占星術への道-誕生史、星見の作法

・占星術の基礎-星見の作法とは?
・今も多くの人を魅了する占星術
・いつ、どこで、どのように生まれたのか?

<14> 2章 アッシリア時代/惑星/12サイン(宮)

2021-03-11 09:19:12 | 占星術への道-西洋占星術の誕生史

夕方の月と金星 ©アストロアーツ


 

惑星

 アッシリア人にとって、黄道帯の星座と同じように、いや、それ以上に重要だったのが黄道帯の星座の中をさ迷う5つの神々、つまり惑星の位置であった。それぞれの惑星は神、あるいは神の住家と考えられていた。ムル・アピンmul.APlN文書の2つ目の粘土板では、5惑星ならびに月と季節の関係が言及されている。普通、惑星と同定されている名前は次のとおりである。

 


太陽: シャマシュ

月 : シン

金星: イシュタル

水星: ネボ、あるいはナブ

火星: ネルガル

土星: ニヌルタ

木星: マルデュック


 こうした名前は、やがて、ギリシャの神々に代わり、ギリシャ名はローマ名に代わり、そして時にはローマ名が英語名に代わった。イシュタルは初め、愛と戦争と肥沃の女神だったが、その後、愛だけを司る女神となった。マルデュックは元はバビロンの都市の神で、次に、バビロニア帝国の最高神になり、最後はすべての神々の長になった。ネボは神々の書記とされたり、科学と知識の神、知恵の神、あるいは神々の使いなどとされた。ネルガルは、戦争と悪疫の神、冥府の神、あるいは狩猟の神などといろいろ言われていた。ニヌルタは、ベル(あるいはエンリル、冥府の神)の戦士であり、肥沃の神であり、戦争の神でもあった。

 ジャストローによれば、ネルガル(火星)は、戦いによる破壊の象徴であって、戦いにおいて臣民を助ける強い大将ではなかった。ネルガルは本質的に破壊者で、時には「火の神」であり、「激怒した王」、「野蛮人」、および「燃える者」とされることもあった。(注:火星は、実際には氷点下以下の非常に冷たい惑星で、平均気温は-30Cほどである。)

 惑星で一番大きいのが木星と考えられていたので、それにマルデュック(神々の長)の天が割り当てられた。水星の公転周期は最も短く、最も速く動くので、ネボの天球が与えられた。火星の赤みがかった光がネルガルの領域を一番良く表しているように思われた。金星は季節によって明け方見えたり、夕方見えたりする明るい星だから、イシュタルの領域だった。そして、最後の土星は小さく冷たい点のように見えたから、荒涼とした冥府と戦争の神のニヌルタが最も似合うと思われた。地球は宇宙の中心にあって静止し、すべてのものがそれを中心に回っていると考えられていた。

 

まとめ

 こうして、5惑星と黄道帯の全星座に紀元前700年までに名前が付けられ、その特徴が明らかにされた。だが、黄道帯のサイン(占星術用の黄道12宮)はまだ登場していなかった。月と惑星の基本的な周期関係が示され、矛盾のない暦体系(サロス)が紀元前5世紀までに完全に実用化されるようになった。後に天文学の問題に応用されることになった数値上の方法論も発展して行った。近代的な占星術の仕組みの発展に必要とされるもので、この時にまだ現われていなかったのは、(1)同じ30度幅の弧という黄道12宮という占星術のサイン、(2)個人の誕生日に基づく解釈や予測(出生占星術、もしくは遺伝占星術)(3)ホロスコープ、などであった。

 

サイン黄道12宮

 さて、いよいよ現代の西洋占星術の基礎となる黄道12宮=サインの登場である。次回以降、詳細が語られるが、その前に簡単に予備知識として整理しておこう。

 元々星座は極めて恣意的に星々をグループにまとめて星空を区分けしたもので、大きさはまちまちであった(現在でもそうだが)。加えて、すき間があったから星座に属さない星もある始末で、12あるとは言え、これを各月に対応させることはできなかった。そこで、機械的に黄道を12に等分し、黄道星座の名前を借りて、これをサインsignと呼び、日本語では12宮と言うようになった。以下のとおりである。なお、白羊宮や金牛宮という漢語名を採用している人もいるが、これは中国での用語で、西洋占星術に中国語というのは馴染まないように思うので、筆者らはほとんど使用しない。

 サインの出発点はおひつじ宮となっている。西洋占星術が完成した紀元0年前後にはおひつじ座に春分点があり、ここに太陽が来ると春分の日となった。冬から春に移る季節で、1年の始まりにふさわしいと思われたのだろう。ところが、承知かと思うが、春分点は星々の間を移動し、現在ではうお座に移っている。だが、西洋占星術では、依然、おひつじ宮が出発点である。星座とサインは名称こそ同様だが、概念的には異なるものだから、対応していなくても問題はない。ところが、それを問題視する人もいる。これまた、笑止なことである。各サインは様々な性格を付与されている。ここではプトレマイオス流の分類法の一部を紹介しておく。これらがさらに惑星と対応させられる。


