占星術への道-誕生史、星見の作法

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・いつ、どこで、どのように生まれたのか?

<16> 3章 新バビロニア時代/ホロスコープ占星術以前/黄道十二サイン(宮)の登場

2021-03-13 09:58:59 | 占星術への道-西洋占星術の誕生史

図28:紀元前410年4月29日の日付のある最も古いホロスコープ


ホロスコープ占星術以前

 次に示すウルク時代の粘土板には、ホロスコープ以前のデータが表わされているが、ほとんどはオーメンの形で書かれている(図27を参照)。それはオーメン占星術とバビロニア・ギリシャのホロスコープ占星術を結びつけている粘土板である。ザックスは紀元前5世紀頃のものとしている。

 

黄道十二サイン(宮)の登場

 黄道をそれぞれ30度ずつに区切った十二サイン(宮)が考え出されたことは、占星術が成立する上で決定的に重要なワンステップとなった。これは、紀元前417~410年の間にあったはずである。紀元前419年と418年用の天文記録にはまだ星座が使用されており、そして12サイン(宮)を使用している最初のホロスコープとして知られているものは紀元前410年とされているからである。

 こうして、ついにホロスコープが誕生した。紀元前410年4月29日の日付のある最も古いホロスコープ(図28を参照)はバビロンで出土したものである。それには天文学のデータ以外についてはほとんど何もなくて、さそり座の“角”(角とはてんびん座の南北の天秤皿にあたる)の真下に月、うお宮に木星が、おうし宮に金星が、かに宮中に土星が、ふたご宮に火星があり、そして水星は見えず、と書かれている。「事態はあなたにとって良くなる」という短いぼんやりした記述は、占星術的な予言という点では何も提示していないのに等しい。

 現在までバビロニアの楔形文字のホロスコープが16個発見されており、それは紀元前410~68年に亘っている。そのうち15個はセレウコス王朝の時代(紀元前280~68年)のものである。15個のうちの3つを紹介しておいた(図29、30および31を参照)。1番目と2番目はバビロンから出土したもので、3番目はウルクで出土したものである。最初のホロスコープでは予言は行わず、受胎と誕生を結びつけている。2番目は漠然とした予言を示しているだけで、3番目では予言はしていない。

 バビロニアの約1800枚の天文学関連の粘土板のうち、ホロスコープはたった16枚しか見つかっていない。ギリシャのホロスコープでは反対である。約20枚の天文学の粘土板があり、その10倍以上のホロスコープ粘土板が見つかっている。バビロニアで最後のホロスコープが作られたのとほぼ同じ時期にギリシャで最初のホロスコープが出現したことに注目しよう。これは、ギリシャ人の思想にバビロニアの占星術が重要な役割を果たしたことを教えている。

 図32にホロスコープのそれぞれの年代記を示しておいた。

 


プレ・ホロスコープ占星術の例。楔形文字文書から

(表)

白羊宮なる所:彼の家族の死。

金牛宮なる所:戦死。

双児宮なる所:囚われの身での死。

巨蟹宮なる所:海洋での死;

長寿。獅子宮なる所:彼は長生きし、

裕福になるだろう;第2に、

彼の個人的な敵の逮捕

乙女宮なる所:彼は裕福になるであろう;

怒り。

 

天秤宮なる所:よい日;彼は死ぬだろう

40年[という年齢で?]?

 

天蠍宮なる所:激怒による死[である]?

彼の運命による死は。射手宮

なる所:海洋での死。

 

磨羯宮なる所:彼は貧しくなり、

ヒステリーになるだろう[?] 彼は

病気になり、死ぬだろう。宝瓶宮なる所:

40?年?[の年齢で?]、彼は

息子?を持つでしょう;水死。

双魚宮なる所:40?年?[の年齢で?]、

彼は死ぬだろう;ずっと先に...

