まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

週末山形旅 紅の蔵

2021-01-14 23:40:30 | 建物・まちなみ
2019年の山形旅の続き。

「山形まるごと館 紅の蔵」は、元紅花商人長谷川家の屋敷をリノベーションした地域ブランド発信拠点施設。
1902(明治35)年ごろ建てられ、昭和初期に増改築されたという。現在母屋と蔵5棟が残り、飲食店、
土産物屋、物産直売所、情報館が入っている。
今日の夕食は奥にある蕎麦屋紅山水で食べようと思ったのだがいっぱいで入れなかったので、表通り沿いの
イタリアン店、Cafe&Dining990でパスタを。


縦長窓に腰板。外観からは全体が和風かと思ったが、店蔵だったこの部分は洋館だったのか。
そして一見絨毯敷きのこの赤い床は、六角形の無釉モザイクタイルなのだ。やっぱり紅花になぞらえて赤いタイルを
使ったんだろうな。濃い色に白い花模様がくっきり浮かび上がってかわいい~~




ボーダー部には緑色も。あっ、これイタリアンカラーじゃないの。ぴったりだな!


当時のドアがそのまま残されている。ガラスに「谷」の字のマークが。マルタニというのが屋号だったようだ。
店内は改装されているが古い建物の魅力をうまく残してあるな。


地元産のアスパラのオイルパスタ。おいしかった~


全体が漆喰塗り込めなまこ壁の蔵造りで、中央部に入母屋屋根の二階を載せた派手な店蔵。当時の紅花商の
景気の良さがうかがえる。まぁこのぐらい派手な方が観光拠点としてはシンボル性も備えてちょうどいいだろうな。





実は翌日の昼にもまたここへやって来た。今度こそ蕎麦屋へ。というのは、こちらはマジョリカタイルがあるのだ(笑)
裏口近くにあるトイレは客席のある部屋から土間の廊下に降りてアクセスするようになっており、境には
「御手洗場」と書かれたガラス戸がある。すりガラスと結霜ガラス、型板ガラスを組み合わせたこの戸も素敵だな!


そしてここがその御手洗場。うひょ~~!いいねぇ!
床いちめんに敷かれた、ピンクと水色のやさしい色合いのマジョリカタイル。


壁は清潔感たっぷりの白無地タイルを貼り詰め、縁にはぐるりと緑色のボーダータイルを回してある。


一枚の欠けも割れもなく状態は良好!しかしちょっときれいすぎる?まさか復刻タイルってことはないか??


天井は換気口付きの格天井。


手洗いシンクは人研ぎだが、窓台の部分にもまた柄違いのボーダータイルをあしらってある。


端部はすべて役物を使って丁寧に納めてあるが、特にこの薄い袖壁の端が素晴らしいじゃないの!役物パラダイスだ(笑)


さぁタイルを撮り終わったらお蕎麦を食べよう(笑)。豪華なランチがお手頃価格でうれしいなぁ!


繁盛していてお客さんが多いので室内の写真は撮れず。あまり目立った意匠はなかったが、床の間の横に書院風の
窓があって、こんな鷹の絵が描かれたすりガラスが入っているのが珍しい。






店内に展示されていた昔の写真。おや、正面の入母屋屋根がないな。昭和初期に改築する前の状態だろうか。
額縁には「長谷川洋服店」の文字が見える。化学染料が輸入され紅花の商品価値が下がると、洋服店などに
商売替えしたのだろうな。


昼食後、裏の直売所で友人へのお土産を買ったが、こちらもまた目移りする品ぞろえで楽しい楽しい。
山形の産業遺産とも言える紅花商の建物、伝統的な形式の蔵をうまく生かしてあって、良心的な価格でおいしくて、
タイルまであるのだから、ほんとに素晴らしい施設だな!


続く
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週末山形旅 文翔館を眺める

2021-01-13 21:37:14 | 建物・まちなみ
2019年の山形旅の続き。

文翔館は旧県庁舎と旧県会議事堂の建物からなり、2棟の純洋風建築は国重要文化財に指定されている。
お天気がよくて青空に映えるな!


千歳館より1年後の1916(大正5)年竣工。県庁舎もまた1911(明治44)年の薬師大火(山形大火)で焼けたのだ。


田原新之助が設計、米沢市出身の中條精一郎が顧問を勤めたという、イギリス・ルネサンス様式の本格的な西洋建築で、
規模も大きい。現在東北地方の県の中でも特段目立つわけでもない山形県だが、これほどの庁舎を持っていたのか!
新潟もそうだが、近世~近代には日本海側の地域は現在よりもずっと富裕で力を持っていて文化度も高かったのだろう。
現在ではビジネスも文化も東京一極集中だが・・・面白い時代だっただろうな。


こちらは旧県会議事堂。レンガの赤い色が華やかな雰囲気。


現在2棟の建物は山形県郷土館「文翔館」として一般公開されているが、今回はあまり時間がなく、また
重要文化財になっているのでなくならないだろうということで(苦笑)内部の見学は端折ったのだが、
山形県のサイトをちらっと見ただけでもさすが重要文化財というゴージャスさだ。




またの機会に是非見学しよう。

文翔館公式サイト →こちら

まちなかで遭遇した味わい深いタイル貼りの壁。一枚一枚手作りっぽく色も凹凸も異なっている。


山形銀行本店の壁だった。さすが、山形の経済を握る地方銀行、タイル選びのセンスもあるな!(笑)


写真の枚数の都合上、夕食後にちょっと夜歩きしたときの写真を先に載せておこう。
敷地外から遠目で見た、吉池小児科医院。


これ教会にしか見えないな!?


こちら、ガラス張りのエントランスに顔をつけて覗き込んだのだが、きれいなタイル!
ニュアンスのある緑青色で、ところどころ錆色がかかっている。そばで見たい~~!


この建物は山形メディアタワー。さすが、山形の情報を握る山形新聞、お目が高い!!(笑)

翌日もこの前を車で通ったけど降りて見る時間はなかった。残念・・・

通り沿いの建物を見ながらふらふら歩く。ちょいちょい面白い建物があって楽しいが、道路拡幅工事も行われていて、
これから風景も変わっていくかもしれない。。。




山形カトリック教会と牧師館。

夜歩きは暗くて写真を撮りにくいが、昼間とまた違った建物の表情も見られて楽しい。できれば昼と夜と両方で
見たいものだが、なかなか旅先ではそこまで時間の余裕がないな(苦笑)

続く
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週末山形旅 まちなかの建物

2021-01-12 22:44:33 | 建物・まちなみ
2019年の山形旅の続き。

柏倉家から山形市内に戻って、まち歩きを楽しむ。
旧市島銃砲火薬店は伝統的な白壁の蔵と並んでいて、こちらも近代版の蔵に見えてくる。


側面の窓には観音開きの外扉がついていた。あぁやっぱり蔵だ。


伊東忠太設計のお寺、明善寺本堂を見に行く。
中央に相似形の千鳥破風が重なり、塔のような楼閣が両側に左右対称についている。きれいにおさまっていて
違和感はないが、お寺でこんな左右に楼閣があるのってあまり見ないな??
どことなく近代の学校建築や官庁建築などと共通するようなフォルムに思われる。


中に入ると、昭和二年と書かれた正面図と断面図が額に入れて飾られ、「設計者伊東忠太先生」と誇らしげな
説明書きもあった。伊東忠太は米沢出身だったのか。米沢市名誉市民にもなっている。
平安神宮、明治神宮、築地本願寺など、多数の寺社建築を設計したが、こんな小規模なお寺も手がけたのだな。


桃みたいな照明器具が素敵。


門の足元の敷石がちょっと変わった形をしていた。単なる遊びか、何か意味があるのだろうか?


