10月28日(水)ジュリアーノ・カルミニョーラ (Vn)/ヴェニス・バロック・オーケストラ
紀尾井ホール
【曲目】
1.ジェミニアーニ/コレッリの「ラ・フォリア」によるコンチェルト・グロッソ ニ短調
2.ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調「お気に入り」RV277
3.バッハ/ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 BWV1042
4.バッハ/ヴァイオリン協奏曲 ト短調 BWV1056
5.バッハ/ヴァイオリン協奏曲 イ短調 BWV1041
6.ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調「ムガール大帝」 RV208
【アンコール】
1.ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲 ト長調RV516~第1楽章
2.ヴィヴァルディ/同上~第3楽章
3.ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」Op.8より第6番ハ長調「喜び」RV180~第1楽章
4.ヴィヴァルディ/「四季」から「夏」~第3楽章
カルミニョーラとヴェニス・バロックオーケストラは随分前にテレビで観た「四季」の、奔放で情熱的な演奏が記憶に刻まれていた。それでこの演奏会のチラシを見つけて生を聴きたくなった。
今回の演奏会では、カルミニョーラが今メインで取り組んでいるというバッハのコンチェルトがプログラムの中心に据えられた。今までに聴いたことのないような型破りのバッハを期待していたのだが、これはかなりの期待外れ。生き生きと快活に始まるオケの前奏は悪くないし、そこに加わるカルミニョーラのソロヴァイオリンも音色に艶があり、能動的に語りかけて来ようとする姿勢は感じられる。けれど、ずっと聴いているとどうも訴えるものが伝わってこないし、面白くもない。いろいろと抑揚や表現方法を変化させ、何かやろうとしているのは感じられるのだが、それに説得力がないというか、明確な意図が伝わってこないまま、オケのなかに埋没してしまう。「型破り」的なものは聴かれないし、かと言ってイタリアの演奏家ならではの「歌」を堪能させてくれるわけでもない。おまけに音程の甘さが気になってしまった。
そんなパッとしない演奏がガラリと変わったのが、その後にやったヴィヴァルディ。前半2曲目のヴィヴァルディも良かったが、曲の規模やソロヴァイオリンに与えられたパフォーマンス度がずっと上回るこの「ムガール大帝」で、カルミニョーラは正に「水を得た魚」状態となった。何物にも捕らわれず、解き放たれて自由自在に飛び回り、滑り、歌いまくる。その音色の瑞々しさと多彩さ、ウキウキワクワクの語り口、スピード感… 生命の息吹が沸き上がり、会場いっぱいに光と芳香を振りまいた。
これを聴いてしまうと、その前のバッハはカルミニョーラにとってはよほど窮屈だったのでは、と思ってしまう。バッハは、ヴィヴァルディの音楽を研究し、アレンジも行ってはいるが、個人のヴィルトゥオーゾを全開させるような音楽とは根本的に異なる。カルミニョーラはそんなバッハの音楽をまだ完全には捉え切れておらず模索中なのかも知れない。
アンコールでは、コンサートマスターとスリリングでノリノリ、ご機嫌なデュオを聴かせてくれたが、極めつけはアンコールの最後にやった「四季」。オーケストラが一丸となって突進してくる気合い、濃度、勢い。これは単なる型破りのパフォーマンスなんてレベルにとどまらない、カルミニョーラとオケのプレイヤー達の魂が作品の核心にストレートで命中するような真剣勝負に立ち会っている気分。こんなすごい「四季」は恐らく今までに聴いたことはない。
本割り最後にやった「ムガール大帝」の演奏も素晴らしかったが、この「四季」を聴いてしまうと、更にスゴい演奏が出来たのでは、と欲が出てしまう。そして、あのバッハは何だったんだろうという疑問も。今度は是非とも「四季」を全曲聴いてみたい。
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紀尾井ホール
【曲目】
1.ジェミニアーニ/コレッリの「ラ・フォリア」によるコンチェルト・グロッソ ニ短調
2.ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調「お気に入り」RV277
3.バッハ/ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 BWV1042
4.バッハ/ヴァイオリン協奏曲 ト短調 BWV1056
5.バッハ/ヴァイオリン協奏曲 イ短調 BWV1041
6.ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調「ムガール大帝」 RV208
【アンコール】
1.ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲 ト長調RV516~第1楽章
2.ヴィヴァルディ/同上~第3楽章
3.ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」Op.8より第6番ハ長調「喜び」RV180~第1楽章
4.ヴィヴァルディ/「四季」から「夏」~第3楽章
カルミニョーラとヴェニス・バロックオーケストラは随分前にテレビで観た「四季」の、奔放で情熱的な演奏が記憶に刻まれていた。それでこの演奏会のチラシを見つけて生を聴きたくなった。
今回の演奏会では、カルミニョーラが今メインで取り組んでいるというバッハのコンチェルトがプログラムの中心に据えられた。今までに聴いたことのないような型破りのバッハを期待していたのだが、これはかなりの期待外れ。生き生きと快活に始まるオケの前奏は悪くないし、そこに加わるカルミニョーラのソロヴァイオリンも音色に艶があり、能動的に語りかけて来ようとする姿勢は感じられる。けれど、ずっと聴いているとどうも訴えるものが伝わってこないし、面白くもない。いろいろと抑揚や表現方法を変化させ、何かやろうとしているのは感じられるのだが、それに説得力がないというか、明確な意図が伝わってこないまま、オケのなかに埋没してしまう。「型破り」的なものは聴かれないし、かと言ってイタリアの演奏家ならではの「歌」を堪能させてくれるわけでもない。おまけに音程の甘さが気になってしまった。
そんなパッとしない演奏がガラリと変わったのが、その後にやったヴィヴァルディ。前半2曲目のヴィヴァルディも良かったが、曲の規模やソロヴァイオリンに与えられたパフォーマンス度がずっと上回るこの「ムガール大帝」で、カルミニョーラは正に「水を得た魚」状態となった。何物にも捕らわれず、解き放たれて自由自在に飛び回り、滑り、歌いまくる。その音色の瑞々しさと多彩さ、ウキウキワクワクの語り口、スピード感… 生命の息吹が沸き上がり、会場いっぱいに光と芳香を振りまいた。
これを聴いてしまうと、その前のバッハはカルミニョーラにとってはよほど窮屈だったのでは、と思ってしまう。バッハは、ヴィヴァルディの音楽を研究し、アレンジも行ってはいるが、個人のヴィルトゥオーゾを全開させるような音楽とは根本的に異なる。カルミニョーラはそんなバッハの音楽をまだ完全には捉え切れておらず模索中なのかも知れない。
アンコールでは、コンサートマスターとスリリングでノリノリ、ご機嫌なデュオを聴かせてくれたが、極めつけはアンコールの最後にやった「四季」。オーケストラが一丸となって突進してくる気合い、濃度、勢い。これは単なる型破りのパフォーマンスなんてレベルにとどまらない、カルミニョーラとオケのプレイヤー達の魂が作品の核心にストレートで命中するような真剣勝負に立ち会っている気分。こんなすごい「四季」は恐らく今までに聴いたことはない。
本割り最後にやった「ムガール大帝」の演奏も素晴らしかったが、この「四季」を聴いてしまうと、更にスゴい演奏が出来たのでは、と欲が出てしまう。そして、あのバッハは何だったんだろうという疑問も。今度は是非とも「四季」を全曲聴いてみたい。
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