幼い頃、私はぶどうパンが大好きでした。
今のようにいろんな種類のパンのない時代です。
そんな頃、たまに母が買ってきてくれる、レーズンの入ったぶどうパンは、特別なご馳走でした。
しかし、レーズンはほとんど入っていなくて、もっといっぱいレーズンが入ってたらいいのになあ、と思った記憶は、大人になっても残っておりました。
レーズンを別に買ってきて、つっこみたいくらいでした。
今では、お店やさんで買うレーズンパンには、これでもか、というほどレーズンが入っているものもあって、あの頃の自分に食べさせてあげたいと思うくらいです。
きっと赤くて丸い大きなほっぺたが落ちることでしょう。
湘南の家の近くに気になるパン屋さんがあったので、先日思いきって入ってみました。
お店の奥の方にパンを作る厨房がみえる、小さなパン屋さんです。
レーズン食パンを一斤お願いしました。
その場でスライスしてもらって、お金を払い、袋を手渡された時に、びっくり。
というのは、見た目よりもずっしり重たかったからです。
ぶどうパンの思い出に浸りつつ家に戻り、少しトーストして、バターをつけて食す。
う・・・うまし!
ふんわりさくさくではなく、しっとりもっちり。
耳は、歯ごたえがあって、こんなおいしいパンの耳は食べたことがないと思いました。
いつも食べている、大量生産のパンのふわふわ。
あれは、エセだ~と思っちゃいますね。
レーズンの量も多からず少なからず、大粒のレーズンにもきっとこだわりがあるのだな、と感じます。
一斤500円。
高いですが、それだけの価値はありました。滅多に買えませんけれど。
汗
幼少時代にあこがれた、レーズンたっぷりのレーズンパン。
いや、ぶどうパンと呼ぶ方が正しい。
ぶどうパンには、昭和の郷愁があります。
とはいえ、レーズン食べすぎると鼻血がでるそうですから、気をつけましょう。
さて、コロナの話題はもううんざりですが、おいしいものを食べ、よく寝てよく笑って、そこそこ運動をして、自分にできる対策をして、収束を待ちましょう。
マスコミの偏った報道や、病気には素人のコメンテーターの言葉に惑わされることなく。
私たち一人一人が意識して行動すれば、新型コロナは収束するでしょう。
普通の風邪でも肺炎になってなくなる方もおられます。
持病を持つ方が多く亡くなっているのも、それはコロナだけの事ではないでしょう。
決して、脳天気に構えているわけではないです。
今私たちがやるべきことは、コロナに対するだけじゃなく、これから先もいろんな意味で人間社会でのあり方にあてはまるのではないかしら。
災害にしても、コロナにしても、人間は試されているのだと思います。
私は、今回も多くを学びました。
生かされている限り、学びつづけるでしょうし、そうありたいです。
ぶどうパンから逸れましたが、何があっても、人類を救うのは愛です、愛。
好いた惚れたじゃなく、もっと大きな愛。
孫が昨日で100日を迎えたそうです。
カメラ機能ですね、実際よりかわいく撮れてます(爆)
今日も笑顔で過ごせますように
感謝をこめて
つる姫
私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。
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つる姫
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