まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

披雲閣(旧松平家高松別邸)

2020-10-09 23:35:56 | 建物・まちなみ
今年8月の香川の旅の続き。

高松駅のすぐそばにある玉藻公園は、高松城跡である。生駒氏が海に面して築城した高松城は、日本の三大水城の
ひとつと言われ、海水を引き込んだ三重の堀に囲まれていた。鯛が元気よく泳ぐお堀は、現在も玉藻公園の名物である。
生駒氏のあと高松は長らく松平氏の治世が続き、城下町として栄えた。
明治に入って廃城となり、戦後高松市が譲り受け公園として整備した。天守閣はないものの、月見櫓、水手御門、渡櫓、
うしとら櫓などが残り重要文化財に指定されている。ただし現在の玉藻公園は元の城域の約1/8の面積だとか。



城内に建つ披雲閣もまた重要文化財に指定されていて自由に座ってくつろぐことができた。
今の建物は廃城後1917(大正6)年に完成したもので、大正11年の陸軍特別大演習で大本営と使用されたほか、
公務で訪れた皇族が滞在したり、昭和天皇・皇后両陛下が宿泊されたこともあるという。
高松空襲の被害も何とか免れ、当初の姿を今に伝えている。


事前に電話して聞いたら、現在公開していないが、猛暑のため公園利用者に休憩所として「蘇鉄の間」を開放している
とのことだったので、ちょっと見に行ってみることにしたのだった。


日が昇ってくると本当に暑くて汗だく・・・建物を見る前にまず涼んで、水分補給・・・


ここは玄関の間。すでにめちゃくちゃ広い・・・


そしてこちらが蘇鉄の間。ここだけが一般に開放されている。建具が開け放たれた大空間は涼しくてありがたい・・・


ダブルの格天井、オリジナルのシャンデリアも素敵!


縁側もここち良さそうで、ここに座ってくつろいでいる人々もいた。


「蘇鉄の間」の名の通り、中庭には森のように繁茂する巨大な蘇鉄の株が。島津家から贈られたものだそうだが、
高松の気候にもぴったり合ったようだな。


涼しげな釘隠し。


中央部のみすりガラスになっているガラス障子。


ガイドさんに解説をしてもらっている人々がいたので横でちらちら聞いていたら、非公開のエリアへ入って行くじゃないの。
えっ、私も見たい・・・・この人たちは予約していたグループなのだろうか??


受付へ行って聞いてみると、一日に何度か来るボランティアガイドさんの案内でなら見学できるというので
急いで戻りガイドの一行を追いかける(笑)。


建物は大小の中庭を囲むように建っており、ぐるっと回りながら見学していく。この図で見ると蘇鉄の間は左上の
ほんの一部であることが分かる。


こちら142畳の大書院。一枚が1間分の幅のある襖を見てもスケールが大きさに驚く!!
屋根裏にトラス構造の梁があるのだとか。
古いシャンデリアに昭和な蛍光灯器具をぶら下げているのは、ちょっとどうかと・・・(苦笑)

※薄暗くてロクな写真が撮れていなかった・・・(涙)



大書院の廊下のガラス障子は桟が軽やか。


たくさんある部屋はよい材が使われていると見えるが、意外とシンプルで装飾は少ない。
照明器具や欄間、釘隠しにわずかにデザインが取り入れられている。






水屋付きの部屋がいくつかあって面白い。茶室として使われていたのだろう。ただこれは後から作られたのかもしれない。

その他、トイレや炊事場では白無地タイルやモザイクタイルも貼られていた。

東京の庭師、大胡勘蔵によって作庭された披雲閣庭園も、名勝に指定されている。枯れ川を中心に石橋や手水鉢、
井戸などの石造品を配しているのが特徴。こちらは地元産の庵治石で造られた銀閣寺型手水鉢。デカイ!!


現在は各種イベントが催されたり、貸館としてさまざまな活動に使われたりと、市民に親しまれているという。
健全で幸せな建物だな。うまく見学することができてよかった!


続く。
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アカネビルの壁

2020-10-07 22:23:41 | 建物・まちなみ
今年8月の香川の旅の続き。

以前、関西蚤の市に出店されていたときにタイルを買ったアンティーク屋さんが、高松のお店だと知って、
いつか高松に行くことがあったら覘いてみようと思っていた。
ironmonger(アイアンモンガー)というそのお店は、住所からするとこの近くのはず・・・と思いながら
歩いて行くと、何かすごく古いタイル貼りらしき建物が見えた。何だあれは!?


うわっ、何かすごい迫力があるなぁ!


正面に回ってみると、あぁ、そのお店はこのビルに入っていたのか!・・・しかし、まだ閉まっている。
開店は13:00からと・・・今回は無理か(涙)


まぁ建物だけでも鑑賞しよう、と、横の駐車場側に回ってみると・・・うわぁ~~~、このビルすごいぞ!!
こちら側の外壁いちめん、青い施釉ブロック積みなのだ!!
しかも、何か戦後のバラックを思わせるような(見たことないけど)、無造作な積み方。
目地のモルタルがはみ出しているほか、所々ぶちまけたようにモルタルがへばりついている。


レンガの平の面よりももう少し大きいサイズの施釉ブロック。たっぷりかかった釉薬は水色から濃い群青色まで
幅広い青色を呈し、一個のブロックのうちでもグラデーションになっている。この釉薬は青い屋根瓦と同じものの
ように思う。このビルも、青い瓦屋根が流行った1960~70年代に建てられたのだろうか。


補修した部分に、色も大きさも全然違う花柄のモザイクタイルが貼られているのが何とも面白い(笑)


少し奥の方まで歩いて行くと、こっちの方は手前のように雑な積み方ではなく目地もきれいだった。
手前の方の壁はあとから積みなおしたのかな?


