャンセルしたり
11日の予定は預かり物があったので
宅急便で友人に送ったり、家の雑用と帰省の準備をして
娘と新幹線に乗り、タクシーに乗り継いで実家に着いたのは夜の9時半でした。
実はこの日の朝、全く信じられないような偶然で息子が実家に向かっていました。
息子は新幹線に乗るホームで、主人からひいお婆ちゃんがなくなったという電話を受けたそうです。
息子は私の実家に着くなり、ひいお婆ちゃんのお通夜だったのです。
まさか娘と二人で、朝出かけて行った息子を追いかけるように実家に行くことになろうとは。
生きているものがこじつけて考えるだけかもしれませんが
お婆ちゃんの意図を感じました。
私は初孫で、そして息子は初ひ孫でした。
葬儀は身内だけで静かに営まれました。
田舎でも色々あるようですが、葬儀屋さんがすべてやってくれるというものではなくて
私たちで色々やらなければならなかったので、慣れない(当たり前ですが)私たちは大変でした。
でも、子どもたちが受付に座ってくれたり準備や片づけをしっかりと手伝ってくれて
お婆ちゃんはひ孫たちの成長をみて、きっと喜んでくれたことでしょう。
子どもたちを遠くから見るのはお遊戯会や運動会でしたが、その時期も過ぎて
学生ですが、一社会人としての子どもたちの姿を見たような気がしてとても感動しました。
時期が違えば、ほとんど家にいない息子がいたというのは奇跡に近いし、
しかもまさにそこに向かっていたというのは不思議でしかたありません。
娘の大学受験も終わって、二人ともまだ夏休みでした。
私は6月にお婆ちゃんに会いに行けていたし、あれが最期になりましたが
最期に名前を呼んでくれたあの声を忘れることが出来ません。
そして、ちゃんと手を振ってバイバイしてくれたことも。
以前から、何かある時は私や私たちの子どもたちが大変な時期じゃなければいいね、と母が言っていましたが
お婆ちゃんはその通りにしてくれたな、と感じました。
うちのリフォームも落ち着いたところでした。
100まで生きてねも、孫やひ孫が都合の良い時に、などと言う勝手な都合を
お婆ちゃんはしっかりと引き受けてくれたんです。
あまりにもかっこよくて、涙が出ます。
そして、お婆ちゃんは
日ごろすれ違いの私と息子、そして娘と3人の素晴らしい時間をくれました。
その話は明日にでも聞いてください。
お婆ちゃんありがとう。
(私の)お母さん、お疲れ様でした。
お婆ちゃんがお世話になった施設の皆様。
おばあちゃんの死に際し、あたたかい言葉をかけてくださった皆様に
心から感謝いたします。
ありがとうございました。
つる姫