 

月が現われた時、子どもが生まれると、

[彼の人生?は] 明るく、

立派で、安定して、そして長生きするだろう。

 

木星が現われた時に、子どもが生まれると、

[その後、彼の人生?は] 安定して、

良いだろう。彼は裕福になり、長生きする

だろう、[彼] の時代は長く続くだろう。

 

金星が現われた時、子どもが生まれると、

[その後、彼の人生?は]

特別に?平安なものとなろう。彼が行くところはどこも、

良くなるだろう。[彼の] 時代は長く続く

だろう。

 

水星が現われた時、子どもが生まれたら、

[その後、彼の人生?は]華やかで、

立派になろう。...

 

火星が現われたとき、子どもが生まれたら、

[その後]・・・熱烈な? 感情的?

 

土星が現われた時、子どもが生まれたら、

[その後、彼の人生?は] 暗く、

不遇で、病気がちで、そして抑圧されるだろう。

 

月食の時、子どもが生まれたら、

[その後、彼の人生?は] 暗く、不遇で、明るくは

ないだろう。

 

日食の時、子どもが生まれたら、

[その後].......長寿。

 

(裏面)

木星が現われていて、金星が沈んでいる時、子どもが

生まれると、それはその人にとって

とても良きこととなろう。彼の妻?は

去り、そして..

 

木星が現われ、そして水星が沈んだ時に、子どもが

生まれれば、それはその人にとってとても良きこととなろう。

彼の長男は死ぬだろう。

 

木星が現われ、そして土星が沈んだ時に子どもが

生まれれば、それはその人とってとても良きことと

なろう。彼個人の敵は死ぬだろう。

 

木星が現われ、火星が沈んだ時に子どもが

生まれれば、それはその人とってとても良きことと

なろう。彼は自分の敵が敗北するのを

目の当たりにするだろう[?]。

 

金星が現われ、そして木星が沈んだ時に

子どもが生まれたら、妻は

彼よりも強くなるだろう。

 

金星が現われ、そして土星が沈んだ時に

子どもが生まれたら、彼の長男は死ぬ

だろう。

 

金星が現われ、そして火星が沈んだ時に

子どもが生まれたら、彼は自分の敵を

捕らえるであろう。

 

子どもが生まれ、そしてその日に木星が

合の後に初めて見えると、

その後...もし子供が

生まれ、その日に木星が見えなくなったとすると、

[合になる寸前に]、

その後...

 

うしかい座E星が現われる時、子ども?が生まれると、

彼には息子ができないであろう。

 

北のかんむり座のB星が現われる時、彼は

・・・・・だろう。ヘルクレス座B星が現われると、

クレーンによる(吊り下げられて?)死?

 

ヘルクレス座u星が現われると、彼は貧しくなるだろう。

 

はくちょう座が現われると、彼は皮膚病を患うであろう。

耳が聞こえなくなるであろう。

 

ペガスス座n 星が現われると、彼は宿命の死を

遂げることになるであろう。

 

アンドロメダ座v星のまわりの星座が現われると、

ヘビによる死がもたらされる。

 

ペルセウス座B 星が現われると、武器による死?

 

ぎょしゃ座a星が見えると、彼は裕福になるだろう。

武器による死?

 

ふたご座が現われると、牢獄での死?

 

かに座が現われると、武器による死...


図27: プレ・ホロスコープ占星術、ウルク出土(およそ紀元前5世紀)(A.ザックス(「バビロニアのホロスコープ」、楔形文字研究誌6(1952)68-75から)

福島憲人・有吉かおり

 