見上げると、上の方は芋目地に積んでいたり、少しサイズの違うブロックも使われていたりする。


流れた釉薬が味わい深い。


このあと玉藻公園へも行ったのだが、お昼を食べたあとまたこの近くを通ったので覗いてみたら、開店していた。
お店の中は、ガラクタから骨董品まで、所狭しと古いものが並べられており、宝探しのような気分を味わえる。
興味を引かれるものがいくつかあったが、タイルはなかった。一期一会・・・


それで店主の兄ちゃんに、建物のことを聞いてみると、建築年ははっきりは分からないが築70年ぐらいだという。
そうか、この建物の造りを見ると、古い公団住宅みたいな、戦後すぐっぽい雰囲気もあるな。
商店街にある茜屋というボタン屋さんがこのビルのオーナーで、それで「アカネビル」という名なのだと教えてくれた。


この青い壁は割と注目されていてここをバックに服屋さんが撮影したりするらしい。ははぁ、映えそうだな。


ボタン屋さんに聞いたらもう少し詳しく分かるかなと思って商店街へ行ってみたが、定休日のようだった。残念。。。


近くの古い料亭、二蝶を見に行く。表札の「二蝶」の文字が歴史と風格を感じさせる。。。


料亭二蝶は1946(昭和21)年の創業。当初は旅館だったが先代のときに料亭に業態変更したとか。
大小十三の部屋があり、数寄屋風の建物の一部が有形登録文化財になっている。
付近にもいくつか料亭があった。四国の玄関口高松は、戦前、さぬき芸どころと言われた一大花街だったらしい。


高塀に囲まれ敷居が高いが・・・平日のランチくらいなら・・・また機会があれば。


さて、玉藻公園の披雲閣へ。




続く。
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朝の高松をうろつく。

2020-09-29 23:30:43 | 建物・まちなみ
今年8月の香川の旅の続き。


早朝にジャンボフェリーで高松に着いて、ゆるゆるとまちを散策。
元料亭可川を確認。営業をやめてから久しく、建物はそのままのようだが閉ざされシーンとしている。


タイル博物誌の本によると、渡り廊下に古い理平焼の敷瓦が多数敷かれているそうなのだが、高塀に阻まれ
中の様子は伺えず・・・塀ごしに見えるのは大きな屋根のみ。もとは隣接する駐車場も全部お庭だったんだろうな。


「可川」と書かれた古い看板と「国際観光旅館」のプレートが今も掲げられ、現役のように見えるが・・・
あぁ、見れる機会はもうないのだろうか。開かずの扉が再び開くことはあるのだろうか。。。




ずっと歩いていくと正面だけモルタル塗りの壁を立ち上げた洋風商店が並んでいる。




今はなき隣地建物の形が影のように残った、トマソン物件でもある。


この通りは街道筋だったのだろうか、格子窓のある古い町家がぽつぽつと残っている。
古いお風呂屋もあった。もうやってないのかな?


そして、こちらの間口2間ほどの小さな小さな町家の入口前に、タイルが敷かれている!


淡陶の古いマジョリカタイルだ。網干の山本邸大川の清力美術館八女の堺屋にあるものと同じデザインで、
湿式のように見える。


タイルは踏まれ続けて剥げ剥げで、レリーフの凹みにわずかに色が残っているぐらい(苦笑)。


なぜつるつるのこのタイルを玄関先に?6枚だけ?並びに同じような古い町家が数軒あったが、ここ以外どこにも
タイルは見当たらない。


引き返して歩いているとさっきのお風呂屋の入口が少し開いていた。煙突から煙も出ている。
清水湯は現役だったのか!


近所のおばちゃんと少し立ち話。開店は14時と。。。あぁ、入りたかったが残念。今日はこのあと移動する。
玄関の床のモザイクタイルがチラッと見えた。


気ままに角を曲がりながら歩く。


洋風の出窓のある民家。


あっ、あれは何だ!?


タイルのように見えるが少し大判。施釉ブロックの塀だ。ぽってりとのった釉薬は一枚一枚微妙に違う色。


朝のまぶしい光に照らされて鮮やかに輝く赤い施釉ブロック。美しいなぁ・・・


こちらはちょっと変わった石積みの塀。溶岩のような風合いのこの石は何だろう。


見たことのない石だが、香川県周辺で採れる石だろうか?




モダンなお寺の門は渋いスクラッチタイル貼り。いぶし瓦のような濃い灰色のタイルは、新しそうだ。
円柱型の門とそこから続く塀にみっしり貼られている。


新しい製品だけどきれいなワラビが出ているなぁ!!
陶芸でスクラッチタイルを作ったこともあるのだが、なかなかこんな風にはならないんである。


続く。
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川湯温泉駅の素敵な駅舎

2020-09-16 22:36:06 | 建物・まちなみ
2019年6月の道東旅の続き。



1泊目は屈斜路プリンスホテル泊。設備は整っているし敷地も広くてゆったりできた。
あとの2泊は民宿みたいなところなので、満喫しておこう。


豪華なビュッフェの朝食のあとに、目の前のほとんどプライベートビーチ的な海岸を散歩。


今日はもう雨は大丈夫そうだな!よかった~~


そして前回硫黄山に興奮しすぎて(笑)見過ごしてしまった川湯温泉駅を見に行こう。


開けた駅前広場に面した赤い三角屋根が印象的な木造駅舎は、観光地の玄関口の駅としてふさわしい素敵な駅舎だ。


川湯駅として1930(昭和5)年に開業。現在の駅舎は1936(昭和11)年に建てられた2代目で、貴賓室もあったとか。


ホーム側に張り出した事務室の石貼りの壁、おしゃれな窓!


待合室もまたいいなぁ!冬にはストーブが置かれるのだろうか。




ヘッドマークみたいな、硫黄山、川湯温泉の案内。




木彫りの熊のオブジェ、鮭を抱いててかわいい!
あぁ熊はいつから人間を襲うようになったんだろう・・・




構内踏切を渡って向かいのホームに来たら、背後に硫黄山が見えた。


あぁ、ここは本当に現役の駅なのか・・・茫漠としてまるで廃線跡のようだ。




妹も最近古い駅舎や鉄道が好きになってきたみたいで、夢中になって写真を撮っている(笑)。


足湯があったがこの時は栓を抜いてあった。パイプから流れ去るのみ・・・もったいないなぁ。。。




どこを見ても絵になる、川湯温泉駅。あぁ、リベンジできてよかった!


続く
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藤屋御本陳&アルプス温泉で〆!

2020-09-12 23:56:56 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。

渋温泉から長野駅に戻って車を返してから、見学を兼ねて藤屋御本陳へゴハンを食べに行く。
善光寺の門前に建つ3階建ての洋風建築は、表参道の景観の中でも特に目を惹くランドマーク。


表参道沿いにはいくつか洋風近代建築があり、藤屋の隣も洋風建築だ。食事の予約があるので今回は散策はパス・・・


見たことある七味の缶を模したベンチ。面白いな!!


