Life in Japan blog (旧 サッカー評 by ぷりりん)

日本に暮らす昭和生まれの猫ぷりりんの、そこはかとない時事放談と日記です。政治経済から科学、サッカー、手芸まで

星田妙見宮とたたら製鉄と鉄バクテリアと製鉄の神様

2017年01月03日 04時05分18秒 | 神話・伝承・民話

金属と妙見信仰

妙見信仰は製鉄と関係があるそうです。

妙見信仰についてはすでに述べたように百済聖明王の第三子淋聖太子の渡来と関係しており、その系譜はタタラ姓を名乗る中世豪族大内氏に引き継がれていく。清澄山信仰 がその系譜とどのように関連するのかは定かではないが、全国的にみても妙見、虚空蔵が製鉄とかかわることはほぼ間違いのないところである。 房総地域の山岳宗教に関する基礎的考察 井上孝夫

鋳物の記録

しかし前回の記事で触れた星田妙見宮周辺では、旧田中家鋳物民俗資料館のような鋳物の記録はあっても製鉄業が盛んだったという記録はネットにはありません。森遺跡はもしかすると日本最古の鍛冶業の記録かもしれませんが、この付近で製鉄が盛んという記録はありません。一番近い鉄の産地といえば岐阜県大垣市の金生山赤坂地区の赤鉄鉱ですが、輸入鋼か国内産かの結果は出たのでしょうか。それとも、降星伝説があるので隕鉄を使用したのでしょうか?

たたら製鉄に関する記録

旧星田村近接で交野ケ原と呼ばれた地域にも該当している山城国綴喜郡多々羅の新宮神社では、製鉄技術を伝え帰化し多々羅姓の祖となられた百済の国の王族が祀られています。

鉄バクテリア-湖沼鉄による製鉄

北欧でも記録があるそうですが、河川・湖沼の鉄バクテリアが産みだすベンガラ鉄を原料にした製鉄が河内地方で行われていた可能性があるそうです。

大阪(河内)では、弥生時代~古墳時代までの鍛冶遺跡・鍛冶関連遺物が多く発見されている。
しかし鉄原料の調達や、原料そのものが何であったかは明確ではない。
現在、通説では多くは朝鮮半島からの舶載品とするが、出土する鉄滓量から見ても、これほど多くの精錬鍛冶をまかなうだけの鉄原料を遠隔地より運搬したのは非合理的ではないか。
 そこで、古代での製鉄(製錬)の可能性を検討する為、近隣にその製鉄の原料となり得て、比較的容易に採取・入手できるベンガラ(鉄バクテリアの代謝生成物・川や田で見られるオレンジ色の浮遊物・沈殿物、いわゆるパイプ状ベンガラ)に着目し、この鉄分が古代製鉄の原料に利用可能か、又、利用の可能性があるかを、その組成・成因や地質などから検証するとともに、今回は鍛冶遺跡のある大阪府交野市近隣から採取したパイプ状ベンガラを試料に、実際に製鉄・鍛冶も行った。古代製鉄原料としての褐鉄鉱の可能性~ パイプ状ベンガラに関する一考察 ~山内 裕子

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鉄バクテリア生成物による製鉄は可能なようですが、近年生物学ではそのメカニズムについての報告が相次いでいるようで、バクテリアなど生物を使用する核物質の処分は物理学関連研究者に嫌われているようではありますが、原子力発電所事故に苦しむ日本にとってはもしかすると朗報かもしれません。

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八丁岩と天の川源流の稀少鉱物が露天掘りされていた鉱山

旧星田村から磐船神社がある磐船街道を抜けた奈良県の八丁岩、四条畷では花崗岩やペグマタイト鉄リチア雲母針鉄鉱(鈴石)、放射性物質含む稀少な鉱物が産出されたので、それらも範囲に含めれば星田妙見宮もまた鉱物の産地と関連があると言えるかもしれません。かつてそれら稀少な鉱物をバクテリアが吸収しそれを原料としていたならば、加工にむいている鉄がとれた可能性もあります。

