ゆったり山登り

北海道で暮らす自然が好きで、山登りやカヌーを楽しんでいるのんびり者です。
日々の自然や人との触合いを書いて行きます。

意外性があるから旅は楽しい。

2012-08-01 09:01:43 | 旅行
2012.21 三笠~自宅 走行距離256k

何故、三笠まで来ていてそのまま帰らなかったのか疑問に思うでしょう。
実はこれは出発した時から決まっていたことなのです。国道に沿って石狩川を下っていきましたが深川市以外は皆右岸にありまして現在北海道の穀倉地帯は左岸にあります。米の生産とは直接の関係はありませんが当然、石狩川の流れが肥沃な土地をもたらした結果に違いありません。川を主な食料の採取場をする原始人、アイヌはその近くに生活の場を設けたに違いないのでどうしても訪れなければならない場所でした。

道の駅ではゆっくりと過ごしたつもりでも早起きになっていた私には役所が開く時間にはまだまだ早過ぎました。
仕方がないので資料館の前で待つことにして最初に向かったのが樺戸資料館でした。案の定、開館は9:30でまだ1時間に以上もあります。ここは以前にも何回か入ったことがありその記憶では集治館関係の資料しか記憶にありませんでした。ただ、最近古館の後ろに立派な新館を建てたのであるいはと思っていました。
車の中で休憩していると役所の人らしい方が来ましたので念のために展示品に土器などがあるかどうか聞くとそんなものこの辺で出ていないし当然、展示もしていないとの答えだった。私は出土して無い訳はないと思うが展示していない可能性はあるのでそうそうに立ち去ることにしました。

275線を北上しながら近辺の町の資料館を見ていこうと考えていました。
その中で一応、予定に入れていたのが目的は違うのですがかねてよりテレビ等で紹介されていた坂本龍馬に関する資料が展示してあるという浦臼町郷土史料館でした。
町の手前で坂本家の墓の看板を見つけて急遽そちらに向かいます。そこには坂本家と武市家の墓がありました。もしやと思い後で資料館の方に聞くとやはりあの武市半平太の親戚筋の方だそうです。
    

そして、浦臼町郷土史料館に着きますがまだ開館には早かったので車の中で寝て待ちました。
    

何故だか分かりませんが残念なことに撮影禁止になっていました。入館料は無料でしたが町の力の入れようが分かるほどの展示品がありまして尚且つ私的に興味の惹かれる内容でしたので画像で見て貰いたかったのですが。
先に武市家が入植していて坂本家はその時は北見にいたらしいです。本当のところは分かりませんが面識はあったようですからその後に呼び寄せたのではないかと考えました。
では何故、浦臼だったのか訊ねるとその頃には月形は開けており開拓地とはなり得なかったそうです。そこには坂本龍馬の刀や手紙等が展示してありました。

まず、驚いたのが他の資料館にはない入植者達が持ち込んだ物です。案内してくれた方が時代が大正だからと言っていましたがあれだけ上質の品をもってこれたのは時代が新しいからではなく彼方でも身分が高い財産家達だったのではないかと思うからです。
何故なら、人形浄瑠璃の人形と台本や琵琶、フルート等々文化色のあるものが多いからです。ですから彼らが抱えていた事情を想像するだけでも歴史の深さを感じ取ることが出来ます。ひな人形なども大変古い品だそうです。

石器、土器片などは少しだけ農地からの出土として展示してありました。これは275線沿線に言えることだと思いますが遺跡がなった訳ではなくて町の規模が小さい為に正規な発掘がなされていない結果なのかも知れない。これはこれで仕方がないことだと私は思っている遺跡は発掘しなければそれの方が良い訳ですから。

後でパンフを見て驚いたのですがこの町のコンセプトに「チャシの里」とありましてアイヌ文化の勉強も盛んなようです。頂いた機関誌には美唄市の平隆一氏と云う方の「浦臼町のコタン」と題した講演の内容を掲載してありました。
美唄市の資料館にも展示してありましたが松前藩の脅しにどうどうと渡り合ったアイヌの英雄ハウカセの基地がこの地にあったのではないかとの説があります。これは単に郷土愛が言わせた可能性かも知れませんがそう思いたくなるほど沢山のチャシ蹟があるそうです。
あとで一番大きかったとされるチャシを見に行きますが結局分からずに諦めました。

それに入植当時の和人とアイヌがチセの前で撮った写真とかもありました。
それに面白いと思った品物にこの地に縁のある方から寄贈してもらったものにムックリがありました。これをそうゆう名前で呼んでも良いのかどうかは分かりませんが名前が書いてないのでかってにそう呼びます。
それは確かにムックリなのですが描かれている模様が違っているのです。材質は竹のようですから当地の根曲がり竹と同じに見えます。
それは寄贈した方の話に依るとミンダナオ島の島民が吹いていたのだそうです。これをどう理解すればよいか分かりませんが、色々と想像が出来て楽しいでしょう。
他にも紹介したい物があったような… あ!ガラスケースの中になんで六花亭の包装紙があるのか不思議に思っていました。それがなんと坂本家に画家になった方がいてその方が描いたそうです。

沢山の収穫を得て、意気揚々とチャシ探索に出ましたが暑い中の石段の上り下りにも苦労して何の収穫もない結果となりました。
一応、この辺かなと…
  

その後ですが何と土曜日の為に役所は閉まっており諦めざるを得えませんでした。
実は雨竜近辺に探してみたい場所がありました。
それは杉浦キナラ・ブックフチが生まれ育った土地、父親が先頭を切って農地の開発に努力して敗れた土地が伏古と言う土地だったらしい。それがその後、疱瘡か何かの疫病が流行り村が全滅した様です。埋葬することもなくそのままにしてあったその場所からは暫く白骨が出ていたのだそうです。その場所が今の雨竜町付近ではないかと言われています。

275線沿線はもう再度、役所の開いている時に行くつもりでいます。
帰り道、ラジコンヘリで殺虫剤を撒いているのを見たのでちょと撮影しました。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見て見たかったよ。 (あっけ)
2012-08-01 17:26:34
どうして撮影禁止なんでしょうね。坂本竜馬のおいが画家になったと聞いたんですが・・・。
返信する
見てみたかったよ (スー)
2012-08-01 22:19:49
あっけさん
やはり自分で見に行くしかないようです。ぜひ行って下さい。
たぶんその方だと思いますよ。あまりにも有名になった包装紙ですからだれでも見たことあると思います。
返信する

コメントを投稿