さて、約360年前、江戸時代に創業した藤屋は、加賀の前田家の御本陳(「陣」ではなく「陳」という)として
格式高い宿であった。また近代においても各界の著名人たちの社交場として使われた。
明治時代に建てられた木造三層楼は、道路拡幅のために1925(大正14)年に越前宮大工師田庄左衛門の
手によりアールデコ調の洋館に建て替えられた。それが現在に残る建物だ。


入口のガラスに「HOTEL FUJIYA」「藤屋旅館」と書かれているが、旅館業は2006(平成18)年に休業、
リノベーションが施され、現在はウェディングとレストランのみである。


中へ入ると、タイル貼りのマントルピースが!よく見たかったがここに座る間もなくすぐに案内されたので
よく見れなかった(苦笑)。青いタイル、窯変タイル、六角モザイク、新しいものかもしれないがニュアンスのある
タイルがセレクトされているな!


ここはサロン?カウンターの後ろにタイルが見えていた。


床も壁もタイルが貼られている。赤青白のポップな色合いのタイルで雷文のような模様があらわされた床。
文字のようにも見えるが・・・違うか。


カウンターの壁にはこんな花柄のタイル。一部手描きのようだ。花菱っぽい柄だが日本製ではなさそう。


これも同じく。こちらは全く日本らしくない柄だが、きれい!


ダイニングは照明が落とされムーディな空間。これはカップルで来るところだな(笑)


イタリアンのアラカルトをオーダー。お値段はちょっとお高いが、それに見合う味、サービス。




食後に館内を案内して頂く。「X」型のドラマチック階段は総欅づくりだとか。


折上げ格天井のホール。




2階の待合は和室を改造。


2階の大ホール「ザ・グランドホールタイキョク」は木製キングポストトラスが露出した吹き抜け空間。
明治時代に建てられた木造3階楼「對旭館」にちなむ名前だろう。


高窓のステンドグラスは新しいものだが素敵だ。


これはビリヤードの得点ボードかな?


離れ座敷の方も案内して頂くが、この時は使われておらず暗くて写真がほとんど撮れなかった(汗)。


飾られていた福沢諭吉の書「忙中閑有」。


リノベーションによりモダンでスタイリッシュなインテリアに生まれ変わったが、ホテル時代はどんなだったのだろう。
あぁ、一度泊まってみたかったなぁ。


お客さんが多いので撮れないところ、入れない部屋も多かったが、建物はとても広く、和館洋館それぞれの
空間を巧みに生かして空間が造られていた。昼間に見ればもっと細部もよくわかるだろう。
藤屋御本陳のレストランでは、平日ならとてもお手頃なランチやカフェもやっているようなので、またいつか
昼間に訪れたいな!

案内ありがとうございました!

〆に前にも入ったことのあるアルプス温泉で汗を流す。かわいいモザイク画があったが写真は遠慮しておく。
夜行バスの出発時間まで時間をつぶし、、、バスがまた苦行だったけど、早朝に無事帰宅、そして仕事へ・・・(苦)

2日間めいっぱい楽しんだ長野旅だった。

終わり。

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渋温泉をうろつく 3

2020-09-11 23:18:28 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。

渋温泉を散策していると、目の前にいきなり名もなき洋館が現れた!!
無塗装の下見板張りで、間口は2間ほどしかないのだが、見上げるばかりの3階建て!!
そして急勾配の三角破風が、建物の入口と3階の大屋根とで相似形をなしている。
前には車が停まっており所有者が住まわれているようだ。


皆で感嘆しながら眺め写真を撮っていると、横の建物から男性が出てこられたので少しお話を聞く。
今は物置場になっているらしかった。そして入口からチラッと中を覗かせていただくことができた。
おお~~っ、高い天井にはティンパネルと呼ばれる型押し鉄板が貼られ、照明の根元には中心飾りが。


そして、裏山にもう1つ大正時代の建物が残っているということでその方について急斜面のお庭を上って行く。
洋館がよく見える。横から見ると上の方は完全に和風だな。戸袋には銅板細工があった。
洋風なのは入口のある2階建ての部分と、3階の妻面のみか。


大正時代の建物はもう崩れかかっていた。。。しかしこんなに高い裏山の中腹に離れがあるなんて。。
どういうお宅だったのだろうか。あまり詳しくは聞けなかった(聞いたかもしれないが忘れた・・・汗)。
上から見ると、急勾配の屋根も合掌造りのように見え、和風に感じられる。

ありがとうございました!

散策は続く。こちらも外湯。みなそれぞれに形が違う。


よろづやの玄関先にはモザイクタイル貼りの円柱が並んでいた。かわいいなぁ~~しかし西日がきつくてうまく撮れず・・・
よろづやも寛政年間の創業で200年以上の歴史をもつ老舗旅館。純木造伽藍建築の「桃山風呂」は有形登録文化財だ。
ここはアネックスの入口かな。昭和のこの時代の建物のインテリアも気になるところ。。。


道に張り出すように建っている安代大湯は外湯の中でも比較的大きそう。


この建物の腰貼りのタイルが素晴らしい。布目タイル、というか格子模様が入ったボーダータイルを縦に並べて
貼っているのだが、このあめ色の色幅が広く、惚れ惚れするほど美しいのだ。。。目地はピンク色。


安代大湯のそばに建つ安代館も創業は1902(明治35)年。館内に太鼓橋があったりするらしく
レトロなタイル貼りの浴室など、面白そう。
こんな老舗旅館がごろごろしていて、通りから見るだけでは分からない世界が奥に広がっているのだ(笑)
あぁ、渋温泉、面白いなぁ~~


温泉街の端のほうには元旅館だったのだろうと思わせる空き家も。。。


道端の商店か民家の壁にきれいな水色のタイルが!


このタイプのタイルで、もっと地味な色の釉薬がかかったものは見たことあると思うが、水色の釉薬だまりが
まるで九寨溝みたいじゃない!?


凹凸は型押しによるものだが、彫りが深く釉薬のたまり具合はバラバラなので手作り感があり、焼き物の魅力に
あふれるタイルだ。美術タイルとまでは言えないとしても、工芸タイルのジャンルに入れたい。


そろそろ駐車場へ戻ろう。あっ、これも屋根付き橋だな(笑)




続く
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渋温泉をうろつく 2

2020-09-10 22:35:41 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。

こちらは憧れの金具屋。外観を見るからにゴージャス!
ビルのようにそびえる木造4階建の楼閣は、1936(昭和11)年に建てられた「斉月楼」。現在まで
ほとんど変わっていないとか。


さっきの湯本本館、つばたやに迫る、創業約260年の老舗。もともと金具師として商売をしていたのが
あるとき裏山が崩れて温泉が湧き出したため、1758(宝暦8)年から旅館を始めたのだとか・・・


泊まったら館内ツアーに参加できるらしいが、、、まだ泊まれていない。
入口からうらめしげに覗き込むのみ・・・(苦笑)。いつか泊まりに来たいなぁ。


隣にあったこちらの建物も金具屋の別館?のようだが、裏からつながっているのだろうか。


メインストリートに軒を連ねる旅館は小さなものでも立派な造りの建物が多い。
こんな意匠の持ち送り見たことがなかったなぁ。


足元のあめ色の布目ボーダータイル。


深い淵のような透明感のある青緑色のタイル。きれい~~


こちらの緑色のタイルも。緑釉好きだなぁ~~


外湯の建物もすごく凝っている。男女の入口それぞれに唐破風が・・・迫力!
渋温泉には外湯がなんと9箇所もあるのだ。


スナック333のレトロな看板に惹かれビルの路地を覗き込む。


スナックらしからぬ(笑)絵本の挿絵のようなほっこりした絵が路地の奥へと誘う。


フレームに入ったこんなかわいいモザイク画も!あぁ、333はいったいどんなスナックなんだろうか!?


