生島足島神社、信濃国分寺、別所温泉はレイライン?
2020年11月11日ルポライター・昼間たかし氏「オカルト歴史が「日本遺産」に!? 全国に広がる「偽史」町おこし」という記事がハーバー・ビジネス・オンラインで出ました。以前から興味があったレイラインについてだったので検証してみました。
考えた人は誰?
記事によると上田市は別所温泉HPを元にしたそうです。別所温泉HPによると、このレイラインを考えたのはレイラインハンター内田一成さん。
レイラインの内容は一致してる?
上田市は寺社と温泉が直線と書いてますが、内田一成さんは夏至の朝日を受ける方向で聖地が揃ってると書かれています。
山のふもとにある信州最古の温泉といわれる別所温泉、「国土・大地」を御神体とする「生島足島神社」、「大日如来・太陽」を安置する「信濃国分寺」は、1本の直線状に配置され、レイラインをつないでいる。……生島足島神社は夏至には太陽が東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居に沈む。太陽と大地は、この神秘的な光景をレイラインとして現代に遺した。祝 日本遺産認定 - 上田市ホームページ
つまり別所温泉は、「太陽と大地の力(“光”と“気”)」を“龍穴“である別所温泉に導き、背後に控えた山々により受け止め溜める仕掛けによって、さらに増強される構造となっている場所なのです。太陽と大地の聖地温泉「別所温泉」
レイラインハンター・内田一成さんは元々は信濃国分寺跡-生島足島神社-泥宮神社-女神岳というレイラインを遊びとしてお考えだったようです。「デジタルマップを使った遊び -レイラインハンティング-2006/09/13」
はじめまして。内田一成氏が繋げているのは信濃国分寺、生島足島神社、泥宮大社の三点であり、別所温泉ではありません。https://t.co/OlR6SwmzXK
— 国家鮟鱇 (@tonmanaangler) November 13, 2020
実際はどう?
信濃国分寺と生島足島神社と別所温泉は一直線ではありません。
夏至の朝日が鳥居の間から昇るのは動画によると本当のようです。
生島足島神社レイライン
ブリン・セリ・ドゥの夏至のようです。Bryn Celli Ddu Summer Solstice Celebrations 2015 - ITV News
冬至の夕日が鳥居の間へ沈むのも動画によると本当のようです。
冬至の日の生島足島神社での夕日
ニューグレンジ古墳の冬至は有名です(レポート)。Winter Solstice at Newgrange - Inside the Passage Tomb
メイズハウの冬至等もあります(レポート)。Winter Solstice at Maeshowe, Scotland 2015
いつも大変お世話になっている日の出マップ(超便利です!)によると、生島足島神社の鳥居は冬至や夏至の角度で通っているのがわかります。
浅間山火口-生島足島神社-別所温泉大師湯-夫神岳-光城山-明神岳山頂レイライン
生島足島神社は式内社で歴史があるようで、お名前が十種神寶の「生玉」「足玉」に似ているのと、その神寶が死と再生に関わること、温泉も大国主命と少彦名命の再生の開湯伝説とかかわることから、温泉の熱源である火山とのレイラインを見てみると、
浅間山火口-生島足島神社-別所温泉大師湯-夫神岳-光城山-明神岳山頂レイラインを描けました。
超暴れん坊の浅間山と、穂高神社の穗高見命(穂高大明神)( 綿津見神(海神)の子)・槍穂高カルデラの穂高連峰の間に位置するのは何か古代の人々の信仰の現れでしょうか?