プトレマイオス流の分類法

サイン

分類4

分類5

分類6

分類7

分類8

標準的な期間

おひつじ宮

分点

男性

--

3

NW

3月21日-4月19日

おうし宮

立体

女性

命令1

2

SE

4月20日-5月21日

ふたご宮

双体

男性

命令2

1

NE

5月22日-6月21日

かに宮

至点

女性

命令3

--

SW

6月22日-7月23日

しし宮

立体

男性

命令4

1

NW

7月24日-8月22日

おとめ宮

双体

女性

命令5

2

SE

8月23日-9月22日

てんびん宮

分点

男性

--

3

NE

9月23日-10月23日

さそり宮

立体

女性

服従5

4

SW

10月24日-11月22日

いて宮

双体

男性

服従4

5

NW

11月23日-12月21日

やぎ宮

至点

女性

服従3

--

SE

12月22日-1月20日

みずがめ宮

立体

男性

服従2

5

NE

1月21日-2月18日

うお宮

双体

女性

服従1

4

SW

2月19日-3月20日

福島憲人・有吉かおり (2007.2.5.)


<13> 2章 アッシリア時代/黄道帯の星座

2021-03-11 09:19:12 | 占星術への道-西洋占星術の誕生史

黄道帯の星座

 紀元前6世紀には、12の黄道帯星座が描かれるようになった。クレタ人の賢者、エピメニデス(紀元前600年)が初めてやぎ座について言及した。さそり座といて座の間に位置する13番目の星座、へびつかい座は黄道帯にかかっているのに黄道星座には組み込まれていないと批判する人がいるが、それは当たらない。なぜなら、かつての星座は現在とは異なり、恣意的な天の区切りとまとまりに過ぎず、星座と星座の間にはすき間があり、どの星座にも属さない星がいくらでもあったからだ。1年の12ケ月に応じて黄道星座は12作られたのであり、へびつかい座に黄道が通るとされたのは20世紀になって星座の定義が変ってからのこと。したがって、13星座占いなどは笑止ものである。

 黄道帯の星座の命名法に関しては、何年も論議されてきた。星座は季節を教えてもらうためのものだ。メソポタミアの聖職者の究極の目的は、(1)季節(つまり、暦のため)、(2)さ迷う星々(神々、惑星)の動き、の基準点として星や星座を使うようにすることだった。その後、ギリシャ人が、私たちがとてもよく知っているあの星座神話を創造したのである。

 次に、まず、馴染みの深いラテン語の名前を、その後にバビロニア語で、そして命名の理由と思われるものをリストしておこう。各項目の終りには、その後に発展したギリシャ神話を簡潔に紹介する。


1.おひつじ座=ル・フン・ガLU.HUN.GA、「雇われ人」あるいは「雇われた労役者」の意。

たぶんギリシャ人がおひつじに改名した。おひつじは羊飼いにとって重要だったし、早春になると活動的になった。ギリシャ神話では、おひつじの金毛を得るのがイヤソンとアルゴ船の目的とされた。


2.おうし座=グ・アン・ナGU.AN.NA、あるいはムルMUL。「天の雄牛」のこと。

ムル・アピンmul.APlN(紀元前687年)の前後に書かれたものによれば、おうし座はムル・ムルMUL.MUL(プレヤデス)と同一視されるか、あるいはヒヤデスやアルデバランと間違われている。その後、グ・アン・ナGUD.AN.NA(おうし座)だけが使われた。雄牛は耕作用の動物と耕作時期をシンボル化したものである。ギリシャ人はエウロパを誘拐するためにゼウスが雄牛に姿を変えたと美化し、雄牛の頭部を天に置いたとされる。


3.ふたご座=マス・タブ・バ・ガル・ガルMAS.TAB.BA.GAL.GAL.MASHは「偉大な双子」という意味。

この星座にはカストルとポルックスという2つの輝星があり、かなり接近して見える。ギリシャ人の話によれば、兄カストルは戦いで死に、弟ポルックスは悲しみに打ちひしがれた。彼はゼウスの息子であったから、不死の身であったであった。そこで、双子の兄と運命を共にできなければ、自分の命をも奪うようにと祈ったので、ゼウスは、2人を天に一緒に置いたとされる。


4.かに座=ナンガルNANGAR、蟹のこと。

蟹と見るのは、かつてここに夏至点があり、夏至になると太陽が数日間、蟹のように横に移動することかららしい。ギリシャ神話では、ヘルクレスがヒドラ(へびのような怪獣)の9番目の頭を切り落とそうとしていた時、嫉妬深いゼウスの妻のヘラが一匹の蟹を送り、彼のかかとを咬ませた。ヘルクレスは蟹を踏み潰したが、ヘラが功労の意を表してカニを星の仲間に入れたと言う。