小澤屋旅館の玄関はこんな青い瓦を使った入母屋屋根。新鮮!!
昔うちの実家もこの青い釉薬のかかった桟瓦だった。両親が昭和40年頃に建てた庶民的な家だったが、
同じ頃建った家でもよく見かけたので、その頃の流行りだったのだろう。ここもその頃じゃないだろうか。
その後カラーベストなどが出てきてあまり使われなくなったと思う。青い瓦屋根、懐かしいなぁ~~~


袖壁に貼られていたタイル。


ここもまたよさげ。御宿多喜本。
1000年の歴史を持つという渋温泉。大きなところからこじんまりしたところまで、明治建築から戦後の
レトロ建築まで、雰囲気のある宿がたくさんあって楽しいなぁ。商業主義に毒されていない感じもいい(笑)
日替わりでいろんな旅館を泊まり歩いてみたいな!そしてスナック333にも(笑)


たばこのカウンターだったのか、公衆電話台だったのか?オレンジとグリーンのモザイクタイルが。




全く飽きない渋温泉の散策。


続く
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渋温泉をうろつく

2020-09-09 23:12:36 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。

上林温泉から下ってきて、車窓から見えた渋温泉の臨仙閣の建物に惹かれ、見に行ってみる。木造三階建ての
すごく雰囲気のある旅館建築だ。何とここは、あの高級旅館、金具屋の「別館」だったらしいのだが、
現在はもう営業しておらず中を見ることはかなわなかった。


後ろ髪を引かれたが・・・そのまま渋温泉をうろつくことに。


渋温泉は、長野電鉄長野泉の終点湯田中駅を玄関口とし、夜間瀬川沿いに広がる古い温泉地だ。
川に並行した道を順に歩いていくと、風情ある木造旅館や昭和のモルタル塗り旅館や商店のまちなみ、
レトロな看板やオブジェ、タイルなど、まち歩きの楽しみがゴッソリ揃っている!これは楽しいな!


どこにでもあるような土産物屋が軒を連ねているようなこともなく、落ち着いたまちなみ。


「石湯」。ここはもうやっていないのだろうか。


この道の狭さがいいね。


温泉街のメインストリートには外湯がいくつもある。泊まって外湯めぐりも楽しそう~~




創業300年という老舗旅館つばたや本館。真田家の本陣でもあったといい、端正な雰囲気。
この建物は明治初期の木造建築だとか。よさげだなぁ~~~


トヨタ自動車、シチズン時計の健康保険組合指定旅館の木製の看板が掲げられていた。


こちら、向かいに建つつばたや別館。張り出した2階の窓の桟が美しい。今は客室としては使っていないようだが。


奥に古そうな湯屋が・・・ちょっと裏の方へ回りこんでみたけど、現役かどうかは分からず。


昨日泊まった角間温泉は川向こうでそう遠くない。2階が1階よりも張り出した造りは越後屋旅館とも共通する。


あえて路地裏に迷い込む(笑)。頭上を跨ぐ木造の廊下。あぁ、この廊下、渡ってみたい(笑)。


路地の奥にも旅館があったり。ほんとに迷路のようでおもしろい~~


ここでも建物が渡り廊下でつながっている。路地はもともと私有地だから問題ないのだろう。


この美しい木造旅館は、源泉館湯本本館。こちらはまた何と、創業400年とか!!ひょえ~~~
建物は大正初期の数寄屋造りとか。。。中はどんなんだろうなぁ~見てみたいなぁ~~


あっ、ここ立ち寄り湯できるって!旅館の中に入れるチャンス!?・・・入ろ!


お金を払って、さて旅館の中へ。。。。
・・・えっ、そっち?内湯に入れるかと思ったのに、立ち寄りは隣接する外湯、「渋大湯」だった(泣笑)。
まぁここも雰囲気あるし温泉はかけ流しでよかったのだけど・・・ちょっと残念~~~


渋温泉のお湯は金気のあるうっすら濁り湯だ。


道端の欄干のグリル、温泉マークが入っているな?


反対側から見たらよく分かる。スキー&ストックに温泉マーク!!か~わいい~~~秀逸だな!!


続く
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旧豪雪の館の夢

2020-09-08 23:36:04 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。



さて、ランチ後にやってきたのは、私個人的には今回の旅のメインである。
10年前に志賀山文庫を見に来た時、すぐ近くに石組みの上に建つとても立派な和風の建物を見つけた。
当時は和風民家にそれほど注目していなかったが、たまたま目に入ったその建物の豪壮な佇まいに強く惹かれて、
ほぼ衝動的に入ってみたのだった。


当時、この建物は「豪雪の館」と名付けられ、民俗資料館として民具や調度品などが展示されていた。
吹き抜けの太い梁、スケールの大きな空間に圧倒されたが、何より、暗い台所の窓に嵌められた色ガラスの
幻想的な光が強烈なインパクトで、それまでの私の中の「民家」のイメージを覆したのだった。
そしてさらに、お風呂場やトイレには、丸や桜、三日月型の小さなかわいらしい染付タイルがあったのだ!
そして、マジョリカタイルも!和風の民家にタイルや色ガラスが使われていることに気づいたのはこの時
初めてだったかもしれない。
その時見た染付タイルはその後、瀬戸の磁器タイルだろうということがわかったのだが、ずっと頭の片隅に
残っており、いつかもう一度見に行きたいと思っていたのだった。


その豪雪の館が少し前からレストラン穂垂(ほたる)亭になっていることはネット情報で知っていたので、
今回ランチの予約をしようと電話したのだが、団体用のレストランのため少人数の予約は受けていないと。。。
ランチは諦めたが、店の運営会社や建物の管理会社にいろいろ問合せ、見学のアポイントを取ったのだった。