入口に大きな桶をはめ込んだ、もと飲み屋。すごいことするな!


こちらはスナックビルかな?何を思ったのか、自転車を階段の手すりに取り付けてある。


うわー、何この建物は。ハーフティンバーのデザインだがとても細かくて密だな!!古いのか新しいのか??


半切妻屋根で、2階から上の妻面の壁に隙間なく模様が入っている。まるで顔中に入れ墨をした人のようだ(汗)
1階は石積みで角部分は角石風の意匠まで。どう見ても近代建築ではないが、、、パロディ建築なのかな??


しかし屋根は天然スレート葺きっぽい。


1階部分の石積みは凝灰岩のような柔らかそうな天然石が使われている。


窓枠はコンクリートでなく砂岩を削り出して作られている。ステンドグラスはデザインはイギリスの中世風だが
新しく作ったもののようだな・・・


結局よくわからないが、材料もデザインもかなりこだわってお金をかけて作ったと思われる。現代の好き者が
建てた趣味建築だろうな。こういう謎建築もまちなかにあるとまた面白い(笑)。


アーチ型レリーフが連続する連棟商店。


路地に変わったタイル壁の住宅が。緑青っぽい色でぱっと見銅板貼りに見えるな!


同じデザインで色違いのタイルが玄関まわりに貼られていた。布目のようなスクラッチのような質感のタイルで
一部が丸く凹んでいる。単純だけれど並べると面白い効果が出るな!


こちらの色もまた金属的でまるでティンパネルのようだ。


こちらのかわいい近代建築は1925(大正14)年築で、山形七日町二郵便局として現役で使用されている。
元から郵便局として建てられたかのようにぴったりはまっているが、元は用品店で戦後の一時期はダンスホールや
ビリヤード場としても使われたのだとか。


軒下にレリーフのある、まつのや旗店。


四山楼。こちらも現役の料亭。


純喫茶、白十字。かわいいな~~入りたかったが・・・もうすぐ夕食だし、またの機会に・・・


続く
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週末山形旅 旧柏倉九左衛門家

2021-01-11 13:27:09 | 建物・まちなみ
2019年の山形旅の続き。

千歳館でランチのあと車で30分ほど移動、ちょうどタイミングよく紅花まつりの時期で特別公開されていた
旧柏倉九左衛門家へ向かう。
※この時はまだ通年公開していなかったが、重要文化財に指定されたことにより去年から通年公開された。


のどかな田園地帯に臨時駐車場が作られていて結構人が来ていた。
駐車場から紅花畑のアプローチを通って柏倉家へ。


板塀に囲まれた屋敷は、外からもその規模の大きさがわかる。柏倉区九左衛門家は紅花生産で財をなした豪農であった。


紅花はかつて山形盆地で盛んに栽培され、山形県花に指定されている。アザミに似て、葉や茎はトゲトゲしており
黄色~オレンジ色の花を咲かせる。花びらを集めて発酵させ餅のように搗いた「紅花餅」は染料の素として流通した。
淡いピンクから、何度も重ねて染めれば鮮やかな紅色、また他の色と染め重ねることで豊かな色彩が表現できる
貴重な赤色系の染料であったため、近代に入り化学染料が輸入されるまで換金作物として価値が高かった。


建物は1653(承応2)年に建てられたとされ、1898(明治31)年、14代九左衛門による大改修で
現在の形になったという。


大きな長屋門を入ると茅葺大屋根の主屋前方に横たわり、左右に配置された蔵と渡り廊下で連結している。
敷地は約4000坪といい、主屋の裏側に庭園が造られ、蔵や小屋も含め合計8つの建物が点在する。


北蔵。


前蔵。


屋内の写真が全くないのは、写真撮影NGだったのだな。写真がないと記憶は実に怪しいものだが・・・(苦笑)
庭に面した座敷や仏間などは近代和風建築らしい装飾が凝らされた空間だった・・・ように思う(汗)
京都の寺社などを見て高度な技術を学んだ職人が腕を振るい、障子の桟も銀閣寺と同じ「地獄組」で作られているとか。
→公式サイト こちら
→産経新聞ニュースが詳しい こちら

外回りにも見どころが多い。主屋から左の方へ進むと仏間の入口がある。


ここのポーチの足元に、変わったレンガが敷かれている。


何だこれは?瀬戸の印花文敷瓦とよく似た模様が陰刻されており、大きさも8寸角ぐらいだが、レンガ色の素地
なので明らかに本業敷瓦ではないな。


素焼っぽいものと釉薬がかかったようなものがあるが、焼きすぎレンガと似た質感だ。または自然釉なのかもしれない。


そして、分厚い!!計るのを忘れたが、、5cm以上はあったと思う。これは敷瓦というよりもやはりレンガだ。
どこで作られたものなのか・・・全く分からないが、ここは内陸部だし、よそからわざわざこの重量物を運んだとも
思えないので、周辺地域のレンガ工場で焼かれたものだろう。


そして、仏間から前蔵へつながる渡り廊下の部分には、踏み石代わりに瀬戸の本業タイルが点々と貼られていた。


松がデザインされた、銅板転写タイプだ。こちらは瀬戸から運んできたわけだが、中に印花文敷瓦も数枚混じっていて、
銅板転写タイルは版がないとダメだが陰刻だけなら簡単にマネできるということで、さっきの印花文レンガを
手近で作ったのではないかな。


この前蔵というのは1902~1909(明治35~42)年に建てられた来客用の座敷蔵だが、立ち入ることは
できなかった。説明書きによると、柱や長押、天井の竿縁などが春慶塗、上座敷と下座敷の間の欄間がケヤキの
一枚板の透かし彫りなど、ひときわ豪華な内装らしい。


この渡り廊下もその時に作られたのだな。木造の渡り廊下は元はなかったのだろう。仏間からいったん土間に
降りて前蔵へアクセスするのがめんどくさいので後年可動式の渡り廊下を造ったとみえる。
よく見ると主屋側の固定された廊下の下にも同じ本業タイルが敷かれていた。
まわりの土間の色と同化していたが、ウェットティッシュで拭いたら、目にも鮮やかな白がよみがえった!!
調子に乗って全部のタイルを拭いて回る(爆)。これで普通の人でもタイルに目を惹かれるだろう。
床下に隠れ埃にまみれていた本業タイルはようやく日の目を見られて喜んでいることだろう(笑)。


