#鋳物師 新着一覧
廿日市本陣跡地
上画像は天神山からみた昨日紹介の中央市民センター東隣の地で、赤線の範囲に江戸期鋳物師で庄屋をしていた山田氏が経営していた廿日市本陣があった。廿日市本陣の間取り図が残されていたので、このよ...
廿日市鋳物師の鋳造作品③-多田八幡神社の鰐口
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。広島市佐伯区湯...
廿日市鋳物師の鋳造作品②-善徳寺の梵鐘
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。広島市安佐北区...
廿日市鋳物師の鋳造作品①-誓光寺の梵鐘
廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。呉市吉浦中町に...
【御代参街道】16、鋳物師泉涌寺〜石原宿
2020年6月7日、17時19分御代参街道歩き更新が間延びして申し訳ない。前回の続きで、東近江市...
【受贈】 東山信治・倉恒康一・松尾充晶・角田徳幸・目次謙一「石見国鋳物師関連資料の調査」『古代文化研究』第30号(2022年3月)
倉恒康一さんより標記論文の抜刷を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます...
厳島神社の鋳造燈籠
厳島神社の東廻廊入口の石段右脇に建立されている鋳造燈籠で、燈籠の竿部分の銘文をみると天明8年(1788)正月に萩の鋳物師である郡司信向が鋳造している。鋳物師の郡司信向は始め七兵衛
鋳造鳥居-英彦山の銅鳥居
福岡県添田町にある修験道霊山であった英彦山の表参道(大門通り)にある銅鳥居で、寛永14年(1637)に佐賀藩主の鍋島勝茂が島原の乱の戦勝祈願成就で寄進されたもの
鋳造鳥居-出雲大社四の鳥居
旅のつれづれで訪れた神社の鳥居を紹介しよう。出雲大社の四の鳥居で刻銘によると寛文6年(1666)6月に長州藩の2代藩主である毛利綱広が寄進したも
暮らしの記憶 記録映画連続上映会
2月28日の上映会に関する本の紹介です。 【川口の鋳物師】1964年はじめての東京オリンピック(日本オリンピック・アカデミー/監修 岩崎書店 2...
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