緩やかな勾配の大屋根の妻壁に格子状の梁を見せた幾何学的なデザイン。そのモダンな美しさには息を飲むほど。。。

メインシーズンの冬以外はほぼ休業中のようで、担当者がわざわざ車で来て鍵を開けてくれた。
中に入ると・・・おぉ・・・ずいぶん印象が変わったな。。


あの色ガラスは・・・・あぁ、あった。台所はレストランの厨房になっていたが色ガラスはそのままだ。よかった。。。
しかし厨房設備があるので近寄ることはできなかった。


太い大黒柱や50cmぐらいの高さの鴨居、幅7~80cmあるだろうかという天井板など、豪壮な造りは以前と
変わらないが、吹き抜けの広間とそれに続く座敷は、建具が外されフローリング床のテーブル席になっていた。
畳や建具を戻せば元の姿になるのだろうが・・・ちょっと複雑な心境。。




梅の花が描かれた座敷の欄間や、上段の間の床の間や書院はそのままだった。




そして、廊下を奥へ進んでいく、、、、
トイレとお風呂場のタイルが健在であることは事前に確認してもらっていたので、何とか心の平静を保てていた。
あぁ、あった!!トイレの床の染付タイルは10年前に見たときのまま残っていた。


あぁ、10年ぶりの恋人に遭ったような気分・・・


蓮の葉と花を描いたこの構図や、上の写真の三日月形のタイルのグラデーションを生かした風景画など、
名のある絵師が描いたのではと思わせる。これらは明治後期ぐらいか。

小さな桜型や三日月型の染付磁器タイルは、亀山の舘家住宅のお風呂に同じようなのがあって驚いたのだった。
⇒「旧舘家住宅のタイル

これはちょっと色がにじんでいる感じだが・・・乾式のマジョリカタイルだろう。
だとしたら、1908(明治41)年頃以降。


便器もまた立派な染付の品だ。明治後期の瀬戸製のものに似ている。


明治末か大正のはじめ頃に水まわりを改装したということだろうか。


そして隣の浴室は、、、一部が隠れてしまっているが、こちらも確認できた。あぁよかった・・・
建物の無事、タイルの無事を確認できたことは本当によかった。
ただ、お風呂は2ヶ所あったのだったが、厨房に隣接する広い方のお風呂を確認するのを忘れており痛恨(悔)。


帰ってから写真をじっくり見ていると、このマジョリカ風のタイルは実際古いものか復刻品なのかよく
わからなくなってきた。チューブライニングが甘いし、彩色がちょっと稚拙な気もするし、、、
現代のレプリカだときれいにできすぎているので大体見分けがつくが、30年前のレプリカだと(いい意味で)
稚拙で味わいのあるタイルを作ったかもしれない。


考えてみると、床に貼られていたのなら剥がすときに割れた可能性も高い。割れたタイルから直接型を取って
作ったとか、そういうこともあったかもしれない。


タイルはオリジナルか復刻品か。また配置も、もとの状態をどの程度忠実に再現したのだろうか。
建物が新潟県にあった民家を移築したというのは当時から知っていたが、この家の所有者は誰だったのか、
その邸がいつどういう経緯で移築されたのか、詳細を知りたいと思い、帰ってからもいろいろ調べてみた。
建物を所有する志賀高原リゾート開発に問い合わせ、入手した当時の竣工記念冊子から、元の持ち主は
十日町市松之山の村山新一氏だったことがわかった。新潟で村山氏といえば名家である。
2017年に雪輪型の染付敷瓦や古い印花文敷瓦、珉平焼の流れをくむ淡陶の古い湿式マジョリカタイルなど
大量のタイルをバックヤードで発見した大棟山美術博物館は、もともと村山家の本家の邸宅だった。
また、新潟の北方文化博物館(豪農の館)は村山家と親戚関係にあったといい、そこの湯殿にもめくるめく敷瓦がある。
新一氏は分家筋だという。村山家の関係で3件、貴重なタイル物件があるとは!よほどタイルに縁があったのだな。


この建物は江戸安政年間(1850年頃)の築と考えられている。先述の冊子には、移築の経緯も書かれていた。
資料館設立の発起人の山本内藤氏という人が、たまたま松之山で見かけた荘厳なせがい造りのこの館に惚れ込み、
請い願って建物を譲り受け、1986(昭和61)年に現地で解体、「文化の郷」として売出し中だった上林温泉の
長野電鉄所有地を借りて移築、1987(昭和62)年4月、民俗資料館「豪雪の館」としてオープンしたという。

しかし、移築前の建物はどんな状況だったのか?移築にあたり記録は残していないのか?

村山家本家や役所関係にも関連情報を聞いたり、当時施工した会社にも連絡を取って移築前の現場写真など残って
いないか尋ねてみたが、志賀高原リゾート開発社が持っている以上の資料は何も残っていないとのこと。
若い頃工事に関わったという現社長は、使えるものは全て使うという大前提があった、と話して下さったが、
もう30年以上も前のこと、個別のタイルについてなどは覚えていないということで、それ以上は分からなかった。


豪雪地帯の風土に適合させ先人がつくりあげてきた居住空間や生活道具など日本の素晴らしい伝統文化を
将来に伝え、地域文化の向上にも役立てたい・・・・布張りの立派な装丁の竣工記念写真集からは、移築当時
この建物の活用に大きな夢を描いていたことがひしひしと感じられる。
バブル期にオープン、そして時代が移り、志賀山文庫と同様、純粋な資料館としてこの大きな建物を維持する
ことはもう難しくなっていたのだろう。建物を維持するため営利施設として活用されるのも当然の流れ。
それでもなかなか厳しそうに見える。
しかし、移築されていなければ、人が住まなくなった家は解体されてしまっていたかもしれない。
この地に移築された運命が正解だったと思いたい。

当時の関係者の熱い思い、建物を永久に残せればと願って住まいを譲渡したであろう元所有者の思いを
何とか受け継ぐべく、より良く活用されればと心から願う。

2009(平成21)年訪問時の記事 ⇒「豪雪の館の染付タイル

続く
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旧志賀山文庫

2020-09-07 01:59:14 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。

旧志賀高原ホテルの余韻に浸りながら山を下り、ランチを予約しておいたTHE FARMHOUSEへ。


ここは前日の夕方にも一度外観だけ見ていた。「旧上高井郡役所など。」の記事でも書いたが、東京の目黒区に建っていた
旧渋沢邸(渋沢栄一の孫の家)を1985(昭和60)年にこの地に移築したという、可愛らしい一軒家の住宅建築。
10年前すでに志賀山文庫は閉館していて中へは入れなかったのだったが、その後2017(平成29)年に、
志賀高原ビールの玉村本店が直営店のビアレストランを開業した。




