50代娘と92歳父(要介護3)のゆる~い介護生活

今迄は健康情報のブログでしたが、父親の介護のブログになりました。別居で、頑張りすぎない介護をめざしています。

靴底を見てみたら。

2018-03-04 11:26:21 | 日記
昨日、気になったのは靴底でした。
どんなふうにすりへってるかで、ちゃんとした歩き方をしているかどうかがわかるそうです。

私の靴底をチェックしましたところ、
かかとしか、すり減ってませんでした……。

本当はつまさきと、かかと、両方がすりへってるのが理想的なんだそうです。

つまさきがすり減らないのは……おそらく、つまさきで地面をけってないからです。
なぜ地面をけらない歩き方になっちゃんたんでしょうか。

その理由は二つ考えられます。

①パンプスなど、かかとの高い靴を履くとけりづらいので、いつのまにか、けらないで、すり足ぎみに歩くのが癖になった。→その結果、浮き指といって、いつのまにか指を使わないで歩くようになってしまった。→それと同時に、外反母趾ぎみ。

②地面をけると、泥や水が跳ねるから。

そして、対策を考えました。
①は、かかとの高い靴をはいたときだけ、けらないで歩けばいいのであって、スニーカーを履いたときは、ければいいって話ですよね。もっと柔軟に、靴に合わせて歩き方を変える必要があるということです。

②は田舎で育った名残です。泥を踏む機会が多いので、ハネがあがらないように歩く必要がありました。でも、今は、泥を踏む機会がないので、そんなことを全然考える必要がありませんでした。雨の日だけけりあげないようにすれないいってことです。

これらを踏まえまして、昨日、私は歩き方の改善に取り組みました。
その結果、わかったことがあります。
つまさきでけるには、足首を使う必要があるということです。
足首をやわらかくしたほうが、スムーズにけれることがわかったんですよ。
まだ少々ぎこちないですが、私の歩き方改革を進めていきます。

昨日気づいたこと。
長く生きてると、いろんな思い込みやルールになどにしばられていたりします。
でも、過去には正しかったことも、今の自分には必要なかったりすることもあります。
その思い込み、本当に今の自分に必要?と問いかけて、更新していくことも必要なのかもしれませんね。
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「脳の疲労」について考える。

2018-03-02 10:35:29 | 日記
昨日から気になってるのは「脳の疲労」という言葉です。
スキージャンプの葛西選手のコラムに書いてあったのです。
脳を疲労させないために、練習時間を短くして、プライベートでは意識して競技のことを考えないようにすると。

そして、今日は脳に関するネットの記事を読みました。
ストレスが脳を興奮させ、前頭葉と海馬を委縮させると。

そんな記事を読んでいたら、今ほどいろんな情報が簡単に手に入る時代ではなかったころ、この世を去ってしまった女性のことを思い出しました。
彼女は体調が悪かったころ、会話の中で「は?」「は?」を連発して、なんども聞き返していたんですよね。
脳の機能が低下して、耳から入る音声を聞き取りにくくなっていたのかもしれないですね。
彼女の脳も、疲れ切っていたのでしょうかね……。

だから、「脳の疲労」を意識して生活することは大事かもしれないなと感じています。

先のことを考えると不安で、いろいろ考えなくちゃ、あれもしておかなくちゃ、と考えてしまいたくなるものです。
でも、そうやって脳を常に疲れさせているから、いいアイディアが出てこないんでしょう。
スイッチをオフにする時間をつくるって、大事なことかもしれませんね。

それには、どうすればいいのかというと、身近なところでは、おしゃべりするとか、映画を見るとか、テレビのドラマを見るとか、そういう普通のことがけっこう大事だったりするのかも。

いろいろなことで追い詰められてるときは、一人でなんとかしようと思って、孤独になって、頑張ってしまいますよね。
私はそうです。
勉強しなくちゃ、調べなくちゃ、あの本を読まなくちゃとか……。
そうやって私は脳を疲れさせているわけですが。

そんなわけで、今夜はテレビのドラマを見ようかと。
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「冴えない50代」と呼ばれて。

2018-03-01 10:35:16 | 日記
ネットで「冴えない50代」という言葉を見つけました。

50代とひとくくりにされるけど、みんなそれぞれ選択をして、自分で良かれと思った人生を歩いてきたわけですよ。
いいときもあったし、悪いときもあったと思います。それは、これからもそう。
下の世代の人には、「冴えない」ように見えたとしてもね……。

冴えなくたって、それが自分の人生。
それでいいじゃないの。

だけど、「自分なりに生きてきて50代を迎えた」という、それだけのことなのに、全然関係ない人から非難され、存在を否定されるという、いう変な時代になりました。
まぁ、私だって若いときは上の世代の方の思いなんてわかりませんでしたが、あからさまにバカにするようなことは言いませんでしたよね。

「冴えない50代」と書いたのは、40代の男性。
きっと、この方は、さそかし素晴らしい人生を送っていらっしゃるんでしょうね…。
自分は決して「冴えない50代」にならないと思っているから、こんなことを書くんでしょうけど。

でもね、誰でも年を取ります。
身体が衰えます。
誰だって「冴えない50代」になるもんですよ。

逆にいうと、「冴えてる50代」ってどんな人のことなんでしょう。
50代で、仕事の第一線にいるということ?
それは随分、人生というものを狭い視野で考えていると思うんですよ。

50代になると、価値観が多様化します。
若いころからずっと仕事をガシガシこなす人もいれば、家族が大事な人、介護が大事な人、趣味が大事な人、恋愛が大事な人、大学の同窓会が大事な人とか……仕事をしながらいろんな方面に関心が向いていくと思うんですよね。
関心を向ける選択肢が広がるってことを「負け組」としか解釈できず、仕事の面だけ見て「冴えない」といわれちゃうわけですね。

「冴えない50代」の反対語はなんでしょうね。
思いついたのは「ガラスの10代」。
下の世代の人には不気味っていわれるかもしれないけど、50代は「ガラスの10代」のときの小さなガラスの破片を今も心に持ってると思うんですよ。

私も含め、「冴えない50代」に該当するみなさん、下の世代に揶揄されても気にせず、自分なりに生きてまいりましょう。
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