50代娘と92歳父(要介護3)のゆる~い介護生活

今迄は健康情報のブログでしたが、父親の介護のブログになりました。別居で、頑張りすぎない介護をめざしています。

バブル時代の「一生もの」は大嘘でした。

2019-02-22 12:11:21 | 日記
バブル時代、大人たちはたくさんの物を買いました。
当時の店員さんは、「一生ものだから」という決め台詞を駆使し、オバサンたちに高い物を売りつけたのです。

我が家はお金持ちではないので、母の遺品に高級なバッグはありません。
バッグだったら、使えたかもしれないんですけど……。

今、我が家には、バブル時代とその後に買ったと思われる、母の大量の洋服が遺されました。
ジャケット類は、ノーブランドでも、何万円もしたはずです。

それを私が着られたらいいんですが、困ったことに着る気にはならないのです。
なぜかというと、肩が盛りあがっているからです。これは致命的です。

時代が変わるとデザインも変わり、ジャケットやコートはまったく着られないのです。
つまり、バブル時代にあちこちの店で聞かれた「一生もの」発言は、大嘘でした。
高級品は、お出かけ着であり、たまにしか着ないうちに、時代が変わって着られなくなったのです。

だとしたら、そんなに値段が高い物を無理して買わなくても、例えば、ユニクロで買って、日常的に着て、1シーズンで捨てたほうが、満足度は高い気がします。
もう高いものはいらないや、みたいな気分になっているのは私だけではないはずです。
現在、中高年の女性が洋服をあまりが買わないのは、バブル時代の反省もあるのかもしれませんね。
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ゴミをめぐる父との戦い

2019-02-21 00:05:19 | 日記
「子どもに迷惑をかけないように物を整理しておこう」などと考えてくださる素敵なご老人が、世の中にいることでしょう。
しかし、私の父はそんな気がまったくありません。

この間、玄関の横にある自転車置き場に、ブラウン管テレビを運びだしたのです。
家の中にあると邪魔だからです。
その自転車置き場にはすでにテレビが1台ありましたから、2台になりました。
そこをゴミ置き場と父は考えているようで、いらないべニア板、古いゴミ箱、巨大なブルーシートなど、いろんなものを置いています。
私としては、玄関の横で目立つし、まるでゴミ屋敷のようで嫌なので、ゴミ処分場に持っていくなりして「処分して!」と言い続けているのですが、放置しています。
「俺が片づけておく」と口では言いながら、何もしないんですよ。

父はそこに置いておけばいいと思っているようです。
何年でもずっと。
ゴミを処分するなどという面倒なことはせず、そのまま逃げ切るつもりのようです。

父が放置したゴミは、結局、何年か後に、私が業者を探して処分することになるんですよ。
毎日ずーっとテレビを見ているんだから、少しは片づけてくれればいいのに。

家の中にたまりにたまった物たちの今後を考えると、憂鬱になります……。

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全ての過去がゴミになる

2019-02-20 14:05:03 | 日記
人が一人、この世からいなくなると、思い出の品はすべてゴミになってしまう、この事実に打ちのめされています。
母は絵手紙が趣味でしたので、我が家には母が描いた作品が何百枚もあります。
本人にとっては大切な作品も、他人から見たらすべてゴミ。
家族にとっても、他に使い道などありません。

でも、母が大切にしていたものを捨てることが、私にはまだできません。
母のものはしばらく置いておこうと思います。

そして、自分のことも考えます。
もしも私がこの世から急に消えてしまったら、家にあるすべてのものがゴミになってしまうのです。
後のことを考えたら、自分であらかじめ処分しておいたほうがいいと思います。
私には大量の本があります。
手元に置いているものの中には、大好きな作品もありますが、これを処分しないといけないわけです。
私の場合、本を見ると、この時は何歳ぐらいで、確かこんなことしてたんだよな、という記憶が呼びさまされます。
ですから、本をすてるということは、過去に、のんびり、だらだら、平和に過ごしていたころの記憶を、自分の手で抹殺するのと同じことです。
もしも全部捨てたら、それを見て呼びさまされる記憶は永遠になくなり、なんとなく足元が不安定になる気がするのです。
しかし、長く生きていると、物は増える一方、思い出も増える一方です。
処分しないと、生活スペースがどんどん狭くなっていきますし、過去の思い出のために生きることになります。