ぐるっと敷地を一周する。
雨だれ受けに使われていた、鳥の卵のような白い玉石。


主屋の角部屋の座敷が面するのは池もある立派な庭園。


裏手にある内蔵の各扉には鮮やかな鏝絵のポイントが。




ここは水路があったのだろうか、敷地の片隅にレンガアーチのトンネルが見えた。


これは防火用のものだろうか。柏の右側の字が読めない・・・
他に人力車のような乗り物や、大工小屋には当時の道具類などもそのまま残っていた。


横から見るとかぶと屋根のような形の主屋。


柏倉家はとても規模の大きな農家建築だが、近代以降ほとんど手を加えられておらず、すべての建物が当時のまま
残ることが貴重として、重要文化財に指定された。去年から通年公開もされ、新たな観光資源にもなっている。
やはり貴重な建築は日本の資産でもあるのだから、国などによる相応のバックアップが必要。
すばらしい建物が残ってよかったな!

続く
コメント (2)
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週末山形旅 料亭千歳館2

2021-01-10 17:05:06 | 建物・まちなみ
2019年の山形旅、千歳館の続き。

こちらは結婚披露宴もできる3間続きの大広間。幅が5間もある大スパン、格天井の鏡板は玉杢っぽい模様も見られ
分厚そうだ。


舞台もあり、華やかな時代には企業の大宴会や政界の会合なども頻繁に行われたことだろう。情景が目に浮かぶ。
舞台の両脇には花灯窓が。




美しい飾り金物。


裏庭にはモミジや桜などいろんな木が植わっていて、季節ごとの風景が楽しめるのだそう。
そして、ものすごく背の高い杉(?)の木がある。2階建ての建物の高さの2倍ぐらいはあるんじゃないか!?
こんなに大きくなると台風や落雷などで倒れると建物を壊してしまうのでちょっと心配。。。
落ち葉により屋根が傷むとも聞いたことがある。


こちらは2間続きのお部屋。欄間は線による透かしで水辺の風景が描かれている。




書院の格子。


その上の欄間は松の生えた山のデザイン。火星人の行列みたいでカワイイ~~




廊下のコート掛けも当初からのものだとか。


さてこちらは、玄関を入った左手にある鹿鳴館ホール。外観は洋風にもかかわらずこれまで見た部屋は全て和室
だったので、唯一の洋室だ!割と新しく改装されたように見える。


千歳館のサイトによると、この部屋はもともと大正時代の粋人のたまり場であったという「千歳食堂」で、
1985(昭和60)年に「和風クラブ松の家」を開業、その後2000(平成12)年に改装を加え
「鹿鳴館ホール」として生まれ変わったのだとか。腰羽目板は後からの改修だとお店の人が言われていたような
記憶が・・・さすがに平成の改修には見えないので、昭和かな・・・


ビルトインの消火栓。火事からの再建だから防火設備は万全に。すりガラスに入った文字がいいね。


鹿鳴館ホールの奥に続いていた廊下の窓は、飾りの入った桟と結霜ガラスがレトロな雰囲気。


鹿鳴館ホールが唯一の洋室と書いたが、このロビーも洋室かな??いや、和室?


ぐるりの壁にはこんな部分的に網代をはめこんだ意匠が回っていた。民芸風で素敵だな!


建物の端にあったこのドアが和風クラブの入口だったところ。円柱は白タイル、足元は無釉モザイクタイルの市松貼り。
千歳食堂時代からあったのかは不明だが、プライベート感があっていかにもたまり場という感じ。


裏の駐車場の方から見ると、庭の木の大きさがよくわかった。すごいな!!


山形の歴史と共にあった千歳館。おいしくてお手頃だし旅人にも親切なので、是非山形旅に組み込んでみて~

続く
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週末山形旅 料亭千歳館

2021-01-09 12:30:49 | 建物・まちなみ
再び緊急事態宣言が出てしまった。
遠出できない今こそ、書けずじまいになっている昔の旅のことを書くチャンス!・・・ということで、
2019年に山形へ行ったときのことを。もう一昨年のことになってしまい記憶もあやふやだが・・・(汗)
何とか思い出しながら書いていこう。あぁコロナ前の平和なときが懐かしい・・・

山形はいい建物がたくさんあるらしいので行ってみたいが、せっかくならさくらんぼの季節に行きたい。
そう、フルーツ&建築!!それがこれからのトレンド(笑)
しかし大阪から山形は遠い。飛行機はLCCがないので高くてこれまで二の足を踏んでいたのだ・・・
そうだ。仙台までピーチで行ってバスで山形入りすれば安く行ける。それならお手軽に1泊2日で行ってもいいな!
・・・結局は楽パック利用で、仙台行きの朝イチのANA、そして駅前からバス。やっぱり時間がかかる。。。
ケチらずに山形へ飛べばよかったか(苦笑)
午前中に山形入りしていた友人らと合流して早々、まずは千歳館でランチを。


うぉ~~う、こんな洋館がまちなかにどーんと現れた!大きな車寄せのついた立派な玄関。
すごいなぁ~~これが料亭とは驚き!!


二階の窓のひさしは唐破風のように中央が持ち上がっている。
ハーフティンバー風に柱が壁から出っ張っているのはモルタルによる仕上げだ。




細かいひし形の桟の入った入口の欄間が美しいな!


お店の方が出迎えて下さったので、中へ入ろう。
堂々たる木造洋館の外観から想像もしていなかったのだが、内部は何と和風だった!


玄関の床はカラフルな無釉モザイクタイル貼り。きゃ~カワイイ~~




千歳館は1876(明治9)年創業の老舗料亭。
この建物は、先代の建物が1911(明治44)年の薬師大火で全焼したあと、1915(大正4)年に現在地に
「鹿鳴館調」で再建された。戦時中は陸軍軍医学校として接収されたが、戦後ほどなく営業を再開。
時代の要求に応じて改修を加えながらも建築当初の形態をよく残し、現在登録有形文化財になっている。

→公式サイト こちら

そんな歴史ある老舗料亭だが、お店の人たちは気さくで肩肘張らない。長年山形の人々は冠婚葬祭をはじめ
ちょっとしたハレの日の集まりにも気軽に使ってきたのだろう、親しみやすい雰囲気。


玄関正面の待合ロビー。


お庭に面した個室でゆったり。お手頃なランチコースを頂いたが、お料理は芋煮など郷土色豊かなもので
素朴なお味がとてもおいしかった。途中ご主人が挨拶に来てくれ、いろいろとこの地の歴史などについて
お話しを聞かせて下さったのだが、食べながら聞いていたのでメモも取っておらず・・・(苦笑)


食事をいただいた部屋は梅をモチーフにしてあり、欄間の部分にも梅の花型のくり抜き窓が。


天井も凝ったパターンで、網代を部分使い。


床の間の落とし掛けには、梅の木かな、中央部にこんなできものみたいな出っ張りのある曲がった材が使われている。


襖絵や引き手も梅の枝がデザインされている。ここは梅の間という名だったっけ?うろ覚え・・・


他の部屋も見学させて頂く。各部屋はそれぞれ意匠が凝らされていて、こちらの部屋には笹の葉型のくり抜き窓。




床の間にはすす竹が使われていた。そのほか襖絵もみずみずしい若竹の絵だったり。ここは竹の間かな?


