地方都市での産科がつぎつぎに閉鎖していて、きちんと通院していても異常分娩の場合には受け入れてもらえる病院がなくなっている…ということが指摘されていますが、先日、東京でも妊婦が亡くなったことが報道されています。
ある週末の夜、妊娠35週の妊婦さんが、ひどい頭痛を訴えて、かかりつけの産科にかけこみました。主治医は、脳内出血!?ということで、急いで近くの救急病院に連絡を取りましたが、今、その病院はお医者さんが欠員していて、受け入れがむずかしいということになり、そこから紹介された病院につぎつぎに連絡します。しかし、受け入れ困難と回答されます。
最終的に、最初に連絡を取った病院が受け入れ、脳外科の当直医が対応することになります。赤ちゃんは帝王切開で生まれ、つづけて妊婦さんの脳の出血部分に対する手術が行われますが、3日後、この妊婦さんは、残念ながら亡くなります。
一般の報道は、ほとんど「妊婦死亡 7医療機関が拒否」というトーンです。この最後に受け入れた病院は、救急センターの看板を掲げていることもあり、都からも調査が入っています。
うーん。脳内出血なんていう重篤な状況で、お医者さんが他の治療でいっぱいいっぱいの病院で受け入れだけされても、適正な治療がされなかったら困るし、ほっておけないし、自分が患者や患者の家族の立場だったらどうしてもらったかと思うと、むずかしいなぁと思います。
「今の状況はマズイ!」という話はわかりますが、だからといって、医者や病院を責めたところで、何かが変わるわけではないと思うのです。治療をしても死亡する事故があったら、メディアが攻撃し、家族が訴え…、ということを繰り返して、患者に何かプラスになるとも思えないのです。
石原都知事が、産科も小児かも、絶対的に医師が少ない、国に何とか方策をたててほしいというコメントを出していますが、おっしゃるとおりかもしれません。同時に、日本は、お産での死亡率が世界でも低い国。妊婦死亡が報道されるくらい、お産での死亡が少ないこと自体、驚異的なことだと思いますけど。
折しも、「ロハスメディカル」というフリーペーパーの編集長がブログでこんな記事を書いていました。
ふと、携帯小説の『2018年 菊花病院』と『2018年 地中海病院』を思い出しました。
2014年に国民皆保険制度が破綻し、高い自由診療を受けるか、保険適用の診療を選ぶかという選択医療が始まった10年後の日本を舞台に、2つの物語が書かれています。(暗くなること保証付なので、心身が元気なときに読まれることをお勧めします!!)
お医者さんがたくさんいて、いつでも笑顔で受け入れてくれて、安価で治療してくれて、死にそうになっても病院に駆け込めば助けてくれる、というのが、患者としては、夢。
でも、現実にそんなわけはなくて、お医者さんになり手はないし、どこの病院もお医者さん不足と経営難に困っているし、そして、何より、病院に行っても、どんなに最善のすばらしい治療をしたとしても、人は亡くなることがあるのです。わたしも、たくさん見送りました。
わたしの場合だって、近頃すぐ「ハイリスク」のラベルが貼られます。空港で「われもの/FRAGILE」というシールを荷物に貼るみたいに(笑) 妊婦の脳内出血も、同じように「コワレモノ」ですが、妊娠による高血圧で脳内出血する例は、実はそんなに少ないものではありません。
たとえば、医療メディエーターのような仕事がもっと広く展開されていくのがいいのかなとも思います。
医療メディエーターというのは、医療対話促進者と訳すのでしょうか、最近、医療裁判の仲介者としてよく出てきます。でも、もともとは、医療関係者と患者さんの橋渡しをするお仕事です。ここでしつこく話している「患者カフェ」の発想ですね。
・選択しなければいけない治療法があれば、患者さんの社会的状況も考慮して、メリット、リスクを客観的に説明し、判断しやすい環境を提供すること
