東京は昨日までの強風も収まり、爽やかな朝を迎えております。
今朝の朝焼けも綺麗でした。カメラの用意はしていたのですが、わあ綺麗・・・zzz。
もう一回寝たので写真はありません(笑)
先日までの酷暑を忘れてしまいそうな、昨日今日。
忘れるという事は人間のよい能力のひとつでもありますが、最近は物忘れも増えてきて、色んな事をぐちゃぐちゃ考えて自滅していた私としてはいい塩梅の思考回路になっているのかも、とほくそ笑んでいます。違うってか。ボケたらあかん。
ついでについ先日までの、死んだ方がマシと思う位の体調不良のことも忘れそうになっています。
人間嫌な事は忘れた方がいいのですが、教訓はしっかり胸に刻まないといけません。
脳内の情報も整理して、いらんものはゴミ箱に入れて、ポチッとして空にしたいものです。
そうもいかないのが人間の脳なのでもあります。
さて、少し前から奥歯に物が挟まったようないい方をしてきましたが、私が今回普通の体調を取り戻せたのは、スピリチュアルな体験がきっかけです。
スピリチュアル・・・というのは「誰もが心の奥に持っている本質的なもの」です。
私としてはそう解釈していて、とりあえず今日はスピリチュアルという事についてのコピペです。
<<
「見えない」世界
スピリチュアルとは、英語のもともとの意味は「精神的な」「霊的な」「聖霊の」という形容詞です。
18世紀以降の近代科学の発達の勢いのなかで、科学的・論理的に証明できないことはすべて世迷言にすぎない、という唯物論的考え方が世の中の主流になっていきました。現代に生きる私たちも、その考え方を強く持つ方々がこれまで多かったですよね。
しかし科学は本当に地球上・宇宙上のすべてを説明できるのかといえば、答えはNoです。私たちは、自分たちが死んだらどうなるのか、誕生する前はいったいどんな存在なのか、オカルトよりな考え方ですと本当に宇宙人はいないのか、とか・・・こういった問いには、おそらく科学は答えを明確に用意できません。
こういった科学がまだあいまいな答えしか持たない領域を一手に引き受けているのが、今のスピリチュアルという言葉です。
こわくないもの
もちろん、生きている人間に危害を加えようとする霊とはよく話し、場合によっては闘わなくてはならないこともありますが、そればかりではないのです。応援メッセージを霊たちが送ってくれているなら、一概に怖いとは言えませんよね。
そのメッセージを積極的に受け取り、より良く生きていきたいという考えがスピリチュアルに興味のある人には多いです。その世界観をスピリチュアルという言葉が内包しているがゆえに、この言葉は多くの人々に受け入れられているでしょう。
カルマ・輪廻
もし行き詰ったら、まず結果を今生の人生で受け止め、そして自分が反省する点は少しずつでいいので変えていきましょう。当たり前の、普通のことだと思うのですが、多分カルマの解消というのは、そういう人生をどう生きていくかの積み重ねそのものです。
自分を見つめること
このシンプルで難解な問いを、密かに皆さん一度は自分に向かって問いかけたことがおありなのではないかと思います。日常を流れるように生きている人にとっては「重い」問いです。
ですが、生きているうちに何らかの形で一人一人が直面することですよね。哲学や宗教があなたの助けになるかもしれません。でもその哲学や宗教をも含んだ、潜在意識・自己啓発に関することや「見えない存在」と対話する、そういったスピリチュアルな世界があなたに何かのヒントを与えてくれるかもしれません。
受け取ること
たぶん、地域やスピリチュアリストさんによって呼び名はさまざまで、守護霊・ガイドスピリット・天使・龍・妖精…こういった存在はすべて目に見えない守りの存在なのでしょう。
生かされていること、そして守られていることに思いをはせて、感謝して素直に受け取る、それもスピリチュアルな思索の一路です。
自然の一部である
なんとなく夜空を見上げたり、夕焼けを見たりしていると、この広い広い宇宙の、その一部である太陽系の一つである地球に自分が今生きていることが、とても不思議だと思うことありますよね。
ありふれた日常を日々送ることの難しさや、美しさや、めんどくささや、喜びを感じたり…。いろんなものがすべて偶然に、運命めいた力でととのいあわされて、今という時代、私たちそれぞれの存在が今あるのです。
当たり前のこと、生きていることそのもの、自然の力やめぐみへの感謝も、そんなところから。生まれてきているのかもしれません。
言葉にしにくい感覚なのですが、こういったあなたをすべての存在へ思いを向けることもスピリチュアルなこと。たまには自然を意識してみることをお勧めします。その大きさに気付くのはとての大事な事なのです。
愛といのち
この世に生まれて、生きて、いつかは終わりを迎えるという一巡りの私たちのいのち・人生がスピリチュアルそのものなのかもしれません。
ひとつひとつ、一人一人が愛されて存在している、その奇跡が広がっている、そういういのちや愛の感覚もスピリチュアル。「見えない」、でも確かに存在する大切なもの、それがきっとスピリチュアルという言葉には、内包されています。
>>
ということで、つる姫は若い頃から、意識しないうちにスピリチュアルという概念を持って生きてきたのだなあと、改めて感じています。それは、つる姫だけじゃなく、誰もが潜在的に持っているものだろうとも思います。
人というのは肉体という封筒に心とか魂を入れて生まれてくる、というような言葉と出逢い、出逢った大切な言葉の数々をノートに書き留めて、毎日それを意識して生きるようにしていた時期が、ちょうど30過ぎてアメリカに行く前のことでした。
そんな事を意識するまでもなく、心身ともに健康に生きていられるのが幸せな事なのかも知れません。
どれが幸せかなんて、正解はないのですが。
まあ、そんなような事を踏まえたうえで、後日つる姫の体験をお話ししますね。
もったいぶっている訳ではなく、本当に大切な体験なので、きちんと言葉にしたいのです。
そのため、先ほどのコピペの内容を覚えておいてほしいです。
もちろん興味のない方は、スルーしてくださいませ。
さて、最近こたろうくんはお部屋でのボール遊びに嵌っています。
際限なく投げてくれとせがむので、孫と遊んでいる以上につかれます。
まあ、人間の孫は持ったことがありませんが。
お散歩では、他の犬に必ず吠えてしまうワンちゃんにすら、自ら駆け寄って行って、吠えられもせず、お尻の匂いをかがせてあげてお友達になれるような、そんな子です。一体誰に似たのでしょうか。
先代ロッキー君は、若い頃はそうでもなかったのに、晩年他のワンコに吠えるようになっていましたが、こたろうもそのうち性格が変わるかな。年を取ると頑固になりますからな。
お外で思い切りボール遊びをしたいものですが、近くにドッグランもないし、犬を入れないで!と書かれた場所が多すぎる。
果ては犬を連れた人が集まると他の人が来れなくなるから、配慮してください、などという看板までたてる公園も。
これには、私は大いに立腹したものです。みんなの公園なんだし、マナーを守らないのは犬や飼い主に限った事ではない。糞尿の迷惑は、ワンコより猫の方が多いと思うんだけど。これはどうも一部の住民が区にクレームをつけたようで、他の飼い主さんも怒ってました。
おっと、いかん、いやな事かいた。すまんすまん。
早く海辺の町へこたろう連れて移住したいなあと思っています。ま、これも今の夢の一つですが、最近野生の動物が蔓延していてこわい。
昨日の夕焼けです。
反対側のビルが夕日に照らされて綺麗です。
素敵な週末をお過ごしください。
感謝をこめて
つる姫
(ブログ開設から2590日)