廊下にはこんな半円アーチ型の窓が並ぶ。


この窓は中心に縦軸が入っていてくるっと回る回転窓だ!


続く
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原美術館へ行ってきた。

2020-12-20 15:57:40 | 建物・まちなみ
勝海舟記念館(旧清明文庫)のあと、予約していた原美術館へ行くため移動。五反田駅からぶらぶら15分ほど歩いてくると、住宅街の中に
長い和風の塀とこんもりとした緑が見えてくる。そして門から敷地内を望むと、白っぽい外壁が木々の間に見え隠れしていた。


原美術館は、渡辺仁の設計により実業家原邦造の邸宅として1938(昭和13)年に建てられた。
1979(昭和54)年に現代美術専門の美術館としてオープン、特徴的な空間を生かした企画展示や各種
イベントを行ってこられたが、来年1月11日をもって閉館とのことで、現在開催中の「光―呼吸 時をすくう5人」と
いう展示が最後となる。

外壁全面薄い水色のタイルに覆われ、直線と円弧で構成されたモダニズムの洋館。玄関には車寄せの屋根が張り出す。


その屋根を支える柱は茶色っぽい縞の入ったトラバーチン(?)


入口ドアの両脇にも同じ石が。この石が使われているのは見たところここだけだった。


入口脇に穿たれた窓にはシンプルな格子が取り付けられている。


内部は写真撮影不可。展示物だけでなく建物を撮るのも、中庭からの外観もNGとのこと・・・残念。。


建物は2階建てで、エントランスホールから中庭に面した円弧状の廊下が伸び、その外側に部屋が並ぶ。
内部も外観のイメージ通りの無機質な感じの空間だが、その中で階段の手すりだけがちょっと温かみを感じるデザインだった。


もと居間や食堂、寝室といった部屋だけでなく、廊下やトイレ、お風呂だったらしきスペースにも作品が展示されていた。
一部3階もあり、狭い階段を上るとどん詰まりに、いったいどんな用途に使っていたのだろう、人が3人入れば
息苦しいような小さな白タイル貼りの部屋があったり、ほかにも不思議な小空間があった。
展示スペースとしては面白いが、住宅だったときの暮らしがちょっと想像しづらい。
1階の中庭に面したところにはカフェスペースが増築されており、その脇のドアから外に出ることもできた。
中庭は草地で常設の作品が展示されている。そして何と、蔵もあったのか!
このモダンな洋館が建つ前は当然和風の邸宅が建っていたのだろう。瓦の乗った塀や蔵はその名残なのだろうか。


建物を出て帰ろうとしたとき、ふと通路脇に立っているピンク色の公衆電話に目が留まる。おや、こんなところに
なぜ電話が・・・しかも古いコイン式の。自殺の名所にSOS用の電話が置かれているというのは聞いたことが
あるが(汗)、ここから何を連絡しろというのか。興味を惹かれてまじまじと見る。


電話の支柱からつながって、古めかしいモニターもある。何だこれは。昔設置されたものが撤去されずに残っているのか?
廃墟じゃあるまいし。・・・もしかして、これも作品なのか??


ふと足元を見ると、銀色のプレートが。あぁ、やっぱりこれはアート作品だったのか!
私的にはこの作品が一番印象に残った(笑)


原美術館、ふらっと行ってみようかと前日にサイトを見ると、現在入場人数制限がかかっており完全予約制とかで、
しかも外部予約サイトを見ると全日満席で予約ボタンが押せない状態(汗)。ダメかとあきらめかけたが、
キャンセルが出ると一瞬アクティブになるというので何度か更新しているうちにうまく予約を突っ込むことができた。
年末年始は休館だしチャンスはあと数日しかないけど、行きたい人はトライしてみて!
→原美術館の公式サイト こちら


帰り道に五反田で見つけた、美容院の入口脇の壁の、花かごとパラソルを持ったドレス姿の女性の絵。


爽やかな色とメルヘンチックな雰囲気に惹かれて近寄ってみると、不定形なガラス質のかけらを貼り合わせた
モザイクで、まるで印象派の絵のような、複雑でニュアンスのある色合いがとても素敵だな!


美容院はすでに閉店していたので暗く、またポーチのところで閉められていたので、体を乗り出して撮ることしか
できなかったが、とても丁寧なつくりで上質な作品だ。背景はモザイクでなく、模様の部分が壁から盛り上がっている。
美容院の建物は普通のビルだったが、もともと古い建物の壁にあったものを移設したのだろうか。
また明るいときに見てみよう。

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勝海舟記念館(旧清明文庫)

2020-12-18 22:49:13 | 建物・まちなみ
東京工業大学で建物を鑑賞したあとは、洗足池のほとりに建つ勝海舟記念館へ。ここは旧清明文庫 鳳凰閣の建物で
洗足池にゆかりの深い勝海舟の足跡を詳しく紹介してある。4本の付け柱が天を突く。


外観の写真を撮っている間に、数人のお客が入っていった。この手のテーマ特化型の小さなミュージアムはだいたい、
充実した展示内容の割にお客がほとんどおらず経営を心配するのが常なのだが(苦笑)、結構人気のある施設なのだな。
ま、私は特に勝海舟が好きなわけでもないし、内部は展示スペースとして改修済みだろうから、外観だけでいいか、
と思いながら窓からちょろっと中を覗いてみると、、、おぉ、いい感じに残っているじゃないの。入ろ!


建物正面の入口は閉ざされており、入場は脇のガラス張りの部分から。300円払い、係の人に写真撮影可能か
尋ねると、資料はダメだが建物はよいとのこと。やった!

洗足池は勝海舟の別荘「洗足軒」があった場所で、夫妻の墓所なども残る。
清明文庫は、これらの遺跡の保存や海舟に関する資料の収集、公開等を目的として、1933(昭和8)年に開館。


エントランスホールは増築部分で室内に外壁が現れている。人造石洗い出し仕上げとリシン掻き落とし仕上げの外壁は
上から塗装されていたが、塗装を丁寧にはがして復旧したのだという。


展示室はそれほど広くないが、意外にもお客が10人以上いて皆熱心に展示を見ている。
展示は後回しにして私は先に階段ホールへ。


あっ、ここが元のエントランスホールだな。床は無釉モザイクタイルが絨毯のように貼り詰められている。
四角のタイルで卍繋ぎの縁取り。中央は小さな六角形タイルで、白地に青の花模様が爽やか!
白も均質な色でないのがいいねぇ~~




周りの壁は肩ぐらいの高さまで緑っぽい色の布目タイルが貼られており、説明書きには「泰山風タイル」とある。


しかし、フラットなタイプで、泰山ぽくは見えないな。1枚1枚押し付けて作ったような味わいがある。


階段の親柱や手すり、ドアなどの木部も素敵だ。こういうところをちゃんと残してくれているのはうれしい。




2階へ上ると講堂のような大きな部屋があり、舞台の中央に設置されたモニターで流れる映像を、これまた
10人ぐらいのお客が見ている。部屋の写真を撮りたいがモニターの映像は撮影NGということなので、
映像プログラムが終わるのを待っていたが、結構長い。誰一人途中で立ち上がりもせず見入っているのには、
東京の文化度の高さを感じた。。。


そしてお客が一斉に立ち上がったのを見計らってささっと撮る。


幾何学模様の額縁。


今もこんなに市民に親しまれている施設として使われ、建物もよろこんでいることだろうな!

