占星術への道-誕生史、星見の作法

・占星術の基礎-星見の作法とは?
・今も多くの人を魅了する占星術
・いつ、どこで、どのように生まれたのか?

<12> 2章 アッシリア時代/ムル・アピン

2021-03-10 12:25:01 | 占星術への道-西洋占星術の誕生史

図25: くさび形文字による星座板(紀元前800年頃)。 ©大英博物館


ムル・アピン mul. Apin

 出だしの言葉から、後世、ムル・アピンmul. Apin(mulは星、apinは耕作)と命名された楔形文字板がある。3枚の粘土板から成っており、天文学と占星術が洗練され、発展して行ったことが窺がえる。最も古いのは紀元前687年頃のアッシューから出土したものだが、もっと古く、紀元前1400~900年の間ではないかという報告もある。ムル・アピンMul.APlNは紀元前700年以前の天文知識を集大成したものである(1枚の粘土板の裏面には「バビロンから模写した」と記されている)。

 1枚目の粘土板には、アストロラーベと同じように、多くの星が記されており、また月の通り道にある星々がリストされている。2番目の粘土板では太陽、惑星、そして月の通り道にある星座にシリウス、それから春秋分と夏至、いくつかの恒星の出現、惑星とその周期、天空を4分したもの、天文学上の季節、ノーモン(初期の日時計)表、および恒星と彗星に関連したオーメンなどが扱われている。18の星座も記されている。後に、組み合わせや削除があって黄道12星座となった(図26を参照)。

 

 

図26: ムル・アピンMul-APIN粘土板(紀元前700年頃) ©大英博物館


 

月の通り道にあって、毎月、月が動き、そして、触れ合う神々:

  1. ムル・ムルMUL.MUL(ザップzappu、髪の毛 hair bush)=プレヤデス
  2. ムル・グドゥ・アン・ナmul.GUD.AN.NA(アヌの雄牛)=おうし座
  3. ムル・シパ・ジ・アン・ナmul.SIPA.ZI.AN.NA(アヌの本当の保護者)=オリオン座
  4. ムル・シュ・ギmul.SHU.GI(シブsibu、老いたる者、あるいは御者)=ペルセウス座
  5. ムル・ガムmul.GAM(ガムルgamlu、鎌形剣)=ぎょしゃ座
  6. ムル・マシュ・タブ・バ・ガル・ガルmul.MASH.TAB.BA.GAL.GAL(偉大な双子)=ふたご座
  7. ムル・アル・ルルmul.AL.LUL=プロキオン、またはかに座
  8. ムル・ウル・グ・ラmul.UR.GU.LA(ライオン、または雌ライオン)=しし座
  9. ムル・アブ・シンmul.AB.SIN(うね畝)=スピカ
  10. ムル・ジ・バ・ニ・トゥムmul.zi.ba.ni.tum(天秤)=てんびん座
  11. ムル・ギル・タブmul.GIR.TAB(サソリ)=さそり座
  12. ムル・パ・ビル・サグmul.PA.BIL.SAG(射手)=いて座
  13. ムル・スフル・マシュmul.SUHUR.MASH(やぎ頭の魚)=やぎ座
  14. ムル・グ・ラmul.GU.LA(偉大な星、あるいは巨人)=みずがめ座
  15. ムル・ジッバティ・メシュmul.zibbati.mesh(尾)=うお座
  16. ムル・シム・マハmul.SIM.MAH(大きなつばめ)=うお座の南西部+ペガスス座東部
  17. ムル・アヌニトゥムmul.A-nu-ni-tum(女神アヌニトゥム)=うお座北東部+アンドロメダ座の中央部
  18. ムル・ル・フン・ガmul.LU.HUN.GA(アグルagru、雇い人)=おひつじ座*

* B.L.ヴァンデル ブエルデン(「ゾディアックの歴史」、Archiv fuer Orient forschung 216(1953))からの引用:216-30.p56-57


福島憲人・有吉かおり


<11> 2章 アッシリア時代/黄道帯の誕生/初期の暦/星のリスト(アストロラーベ)

