新宮山八幡宮跡と夏至の天田神社
前回は冬至の日の出と「中山観音寺跡・牽牛石→天田神社→獅子窟岩→歓禅院→星川八幡神社」、「新宮山八幡宮-東大寺大仏殿」について書きました。
夏至の日の出では、その新宮山八幡宮からみた日の出は天田神社から上ります。
牽牛石と磐船神社と哮ヶ峰と今城塚古墳
また、牽牛石を中心に河内国樟葉宮で即位したとされる継体天皇の陵墓候補の今城塚古墳を結ぶと、そのライン上に磐船神社-哮ヶ峰-牽牛石-今城塚古墳が並びます。牽牛石は七夕伝説の石というよりも、祭祀にかかわる重要な印だったのかもしれません。
新宮山八幡宮跡と富士山
新宮山八幡宮跡から、弘法大師の降星伝承のある獅子窟岩百重ガ原を見ると、富士山山頂へ直線でつながります。新宮山八幡宮と近年道路工事で隔たれた、経塚があったという明星院のこんもりした小山からだとより獅子窟寺寄りのラインを描きます。
新宮山より道路を隔てて南西の方角にある丘陵を明星院と呼んでいる。(新宮山は明星院まで一つの山・昭和19年に分断され南線ができる。)明星院の森の中に土饅頭型の塚があって、周囲に空堀をめぐらしていた。交野・星田郷土史かるた〈ほいさ〉ウォーク
北へ向かってだんだん低くなっていく状態、西の傍示川が大谷橋辺りまで天井川をなしている。東は楯石、梶ケ板、明星院、坤村と丘陵地が伸びている。その間に挾まれて、玉江、六路が存在する。 ふるさと交野の地名 星田(ほしだ)
新宮山八幡宮跡にあった愛染律院の地蔵尊には宝永噴火と宝永地震の記録が埋め込まれていたそうです。
木造地蔵菩薩立像(国指定)像高150.9cm、材質は桜、一木造り。衲衣の全面に金泥をもって、麻の葉、網目籠目などの各種の切金文様を施している。頭髪を五分刈りのように一段高く表現しており京都の六波羅蜜寺の地蔵菩薩に似た雰囲気をもっている。昭和29年(1954)、解体修理の際、胸部より五穀・衣料、胴部より宝永4年(1707)の近畿、中・四国の大地震の状況を記した慰霊文及び宝永山噴火の状況を記録した銘文が発見された。もともと、河内国交野郡星田村愛染寺に安置されていたものを明治5年(1872)、当時の住職の大乗法祥和尚が高山寺に移した。 高山寺(井原市高屋町 木造地蔵菩薩立像(国指定)
新宮山八幡宮の八幡大神の本地仏は阿弥陀菩薩、富士山の山頂は阿弥陀菩薩として拝まれていたので、新宮山八幡宮と寺院群は、その本宮である石清水八幡宮護国寺の国家安泰の祈りの為に富士山と地震という巨大天災を遠くから畏れる場所であったのかもしれません。石清水八幡宮護国寺では天台宗の鎮護国家の祈念、安鎮家国法が行われていたらしい形跡が遺跡からみつかったそうです。新宮山八幡宮の本宮である、廃仏毀釈前の神仏習合であった石清水八幡宮護国寺の本尊は現在廃仏毀釈の嵐を逃れて淡路島の弘法大師ゆかりの東山寺で祀られている重要文化財薬師如来ですが、獅子窟寺のご本尊も国宝薬師如来座像です。廃仏毀釈は交流があった教王護国寺(東寺)のご本尊も薬師如来(両脇には日光菩薩、月光菩薩)です。
【仏ログ】<淡路市・東山寺>薬師如来は像高約140cm。平安中期頃の作。十二神将像は薬師如来に比べると落ち着いた表現。石清水八幡宮別当護国寺の仏たちが神仏分離によって男山に放置。舟で隠れ寺であるこの地に運ばれてきたそうです。 pic.twitter.com/lPHc5eDY0n
— 仏像リンク (@butsuzolink) 2014年11月20日
獅子窟寺の薬師如来は亀山上皇がご病気の際に祈りをされて回復したというお話が伝わっており、王の墓は亀山上皇と皇后のお墓と伝えられていますが、元寇の際に護国の祈念がもたれた寺院といえば京都市の吉祥山正伝護国禅寺もまた亀山上皇ゆかりの寺院でした。
1274年、1281年、元寇(「文永の役」、「弘安の役」)に対し、慧安は「蒙古降伏祈願文」(1270年、1271年)を石清水八幡宮の八幡大菩薩に捧げ、国家安泰を祈願した。亀山上皇(第90代)はこれを賞し、寺号「吉祥山正伝護国禅寺」を贈る。 正伝寺 (京都市北区)
<script charset="utf-8" type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>ボウイが京都好きだったと知って、更に彼を好きになりました。先日やっと正伝寺に行くことができました。素晴らしい枯山水庭園と借景の比叡山。かなり辺鄙なところまで来たと思うと胸熱。参拝記念ノートにはボウイ関連の書き込みが沢山ありました。 #davidbowieisjp pic.twitter.com/20IJVeY06Q
— にょろり (@utakatanogogo) 2016年12月13日
新宮山八幡宮跡と弘仁寺
地蔵菩薩と対で祭られることもある虚空蔵菩薩。法華経では明星天子(普香天子)、妙見信仰の金星とされているようです。
普香天子と同体であると天台大師は解釈した。法華文句巻二下に「普香は是れ明星天子にして虚空蔵の応作なり」とある。 『日蓮宗新聞』平成9年(1997年)8月1日号掲載記事「日蓮聖人「立教開教」と虚空蔵・妙見尊の関係」東京都法華寺住職 石川修道
新宮山八幡宮跡と弘法大師ゆかりの虚空蔵山弘仁寺とを直線で結ぶと、新宮山八幡宮跡-星田妙見宮-哮ヶ峰(饒速日命の神話)-磐船神社-虚空蔵山弘仁寺の直線になります。新宮山八幡宮跡は道路で明星院の経塚跡とわけられてしまいましたが、虚空蔵菩薩(明星天子・普香天子)と地蔵菩薩の対が形成されていたようです。妙見信仰の日・星(明星)・月をあらわしているのでしょうか。石清水八幡宮護国寺の別宮であった新宮山八幡宮と寺院群は、とても重要な祭祀の場所だったのかもしれません。
これら礼拝の位置関係に祈りの心が込められていたのであれば、もしかしたらとても古層な祈りの場所を廃仏毀釈によって破壊してしまったのかもしれません。