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東京工業大学の建物たち

2020-12-15 23:29:28 | 建物・まちなみ
東京に住み始めて坂の多さにあらためて気づかされた。というか、困らされている(苦笑)。
大阪だと上町台地の端で激しい崖になっているものの崖下も台地上もほぼフラットで自転車でどこまででも行ける。
しかしこちらではどこへ行くにも坂を上り下りしないといけない。それも1ブロックで家の2階分ぐらいもの
高低差を上るような心臓やぶりの坂がそこここにあるのだ。等高線に沿って道があればよいのだが、
ヒイヒイ言いながら上ったら、次に角を曲がったら同じ分の坂を下りたり・・・この労力を返せ!ということが
度々あり(爆)、電動でない自転車ではなかなか大変なのである。それで、できるだけエネルギーを使わず
移動できるように坂の少ない道を探している。

この日曜日も、省力路を探しながら東京工業大学まで歩いた。本館と西1号館、2つの近代建築があるというので
守衛さんに写真を撮りたい旨伝えて、キャンパス内へ。こんなご時世だから部外者立入禁止かと思ったが、
散歩を日課にしているらしき近所の老人や、凧揚げしたりピクニック気分の親子連れなど、市民にも開かれている印象。
ただし、建物内へは入れませんよ、と釘を刺された。はい、了解しております。


守衛さんに教えてもらった通り進んでいくと、白いタイル貼りの大きな建物が見えてきた。おぉ、これか!
正面へ回ると、中央部に時計台がそびえる凸型の建物ながら、古典様式とは一線を画したすっきりしたフォルム。
5連アーチの車寄せだけ濃い色の石が貼られていて安定感と重厚感を加えている。1934(昭和9)年竣工。
建築学科の教授だった橘節男という人の設計とか。


UFOみたいな照明器具もカッコイイな!




キャンパスは緩やかな起伏のある土地で、この本館も西側に地階が作られている。


本館前に植えられたイチョウが黄金色のじゅうたんを広げていた。
走り回りたくなる気持ちよさそうな草地は、芝の養生のためなのか、コロナの影響なのか、工事のためか、
立入禁止のロープが張られているので、おとなしく通路を歩く(苦笑)。


西へ下っていくと、もう一つの近代建築、西一号館がある。
目の前に植わった桜の木はすでに葉を落としているため全体像が何とか見えるが、冬でなければまったく
見えないだろう(苦笑)。


こちらは本館よりも3年早い1931(昭和6)年竣工の「元分析化学教室」。
全体的にはすっきりしているが、額縁付きのアーチ窓や細かいロンバルディアバンドなど、ロマネスク風の
装飾がまだ見られ、「近代建築らしい」建物である。
3連アーチの石貼りのポーチは、これが本館のデザインにも取り入れられたのだろう。

現在は教室としては使われていないようで、工事業者らしき人が出入りしていた。

この時計、歯車を思わせるデザインが工業大学っぽくてよいな!!


ポーチの内側にもレリーフが施されている。使われている石は「六ヶ村堅石」という石らしい。


ポーチ内にもアーチ窓が並び、格子がはまっている。照明器具もレトロで素敵だ。




入口のドアが開いていたので中を覗いてみると、エントランスホールは布目タイルが貼り巡らされていた!


うわ~これは素敵だなぁ!・・・中には入ってませんよ(笑)
しかしこの建物、これからどうするのだろう。改修して使ってくれたらいいんだけど。。


裏側も正面と同じ時計があり、半円形に出っ張ったバルコニーなどおしゃれなつくりになっていた。




おや、あれはもしや回転展望台か!?(笑)場所からみて西8号館かな。


また広場の方へ戻ってくると、すっと水平に伸びたスカイラインが印象的な建物がある。
これは1951(昭和26)年に竣工した創立70周年記念講堂。卒業生や職員などからの寄付金により
建てられたという。


ここ東工大の建築学科で30年間教鞭をとっていた谷口吉郎の設計である。
町家の格子のように細かく入れられた縦スリットの間には、丸や四角の穴の開いたテラコッタやガラスがはまっている。


1階部分はコンクリート柱の間を平の面を見せたレンガで埋めた壁。昨日見た「私の家」と似た質感だ。


本館からの通路から、草地越しに見る記念講堂。とても美しい!


しかし、この建物を側面から見てびっくり。なんとかまぼこ型ドーム屋根なのだ!えーっ、意外・・・


もう一つ気になった建物がこちら、「事務局1・2号館」。


1階の正面側は型枠跡つきのコンクリート壁、2階にはこちらも格子の箱を載せている。




入口付近のガラス壁に顔を寄せて中を見てみると、コンクリート壁の裏側には、陶壁の作品があった!
面白いデザインだな!


入口近くにはシンボリックな現代建築もあった。
こちらは図書館らしい。正面から見ると宙に浮かんだ箱のようだが、実はすごいエッジが!




この先端の空間はどこまで踏み込めるのか(笑)。


隈研吾建築都市設計事務所の設計による国際交流拠点、Taki Plaza。つい最近完成したらしい。

ぽかぽかいいお天気の中、1時間半ほどキャンパス内をのんびり散策して気持ちよかった!