フェルグソン石、褐簾石、変性ジルコン 最近田久保教授の発見された稀元素鉱物の新産地 鉱物学雑誌第1巻第5号362-369,1954年1月
明治20年にペグマタイトの露頭が発見されて以来約80年間,引つづき採掘され,(略)良質のセキエイ,チョウ石を出鉱している。このペグマタイト中にはしばしば希元素鉱物が含まれ,現在までにフェルグソン石,ジルコン,カツレン石などの産出が報ぜられ,また最近はトロゴム石,イットリア石等の産出も知られている。 桜井欽一、加藤昭、吉川輝四「日本産鑛物資料(その十七)」 鉱物学雑誌第4巻 第6号 450-455 1960年7月

旧星田村の茄子石

それらの鉱脈は星田村からかつて見えていた巨石・茄子石(今は崩されて不在)のすぐ裏手なので、茄子石がそれら稀少な鉱物の露頭だとしても矛盾はないように思います。夜明けの黎明の時間の紫外線に光るウランガラスの様に、それらの石またはそれらから作られた工芸品が光ったとすれば、まるで明けの明星の様に光ってみえたかもしれませんし、フェルグソン石が割れた断面は瑠璃光を持っていますから、放射線の有害性がよく知られていなかった時代ですから、珍重された可能性も??

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北河内地方の製鉄鋳物

北河内における製鉄に関するネット上の記録は少ないのですが、少しだけひっかかる遺跡があります。

九頭神廃寺跡・延喜式内社久須々美神社と製鉄

明治42年3月、旧:坂村字九頭神(現:枚方市牧野本町1丁目)から片埜神社合祀された久須々美神社の御祭神は久須々美大神です。

河内国國式神私考』によると「王仁之霊神」だそうです。その王仁とは伝承の墓が同市内にある西文首(かわちのあやのおびと)の始祖、和邇吉師(わにきし・王仁)のことだと思われます。

『平成祭礼データ』によると「櫛御気野神、家津御子神、熊野櫛御毛奴神、熊野加武呂乃神などと異名同神」、つまり熊野大神=須佐之男命のことだそうです。

他の久須々美神社では?

三穂津姫命を祀る磯城郡の村屋坐弥冨都比売神社の摂社・久須々美神社の祭神は天之久之比神、事代主神、経津主。こちらの御三神と何か関係があるのかもしれません。

経津主は国譲りを大国主に説いた神。
イザナギに十拳剣(天之尾羽張)で殺された火迦具土の血から産まれた磐筒男神を祖とします。

事代主神は国譲りの際に父・大国主の代わりに回答した神で、
三島大社では山の神として鉱工業で祀られる大山祇神の二神で三島明神(本地仏・薬師如来)です。
三嶋溝樴姫(勢夜陀多良比売)との間に産まれた媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)は神武天皇の皇后です。タタラの名前から、たたら製鉄との関係があるという説もあるそうです。

多度大社・鉾立社の天久之比乃命

天久之比乃命は新撰姓氏録の右京神別下に「桑名首天津彦根命男天久之比乃命之後也」(天久之比乃命は天津彦根命の子で桑名首の祖)とあるそうです。最初に書いた美濃国金生山赤坂地区の赤鉄鉱と関係があるのでしょうか?
素戔嗚尊と天照大神の間に産まれた天津彦根命の子、ダイダラボッチとも関係があると言われている天目一箇神は「時高皇産靈尊勅(略)天目一箇神爲作金者」とある金属加工の神なので、同じく天津彦根命の子とされる天久之比乃命もそうい性質を持っているのかもしれません。

北河内の久須々美神社も大地の中の火(火迦具土-磐筒男神-経津主・伊豆諸島の火山を統べる三島大明神としての、タタラ製鉄に関連する名前を持つ妻の事代主神)や、作金(天目一箇神の兄弟を祖とする天久之比乃命)と関係があったかもしれません。

九頭神廃寺出土銅造誕生釈迦仏立像

旧坂村字九頭神(現:枚方市牧野本町1丁目)の九頭神廃寺跡のどんどん山からは「ロウ型による鋳造と思われる白鳳時代の仏像」銅造誕生釈迦仏立像が出土しています。

九頭神廃寺出土銅造誕生釈迦仏立像



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