・治療を進めるにあたって抱えている、治療上、生活上の不安を聞いて、サポートを提供したり、ヒントを与えてくれる機関を紹介すること
・治療をしても「人は死ぬんだ」ということが、きちんと受け止められるような場や会話を用意すること
ある小児科のケアをしている先生が、幼く亡くなる子どもたちの兄弟が状況をしっかり受け止められるようにお話しているお話なんかを読みながら、大人にも必要だなと思いました。
病院の経営とは切り離した形で、こういうコンサルティング機構ができていくと、いいのになぁ。そんな簡単な問題ではないと思うし、救急のときにそんな窓口が機能するかどうかは難しいものですけれど、あきらめている場合でもないような気がします。
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ある週末の夜、妊娠35週の妊婦さんが、ひどい頭痛を訴えて、かかりつけの産科にかけこみました。主治医は、脳内出血!?ということで、急いで近くの救急病院に連絡を取りましたが、今、その病院はお医者さんが欠員していて、受け入れがむずかしいということになり、そこから紹介された病院につぎつぎに連絡します。しかし、受け入れ困難と回答されます。
最終的に、最初に連絡を取った病院が受け入れ、脳外科の当直医が対応することになります。赤ちゃんは帝王切開で生まれ、つづけて妊婦さんの脳の出血部分に対する手術が行われますが、3日後、この妊婦さんは、残念ながら亡くなります。
一般の報道は、ほとんど「妊婦死亡 7医療機関が拒否」というトーンです。この最後に受け入れた病院は、救急センターの看板を掲げていることもあり、都からも調査が入っています。
うーん。脳内出血なんていう重篤な状況で、お医者さんが他の治療でいっぱいいっぱいの病院で受け入れだけされても、適正な治療がされなかったら困るし、ほっておけないし、自分が患者や患者の家族の立場だったらどうしてもらったかと思うと、むずかしいなぁと思います。
「今の状況はマズイ!」という話はわかりますが、だからといって、医者や病院を責めたところで、何かが変わるわけではないと思うのです。治療をしても死亡する事故があったら、メディアが攻撃し、家族が訴え…、ということを繰り返して、患者に何かプラスになるとも思えないのです。
石原都知事が、産科も小児かも、絶対的に医師が少ない、国に何とか方策をたててほしいというコメントを出していますが、おっしゃるとおりかもしれません。同時に、日本は、お産での死亡率が世界でも低い国。妊婦死亡が報道されるくらい、お産での死亡が少ないこと自体、驚異的なことだと思いますけど。
折しも、「ロハスメディカル」というフリーペーパーの編集長がブログでこんな記事を書いていました。
看板を出しているのに、その商品がないと言ったら、客は怒る。
でも、その看板は役所から頼まれた経営者が出したもので
店員が「品切れだから補充して」と伝えたのに
経営者は「そのうちにね」と言ったまま2年。
経営者の言い分は
「補充しなかったんじゃなくて、できなかった。だって世の中に足りないんだもの」
なんで足りないのか、よくよく調べたら
役所が「余るから作るな」と言っていた。
ある日、看板に偽りありということで客とトラブルになり
店員は、なんと野次馬たちからもさんざん罵られた。
翌日、突然役所の長がやってきて
「看板を出しておきながら」と経営者を叱り飛ばした。
どう考えても、店員は被害者だよね。
なのに、なんで今回の受け入れた病院の医師たちは、叩かれてるんだろう。
これってヒドくない?
ふと、携帯小説の『2018年 菊花病院』と『2018年 地中海病院』を思い出しました。
2014年に国民皆保険制度が破綻し、高い自由診療を受けるか、保険適用の診療を選ぶかという選択医療が始まった10年後の日本を舞台に、2つの物語が書かれています。(暗くなること保証付なので、心身が元気なときに読まれることをお勧めします!!)