5.しし座=ウル・アUR.Aはライオン、または雌ライオのこと。

元々は、バビロニア人は2頭のライオンと見ており、二頭目は大熊座の南の部分にかかっていた。メソポタミアでは暑い季節にライオンが見られた。神話では、ヘラクレスはその地域を荒らしていた巨大なライオンを殺し、武器から身を守るためにそのライオンの皮を着用した、とされている。


6.おとめ座=アブ・シンAB.SIN、もとは「うね畝」を意味し、おとめ座の主星スピカを指している。

ムル・アピンではアブ・シンの星は女神シャラが持つトウモロコシの穂とされている。トウモロコシの穂を持つ女神や乙女という見方は、セレウコス王朝期の線画に登場する。スピカという名は「穀物やトウモロコシの穂」にあたるラテン語である。乙女やトウモロコシは収穫期に畑地で見られる。ギリシャ神話では、乙女座は、ゼウスとテミスの娘であるアストライアと同一視されており、大地を嫌って去り、星々の間に乙女座として置かれた。アストライアは天秤と星の王冠で表わされることもある。


7.てんびん座=ジ・バ・ニ・トゥムzi-ba-ni-tum、収穫後に重量を量るための秤を意味する。

 黄道帯十二宮の中で、唯一、無生物である。ここに秋分点があり、秋分になると昼夜が同じ長さになることから秤とされたようだ。以前は、てんびん座はさそり座の大きな爪とされていた。


8.さそり座=ギル・タブGIR.TAB、サソリを意味し、秋の証とされる。

ギリシャの話では、アポロンが妹を守るためオリオンを殺すようにサソリを送ったとされている。そこで、オリオン座とさそり座をできるだけ遠くに離して配置したと言う。


9.いて座=パPAは、矢を射ろうとしているケンタウルス(半人半馬)。

 その起源は少なくとも紀元前1000年代にさかのぼる。カッシート期(前1500-1200頃)の境界石には、2本の尾(一つはサソリの尾のようなもの)と2つの頭(一つは後方を見ている犬の頭で、もう一つは、兵士の防具のような感じで、帽子とマスクを被った人間の頭)を持ち、翼をつけたケンタウルスが描かれている。顔の防具は馬上の戦士を表わしているのかもしれない。季節的には、11月と12月は狩の時期である。


10.やぎ座=スフルSUHUR。ムル・アピンでは、スフル・マスSUHUR.MASは山羊の姿をした魚(SUHUR: 山羊、MAS: 魚)のことで、カッシート時代の境界石にも見られる(図17を参照)。

 この星座は水に関係した西のグループ(つまり、みずがめ座(水を運ぶ者);南のうお座;うお座;くじら座)の一つである。その後、魚の部分が落とされ、今では「角のある山羊」となっている。山羊は冬の数か月間山に登るので、古代の人々がこれと冬至の後に昇って来る太陽とを結びつけた可能性がある。ギリシャ人は、山羊は実際にはアマルテイアで、ゼウスが幼少の頃に乳を与えて育てたので、それに感謝してゼウスが空に上げた、と言う。


11.みずがめ座=グ、またはグ・ラGU.LA。

 メソポタミア時代の意味は不明瞭だが、魚が入っている水(図17)を注ぐ神、あるいは雨季をシンボル化して、水をもたらす者を表していると思われる。昔の美術品で、水を注ぐ少年や聖職者としてあしらわれているものがある。ギリシャではガニメデという男の子(ゼウスに酌をする)と言っていた。


12.うお座=ジブzibは「魚の帯」のこと。

 初めの頃の楔形文字文書の中に、2つの星座が描かれている。ギリシャ人は、紐で尾が結ばれている2匹の魚と見た。魚釣りと雨季の終わりをシンボル化したものである。ギリシャ神話では、アフロディテとエロスが怪物テュポンから逃れようと魚に変身した姿とされる。


 その名前にふさわしくい姿に見える星座は、唯一、さそり座で、かつ唯一、姿を想像しうる星座である。ここで、もう一度述べておかなくてはならない。それは、シュメール人やアッカド人やアッシリア人が、雄羊、牡牛、双子、かに、魚(ウルとエリドゥ海岸沿いの)、ライオン、乙女、天秤、さそり、射手、山羊、水運搬人などを長い間伝えてきたことである。今日の占星術は、さまざまな場面で、星々と季節の間にある単純な関係を基にしている。我々はこの事実の深い意味について、しばらく、深く考えるべきだろう。これが、あなたがおうし座の人で、私がやぎ座の人間とする理由だからである。

福島憲人・有吉かおり