2021-03-10 11:40:21 | 占星術への道-西洋占星術の誕生史

黄道帯の誕生

 暦がなかったらいったいどうなるかを理解するため、自分が古代メソポタミアの聖職者で、農作物や経済問題の面倒を見て農民を初めとする人々を導かなければならず、また季節を知らせるものが星しかない、と考えてみよう。聖職者であるあなたは、毎月、毎夜、神々(太陽、月およびさまよう星々)が動いている時に、どのような明るい星や星の並びが頭上に浮かんでいるかを観察し始めるだろう。そして、明るい星や星の組合せに毎月、名前をつける。星の周期と星の並びの見え方を予測する者としての自分の能力が試されており、あなたは自分の信用と、おそらく生活を維持するため、そうした時間や周期についての知識を得るため、相当な時間を費やすことだろう。

 神々が通って行く帯状の領域にある明るい星々や星の並びは特に重要だから、それに特別な名前をつけることだろう。その神々の通り道が最初の黄道帯だった。バビロニア人は星やその並びである星座に動物(人間や架空の創造物もあったが)をあしらったため、ギリシャ人がこの帯状領域をzodiakos kyklos、つまり「動物の円」と呼んだのであった。

 最も古い星図は紀元前1100年頃のもので、星々がリストされていた(これがアストロラーベ)。古い粘土板には「月の通り道にある星々」と書かれている。紀元前1000年期の初めは、18の星と星座(12の黄道帯の星座を含む)がその他の特徴と合わせて、3枚の粘土板に記述されている。これが有名なムル・アピンmul.APlNである。12の黄道帯星座は紀元前6世紀に完成し、黄道帯12宮(30度幅の12個の円弧)は紀元前4世紀後半になって完成している。

初期の暦

 今や、天の巡りをしっかりと正確に描き出すことができるようになったため、ホロスコープの機構を開発するため必要とされたのは、月・太陽の時刻体系を正確に計算することだった。メソポタミアの最初の暦は月暦だった。すなわち、最初の三日月が現われる日没直後に始まって、月が地球のまわりを完全に一周する軌道を注意深く記録して毎月の長さが測定された。メソポタミア人は、数世紀に渡って、太陰月を太陽年に合わそうと努めたから(太陽年は太陽の見かけの年周運動のサイクルで、太陰月ときれいに関連付けるのはむり)、数年おきに13月目を入れなければならなかった。

 どちらかと言えば天文学では新参者であったエジプト人が、毎年起こるナイル川の洪水とシリウスが見え始める時期を関連させて、その何世紀か前から太陽暦を使っていたというのはおもしろい。P.W.ウィルソンは「バビロニア人に問題があったとすれば、それは知識の不足ではなく、獲得した知識の活用に失敗したことだ。彼らは保守的で、太陰月に執着した。だが、エジプト人は進歩的で、それを捨て去る勇気を持っていた」と言っている。

 ナボナザールNabonassar王の統治の下で(紀元前747)、223月が18年(それに加えること11日と1/3日)に等しいとする太陽太陰暦が考案された。この周期がサロスというもので、初期の暦の中では最も正確な周期で、紀元前4世紀までずっと使われた。ギリシャの天文学者であり、占星家でもあるプトレマイオスは、メソポタミア人の記録は紀元前747年以降のもののみ正確な記録として利用できる、と言っている。

星のリスト(アストロラーベ)

 模式的に天を描こうとした星図は第2千年紀の中頃に作られるようになり、それが科学的な天文学の始まりとなった。星や星の集まりを系統的に並べた最古の文書アストロラーベ、すなわち星のリストであった。記録者(書記)はこれらの初期のリストを「1組3星」と呼んだ。最も古い文書は紀元前1100年頃アッシュールで書かれたもので、36星がリストされている。赤道帯には12星が記述されており、シュメール人の天の神の名前から、アヌの星と言われている。この南に、アッカド人の水と知恵の神であるエアの12の星があり、北にはシュメール人の気の神で神殿の長であるエンリルの12の星がある。2組の12の星は、1年の12ヶ月と結びついていた。太陰月、季節変化、暦の間には整合性がないので、公式の1年の長さはひどくばらついていた。

 図25の中で示されている星座盤はアストロラーベに似ている。天空は8つに区分されていて、星座が描かれている。

福島憲人・有吉かおり