今日も小難しくて長いですから、お忙しい方はスルーしてくださいね
最後の方に、昨日の空の写真があります。
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帰りの電車の中で、そして帰宅してからも沢山の事を考えました。
最初に天橋立に行こうと思ったのは
単純に自分が日本三景で行っていなかったのがそこだけだったのと
娘も行ってみたいと言ったからです。
でも、ロッキーの足が立たなくなって叶いませんでした。
二度目は、そろそろ一人旅がしたいと思いつき、再び天橋立を旅先に選びましたが
行く当日に、現地が猛吹雪との事で朝のドタキャンでした。
何度も言うようですが、首から肩の猛烈な痛みを体験した時に
今までのような一日歩き回るドタバタでハチャメチャな旅は
もう二度とできないかも知れないと思っていました。
歩くのも座るのも困難な状態だったのですから。
そして、やっと治ったかと思った時の痛みのぶり返し。
痛みが残る中なぜわざわざハードな18切符で遠方の天橋立を目指したのでしょう。
伊根から足を棒にして歩いた後で、天橋立を見下ろした時に
はい、みました、そうですかそうですか、ここですかという感想しかありませんでした。
ここにはいくつかのパワースポットがあると知っていましたが、敢えて訪ねることはしませんでした。
バスとの競争、そして気の抜けたビールを飲みながら松並木を歩いた
それらの時間そのものから、何かしらのパワーをいただいたように思いました。
それ以前の、あの幻想的な夜明け。
あの日でなければ、そして一人で来なければ見られない風景だったのだと思いました。
天橋立を目指してきたけれど、これを見たことで目的が達成された訳じゃない。
今この時期に、天橋立を目指した事自体に意味があったのです。
何かしらの神様が、あの日の天橋立に導いてくださったのです。
以前に来ていたら、私は痛い肩を押してまで旅に出ようとはせず
悶々と日々を送ったかもしれません。
たまたま偶然、その時期に旅をしていた息子のブログに
書かれてあった言葉がありました。
>>ただ観光地を巡ったり、 ~横断 とか ~一周 という肩書きが欲しいわけじゃない。
出会った人と会話をして、その地のことや生き方などいろんなことを教えてもらって
価値観の交換をして、一生のつながりができる<<
後半の部分は若い息子とは少しニュアンスが違いますが
一人旅の良いところは、自分のペースで行動出来て
一人だからこその出会いが出来る、という事。
早朝に出会った足の弱ったおじいちゃん。
長い道のりの途中で出会った働き者のおばあちゃん。
そして、記事には書いていませんが
帰りの電車で隣に座った10か月の男の子の赤ちゃんとママ。
赤ちゃんが懐いてくれたので、何かあげるものはないかあと思い
駅でもらっていた新幹線の写真の付いた時刻表をあげると
ママの方がとても喜んでくれて、息子と新幹線で九州に行きたいと話していました。
もしかしたら、私のように旅好きなママかもしれません。
子育てが終わったら、一人旅に出るのかしら?
隣に座ってきたおばちゃんが、座るなり咳が止まらなくなり
見かねてのど飴を差し上げたら咳がとまって
とても感謝された、というエピソードもありました。
このエピソードには続きがあります。
おばちゃんの咳が止まったと思ったら
その隣のおじいさんの咳が出始めて
あらら~~ちょっとそこまでは手が届かないわあ・・と思ったものです。
あの人たちも今、どこかでそれぞれの現実を生きているのです。
二度と会うこともなく、間もなく思い出すこともなくなる人たちでしょう。
一期一会。
長い人生の中の一瞬の出会い、接点があったのです。
ほんの短い会話の中で人柄を感じたり
自分を顧みたり、この先の事を考えて見たり。
もちろん旅に出なくても、仕事をしたり人付き合いをしたりの日常でも
貴重な出会いは出来るはずですが、どうしても世界が狭くなります。
私の旅、確かに目的地はありますが
そこにたどり着いて、美味しいものを食べたり買い物をしたり
写真を撮ることが大事なわけではないのです。
美味しいものを食べるのも買い物をするのも
それが自分を満足させてくれるのであれば、人それぞれの価値観ですから尊重します。
私はこれからも、足を棒にして歩く旅に出ると思います。
どこに行くかも大事だけど、どうやって行くか、そこでどう過ごすか。
誰と出会って、どんな体験をするか。
旅は人生の縮図、なんて青い事を言うようですが
一人旅はまだまだ続きそうです。
私の目的は観光ではなく「旅」なんです。
旅の写真に自分が写っているものはほとんどないのも
そういうことなんでしょうね。どういう事でしょうか(笑)
もちろん、誰かと一緒に行くときは観光客となりますよ。
人生はいつも旅の途中。
結局は一人で歩いて行かなくてはいけません。
そして、いつ何が起こるかわかりません。
そして、このタイミングでのロッキーの体調不良。
何かがあるたびに、自分を責めてしまう私です。
でも、それは逆に逃げだったのだと思いました。
他人を責めるより、自分を責める方が気が楽だったのです。
自分さえ犠牲になれば家族がうまく行くなんてありえません。
我慢している、犠牲になっている、という意識があること自体がおかしいのです。
家族の一員であるロッキーが
もしも本当に、私がいない事のストレスを抱えてあのような状態になったのだとしたら
それは、ほかの家族も意識を変えてくれなければならない問題です。
そうでなければ、私はもう二度とロッキーを置いて旅に出ることが出来ません。
そうなれば、今度は私がストレスで死んでしまうでしょう。
何かが起こった時に、助けてくれ、支えてくれる家族がいることは
とても大切な事ですね。
実は私の今の夢のひとつは、ロッキーを車に乗せて
2人で北海道を旅をすることなんですよ(笑)
なんか映画にもありましたね。
最後は飼い主が死んじゃうんですがね。
何でロッキーと二人かって?
そりゃ、もちろんロッキーは私の思うままに、文句を言わないで付いてきてくれるからです(爆)
やれ喉が渇いた、お腹が空いた、足が疲れた、などと言わないから。
でももう何年もペーパードライバーですから叶わないでしょうね。
また、3月11日には残りの18切符で福島に行く予定でしたが
ロッキーのお世話をしなければならないので、キャンセルになってしまいました。
ドッグフードを水に浸してやわらかいご飯から少しずつ元に戻していき
何度もトイレに連れ出して便や尿の状態を確認しました。
薬を飲ませなくても2,3日後にはう〇ちもちゃんと形になり
今では元通り、元気いっぱいに走り回っております。
体重も戻ったみたいです。
怪我の功名と言いますか、今までシートでおしっこが出来なかったのが
周りにシートを敷きまくっていたせいか、シートに行っておしっこをするようになったんです!
さてさて、つる姫の肩はあれ以来完治しちゃったようです。
そして3回使った18切符。
まだ2回分残っています。
うふふ
おしまい
つづく・・・かな?
ご訪問くださりありがとうございました。
感謝をこめて
つる姫
彩雲にもなり、徐々に渦を巻いてくる雲
久々のすごい空でした~。