<15> 3章 新バビロニア時代(紀元前600-300年頃)/カルデアの占星術/カルデアの占星術師

2021-03-13 09:39:24 | 占星術への道-西洋占星術の誕生史

カルデア:メソポタミア南東部に広がる沼沢地域の歴史的呼称

カルデアの占星術 

 ナボポラザールNabopolassarの下で、新バビロニアすなわちカルデア人の時代が始まった。カルデアという言葉は、アッシリアのカルデゥ(Kaldu)から来たもので、南メソポタミアを意味しており、カルデア人という言葉は、文学や、天文学、占星術などを学んだバビロニアの学者や聖職者たちを指すためにギリシャ人が使ったものである。その後に登場したバビロニアの占星術師はマギと呼ばれており、一種の魔術師であった。

 歴史上のカルデア人(ペルシャ湾近くの南バビロニアに住んでいたメソポタミア人)と、動物の内臓や天体現象から得られたオーメンを基に予言をしていたベル・マルデュックの聖職者を区別しておくことが大事である。カルデアの聖職者たちの時代はおよそ紀元前6世紀から西暦2世紀までである。ホロスコープを最初に作成したのがカルデアの聖職者たちだった。

 ギリシャの地理学者ストラボン(紀元前63年~紀元19年)は自著「地理学」にカルデア人について次のように書いている。

 バビロンでは、その多くが天文学に関係しているカルデア人と呼ばれているその地域の哲学者がいて、彼らのために特別に居留地が定められている。しかし、中には、一般に承認されていないが、誕生日占いをする占星家であると公言している者もいる。アラビアやペルシア海の近隣にもカルデア人の部族がいるし、彼らが居住していた領地もある...たとえば、オルケノイOrchenoiとかボルシッペノイBorsippenoiとか呼ばれる者たち他にも別の名前の者たちもいて、派閥に分かれては、同じ課題についていろいろな教義を持ち出して議論している。そして、たとえばキデナスKidenasやナブラノスNaburanosやスディネスSudinesのような何人かのこうした人物について言及している数学者もいる。セレウキアのセレウコスもカルデア人である。

 

カルデアの占星術師

 キディヌKiddinu(時々キデナス、シデナスと言われることもある Kidinnu、Kidenas、Cidenasと綴られることもある。紀元前340年頃)は、バグダッド南西のユーフラテス川に沿ったシッパルで活動していたバビロニアの天文学者/占星術師であった。キディヌKiddinuは、正確な食の周期を示したり、一般にはヒッパルコスの功績とされる歳差運動の発見にための舞台を整えるなど、月やその他の天体の周期を系統的かつ正確に描き出した。

 キプロスからアテネへやって来たギリシャの哲学者であるキチオンCitiumのゼノン(前333-262頃)は、宿命論と予定説を教義の中心とするストア哲学と呼ばれる哲学の一派を打ち立てた。ストア哲学は、その後、ヘレニズム/ローマ時代になると占星術をさらに支援するようになった。

 ベル(あるいはマルデュック)のバビロニア人聖職者であるベロッソスBerossusは、紀元前275年頃、医学校で有名だったギリシャのコス島にやってきた。ベロッソスBerossusは有能な歴史家で、バビロニアの歴史および文化についてギリシャ語(the Babyloniaca, or Chaldaica) (バビロニア語、およびカルデア語)で3冊の本を書いた。さらに、彼は天文学/占星術の学校を設立した。キディヌKiddinuの資料を使って、ギリシャ人にバビロニアの天文学/占星術を伝える手助けをした。ベロッソスBerossusの2人の弟子であるアンティパトラスAntipatrusとアキノポラスAchinopoulus(およそ紀元前258年)が、ホロスコープに受胎日を使った。

 スディネスSudines(紀元前220年頃)は、カルデア人の占い師で、コス島からそう遠くないペルガムムのアッタロスI世Attalos 1の宮廷付き占星術師だった。彼はさらに宝石についての権威でもあった。

 アレクサンドロス大王の死後、バビロンや他のカルデア人の都市は宗教の中心地になった。オーメンの報告は、紀元1世紀のパルティア後期まで、数世紀にわたって続けられた。動物の肝臓や内臓を調べる占いは規則的に行なわれていた。

福島憲人・有吉かおり