別所温泉開湯縁起
天保14年(1843年)豊田利忠『善光寺道名所図会』五巻にて、開湯縁起が記載されていました。
豊田利忠『善光寺道名所図会』(天保14〔1843〕年)
小県郡出浦郷別所七久里温泉に浴す、(中略)
夫当初七久里温泉の由来を尋るに、人皇十二代景行天皇の御宇、日本武尊東夷征伐し給ふ砌、此地を通行し給ひけるに、南方の山下に煙気畳々と立昇りけれハ、如何なる故ならんと暫く見給ふ所に、一人の老翁忽然と出来り、尊に告て曰、此地に七ツの温泉あり、其性異り、是に浴せん者七種の病苦を離れ、寿命延長ならん、君是を開き給ふべし、吾ハ大己貴なり、努々疑ふべからずとて失給ふ、尊奇異の思ひをなし、山の麓を尋ね、七ヵ所の温泉を求て浴し、従卒をも浴さしめ試み給ふに、病苦にかゝれる者共速に平愈しけれバ、惣名を七苦離の温泉と号給ひ、大己貴尊をハ温泉明神と崇祭り給ふ、猶今我開闢此温泉久しく、此里に繁栄たるべしと誓ひ給ひ、七久里温泉と書遣し給ひしとなり(15(『新編信濃史料叢書 第二十一巻』(昭53 信濃史料刊行会)))
「ななくりの湯」小考,p.33-45,西山秀人,観光文化研究所所報,1,上田女子短期大学観光文化研究所,2003年3月
「善光寺道名所図会」巻之五……またこの地に二つの高山あり。 伊弉諾・伊弉冊の二尊影向したまひ、男女の道を教へ登りたまひし頂なることを尊聞こしめされ、男神嶽・女神嶽と号け、社を嶺に立てたまふ。 この二山に各御手洗あり。 その流の落ち合ふ川を相染川と呼ぶ。 両嶽の神祠嶺を隔つれば、これを合はせ祀りて結神と名号たまふ。
別所神社 長野県上田市別所温泉,本地垂迹資料便覧
信濃国分寺-生島足島神社-泥宮神社-女神岳-大明神岳-保福寺峠-乗鞍岳剣ヶ峰レイライン
信濃国分寺も、生島足島神社を挟んで乗鞍岳剣ヶ峰とのレイラインが描けます。別所温泉開湯縁起の日本武尊が老人から「七苦離(ななくり)の湯」を教えられた保福寺峠も登場。生島足島神社は丁度いいお臍のような位置に建設されているように見えます。女神岳は乗鞍岳で、明神岳の穂高連峰は夫神岳なのでしょうか?
夏至の日はどこから昇るの?
生島足島神社の夏至の太陽は神門から望めるようですが、その方角はちょうど信濃国分寺跡のようです。(^▽^;)ちょっとできすぎなようでびっくり。
冬至の日はどこへ沈むの?
生島足島神社の冬至の太陽は三才山峠へ沈みます。この峠は別所温泉開湯縁起の日本武尊が老人に「七苦離(ななくり)の湯」を教えられた保福寺峠まで歩いて一時間の距離。元々の伝承は三才山峠の方かもしれません。天皇は日嗣の宮で太陽神の子孫という神話上の設定なので、弱った日本武尊は冬至の太陽のようとも言えます。
レイラインとは?
以前もいわゆるレイラインについて考えてみたのですが、同じ緯度、すなわち日時計が同じ高さを時間差をおいて示す寺社というのは時間や天体観測や暦と関係してくるので重要だったのではないか?と想像しています。 同じ経度の寺社は同時刻に南中や相対的に同じ位置へ天体を観測できますが、その天体と地表の高さは違ってきます。これも測定と関係していたのだろうと思うのです。
CIELO sundial tutorial
Inca descendents celebrate Inti Raymi, or winter solstice
冬至が太陽信仰において特別な意味を持つのは世界各国共通ともいえるでしょう。日本神話は太陽神が重要な神で天皇は日嗣の御子で太陽神の子孫という神話上の設定。
遥拝という考え方は直線状の遠くにある宗教施設への信仰ですから、このあたりの考え方の延長線上にあるのかもしれません。
宮中で今も行われている鎮魂祭は旧暦の時代、冬至の頃・新嘗祭の前日旧暦 11月中の寅の日の申の刻に行われていました。
物部神社 【猿女の鎮魂法】 11月24日鎮魂祭
Midsommar i Sundborn, 2017 - (Classical midsummer celebrations)
天=神の目線でみた配置を神を常に意識していた古代人が整えないのも逆に変なのかもしれません。ナスカの地上絵のようなものでしょうか?