コトありで考えたこと

日々の生活の中で考えたことを書き綴った共同作成ブログです。

暇と退屈の倫理学(3)

2024-02-13 17:53:57 | ベルク

*****
ハイデッガーの退屈の三形式

第一形式:何かによって退屈させられること
第二形式:何かに際して退屈させられること
第三形式:なんとなく退屈だ
*****

意味がわかるかな?

例えば、駅で電車を待っている時に電車がなかなか
来ないので時計を何度もみたりするのは、第一形式
なんだよね。駅に着いたら電車がすぐに来て欲しいのに、
なかなか来ないと駅によって退屈させられるんだよね。

レストランで料理を待っている時に早く来ないかなぁと
思ったらレストランによって退屈させられているんだよね。

「人間は退屈すると気晴らしを求める」

なので、料理を待っている間にスマホを眺めたりするよね。

こんな風に説明すると第一形式はわかりやすいでしょ。

難しいのは次の第二形式なんだよね~

例えば、仲のいい友だちと一緒に喫茶店でおしゃべりして
いるところを想像してくれる? 

おしゃべりは楽しんだけど、途中でふと会話とは
関係がないことを考えてしまったとすると、それが
退屈なんだよね。

よって、この場合は、
「友だちとのおしゃべりに際して退屈させられている」んだよね。

おしゃべりは楽しいので気晴らしになっている。
だから、第二形式では気晴らしと退屈が混ざり合っているんだよね。

映画を観ている時に、映画は面白いんだけど途中でふと他のことを
考えることがあるよね。この場合も映画が面白くなくて退屈する
訳じゃないので第二形式なんだよね。

つまり、第一形式の退屈は自分の外から来る。これに対して、
第二形式の退屈は自分の中から立ち昇ってくる。その意味で
第二形式の方が「深い」んだよね。

最後の第三形式はなんとなくわからない?

例えば、やりたいことがたくさんあるけどやらなくても
いい。そんな時に何もせずにいるのが第三形式じゃないかと
思うけどね。

だから、やらざるを得ないことがないと困るということ
なんじゃないかなぁ。

結構長くなってしまったけど、最後まで読んでもらえたかなぁ(笑)

 

(2月12日 ベルク記)


暇と退屈の倫理学(2)

2024-02-04 18:10:27 | ベルク

まず前回の記事の復習から(笑)

*****
暇と退屈の違いは?

暇:何もすることのない、する必要のない時間。
  暇の中にいる人のあり方とか感じ方とは
  無関係に存在する客観的な条件である。

退屈:何かをしたいのにできないという感情や気分を指す。
   人のあり方や感じ方に関係し、主観的な状態のことである。
*****

なので、
「やいたいことがたくさんあるのに時間が足りない」とか、
「やりたいことがたくさんあるけど、どれから手を
つけたらいいかわからない」とか、
悩んでいる時は、「時間が足りない」と思っているので、
「暇ではない」ということだよね。

では、退屈についてはどう?

やりたいことがたくさんあるから退屈していないと思うでしょ。

でも、違うんだよね~(笑)

退屈の意味を復習してもらうとわかると思うけど、
「何かをしたいのにできない」状態にいる時は、
退屈していることになるんだよね。

退屈の反対語は何か知ってる?

快楽でなくて、興奮なんだよね。

何かをやった時に生まれる感情や気分が興奮なので、
何かをやらないと退屈から抜けだせないんだよね。

バートランド・ラッセル(イギリスの哲学者)の
退屈の定義は、

退屈とは、事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものである。

事件とは、「今日を昨日から区別してくれるもの」のこと

本に書かれた説明を抜き書きしてみると、

*****
人は毎日同じことが繰り返されることに耐えられない。

「同じことが繰り返されていくのだろう」と考えてしまうことにも
耐えられない。

だから、今日を昨日から区別してくれるものを求める。

もしも今日何か事件が起きれば、今日は昨日とは違った日になる。
つまり、事件が起きれば同じ日々の反復が断ち切られる。

だから人は事件を望む。しかし、そうした事件はなかなか起きはしない。
こうして人は退屈する。

これが、「事件が起こることを望む気持ちがくじかれたもの」という
退屈の定義の意味するところである。
*****

余談だけど、大学受験のために英語の長文読解の問題を解いた時に、
長文の作者名にBertrand Russellがよく出てきたことを思い出して
懐かしい感じがしたなぁ。