→東京工業大学の登録有形文化財のページ こちら
コメント (4)
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古民家カフェ蓮月と私の家

2020-12-13 23:39:13 | 建物・まちなみ
午後からちょっとお手軽に近場を散策しようかと、近代建築を検索したり持ち出し用のマップをつぎはぎし
印刷しようと思ったら、まだプリンターと繋げていなかった。。。無線印刷の設定の仕方を調べやりかけたら、
なんだ、ブルートゥースでできるじゃないの。なんだかんだで出るのがずいぶん遅れた。。。
今日は夕方荷物の受け取りのため4時に戻ってこないといけないので、結局1時間ちょいしかない(汗)。
あちこち行くのは無理なので、蓮月(れんげつ)という古民家カフェに行くことに。そこなら自転車で行ける範囲だ。


とは言っても結構遠い。。。途中で立ち止まって写真を撮ったりしたので到着したのはもう3時半近く(汗)。
日蓮宗の大本山、池上本門寺の総門近く。バス通りから折れると古い木造の建物が現れた。


背が高い!!3階建てか!?と思ったら2階建てなのだが、普通の町家の1.5倍はあるだろう。
2階の窓には旅館か料亭と思わせるような欄干が回っている。元蕎麦屋というのはネット情報で見ていたけど、
蕎麦屋ってこんなに立派な建物を建てるほど儲かるのか!?
関西人には(というか私には)あまりなじみがないが、蕎麦屋は料亭のような位置づけだったのだろうか。


美しい格子のファサードに藍染ののれん。うわ~、気分が上がる~~!
自転車がたくさん停まっていてかなり人気のようだ。早く入ろう。


おぉ・・・中もいい雰囲気!
タイミングよく土間の席が空いていたので、チャイラテを頼み、許可を得て店内の写真を撮る。




入口付近は土間だが、一段上がった板の間が奥まで続き裏庭が見えている。そして2階にも上がれるようだ。


しかし・・・滞在時間は15分ぐらいしかない(汗)。こんな素敵なカフェ、ケーキも頼んでまったり
1時間ぐらい過ごしたいところだが・・・あぁもったいない。


そんな間にも次々とお客がやってくるので、チャイラテを飲み終わると早々に席を立ち、奥の方も見せてもらう。
明るく広い裏庭では、季節のいい時にはテラス席が作られるようだ。

(左奥へとフロアが続いているが満席のため写真を撮れず)

おや、裏庭に面した廊下の突き当たりにも階段がある!?この広さの建物で階段が2ヶ所にあるなんて。


表側が客用で裏側が店員用だったのだろうか。それとも2階からトイレに行く用の階段か。
または、いざという時の逃げ道か。上がってみると、すぐ目の前に下り階段があった。


2階は座敷席が2部屋あり、子供連れのお客にもよさそうだ。立派な床の間もあり、じっくり見たかったが
お客がいたし、時間もない。また来るとしよう。今度来るときは電車にしようかな(苦笑)。


→蓮月の公式サイト こちら

ところで、ここへ来る途中の道すがら、ぽつぽつと古い木造住宅などが残っていたのだが、
ちょっと変わったレンガの壁が目に留まった。


近づいてみると、平の面を見せてあるので構造ではないな。戦後建築っぽくモダンな雰囲気の意匠だ。
レンガ壁からつながるコンクリート塀は型枠の跡を見せた仕上げで、簡素だがちょっとその辺の建物とは違う雰囲気。
塀が高く中は見えないが、敷地は広く庭を囲んでいくつかの建物があるようだ。コンテナっぽい建物もあるな。


全体を見ようと道路を向かい側へ渡ってみると、すごい逆光の中、奥の方に茅葺民家のような形の屋根が見えた。
うわっ、なんかすごいな!?


入口の門のところに「SEIKE」という文字を抜いた古い鉄のプレートが取り付けられていた。
あぁ、これはもしや・・・


帰ってから検索してみたら、やっぱり、これは建築家、清家清の自邸だった。コンクリート塀の向こうが
広い庭で、最初に見たレンガ壁が、1954(昭和29)年に建てられた名作、「私の家」の外壁だった。
清家清は、小面積で豊かな居住空間を追究し、自邸でそれを実験したのだ。5m×10mの玄関もドアもない
ワンルームの箱という前代未聞の家。庭と一体的につながる空間を、折々でしつらえ豊かな暮らしを実現した。
それは現代でも理想的な暮らし方だな。


あぁ、こんな偶然通りかかったまちかどに名作の建築があるって、やっぱり東京はすごいなぁ~
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讃州井筒屋敷の茶室など

2020-10-15 23:38:00 | 建物・まちなみ
今年8月の香川の旅の続き。

母屋の一番端に浴室があった。


こちらの浴室はさっきの奥座敷の裏のお風呂と違ってとても広い。広い脱衣所もある近代的なお風呂だ。


壁の腰張りにスモーキーブルーのモザイクタイルがみっしりと貼られている。そして脱衣所は同じ
タイルの色違い、うぐいす色のタイルが。。このタイルはそれほど古くなさそうだ。修復時のものかも?


これは脱衣所の天井。目の錯覚が起こりそうな貼り方・・・これはオリジナルと見える。中央には照明の台座が。


そしてこの手洗いシンクが素晴らしい!
全面ストレートエッジの白無地タイル貼りで、役物を駆使した美しい仕上げ。




完璧!


母屋の二階は使用人部屋や食器置き場として使われていたらしい。階段を上ってみる。


うぉぉ~~~っ、これはすごい小屋組だな!大黒柱に四方から直接斜めの梁をもたせかけてある。
そしてその梁の上にまた別の梁が乗っかっているのだ。


接合部は少し切り欠きを作って引っかけてあるだけのように見える。地震で揺れたら落ちそうに思うが、、、
大丈夫なのだろうか。。。




茶室へ渡ってみよう。茶室は6畳の茶室と4畳の水屋からなる。
この渡り廊下は途中でクランク状になっていて、橋上の辻はちょっとした風流な涼み処だ。全体に屋根が
架かっていて、屋根付き橋のようにも見える。


渡り廊下の取り付き部。


部屋と廊下との間には雪見障子が立てられ、廊下の外側にはガラス障子が嵌められている。


昔は雪見障子もガラス障子もなかったとみえ、ずいぶん今と印象が異なるなぁ。


天然絞りの杉丸太が使われた桁。


はまぐり型の左官窓。面白い形だな!




茶室の廊下はコの字型に回っていて、南側廊下の柱は松、ヒバ、台スギ、とすべて異なる材が使われている。
垂木もちょうなではつったなぐり仕上げの栗材が1本おきに使われている。
茶室はいろいろとご当主の好みを反映させて趣向を凝らした造りになっており、奥座敷や母屋の他の部分とは
あきらかに違っている。ここは近代になってからの増築だと想像する。


8月はまだ食事処はクローズしていたが、どちらにしろゴハンを食べている余裕はなかった(汗)。
土産物屋で友達へのお土産を買い、本数の少ない高徳線に間に合うよう急いで駅へ向かった。郵便局のカフェも
結局パスしてしまったな・・・

続く。
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讃州井筒屋敷の敷瓦

2020-10-13 21:21:21 | 建物・まちなみ
今年8月の香川の旅の続き。


引田にやって来たのは、こちらの讃州井筒屋敷が目的だった。というか、この旅のメインディッシュである。


讃州井筒屋敷は、旧佐野邸。広い敷地内に、母屋、離れと庭園、そして一から五の蔵があった。
母屋が一般公開されているほか、たくさんの蔵と、ゆったりしたつくりを生かして、まち歩き観光の中心施設
として活用されており、土産物屋、食事処、イベント会場、テナント店舗などが集まる。


