今日の内容は、人によっては不快に感じられるかもしれませんし、長くなるのでご承知ください。
いまさらですが、2014年発覚した病気、2015年の手術を経て色々なことを考えました。
2011年の東日本大震災で少なからず変わった死生観も、自分の病気でさらに強く意識するところとなり、「生かされた命」をどう生きるか、深く考えました。
その中で考えたことの一つに、わんこにゃんこの保護活動に参加する、というものがありました。
実際、にゃんこの保護施設に出向いて、お手伝いをさせていただいたり、とある地方にあった、全国でも先駆けてペットの生体販売を一切やめて、関連グッズの販売などを収益にして、保護犬の里親探しなどをしているペットショップを訪れて話を聞いたこともあります。
それは、奇しくも私が手術した年に天国に行った、先代ロッキーへの強い想いがあったからです。
その時の気持ちを自分で否定する気は全くないのですが、その思いは徐々に変化し、違和感が強くなっていきました。
純粋に保護活動をされている方たちには頭が下がります。
実際に現場に立ち会った私は、術後のこともありましたが、気分が悪くなるほど壮絶でした。
混沌とした現場で、一つとして同じもののない個性を持った命たちが、「生かされて」いました。
テレビなどで、保護活動のことを取り上げられることも多く、悪く言えば美化されています。
先日観た番組では、若者が、将来は獣医になって保護した動物の世話をしたい、というようなことを言っていました。
それを見て、違和感が何だったのか、はっきりとわかりました。
それ、間違ってないけど、違うよ・・と。
一番の悪は、飼っていた生き物を捨てることですが、その根源には、命をお金で売り買いするのが当たり前になった現実があります。
田舎のことですが、昔は、飼いネコや犬が子どもを産みそうになったり産んだりすると、もらってくれる人を探して、残った子は土に埋めたり、川に流したりしていたそうです。
実際うちの実家でも、知り合いの猫が子どもを産んだから、一匹もらってくれないかといわれて、お迎えに行ったことがありました。
もらわれなかった子の運命、それは「残酷」ではなく、当たり前の現実だった。
この表現は間違っているかもしれませんが、死んで当然という意味ではないです。
言い方は悪いですが、それでうまく回っていたのではないでしょうか。
もちろん、田舎の話です。都市部のことは知りません。
売り物を作るために、ボロボロにさせられるわんこやにゃんこのお母さん、ご覧になった方もいるでしょう。
産むためだけに生まれ、愛情を受けずに。。
生まれた命も、売れ残ったら捨てたり、処分する。昔のそれとは、違う。
先ほども触れましたが、表現が失礼かもしれませんが、保護活動が美化されてしまっていませんか?
保護する命をなくすことが、一番大切なのに。
生体販売の中止や、販売の時期など、訴えている方たちもおられますが、そちらはお金にならないからでしょうか、テレビ番組になることはほどんどないですよね。
かわいいかわいい赤ちゃんにゃんこやわんこを見せて、人の気持ちをあおるように思えることもあります。
かわいそうな命を救うために、あなたの10円が・・・などというものもあります。
救う前に、作らないために活動することが大切なんです。
とある保護団体は、多額の寄付金を集め、代表はベンツに乗って政治にまで介入しているという噂もありますが、噂ではなく現実です。
誹謗中傷になるので、あくまで私の見解としておきますが、世の中はおかしいのです。
現実に糞尿にまみれて活動されている方たちが、その必要がなくなるのが理想なんです。
純粋に使命感を持って活動されている方たちが、やがて破綻してしまうということもあるようです。
結局は人の善意を利用して、一番大切なところに踏み込まない、それこそがこの件の悪の根源だと思う。
もっとも、もっと最低で一番の悪は、命を捨てる人間なのですが。
私がここで何を言っても、世の中の大きな力には何の影響もない。
保護活動に余生を使うという考えは捨てて、目の前のこたろうくんを看取ることが私のできること。
しかし、この考えこそ、すべての生き物を飼う人が持つべき一番大切なことなんです。
くれぐれも、保護活動を否定しているわけではないことをご承知ください。
いまあるかわいそうな命たちを救ったり守ることは、真剣に向き合って活動するには、並大抵な気持ちではできません。
ただ、子供たちや若者には、保護することが一番大切なことではないということをしっかりと教えてほしい。
保護活動がゼロになることが、一番の理想だということを。
法律で決めてほしいのです。
生き物を飼うには必ず登録が必要で、供託金?みたいのを必要にするとか。
生き物が亡くなったら、返してもらえばいい。まあ、これは誰がやるかって話になり、どうせトラブルも起こるでしょう。
お子さんがいる家庭の親が、飼っていた生き物を捨ててしまうって、それは子供のこころにとってどんな影響があるでしょうか。
ばかなことを言っているかもしれませんが、そのくらいのことをしないとだめです。
命を作り出す側、ブリーダーなどにも厳しい規則を作るべき。
縁日で、ひよこや亀を売るのも禁止。
金魚すくい。。。何匹すくっても、持ち帰るのは一匹だけで、あとは一定以上すくったら金魚の貯金箱でも景品にするとか。
にゃんは家で飼い、外に出さない。
わんこだってそんな風にしてがんばってる。
野良猫がいたら、保護して去勢なり避妊手術してもどす。
それには、自治体が費用を負担する。
ペットショップでの、生体販売をすべて禁止する。
飼いたい人はブリーダーに頼む。
何度も言いますが、くれぐれも保護活動を否定するものではないです。
保護する必要のない社会に向けて、核のない世界に向かうほどに難しいかもしれませんが、
わんにゃんに関しては、今一緒にいるわんにゃんを死ぬまで守ることができれば、時間はかかっても必ず実現するものと思います。
決して難しいことではなく、私みたいなものにでもできることです。
これこそ一隅を照らすことだと思うし、小さな明かりが集まれば大きな光になるということです。
長文になりましたが、長年の違和感、そして溜飲が下がりました。
こたろうくんを大切に生きて、こたろうくんより長生きすることが、ミッション。
だから、保護団体に寄付することももうしません。
先日描いたユキヒョウですが、絶滅危惧種だから、寄付を?みたいなものをみて興味を持ち、その生態と姿に魅了されて描きました。(この手の寄付で、絶滅が阻止できるはずがない。)
今生きている美しい命たちを、これからもたくさん描いていこうと思っています。
まあそのためには、思うように描けるように修業が必要ですが、なかなかうまくいきません。
最後までお読みくださりありがとうございます。
まずは自分の命、そして、隣にいる命に敬意を。
感謝をこめて
つる姫