にもかかわらず、最近の私は、自分の存在に何の意味もない、というようなことを考えたり書いたりしていました。
一隅を照らす、という言葉に出会ったのは、多分5年ほど前。
術後の不調からの周りの環境への不満、果てに神社仏閣仏様に救いを求めていた頃だったと思います。
この言葉は、平安時代に天台宗を開いた、最澄の「一隅を照らすもの、これ、国の宝なり」という言葉がもとになっている思想。
私は空海様に救われた身ですが、それはまた別のお話で^^
一隅とは、みんなが気づいていないほんの片隅、一角の事を指します。
転じて、本当は直視しなければならないにも関わらず、目を背けているもの、という意味もあるそうです。
私がどこかで読んだ解釈は、自分が日々生きている事自体が、一隅を照らす、ということだというもの。
目立つような仕事や活動で社会を照らす、というような大袈裟なことではなくても、自分の命を大切に生きる事、それ自体が一隅を照らす、ということだと。
命そのものが、小さな灯りなのです。
拙著のペンネームを燈妃としたのは、そいうような意味もありました。
それぞれの命、愛や希望の灯火は小さくても、集まれば大きな光になると。
愛ある灯りを燈し、隣にいる人にリレーしていけば、明るい世界になるはずだと。
このコロナ禍でのアメリカの大統領選の勝利のスピーチに、分断ではなく団結させる大統領になる、というような言葉がありました。
まさにその通りで、それはアメリカだけに限らず、全世界がそうあるべき。
生まれてきた命はすべて平等で、しあわせ(人それぞれですが)になる権利がある。
人というのは、敵味方を作ることで仲間意識を持ったり、団結したりする。
それが、争いにならなければ、刺激し合って向上していくというような事もあると思う。
が、大概は平和的な関係になれない。
現大統領が潔く負けを認め、新しい大統領とすべての国民に笑顔で餞を贈る事ができればいいのにね。
コロナだし無理だと思うけど、新旧大統領や両支持者達がハグしあうような映像が見てみたい。
真に国民全体を思えば、おう、次はおまえが頑張っていい国にしてくれよ!おれも協力するぜぇ!みたいになるのでは。
まあ、きれいごとですけど。
選挙の前に、拳銃を買いに走らなければならないような国、日本では考えられないことが現実。
すぐに社会を変える事は不可能ですが、向かって行く先を間違えないよう、それは大統領だけでなく、国民全員が考えるべき事です。
世界中の誰もがみんな、他人の幸せを奪うことなく、幸せになればいいですね。
それらの事を漠然と思ううち、はてと自分の命というものにたちもどり、一隅を照らすという事を改めて新鮮に受け止めたわけで、看板に偽りあり、軸がぶれぶれのワタクシですが、今日もこの命、まっとうに生かさせていただきやす。
最近は夕焼けが大焼けの事が多いです。
私は山の田舎で育ちましたが、周りの山が近すぎて、こんなような朝焼けや夕焼けを見ることはありませんでした。
東京の空は美しいですね。
美しい空が見える所に住めて、ありがたいことです。
今日もつつがなく過ぎますように
感謝をこめて
つる姫
私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。
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