外観は志賀山文庫だったときからほとんど変わっていない。屋根の形状が少し複雑で、見る角度により印象がずいぶん違う。


さて、入ろう。
志賀高原ホテルを見たあとなので、シンプルであっさりとしているように感じられるが(笑)、障子のように見える玄関の窓は
ステンドグラスであり、作りつけの靴箱の蝶番や取っ手などの金物は手作業で切り出したものだ。




元事務室の窓口カウンターの上には風車のようなかわいい模様が彫られていた。




奥の客席のフロアはかなり改装されているので、いちばん洋館らしさが残るのは玄関と階段ホールまわりだ。
残念ながら2階は従業員用スペースのため立入禁止で、見学できなかったが、この奥に続く元食堂も見せて頂いた。




現在は展示室ということで志賀高原の写真などが少し展示されていた。イベント時などに使ったりするのだろう。
部屋の周囲に造りつけられたベンチは元からのものだろう。天然木をスライスした分厚い板が使われている。


食堂なら天井はこのぐらい低い方がアットホームな雰囲気で落ち着いただろう。
志賀山文庫時代は茶房として使われていたらしい。


このカウンターの向こうの厨房は覗くことはできなかった(苦笑)。






レストランのホールとなっている部分は改装済みだったが、古い材を活かしたり、雰囲気に合うものをつけ加えて
うまい具合におしゃれで素敵な空間がつくられていた。


角の窓際の特等席でハヤシライスを。


これは暖房のグリルかな。ビニールがかけられていてうまく撮れなかったが、オリジナルだろう。


間仕切りとして使われている古い鉄製の扉は、元々ここにあったものではないがいい感じ。


奥には子供連れにもよさそうな座卓席もあった。


志賀山文庫が閉館したあと長らく空き家だったこの建物、朽ち果てる前に、地元の企業が活用してくれて
素敵なお店になって本当によかったなぁ~




続く
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旧志賀高原ホテル 2階、3階

2020-09-06 03:03:40 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。



旧志賀高原ホテル、現志賀高原歴史記念館は木造4階建て。もともとはこのエントランスホールから左右に3階建ての
宿泊棟が続いていたのだが、向かって右側の棟は全部、左側の棟は一部を残して解体された。


2階へ上がって1階の暖炉を見下ろす。


一部残された左側の棟の2階には「志賀高原カフェ」が入っていた。


うぉ~、ここでお茶が飲めるとはうれしい!!


3階まで見たあとにカフェラテを頂いた。かわいいラテアート。やっぱり素敵な建築は見て回るだけでなく、
その空間にしばらく身を置いて、おいしい食べ物や飲み物を頂く、というのが至福の楽しみ。


テーブルクロスをめくると、マージャンテーブル!?
ここは調度品も古いものが残っているのがいい。


吹き抜けの周囲をめぐるゆったりとした通路。ソファが置かれたロビーだったのだろう。




1935(昭和10)年に日本初の国際スキー場に指定され、1998(平成10)年には長野冬季オリンピックの
アルペン競技の舞台となった志賀高原。ついこないだと思っていたらもう20年以上も経つのだな・・・(汗)
志賀高原ホテルにゆかりのあったアルペンスキー選手、猪谷千春氏に関する資料やメダルなども展示されていた。


3階へ。


3階には吹き抜けはないが部屋の真ん中に暖炉があって、椅子が並べられていた。
だだっ広くてがらんとした印象だが、もとはビリヤードルームだったといい、ビリヤード台がいくつも置かれて
いた光景を想像してみる。


暖炉は渋いいぶしのタイル貼り。


そして何といっても周囲の壁に貼られた日本画が美しい!!日本画家の西山英雄氏(1911~1989)の大作で、
志賀高原の春夏秋冬を描いている。






山小屋風の洋館に日本画を壁紙のように貼るなんて、何と斬新だっただろうか。夜に黄色い灯りにぼんやり
浮かび上がる志賀高原の四季・・・幻想的な雰囲気だっただろうな!そんなところでビリヤードを(笑)
暖炉で火を焚いたりして傷まなかったのか気になるが。。。


建物の正面側には少し出っ張った出窓のような部分があり、一段高くなったところにロッキングチェアーが3つ並んでいた。


ここでも暖炉の裏側の通路にステンドグラスが。正面側の窓は眺望のために透明ガラスを使い、山側はステンドグラスを
嵌めているのだろう。




これらのステンドグラスについての説明は現地にも書かれておらず、どこの工房の作なのか等よくわからないのだが・・・
ブルズアイ(牛の目)ガラスを使ったエントランスのシーリング照明と同じようなステンドグラスが、西宮市の
松山大学温山記念館にもあり、同じだとするとベニス工房の作なのだろうか。


客室へ続く廊下は立入禁止で、途中までで途切れているが、平面図を見ると客室が2室残されているようだ。
開業当初は、洋室、和室、二段ベッドのスキーヤーズルームなど合計56室、174人収容の大バコホテルだった。
セレブだけでなく若者が安く泊まれる部屋も用意されていたというのは、さすが国際スキー場としての志賀高原の
懐の深さ、ホスピタリティの高さが伺える。

尚、4階と地下は非公開だった。

朝イチからこんな超級物件を見ることができてもうおなかいっぱい!!しかし、一日はまだ始まったばかり。。。


続く
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旧志賀高原ホテル 1階

2020-09-05 15:25:37 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。



越後屋旅館に泊まった翌日は、朝から志賀高原へと車を走らせ、旧志賀高原ホテルへ向かう。
10年前に来た時もすでにホテルは廃業していて、建物には入れなかったと思うが、うろ覚え・・・(汗)。
それでも外観のインパクトは強烈に残っていた。現在は志賀高原歴史記念館として一般公開されている。

駐車場からその姿は見えており、直接建物前に上れる階段もあるのだが、ここはもったいぶって石積みの門まで戻り
木立沿いのアプローチを歩きたい。まぶしい緑の木陰から赤い屋根が見えてくると心が踊る。。。


さわやかな高原リゾートにふさわしい山小屋風の三階建ての建物。大きな三角形の破風と、建物の前にぐぐっと
張り出しているベロ状の車寄せが特徴的!




この車寄せ屋根を支える支柱はゴツゴツした石積みで、雲仙観光ホテルを思い起こさせる。
このゆったり造られた車寄せからしてもうゆったりと大自然に身を任せる気分にさせてくれるな!


