16:35~18:50
シンポジュウム
「カムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)からの贈り物」
私はこのシンポジュウムに出なければ良かったと思いました。
その理由は幾つかあります。
その一つは題名に関する内容ではなかった事。
司会者を含め演出者が4人後はアイヌ協会会長の方と旭川大学の学長でした。
ですから内容は自然と演劇に関するもので司会者は「地域と演劇の関係」との方向で話を進めていました。
私が期待していた内容からずれている事でした。
それと久々のシンポジュウムでしたから違った期待をしていたようです。
それはもっと意見交換等があって問題を焙り出していくものと思っていましたら
それぞれに敬意を表しているのか唯々各先生方のご意見や経験を拝聴する様なヌルイ内容でした。
外国の何処何処でどんな経験をしたとか誰それの有名な人を知っているとか
その話が悪いというのじゃないのですが何故か自慢話にしか聞こえなくて私の僻み根性のせいかと思いました。
そして、苛々した一番の原因が後で分かりました。
この日の日程ではお昼の休憩が30分しかありませんでしたので大学は日曜日ですから食堂も営業してないと考えてコンビニでおにぎりを買っておきました。それを中庭のベンチで食べて済ませました。
実はここの所、幸いと言いますか体重が減ってきていて血糖値も下がる事が増えていました。
ですから18;00過ぎたころから苛々して落ち着きが無くっていました。それに気付いたのがこの時間でしたからそれまでは理由も分からずにいました。血糖値が低下する可能性を考えていませんでしたから何も持参していませんでした。
ですから、気付いた後はただひたすら終わるのを待っていました。
そう言う情況の中での不満を聞いて下さい(これは病気が言わせるので決して私が言うのではありません)
司会者が終了予定の時間になってから質問を受け付けた事。
これは質問も含めて予定時間内に終わらせるのが司会者の役目と思います。それまでのパネラーに対する質問は省いて問題ないもでしたから幾らでも調節出来たはずです。
これは私にもありそうなので以後気を付けますが
質問者が前振りで話す内容が自慢に聞こえたのです。内容はこうです。
「私は幸恵さんを知る同好会を開催していて毎月、幸恵さんが専門学校まで歩いた道を彼女の苦労を知る為にみんなで歩いています」
別に彼ら何をしようと構わないのですが心臓の悪い彼女と健康なあなた達が歩いて苦労を知るなどと安易な発想をここで言う事はないと思うのですが。
もう一人、これはパネラーにも不満がありました。
若い女性の方がアイヌ協会の川村さんにした質問です。
その前の会話の中でアイヌが行っていたチャランケに関して川村さんはアイヌは戦いを好まない民族だから話し合いで解決して負けた方が宝物を提出したと話していました。
それに関しての質問で「オーストラリアのアボリジニはそれを続けて財産を無くし、最後は戦いになったと聞いたのですがアイヌの場合はどうなのでしょうか」
これも別にアボリジニの話を出す必要も無いと思うですがやはり、自慢に聞こえました。
それと川村氏の答えがアイヌは人がよいから戦いはしなかったと答えました。それも少し、考えた後にです。
それは嘘です。その証拠に道内にはチャシと呼ばれる砦跡が何千カ所もあります。
それに民話の中には沢山の戦いの話が出て来ます。それは明らかにアイヌ同士の戦いです。
川村氏は若い子に事実を話すべきではなかったのではないかと不満に思いました。綺麗事で済ます所を見ると現在の日本人と全く変わり在りません。違った期待をした私が悪いのかも知れませんが…
最後に〆の話を振られた学長が10分以上も話を続けたのにも腹が立ちました。内容と言えば途中でも話せた内容でもありました。
これはあくまでも本意ではなくて血糖値が言わせたことですのでご理解下さい。
追記
なんと学園の出口で野球の試合から帰ってきた生徒達が沢山いて道路の真ん中に車を止めている子がいました。そこで私は車を止めて移動を促しました。危ないとは思いましたが動くと不味いと思いそのままで今したらバックしてきて私の車に擦りました。下りてみてみると案の定、微かに擦れた後がありました。止っている車から運転手は降りてきませんでしたが私は早くお腹に何かを入れたいと急いでいましたので良いよと言ってその場を立ち去りました。
後で考えましたが若者の為にも車から降ろさせ謝らせてから許した方が良かったのではないかと、でも私も急いでいましたし、苛々していましたから喧嘩にでもなったら返っておかしくなったかもしれません。
兎に角、色々とあった一日でありました。
シンポジュウム
「カムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)からの贈り物」
私はこのシンポジュウムに出なければ良かったと思いました。
その理由は幾つかあります。
その一つは題名に関する内容ではなかった事。
司会者を含め演出者が4人後はアイヌ協会会長の方と旭川大学の学長でした。
ですから内容は自然と演劇に関するもので司会者は「地域と演劇の関係」との方向で話を進めていました。
私が期待していた内容からずれている事でした。
それと久々のシンポジュウムでしたから違った期待をしていたようです。
それはもっと意見交換等があって問題を焙り出していくものと思っていましたら
それぞれに敬意を表しているのか唯々各先生方のご意見や経験を拝聴する様なヌルイ内容でした。
外国の何処何処でどんな経験をしたとか誰それの有名な人を知っているとか
その話が悪いというのじゃないのですが何故か自慢話にしか聞こえなくて私の僻み根性のせいかと思いました。
そして、苛々した一番の原因が後で分かりました。
この日の日程ではお昼の休憩が30分しかありませんでしたので大学は日曜日ですから食堂も営業してないと考えてコンビニでおにぎりを買っておきました。それを中庭のベンチで食べて済ませました。
実はここの所、幸いと言いますか体重が減ってきていて血糖値も下がる事が増えていました。
ですから18;00過ぎたころから苛々して落ち着きが無くっていました。それに気付いたのがこの時間でしたからそれまでは理由も分からずにいました。血糖値が低下する可能性を考えていませんでしたから何も持参していませんでした。
ですから、気付いた後はただひたすら終わるのを待っていました。
そう言う情況の中での不満を聞いて下さい(これは病気が言わせるので決して私が言うのではありません)
司会者が終了予定の時間になってから質問を受け付けた事。
これは質問も含めて予定時間内に終わらせるのが司会者の役目と思います。それまでのパネラーに対する質問は省いて問題ないもでしたから幾らでも調節出来たはずです。
これは私にもありそうなので以後気を付けますが
質問者が前振りで話す内容が自慢に聞こえたのです。内容はこうです。
「私は幸恵さんを知る同好会を開催していて毎月、幸恵さんが専門学校まで歩いた道を彼女の苦労を知る為にみんなで歩いています」
別に彼ら何をしようと構わないのですが心臓の悪い彼女と健康なあなた達が歩いて苦労を知るなどと安易な発想をここで言う事はないと思うのですが。
もう一人、これはパネラーにも不満がありました。
若い女性の方がアイヌ協会の川村さんにした質問です。
その前の会話の中でアイヌが行っていたチャランケに関して川村さんはアイヌは戦いを好まない民族だから話し合いで解決して負けた方が宝物を提出したと話していました。
それに関しての質問で「オーストラリアのアボリジニはそれを続けて財産を無くし、最後は戦いになったと聞いたのですがアイヌの場合はどうなのでしょうか」
これも別にアボリジニの話を出す必要も無いと思うですがやはり、自慢に聞こえました。
それと川村氏の答えがアイヌは人がよいから戦いはしなかったと答えました。それも少し、考えた後にです。
それは嘘です。その証拠に道内にはチャシと呼ばれる砦跡が何千カ所もあります。
それに民話の中には沢山の戦いの話が出て来ます。それは明らかにアイヌ同士の戦いです。
川村氏は若い子に事実を話すべきではなかったのではないかと不満に思いました。綺麗事で済ます所を見ると現在の日本人と全く変わり在りません。違った期待をした私が悪いのかも知れませんが…
最後に〆の話を振られた学長が10分以上も話を続けたのにも腹が立ちました。内容と言えば途中でも話せた内容でもありました。
これはあくまでも本意ではなくて血糖値が言わせたことですのでご理解下さい。
追記
なんと学園の出口で野球の試合から帰ってきた生徒達が沢山いて道路の真ん中に車を止めている子がいました。そこで私は車を止めて移動を促しました。危ないとは思いましたが動くと不味いと思いそのままで今したらバックしてきて私の車に擦りました。下りてみてみると案の定、微かに擦れた後がありました。止っている車から運転手は降りてきませんでしたが私は早くお腹に何かを入れたいと急いでいましたので良いよと言ってその場を立ち去りました。
後で考えましたが若者の為にも車から降ろさせ謝らせてから許した方が良かったのではないかと、でも私も急いでいましたし、苛々していましたから喧嘩にでもなったら返っておかしくなったかもしれません。
兎に角、色々とあった一日でありました。
一瞬、考えた様子を見ると迷ったと思います。見栄ですかね。
このお祭りは演劇が主ですから最後にアイヌ関係の話を持ってきただけのようなので私は見せて頂いて感謝するだけです。