3.11
こんにちは、ぷく太郎ママです
12年前の今日、あの震災は起きました
あの頃私は地元の南九州にいたのですが、当時付き合っていた恋人が宮城の仙台市にいました
あの日、私は友達と遊ぶ予定で、待ち合わせ場所に行くと友達から
『ねぇ、ママちゃん、彼氏さん大丈夫?』
と言われたのです。
テレビなどを見ていなかった私はなんのことか分からず、近くのショッピングセンター内でテレビ映像を流しているところに友達と行って、理解できない映像たちを目の当たりにした
急いで恋人に連絡するも繋がらず、連絡がとれないまま夜を過ごした
見るのも恐ろしいが、『何か』を見逃すのも怖くて夜通しテレビをつけたままでいた
翌日、アルバイトがあった私は始終涙目で仕事をしていた
そんな時、携帯が震えた
『公衆電話』
バイト先の人に了承を得て、急いで出ると疲れ切った恋人の声が聞こえてバイト先のトイレで涙した
『ー電気もガスも水道も全部だめだけど、とりあえず怪我とかは大丈夫だから』
公衆電話には長蛇の列ができているとのことで必要最小限のことしか話せないまま、電話を切った
その後、恋人はしばらくは不安定な生活が続いたが、幸運なことに家が崩れることもなく、不便ではあるが自宅で過ごすことができた
その彼とはその後も2年ほど付き合っていて、結果的にはお別れになったけれど震災後もその恋人の人生には震災が関係したように思う
当時通信大学生だった彼は、人生設計を改めねばならず、精神的にも不安定になってしまった
私にとっては震災はその恋人のことと直結している
そんなストーリーが
ひとりひとり
何千何万とあるのだと思う
結末がわからないまま、宙ぶらりんで時をすすめられない人も大勢いるのだと思う
そんな私達は
起こったことを決して忘れず
起こったことから学びを得るようにして
コツコツ『小さななにか』を
積み上げていかなければならないのだと思う
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まだの方はこ ち ら か ら