お医者さんがたくさんいて、いつでも笑顔で受け入れてくれて、安価で治療してくれて、死にそうになっても病院に駆け込めば助けてくれる、というのが、患者としては、夢。
でも、現実にそんなわけはなくて、お医者さんになり手はないし、どこの病院もお医者さん不足と経営難に困っているし、そして、何より、病院に行っても、どんなに最善のすばらしい治療をしたとしても、人は亡くなることがあるのです。わたしも、たくさん見送りました。
わたしの場合だって、近頃すぐ「ハイリスク」のラベルが貼られます。空港で「われもの/FRAGILE」というシールを荷物に貼るみたいに(笑) 妊婦の脳内出血も、同じように「コワレモノ」ですが、妊娠による高血圧で脳内出血する例は、実はそんなに少ないものではありません。
たとえば、医療メディエーターのような仕事がもっと広く展開されていくのがいいのかなとも思います。
医療メディエーターというのは、医療対話促進者と訳すのでしょうか、最近、医療裁判の仲介者としてよく出てきます。でも、もともとは、医療関係者と患者さんの橋渡しをするお仕事です。ここでしつこく話している「患者カフェ」の発想ですね。
・選択しなければいけない治療法があれば、患者さんの社会的状況も考慮して、メリット、リスクを客観的に説明し、判断しやすい環境を提供すること
・治療を進めるにあたって抱えている、治療上、生活上の不安を聞いて、サポートを提供したり、ヒントを与えてくれる機関を紹介すること
・治療をしても「人は死ぬんだ」ということが、きちんと受け止められるような場や会話を用意すること
ある小児科のケアをしている先生が、幼く亡くなる子どもたちの兄弟が状況をしっかり受け止められるようにお話しているお話なんかを読みながら、大人にも必要だなと思いました。
病院の経営とは切り離した形で、こういうコンサルティング機構ができていくと、いいのになぁ。そんな簡単な問題ではないと思うし、救急のときにそんな窓口が機能するかどうかは難しいものですけれど、あきらめている場合でもないような気がします。
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この話は金曜日うちの教授と雑談していたときにも、「産科医が気の毒だ、1人で対応は無理だと思う」
といってました。
ぷろぱさんが書かれていること、私もその通りだと思います。
かなり前の話ですが、大阪のある病院が視力障害のある患者を置き去りにしたことをかなりマスメディアにバッシングされていましたが、本当のところは、病院の入院費を滞納し、おまけに病院での入院中の規則はまもらないという患者さんだったようです。
今回、なくなられた患者さんが一番の被害者なのは間違いないのですが、このような救急搬送は通常一次救急の病院に搬送されます。
そこで、一次救急の指定病院でなぜ、うけいれられないかという理由の一つにタクシー代わりに救急車を利用する患者、夜診帯で診て貰う方が空いてるから・・・と夜間救急外来で診て貰っている患者さんの存在を否定できません。
私の勤めている大学病院は三次救急なので、一次救急のように、軽症者の処置に振り回されて、人手不足になるということは回避できていますが、病院、行政の体制の問題と、患者サイドの意識の問題もあるように思います。
私も救急搬送されたことはありますが、意識消失や交通外傷で、それ以外はタクシーで行ってます。
ちょっと愚痴がはいりましたが、本当に難しい問題ですね。
一番の問題は、犯人探しじゃなくて今後どうべきなのかだと思うんだけどなぁ
現場で働いている医師や医師会の話をろくに聞きもせず、医療現場をしらない政治家だけで話し合ったってろくな政策も思いつかないでしょうしねぇ
難しい問題です(>_<)
医療問題に関する有名な病院は、いくつかありますが、今、みんなにとってハッピーな状況にないにせよ、患者やメディアの「声の上げ方」もうまくない気がします。
この問題、いっぱい記事を書いてきましたが、知れば知るほど、むずかしい問題だと思います。
ほんとです!!
わかっていない人が目先のことだけで改革しても、なんともならないような気がします。
今の「責任のなすりつけあい」も、状況がわかっていない人が、わかってないままに責めたり訴えたりしてきた結果のような気がしてなりません。
「今のままじゃいけない」と気づいている人はたくさんいるけれど、「問題だ、問題だ!」と主張するだけでは解決しないし、お医者さんの確保のために診療報酬をあげればすむ問題ではないし、患者さんの教育だけで解決する問題でもないし、全体の「マスタープラン」をつくって、改善できるような話でもなさそうだし。
現場のいろんな立場の人の状況と声を集めながら、パーツごとにでも、変えていけると、ほんとはいいのでしょうね。
カルテでは、SOAP(主観、客観の観察、分析・判断、計画)がセットなのに、大きな話になると、なかなかそういう風に動けないものです・・・。