車寄せからつながるエントランス。切石貼りの床、飾り梁を見せた天井、そしてステンドグラスの照明。
ドキドキを抑えるのに苦労しながら見て行く。


このシーリング照明に使われているガラスはクラウンガラス(手吹きガラス)で、中央部が分厚くなった丸い形から
ブルズアイ(牛の目)と呼ばれるもの。


そして、中へ・・・


うわぁ~~~~っ!!2階まで吹き抜けの広々したホール!!中央にはシンボリックな石組みの暖炉が!
周囲に積まれた薪の束や、石についた黒いすすが、暖炉が今も現役であることを語っている。


このときも火が入っていた!!
暖炉の後ろに飾られている獅子頭は、ここを設計したドイツ人設計者が日本文化と西洋文化を融合させようと
意図したものだとか。


煙突は圧迫感のないようにピンク色に塗られ貼り石が散らされている。
2階を見上げると吹き抜けのホールをぐるっと1周囲むように手すりがつけられている。
デザインが統一された照明器具が随所に配され、あたたかみのある光を放っている。


志賀高原ホテルは、日本で初めてのスキー用の本格的ホテルとして1937(昭和12)年に開業した。
世界恐慌後、外貨獲得のため外国人観光客を誘致するべく、全国の観光地にホテルが国策として作られたのだ。
地階と1階はRC造、上階は木造。ドイツ人の指導により清水組(現清水建設)が施工した。
大らかな山小屋風だが内部は豪華で、ゆったりした空間にステンドグラスが宝石のように散りばめられている。

しかしバブル崩壊後2000(平成12)年に廃業。志賀高原の土地を所有管理する和合会が建物を譲り受け、
改修工事を行い現存建物を管理している。
長野県内に建てられた3つの国策ホテルのうち、野尻湖ホテルは解体、上高地ホテルは建て替えられたため、
この志賀高原ホテルのみが当時の姿を今も残していることは大変貴重であり、ありがたいことだ。

入口左手にある木製の受付カウンターは外国人向けらしく高さがあり、まるでバーカウンターのような素敵な雰囲気!


入口右手にはソファが置かれこじんまりしたロビースペースとなっている。


その背後のステンドグラスは何とも言えないやわらかい色合い。ほんのり色づいたガラスがランダムに組み合わされ
全体で見るとオパール色のようだ。


柱やカウンターの足元には二丁掛サイズのいろんな色や質感のタイルを並べてあり、こだわりが感じられる。


片隅に立てかけられた古いスキー板。あぁ、ほんとに、時が止まったよう・・・


窓には美しいステンドグラスがはまっている。格子などの地模様の上に中世の紋章みたいな模様が配されている。
エンブレム型やメダル型の枠に手描きされた絵は、ガラスの上に金属製の顔料で描いて焼き付けたもので、
ヨーロッパ的技法だという。









冬の薄暗い室内に差し込むステンドグラスの鮮やかな色がお客の目を楽しませたことだろう。

続く
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角間温泉越後屋のモザイクタイル

2020-09-04 00:39:16 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。


角間温泉越後屋旅館に泊まった翌日、夜が明けるのを待ち焦がれて早朝から館内探索に出て行く友人たち(笑)。
寝坊の私も遅ればせながら参戦。

コウモリ柄の本業タイルが使われていたローマ風呂の他に、家族風呂もある。
こちらは、脱衣所と一体になった浴室の壁や床に、小さな小さなモザイクタイル、いわゆる豆タイルがびっしりと
まるで壁紙のように貼りめぐらされている!!


グラデーションのついた豆タイルの連続パターン。


豆タイルはだいたい30cm角のシートに紙張り加工されて使われるので、連続模様もその寸法に応じている。
下手に貼ると継ぎ目が分かってしまうのだが、ここのタイルはほとんど分からずきれいに貼ってあるな。


そして隅にある扇型のシンクもみっしり豆タイル。


造作の棚もまた見事に豆タイル貼り。
円柱には細長いタイルが適している。このタイル、永谷園のお茶漬け海苔のあられを連想する(笑)


柱頭をえんじ色で引き締めて。


もちろん浴槽も。肌当たりのやわらかいかまぼこ型断面の浴槽縁。
浴槽の中は豆タイル貼りのなだらかなベンチが造りつけられていて、ゆったりもたれて座りながらお湯に浸かれる。


こちらではヴィーナスの代わりにカエルが鎮座。
はぁ~~いったいこの浴室内に何万個の豆タイルが使われているのだろうか。。。

このほかもうひとつ、ひのき風呂の家族風呂もあった。

私たちが泊まった部屋はいちばん奥の「新館」だった。窓から外を眺めると越後屋旅館の各棟の屋根が見える。
たぶん女将さんが、女性グループだからと配慮して共同トイレを独占的に使える部屋にして下さったのだろうと思う。。


新館にもマジョリカタイルが少しあった。洗面所脇に貼られたボーダー柄付きの役物タイル。




こんなアーチ型の窓がくり抜かれた客室もあった。中は洋風なのだろうか!?閉まっていて見れず。


足元に豆タイルがチラ見えしていた部屋も。


これはトイレの壁。コウモリ型のくり抜きがある。コウモリは西洋では不吉なイメージだが、蝙蝠の蝠という字が
中国語では福の音と同じことから、めでたい模様として台湾でも好んで使われる。
和館でコウモリモチーフがあるとなぜだかちょっとスペシャル感があるよね!


道路に面した本館も見せてもらう。


うわぁ!!こんな巨大な下地窓(?)が廊下に面して並んでいる!奇妙~~~


これはかなりデフォルメされたコウモリだろう・・・触角あるから蛾じゃないの!?


通り沿いの窓の外に掲げられた「對笠館」の古い看板。これについて尋ねたような気もするのだが・・・忘れた(汗)
前回はこの部屋に泊まったな。。




階段の裏にこんなパステルカラーのモザイクタイル貼りの手洗いが隠れていた!



めちゃくちゃリーズナブルながら、夕食も朝食もおいしくボリュームもあって、美しいタイル風呂でかけ流しの
温泉を楽しめる角間温泉越後屋。あぁ、素晴らしき宿。永遠なれ!