佐野家の祖先は高松藩主生駒氏に仕える郷士であり、江戸時代初期ごろには醤油・酒醸造を開始。
第13代佐野新平のときが最盛期で、彼は本業を拡大するだけでなく多くの会社をおこした実業家であり、
引田村助役や香川県議会議員など要職を歴任した政治家でもあった。
また幼稚園や小中学校の建設に対する寄付や寺社への寄進など、慈善事業も熱心に行っている。
佐野家は東讃地方の近代化、産業の振興に大きな役割を果たした家であったと言える。

井筒屋のマーク。

帳場を抜けて奥座敷へ。奥座敷は離れのように庭園の中に独立して建つ棟で、母屋から一本の渡り廊下でつながる。
シンプルなつくりで装飾はあまりないが、しっかりした材が使われていると見え、今も全く狂いはない。


濡れ縁には厚さ1寸(約3cm)のケヤキ材が使われている。
庵治石の産地が近いだけに、お庭には数々の石灯籠や、手水鉢、亀石など、石造物が配されている。


いったん庭に下りて、奥座敷の裏手へまわったところに浴室と便所がある。なぜ廊下でつなげなかったのかと
いぶかしんでしまうが、、、ここは東門から茶室へ向かう途中にあり、茶室の浴室・便所だったのだろうか。


こちらがお風呂。奥に浴槽が置かれているが、狭いな!これは確かに水浴び程度のものだろう。


そしてその奥にある便所に、本業タイルが貼られているのだ!
説明プレートには「タイルは輸入品」と書かれているが、瀬戸の本業タイルだと思うが・・・


まず大便所への上がり口の床に、四半貼りとは言わないだろうが、45度の角度で5枚敷かれている。


そして正面の男性用小便器の背後の壁に12枚、床に4枚。合計で21枚の本業タイルが使われていた。
6寸角の、割と見かける柄の2色使いの銅板転写タイル。これは明治後半のものと思われ、その頃に茶室と
あわせて増築したのだろうと想像する。




全く新品のような艶!タイルは半永久的に美しさを保つ建材なのである。


奥座敷をあとにして母屋の方へ。




茶室への渡り廊下。茶室は次の記事で紹介する。


「かまや」というギャラリーになっている道具蔵。


その中では井筒屋関連の写真や資料と一緒に、金庫が展示されていた。


ダイヤル部分に「OSAKA KITAMURA MADEBY」と印刻されていた。


箱は漆塗り、ハンドルは真鍮製。カッコイイなぁ~


続く。
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旧引田郵便局

2020-10-12 23:23:34 | 建物・まちなみ
今年8月の香川の旅の続き。

近世の趣を色濃く残す引田のまちなみの中に、突如として現れる瀟洒な洋館。それが旧引田郵便局である。
向かいには、引田御三家のひとつ、大庄屋を務めた日下家の長屋門がある。すごい対比!


箱型の躯体で正面中央に半円形のペディメントが立ち上がり、2階には八角形の窓がずらりと並んでいる。
二丁掛タイル貼りの壁に窓枠を白っぽいモルタルで縁取っているなど、モダニズムの入った昭和初期の建物の
特徴をよく表している。とてもかわいいな!この建物は有形登録文化財になっている。


半円形の立ち上がり部分に郵便マークがあしらわれている。マークは木製の切り文字で、ちょっと歪んでいる。
取れそうで心配。。。桜の花と、両脇にあしらわれた葉は何だろうか。
タイルはスクラッチタイルやリブタイルではなくオレンジ系ベージュ色の平滑なタイルで明るい印象。


郵便局はとっくに新しい局舎へ移り、現在は「カフェ・ヌーベル・ポスト」というカフェになっているが、
この時はまだ時間が早くて準備中だった。
表のドアが開いていたのでちょっと中を覗かせてもらう。。




入口ドアを入ると頭上に広がる大空間にちょっと驚く!!外から見ると2階建てのように見えたが、吹き抜けの
ワンルームだったのか!八角形の高窓のおかげで店内はとても明るい。


天井はティンパネルと呼ばれるエンボス加工された鉄板が貼られている。


窓の外には日下家の本瓦葺きの長屋門。


入口正面に立ちはだかる横一文字のカウンターが郵便局時代の様子を髣髴させる。
このカウンターの前面がかわいいピンク色のタイル貼りだった。床は無釉の八角形タイル敷き。


ピンク色のタイルはよく見ると布目タイルだ。何と、珍しいな!!乱貼りの中に混じっていることはあったかも
しれないが、ピンク一色とは!女性のお客にも親しみやすいように配慮して「カワイイ」内装にしたのだろうか。


右側を見ると、小さな木造のブースがあった。


金泥でかかれた「公衆電話室」の文字。ははぁ、電話ボックスだったのか。もちろん今はもう電話は置かれて
おらず、通路として使われているだけの様子だったが、床のタイルもそのままに残されていてうれしいな!




左側を見ると、こちらにも木造の小さめのブースが。応接室だったのだろうか。
カフェの客はここを通り抜けて行くことになるらしい。


素敵な窓辺。あぁ、あとできっとお茶をしに来よう~~




しかし、実はこのあと訪れる讃州井筒屋敷でのんびりしてしまい、お茶する時間がなくなってしまった(汗)。無念・・・


旧引田郵便局は、1978(昭和53)年で現役を終えたが、解体されてしまわずまちなみの核施設として
大切にされ、素敵なカフェとして根付いているようで、うれしいことだなぁ。幸せな建物だ。


続く。
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引田のまちなみ

2020-10-11 22:02:39 | 建物・まちなみ
今年8月の香川の旅の続き。

志度のいしや旅館に泊まらず白鳥のビジネスホテルに泊まったのは、すぐ近くのバス停から引田行きのバスに乗れるから。
余裕をもってバス停に着き待っていたが、時間を過ぎてもバスが来ない。遅れているのかなぁ・・・
初めての土地でバスを待つのって、本当に不安になる。昨日三本松から乗ったときも遅れていてバス会社に電話して
「本当に来るか?」と確認したものだ(苦笑)。


やはりバスは鉄道より安心感が劣る。。。定時性だけの問題ではないのだ。
WEBサイトで事前に調べていた時刻と現地の時刻表が全然違っていたことはザラにあるし、バス停に掲示されていた
時刻表を見て待っていたのに来ないのでバス会社に電話して聞いたらその路線はもう廃止されたと言われたり、
ずっとバス停で待っていたのにふと別の方に目をやっている間に背後を通過してしまったり、ジャストの時間に
バス停に来たのに来ないと思ったらすでに行ってしまっていたり、、、、これまで何度も旅先のバスに泣かされた。
なので、鉄道廃止の代替にバスというのはキツイ。。。

話がだいぶ逸れたが・・・不安を見透かされたのだろう、バス停の後ろにある114銀行の駐車場に停めていた人が
「引田行きのバスに乗るのですか?」と声をかけてきた。「はい」と言うと、その人はこれから引田へ戻るので
乗って行きませんか、と。ちょっと戸惑ったが、変な人ではなさそうだったのでありがたく乗せて頂くことに。
その人はいつもお年寄りなどに声をかけて乗せてあげているそうだ。親切な人もいるものだなぁ。
バスより早く引田に到着できて、感謝感謝!!


