益田ミリの「どうしても嫌いな人」という強烈なタイトルの本があります。
この本が出版された頃に勤めていた職場にどうしても嫌いな人がいて、自分は嫌いなのに、他の同僚は嫌いな人とご飯に行ったりするという文章の下りが自分と重なって共感した記憶があります。
転職後に勤めている現在のスーパーでも嫌いな人がいる。前職の職場の私の嫌いな人は攻撃的で社員だったのでパワハラが横行していたけど、今の職場は同僚だし、その人は私に攻撃してくる訳じゃない。喧嘩を吹っ掛けられたらたぶん勝つ、私はめそめそと泣き寝入りするタイプではないのだ。
嫌いと言うか苦手というのか、その人をBとするとBは自分の嫌いな仕事はしないのだ。私と同じフルタイム勤務でありながら煮物は出来ないと突っぱねている為永遠に作る事はない。同じ時給、同じ時間なのに優遇されているのだ。
昼に一度フロアの掃除をするのですが、ホースを引っ張って来て床に洗剤を撒いてブラシでこするのですが、床掃除の時間帯になるとやらなくてもいいパッケージの補充とか、普段は全然やらないのに食洗器の前に立ち、洗い物を始めて時間稼ぎをする。
昨日もBは仕事が早めに終わったのに無駄な作業をスタートしている為、結局私が床掃除をしました。昨日は苦手な煮物だったのですが、自分の作業の手を止め、掃除を始めるとさっさと補充を辞めて床に洗剤が撒き終わる頃私を手伝い床にブラシをかけ始める。毎回なので何だか不愉快だなと思っていたらエミさんが「Bは時間稼ぎしてるよね」とつぶやいていたので、なんでしょう。ほっとしてしまいました。私だけがもやもやしている訳じゃなかった。
どんな職場にも不公平はある気がする。なるべく平等にするようにフライヤーの掃除は当番表にしたし、煮物も皆さん苦手とするから平等に割り振られている。
いろいろと検索すると「嫌いな人とは距離を置け」とかありますが、同じ職場じゃ無理なので、
「嫌いな人に好かれようと努力しないでいい」という言葉が自分に一番ストンと来たので、当たり障りのない会話でやり過ごしていくしかないんでしょうか。57歳今更考え方を変えれないし、もちろん相手も変わらない。ただ現状を諦める事はしなくていい気がするけれど。
この本が出版された頃に勤めていた職場にどうしても嫌いな人がいて、自分は嫌いなのに、他の同僚は嫌いな人とご飯に行ったりするという文章の下りが自分と重なって共感した記憶があります。
転職後に勤めている現在のスーパーでも嫌いな人がいる。前職の職場の私の嫌いな人は攻撃的で社員だったのでパワハラが横行していたけど、今の職場は同僚だし、その人は私に攻撃してくる訳じゃない。喧嘩を吹っ掛けられたらたぶん勝つ、私はめそめそと泣き寝入りするタイプではないのだ。
嫌いと言うか苦手というのか、その人をBとするとBは自分の嫌いな仕事はしないのだ。私と同じフルタイム勤務でありながら煮物は出来ないと突っぱねている為永遠に作る事はない。同じ時給、同じ時間なのに優遇されているのだ。
昼に一度フロアの掃除をするのですが、ホースを引っ張って来て床に洗剤を撒いてブラシでこするのですが、床掃除の時間帯になるとやらなくてもいいパッケージの補充とか、普段は全然やらないのに食洗器の前に立ち、洗い物を始めて時間稼ぎをする。
昨日もBは仕事が早めに終わったのに無駄な作業をスタートしている為、結局私が床掃除をしました。昨日は苦手な煮物だったのですが、自分の作業の手を止め、掃除を始めるとさっさと補充を辞めて床に洗剤が撒き終わる頃私を手伝い床にブラシをかけ始める。毎回なので何だか不愉快だなと思っていたらエミさんが「Bは時間稼ぎしてるよね」とつぶやいていたので、なんでしょう。ほっとしてしまいました。私だけがもやもやしている訳じゃなかった。
どんな職場にも不公平はある気がする。なるべく平等にするようにフライヤーの掃除は当番表にしたし、煮物も皆さん苦手とするから平等に割り振られている。
いろいろと検索すると「嫌いな人とは距離を置け」とかありますが、同じ職場じゃ無理なので、
「嫌いな人に好かれようと努力しないでいい」という言葉が自分に一番ストンと来たので、当たり障りのない会話でやり過ごしていくしかないんでしょうか。57歳今更考え方を変えれないし、もちろん相手も変わらない。ただ現状を諦める事はしなくていい気がするけれど。