続く
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角間温泉越後屋旅館のコウモリタイル

2020-09-03 01:42:20 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。


今宵の宿は角間温泉越後屋旅館。ここも10年ぶりの再訪である。
前回は、温泉街なのだから食べるところぐらいあるだろう、と思って素泊まり(朝食付きだったか?)で来たら、
全くなくてひもじい思いをしたので、今回はちゃんと2食付のプランで頼んでおいた(笑)。

角間温泉は小さな温泉街だが、木造旅館が並びお堂のような外湯の建物が佇み、「隠れ里」という言葉が
ふさわしいような雰囲気がこの一角に漂っている。


中でもひときわインパクトある越後屋旅館の建物。屋根裏にも部屋が取られているようなので、3階建てだ。


これも出桁造りの一種なのか??1階よりも2階が張り出して頭でっかち。肘木のような形の持ち送りで
2階の窓辺の欄干を支えている。
「越後屋」の風格ある看板。その横の「玉ノ湯」は源泉の名だとか。


なんじゃ、この石がぽこぽこと出っ張った意匠は!?出っ張りが激しすぎて、珍妙。キモカワ~~(苦笑)


玄関土間は天然石が敷き詰められている。


玄関の内側の壁にも外壁と同じ、石が出っ張った意匠。出っ張り度は少しマシかな・・・(笑)




さて中へ。野趣のある階段の親柱と、使い込まれたあめ色の階段・・・を上らずに、奥へ。
私たちの部屋はずっと奥へ奥へ・・・新館の2階だった。


浴室の前を通って奥へ奥へ・・・このお風呂がめあてなのだが・・・あとでじっくり。


新館へ至る廊下や階段には、大きな木製の歯車の古材が埋め込まれており、モザイクタイルが散らされている。
ご主人のイマジネーションにより自由で楽しいデザインになっている。
クッションエッジのモザイクタイルは昭和30年代以降のものだと思うので、この意匠はそれ以降に施工されたのだろう。


それにしてもここは濡れる場所なのに歯車の木材は全く腐っていない。歯車は機械だからよほど固く耐水性のある
木材を使っていたのだな。


そしてお風呂!!ローマ風呂と呼ばれるこちらの浴室は、湯あかがついて白っぽくなっているが・・・
コウモリ柄のタイルが貼られているのだ!


「イタリア製」と説明には書かれているが、瀬戸の本業タイルだ。日本製のマジョリカタイルや本業タイルを
イタリア製、舶来品、などと書いてあるところは多い。実際、舶来品をまねて日本で作ったタイルも多いので
見たことのないようなスタイリッシュなタイルを外国製と錯誤するのも分かる(笑)


七宝つなぎの楕円の中にコウモリが描かれ、隙間に花菱を配した、秀逸なデザイン。
これも日本独自の模様なのだろうか、それとも何か本歌のデザインがあったのだろうか。
この2色使いの銅板転写タイルは本によると大正時代のものという。


これまた素敵なシンク!


側面には瀬戸の銅板転写タイルが使われている。松代の寺町商家のお風呂にあったのと同じでちょくちょく見かける柄だ。


シンクの縁の天面にはモザイクタイルが貼られている。


あとで一人で入り、タイルをじっくり眺めナデナデしながら温泉を堪能した。
ちょっと湯あかが気になるなぁ。ゆっくり時間があれば掃除させてもらいたかった(笑)。


日本人顔のビーナス。

本館の建物は明治後期とか明治3年とかいう話があるようだ。あとから浴室や新館を増築して、
改修も重ねているだろう。しかし丸ごと新しくしてしまわず、違う時代のパーツが混在しているのが
想像を掻き立てておもしろいなぁ。

夜にひとりで外湯へ。外湯は徒歩数分圏内に3ヶ所あって、明かりが灯った行灯のような外湯を
カラコロ下駄履きで巡るのはとても夏の風情を感じられて楽しかった。


続く
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旧上高井郡役所など。

2020-09-02 02:00:11 | 建物・まちなみ
2019年7月の長野旅の続き。

旧上高井郡役所に立ち寄る。ペパーミントグリーンの「ドイツ下見」板張りの洋館。
府県制郡制の公布に伴い1892(明治25)年に上高井郡役所が開庁。この建物は1917(大正6)年に
新築されたものであるが、1921(大正10)年には郡制が廃止され、上高井郡連合事務所となる。
その後も長野県の出先機関、公的な団体の事務所などとして使われ、最後は長野保健所須坂支所となっていたが
2006(平成18)年に土地建物が須坂市に譲渡され、全面改修工事を経て文化交流施設として生まれ変わった。


時代と共に役割を変えながら常に地域と共にあったこの建物。美しい姿によみがえり今も存在感を示している。


須坂市文書館が入っているほか、貸し室としてホールや会議室を市民が使うため、内部はきれいに改修されて
いるが、高い天井や階段ホールなどに趣きが残る。


2階のホールはかなり広く、天井はおもしろい割付になっている。蛍光灯はあとからつけられたものだろう。

文書館が所蔵する小田切家の山林経営に関する資料が廊下に展示されていた。1874(明治7)年の
長野県庁舎の建設にあたって小田切家の山林から材木214本が切り出され売却されたたことや、
植林して40年以内は売却しないなどという植林者との取り決めなども解説されていて、小田切家の隆盛ぶりが
伝わってきて興味深い。

宿へ向かうにはまだ少し時間があるので、明日午前中に訪れる予定の上林温泉へちょろっと立ち寄り
上林ホテル仙壽閣へステンドグラスを見に行く。


ここは1989(昭和64)年4月の定礎プレートがあり、それほど古くはないが、エントランスホールのドアや
高窓にステンドグラスがはまっている。ホテルのロビーまで入らせて頂き、鑑賞。


内側から眺めると美しい色がわかる。
ステンドグラスは1929(昭和4)年の開業当時の建物に使われていたものだとか。


控えめなデザインだが、建て替えた建物にうまく取り入れてあるな。


公式サイトには、「上林ホテル仙壽閣は、数寄屋や寄せ棟など 日本特有の旅館建築に、アール・ヌーボー、
アール・デコといった美しいディティールを組み込んだ、北信濃では初めての美しいホテルでした。」
と、書かれている。あぁ、そんな素敵な当時の建物、見てみたかったなぁ~~!




付近では紫陽花が真っ盛り。


すぐ近く、もと志賀山文庫だったところがビアレストランになっている。明日ここでランチの予約をしてあるが
先に外観だけ鑑賞しよう。


ハーフティンバーの素敵な洋館は、東京の目黒区にあった旧渋沢邸を1985(昭和60)年に移築したものという。
ここは2009年に小道さんと一緒に来たことがあるのだが、当時すでに休館(閉館?)していた。。。
その8年後、2017(平成29)年に、ビアレストランとしてオープンしていたのだな!明日が楽しみ!




ここからもう少し奥へ行った、地獄谷野猿公苑の手前にあるENZA(猿座)カフェでお茶して休憩。
地獄谷では冬には温泉に浸かる野生の猿を見ることができる。あぁあの温泉猿はここのことだったのか~~


続く
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