さて、風待ちの港として栄えた引田には、間口の広い商家が軒を連ねた近世のまちなみが残る。大外から歩こう。
引田のまちのいちばんはずれに建つ水谷屋旅館。見たとおり今はもうやっていない。
建物は旅籠の面影を残すということだが、ネオン看板と相まって遊廓っぽい印象だな・・・(苦笑)


戸袋には石貼り風のモザイクタイル。


ここはまた別の家。塀にコウモリ型の透かし窓。中央に流水型の格子が入る。




おや、あんな青緑色の壁、見たことない。変わっているなぁ。




ふっくらマーブルタイルのショーケース。


こちらは江戸中期から続く商家、泉家。本瓦葺の町家のつし2階に、銃眼のような窓が開いている。


出窓の下の持ち送りは木製の一刀彫の立派なもの。


この間口の広さ!!


こちらの長屋門は日下家。代々引田村の庄屋を務め、大内郡の大庄屋も務めた家である。


格式高い門構え。重厚な木戸はぴっちりと閉まっていたが、続く土塀の一部が車の出入口のためか切れていて、
母屋が見通せた。この長屋門や母屋は江戸後期の築と推定され、登録有形文化財となっている。

向かいには素敵な洋館の旧引田郵便局があるが、次回に紹介。



こちらは古くから造り酒屋を営んだ笠屋邸。この小さな建物は守衛室だったのだろうか。


かめびし醤油は、1735年創業の超老舗の醤油屋さん。国産丸大豆100%、伝統的なむしろ麹製法で
すべて手作りで作られているという。
しかし・・・この壁、すごい色だな!!


かめびし醤油の公式サイトによると、建物は江戸時代末期のもので、15代当主までは実際に住まわれていたとか。
多くの建物が登録有形文化財となっている。鬼門である東北の位置にある門を魔よけのベンガラ色に塗ったのに合わせ
壁も赤くした、と。


だけどベンガラの色とはずいぶん違うな(苦笑)・・・どちらか言うと紅色だ。何度も塗り直しているうちに
色合わせがずれてきたのかな。


蔵の腰のなまこ壁もちょっと変わっていて、普通なら1枚ごとに目地を盛り上げるところを、小さな貼り瓦を
4枚1セットにしている。アーガイル柄みたいだな!まぁしかし、増改築を繰り返しているらしいので
元はどうだったか分からない。


ここは「かめびし邸」という民泊もやっているそうだ。もろみ蔵の見学や醤油を使ったピザつくり体験なども
できるようだが、今のご時勢やっていなさそうだった。


かめびしの岡田家は、さっきの元庄屋の日下家と、これから行く旧井筒屋の佐野家をあわせて「引田御三家」と
呼ばれたそうな。

続く。
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幻の観光湯と、三本松の敷瓦

2020-10-10 22:48:49 | 建物・まちなみ
今年8月の香川の旅の続き。



玉藻公園をあとにしてお昼にうどんをさらっと食べ、アカネビルのironmongerを再訪したあと、瓦町駅まで歩く。


ここからコトデンに乗る。瓦町駅ってこんなロケーションだったっけなぁ。記憶があいまい・・・
昨夜のジャンボフェリーであまり寝ていないのでうつらうつら・・・


終点の琴電志度駅に到着。かわいい駅舎は健在でほっとした。




讃岐の名刹で四国八十八箇所霊場の第八十六番札所である志度寺の門前町には、立派なうだつ付きの町家が見られ、
風情のある街並みが広がっている。
町家の敷地は奥行きがありかなり規模が大きそうだ。一般公開されている建物は見たところなかったな・・・


お遍路宿らしき旅館などもあり、登録有形文化財となっているいしや旅館に今回泊まろうかと考えたものの
スケジュールの都合上別の宿にしたのだったが、どんな感じか興味津々。(これは向かいの建物)


志度には11年前に来たことがある。観光湯というとても古いお風呂屋があって、そこの浴室には本業タイルが
びっしり貼られていたのだ。写真を撮らせてもらってお風呂に入ったことを覚えているが、その観光湯はその後
ほどなくして廃業されたという悲しいニュースを聞いた。


こういう路地の奥にあったんだよ・・・おや、路地の奥に煙突が見える!?えっ、もしや・・・


とりあえず突き当たりの志度寺まで行こう。せっかく来たのだからお参りするかー、と思ったのだが、、、
仁王門から奥を望むと・・・森(汗)。案内図を見るとめちゃくちゃ広いな。これは入ると出られなくなりそうだ。。。
門の外から拝むことにしよう(苦笑)


そして一本裏手の道を戻りながら歩いていくと・・・おぉ、あれは!!観光湯じゃないか!!


なんとまぁ、ずいぶん前に廃業されたのに、建物はまだ残っていたのか!もうすっかりなくなっているものとばかり
思っていた。。。あぁ、中を見たいが・・・もちろん閉まっている。

幻の観光湯。開かずの扉が開くことがいつかあるだろうか。開くことがあれば飛んで見に行きたい。

近くにあった大きな蔵。


軍配型?それとも蝶?変わった形の下地窓。


JRで移動、三本松駅に降り立つ。正面の素敵なタイル使いの建物はSTATIONという名の喫茶店。


11年前、小道さんが写真だけ見せてくれた道端の本業敷瓦を探しに三本松も訪れており、無事自力で
見つけることができたのだった(笑)。
ところがタイル友の会メンバー情報によるとその町家が最近取り壊されたとの話で、タイルの行く末が心配なので
現地へ確認しに行きたいと思っていたのだった。
遠い記憶の中の風景を思い出しながら歩いていくと・・・何だかポカーンと空間が空いていた。


うわぁ~~、これだ~~、ここだぁ~~。ここに立派な町家があったんだよ。そして、その前の犬走りに、
印花文の本業敷瓦がずらりと敷かれていたんだよ。うわぁ(泣)


敷瓦は6枚残っていたが、犬走りも途中からモルタルがはがされていた。
この記事を書きながら昔の写真を確認してみると、当時は14枚あったことがわかった。残り8枚はどうしたのだろう。


ここには本瓦葺の古い民家が建っており、格子窓の下には力強い雲形の持ち送りもあった。
向かいにもなまこ壁の古い民家が建っていた。あぁ、主を失って心もとなげな敷瓦たち・・・
狭い道なので、いずれ拡幅して舗装されるに違いない。そうしたらこの敷瓦は・・・あぁ。。
そうなるときはせめて敷瓦だけでも救ってどこかに使ってほしいなぁ。。。


傷心気味での帰り道、最後に昔ながらのお風呂屋「しよの湯」に入ってさっぱり汗を流して行こう~~


お風呂屋の近くで見つけた「桟瓦風」のタイル。


面白いなぁ~~と思ったら、11年前も同じアングルの写真を撮っていた(笑)。
他の写真も今と似たようなものばかり。まったく進歩していないな(爆)




続く。
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