物を捨てず、死ぬまで大量の物を所有し続けられた母は、過去のほっとする思い出に守られて生きていけたから、ある意味、幸せだったのかもしれません。

結局、物を捨てられないのは、後ろばかり見ているせいかもしれませんが、後ろを見るのは、もっと年をとってからでいいのかも。
今は前を見ないと……。

でもね、過去というゴミを捨てる一方では、なんだか自分の中がスカスカになるようでつらいのですよ。
捨てるかわりに、今の自分が欲する新しい物を買い、新たなゴミをつくりだしていきましょうか。
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物忘れを今の状態でキープするには…迷い中。

2019-02-16 15:00:00 | 日記
今は、毎日テレビばかり見てうとうとしている老父ですが……私が子どものころは、「テレビばかり見ているとバカになる」と言って、私をいつも叱っていたのです。

今は、家や車の鍵、通帳と印鑑が「ない」と言いだし、毎日毎日探している老父ですが、数年前まではそんなことはありませんでした。自分で管理できていました。
結局、「老い」がそうさせたのです。
私は「鍵はここに置いてね、通帳はここに置いてね」などと注意しますが、注意したって無駄なのかもしれません。

高齢者と一緒に生活していると「なんでそんな大事なことを忘れちゃうわけ~?」と言いたくなりますが、わざと忘れているわけではありませんよね。
忘れたくないのに、忘れてしまう……そういう脳になってしまったのです。
個人差がありますが、長生きをする人は、それを受け入れるていくしかないのです。
できないことが日に日に増えていきます。
どんなにお金持ちでも、偉い人でも。

だからといって、面倒なことを避け、なんでもやってあげていいものでしょうか。

例えば、銀行口座への振り込みを、私が代わりにやってもいいのですが、そうすると、振り込みという作業を、老父は、生涯の中で、二度としなくなるでしょう。
物忘れを、今の状態でキープしていくには、あえて面倒なことをしてもらうほうがいいのでしょうか。
そんなことをしても無駄なんでしょうか。
どんなふうに接するのが父にとって正解なのか、どうしたら長生きしてもらえるのかと、迷いつづけています。

人は誰でも年をとり、ゆっくりと衰えていきます。
老父を見ていると、自分の将来の姿を見ているようで、本当に気が滅入ります。
私もやがてこんなふうになるのか……と。
でも、現代の医学ではそれを止めることができない以上、せめて毎日、老父がニコニコして過ごせるように家族がヘルパーさんに協力してもらって、サポートしていくしかない気がします。
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遺品整理のポイント

2019-02-15 12:12:46 | 日記
母が亡くなって直後から、遺品の整理をはじめました。
なぜかというと、お金に関係する書類関係と、葬儀で使う遺影用の写真とスナップ写真を探す必要があったからです。
母は十年前に脳こうそくを患ってからというもの、片付けはできてなっておりまして、あちこちにいろいろなものが散らばっていて、きちんと管理されていなかったのです。

私は、箪笥の引き出しの中、バッグの中、机の周りなどをチェックし、明らかに「いらないだろう」と思われるものは捨てていったのです。書類関係以外は、あまり深く考えず、ぽいぽいと。

それで今、一つ、困っていることがあります。
母が海外旅行にいったときに使った、キャリーケースの鍵が見つからないのです。
ケースは開きますが、鍵がないと、使えませんからね。
ただ、小さい鍵だから、私がうっかり捨ててしまった可能性もあります……。

遺品整理のポイントは……鍵を捨てないことです。たとえ小さい鍵でも、後で必要になるかもしれません。
必ずとっておきましょう。
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