 

(2月4日 ベルク記)


暇と退屈の倫理学(1)

2024-01-29 17:48:16 | ベルク

今、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を
読んでいるけど、要点をまとめてみるね。

まず「倫理学」ってどんな学問か知ってる?

英語のethicsの訳だけど、
「社会的動物としての人間のありよう(倫)から
生起する規範たる道徳ないし倫理の種々相を
検討する学の総称」
のことみたいだけど意味はわかったかな。

道徳学、道徳哲学などの訳も可能。

次に、暇と退屈の違いは?

暇:何もすることのない、する必要のない時間。
  暇の中にいる人のあり方とか感じ方とは
  無関係に存在する客観的な条件である。

退屈:何かをしたいのにできないという感情や気分を指す。
   人のあり方や感じ方に関係し、主観的な状態のことである。

こう説明すると違いがよくわかるでしょ。

では、
①暇に落ちった人間は、必ず退屈するのか?
②退屈している人間は、必ず暇の中にいるのか?
と質問されると、どちらもNOだと思わない?

つまり、暇と退屈はイコールじゃないということだよね。

ここで人類の歴史を振り返ってみると、
・二足歩行する初期人類は遅くても400万年前には出現した。
・人類が定住生活を始めたのは約1万年前である。
・定住生活を始めるまでは遊動生活だった。

遊動生活では移動のたびに新しい環境に適応しないと
いけないため、やらなければならないことが
日々たくさんあったので人間は退屈しなかった。

一方、定住生活では新しい環境に適応する必要がないので
暇が生じた。これによって退屈も生じた。

400万年という長い人類の歴史から見ると、
暇や退屈が生じたのはたったの1万年前である。

こう言われると、
「へぇ~ そうだったんだった」
と思うよね~

長くなるのでつづきは次の記事で♪

 

                       by AI画像生成


(1月27日 ベルク記)


身の回りの整理

2024-01-21 18:08:32 | ベルク

3月末に引っ越しするので、1月に入ってから
週末は不要物を順番に捨てているんだよね。

今日は机の上を整理したけど、スッキリして
気分もスッキリしてよかったなぁ。

 

 

身の回りが整理されていると心もスッキリすることは
頭の中ではわかっていても、やらざるを得ない状況に
まるまで整理できないのはどうしてだろうね。

できないのは僕だけかなぁ(笑)

・捨てるのはもったいない
・そのうち使うかも
なんて考えているとモノを捨てれないよね。

特に本は強敵だよね。

1冊1冊は場所を取らないし、
面白い本だと「そのうち再読するかも」と
思ってしまいやすいしね。

再読したくなったらまた買えばいいのに、
「同じ本を買うのはもったいない」と
思ったり、「図書館で探すのも面倒だなぁ」と
思ったりするからダメなんだよね(笑)

本の魔術にかかっているのかも。

ふと、中島敦さんの「文字禍」を重し出したけど
読んだことはあるかな。

この記事を書いている時のBGM

(1月21日 ベルク記)


今年もよろしくお願いします

2024-01-05 09:00:52 | ベルク

あけましておめでとう
今年もよろしくお願いします

今年は年始から能登地震や
羽田空港の事故が起こって、
明るい気分になれないとけど、
前向きな気持ちを持って
毎日を過ごしたいですね。

今年のキーワードは、
・すぐやる!
・言い訳しない!
・断捨離!
・自分を甘やかさない!
・好奇心を失くさない!
にしようかな。

 

(1月5日 ベルク記)