Life in Japan blog (旧 サッカー評 by ぷりりん)

日本に暮らす昭和生まれの猫ぷりりんの、そこはかとない時事放談と日記です。政治経済から科学、サッカー、手芸まで

オシム監督の初陣 サッカー日本代表 VS トリニダードトバコ

2006年08月10日 01時13分27秒 | サッカー評論
2006年8月9日 日本 対 トリニダードトバコ

美しいスチールドラムの国から、東洋の僻地におこしいただいているのに、もうしわけないほど蒸し暑く、この季節にこの国ではよくあるタイフーン製の雨まで付いて、気の毒にさえ思いながら見ていました。かの国の代表の方は、イングランドのリーグで活躍している選手も多いと聞いているのに、オフというからだがよくできていないシーズンに、本当にもうしわけない。

序盤は浦和メンバーを軸に、効果的なプレーができたけれど時間がたつうちに退屈な試合となってしまった。3日しか練習する時間がないチームではしかたがないどころか上出来だが、それも選手の意気込みもあってのことだろうと思う。
Jリーグにはすばらしい選手がたくさんいる。誇れる選手たちがたくさんいる。

オシム監督の初陣は、こんな開催の意図がわからない日に行われました。それでも観客席は満員、完売御礼ということで、興業的には大成功です。
(いや、初戦で負けさせて、監督や選手が変わっても同じでしょうと、そして彼らに、なーんだ、たいしたことないじゃんブーイングをあびせ、ある非難を隠蔽するためにやったのではという意見さえある。)

みんな、本当に一生懸命、わがことのように応援している。あんなにみっともない試合をワールドカップという神聖な場所で見せてしまったのにもかかわらず、サッカーを愛している人ほど内心ものすごく傷ついているのに。

その彼らの期待を、一時の金という形で吸い上げるのは、マネーの小悪魔だと思う。それより、もっともっと超ビッグマネーで吸い上げ、商業従事者にも選手やコーチにも、潤沢に、「ずっとずっと」経済的にも潤すために、手を結びお金を出して力を貸してほしい。それをするつもりはないのであれば、この場からご退場いただきたい。次回ワールドカップ間で芝を刈れればいいのですなんて、欲のないことを言わないで、ずっと収穫を、もっと得るために。
サッカーファンはいいサッカーを、できるならば生で見たいからだ。美しく豪華なバルセロナを32インチのハイビジョンで見るよりも、本当は、Jリーグの凄みのある試合を生で見たい。

私は、協会の人たちを憎んでいるわけではなく、尊敬している。だからこそ、美しい思い出だけ残したいというのは、身勝手ですか? そのすばらしく天才的な商才で、サッカーの技術的な部分以外をサポートしていただきたいのです。もし、この満員の観客の愛する気持ちを理解していただけないのであれば、心苦しいのですが、どうか、ご退席していただけないでしょうか。

それどころかあなたたちは、サッカーを愛する気持ちを持つ指導者をじわじわ闇に葬る手はずをもう整え始めているのでは? それならばあなたたちはサッカーファンからの愛も、また、サッカーそのものも、すべて失います。それがどうしてわからないのでしょうか。もし、そのような事態になれば、ネットだけでなく、国立競技場周辺だけではなく、轟音のようなブーイングやある種の暴力があなたたちを囲み、恐ろしいことに、サッカーファンは日本代表からすべて引き上げてしまうでしょう。そうすれば、あなたたちは巨大ビジネスを根幹から失うことになるのです。
本物のファンがされば、徐々に競技場には閑古鳥が鳴くようになるのですから。

マスコミはデモなどとりあげないだろう。彼らの本音は、サッカーなんてどうでもいい商材で、イベントのときだけ適当に盛り上がればいいのだから。
世の中そんなもので、彼らの言うとおり、その他の国を揺るがしている重大な問題だってとりあげないのに、サッカーなんてとりあげるはずもない。
それでも意志を示すのは、男らしい姿勢だと思う!

マッチメイクを大切に 日本代表とオシム監督

2006年08月08日 02時28分37秒 | サッカー評論
オシムさんのやり方について、スポーツ紙の記事からしか様子はうかがえないけれど、なんだかまた不思議な議論がおきている。自分で考えてというのがジーコと同じだと。ため息がでてくるような思いで、そんなコメントを読む。

どの球技も、結局はフィールドの上の本番では自由に自分で考える。
ただ、日本のチームはそれが苦手で、ただ漫然とプレーしてしまう傾向がある。
中田選手が緩急がないと言っていたのも、ゲームの流れを考えて、プレーに意図を持たせていないから一本調子となりがちになる、ということの要約であると考えている。

ジーコでもオシムでも、どんな監督でも、本番では自律性が必要であると、自分で自由に考えてくれとまず要求するだろうと思う。それは球技の最低の条件だから。それがどうしてこうも理解されないのかがわからない。たぶん・・球技の経験があっても、そういうゲームを経験しないのでファンもわからないのかもしれない。

ただ、自由に考えさせる練習の方法が違う。そして練習時間が短すぎる。

対戦相手には、次回対戦するチームがとるであろう戦術をとらせている。そして、日本代表には、その戦術の攻略をシュミレートさせている。これがもっとも大事なところで、戦術とは、相手の戦術に対抗するものであって、空手の型のように、一人で舞うものではない。
日本代表は相当テクニシャンで、相手がいないところではものすごいテクニックを披露するらしい。だけれどそれでは意味がない。相手が強烈なプレッシャーをかけたシチュエーション下でプレーできなければテクニックなどなんの意味もないから。人形を立てても意味はない。人形は動かない、つまり戦況は変化しないから、頭を使わなくてもいい。それではフルに頭を使う本番では、なんの役にも立たない。だから、プレッシャーやスピードが要求される対人のシチュエーションで練習する。

今回は、代表召集から試合までの時間が短すぎる。だから、監督の支持は本番さながら、選手交代にとどまるだろう。基本的に選手にフォーメーションのぼやけた設計図を渡し、後は、ダミー敵国がとる戦術によって、敵の得意とする戦術を練習で知らせることとなると思う。時間がなさすぎるのである。

こんなにわか作りではなく、もう少し合宿を重ねた日本代表が見たかった。8月のこの季節では、いい試合はまったく期待できない。トリダードトバゴも、モチベーションが果たしてあるのかどうか。こんな試合をメイクされてはさすがの名将もおてあげだと思う。