まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

伊豆大島 甚の丸邸

2021-08-13 22:03:29 | 建物・まちなみ
伊豆大島の続き。



伊豆大島にやってきたのは船に乗りたかったこともあるのだが、一つ別の目的もあった。それがこちらの、旧甚の丸邸。
波浮(はぶ)港は旅客船の船着き場とは対極にあたる島の南端にある小さな集落で、元町港からバスで30分。
漁港沿いに一筋の細い道路が通りその両側に2階建ての建物が建ち並んでいる。呼子や下津井や鞆や御手洗や・・・
いろんな場所の港町で見るのとよく似た風景だが、まちなみはせいぜい150mぐらい。
港の背後には断崖が迫っていて付近には広い敷地はない。


甚の丸邸はどこだ・・・と、やはり背後の丘の上にあるのか。ひぃ~~(汗)
100段、いやもっとあったか。ヒイヒイ言いながら踊り子坂の石段を上ると、上は平たい台地になっていて、
家がいくつか建っていた。漁港沿いに建つ家々とは違って、門がありお庭のあるお屋敷だ。
蔵のあるひときわ大きな敷地を、大谷石の塀沿いにぐるりと回り込むと旧甚の丸邸の門があった。
南国情緒を醸し出す巨大なソテツの向こうに、主屋が建っていた。


うぉ~っ、壁いちめんなまこ壁じゃないか。しかし何だこの角度は!?
普通なまこ壁と言えば正方形の貼り瓦が水平に並んでいるか、又は45度の角度で並んでおり、それ以外の
角度で貼られているのは見たことがない。ところがここのなまこ壁と言ったら・・・30度ぐらいか?


貼り瓦は普通の灰色の瓦質のもので、四隅に釘穴がある。目地はかまぼこ型に漆喰が盛り上げられており、
少々雑な感じなのは修復時に予算不足だったのだろうか(苦笑)。しかし何でこんな角度なんだろう。


なまこ壁はだいたい防火や防水のためなので、瓦を貼らない壁や軒裏の部分も漆喰で塗りこめられていることが多い。
ここは2階は壁と軒裏までみっしり貼り瓦が貼られているのだが、1階の下屋は全く木造そのままだし
窓や入口付近も無防備な感じ・・・南国の木造民家になんだかそぐわず、不思議な印象・・・


開館時間よりも早く到着してしまったのだがもう開いていた。管理人さんはおらず、無料で自由に見学することができる。
作業場としても使っていたと思われる広い三和土の土間があり、頭上には太い梁が渡っている。並べられた鬼瓦は
葺き替え前のものだろう。


土間に面していろりの切られた部屋が1つ、その奥は表側と裏側とそれぞれ2間ずつ並んでいる。
分かりやすい「ハレ」と「ケ」の空間構成だ。


そしてこちら、玄関には、この通り瀬戸の本業敷瓦が敷かれているのだ!!ぽつぽつと間をあけて規則的に配置されており、
おそらく沓脱石の下にも1枚隠れていると思われるので、全部で11枚。


この柄は、台湾の旧台南庁長官邸の玄関に敷かれているものと同じだ。


そしてこちらは、実物はまだ見ていないが京都に同じ柄のものがあるらしい。いずれも型押しで模様をつけたあとに
呉須で着色したもので、明治中期以前のものと思われる。


この甚の丸邸は明治時代に建てられたと言われ、幕末の可能性もあるというが、詳しい建築年代は分かっていない。


外から玄関を入ったらこのように見える。


元の所有者の秋広氏は、波浮港を開港した秋広平六の子孫である。
もともと噴火口に水がたまった「波浮の池」と呼ばれていたものが大地震により海とつながり、小舟程度が出入り
していたのを、たまたま千葉から大島を訪れていた秋広平六が目にし、港としてのポテンシャルを見抜いて、
港口の開削を幕府に願い出、波浮港を開港した。それにより明治以降昭和初期まで、漁業の一大拠点として
全国から集まった漁船が港を埋め尽くすほどの賑わいを見せた。船の乗組員や観光客などで旅館も大繁盛で、
宴席では伊豆から来た踊り子が踊りを披露したというわけである。

後で訪れた資料館に展示されていた波浮港の写真。今じゃ全く想像もできない盛況ぶりだ。

秋広平六は網元として財をなし、他にも同様の網元が、この波浮港の高台に大谷石の石蔵を持つ屋敷を構えたのだとか。
建物の規模はそれほど大きくはないが、当時の島の民家とは全く違う造りであり、大谷石やなまこ壁ももともと
大島にはなかった。伊豆の職人に材料を持ち込ませ造らせた贅沢な屋敷である。


座敷にはちゃんとした床の間も備わり、床柱や落とし掛け、床框など、見るからに太くて良い材が使われている。
床脇の背後の木目の板も、1枚の幅は80cmぐらいはありそう。


美しい木目。


なお、甚の丸というのは屋号で、網元は皆何々丸という名を持っていたという。所有していた船の名前に
由来するのだろう。




そして座敷の裏手へ回るとお風呂場があった。しかし電気が点かないし窓には板が打ち付けられていて真っ暗闇・・・
浴槽はすでになく、単に一段低い土間の小部屋で、埃で真っ白・・・(汗)
それでも土間に降りて表面の埃を払うと・・・この敷瓦が現れた!!おぉ~~!!


玄関のタイルは知っていて見に来たのだったが、お風呂場のは知らなかった。本当に最初はその存在が全く
分からないほど埃をかぶっていたのだから、よく見つけられたものだ!なぜわかったかというと、入口近くに
置いてあったベロンベロンの解説ラミネートで、滲みすぎて太さが3倍くらいになっていた文字を(笑)
何とか解読して読んでいたら、お風呂場にも同じタイルがあると書かれていたのだ。
きれいに拭いておいたので、これから訪れる人は簡単に見つけられるだろう(笑)。


トイレには染付小便器と大便器がセットで残っていた!これは陶器製でなく磁器製らしい。陶器よりも高価であり
さすがお金持ちの家だ。




これらを全部船に乗せて運んできたわけだから、相当な手間と費用がかかっているはずだ。
しかし、30度のなまこ壁と瀬戸の本業敷瓦は、伊豆にあるのだろうか。下田はなまこ壁のまちなみが有名だし
他にもちょくちょくなまこ壁はあるようだ。伊東と河津までは行ったことがあるが、本業タイルは見かけなかった。
下田はまだ行っていないので、近いうちに行って探索してみよう。

この家には2階もあった。


天井裏のようだが広々した空間で、半分は船底のように梁がなく垂木が直接棟木に架かった構造。


もう半分は梁が渡っているのだが、薄い!!1階は太い梁が縦横に渡っていたが、2階は屋根だけだから
それほど太くなくてもいいのだろうか。


2階では養蚕が行われていたという。


お庭にはこんな石を組んだ池の跡もあった。水の少ない大島なので、元から枯れ池だったのだろう。
ミニチュアの橋が架かっていたりして、箱庭みたいでかわいい。
蔵も覗いたが、埃っぽくすぐに退散・・・(苦笑)。ちなみに蔵は近くにもう1ヶ所残っている(非公開)。


旧甚の丸邸は現在は大島町の所有であり、観光施設として30年ぐらい前から公開されている。
とても面白い建物なので波浮までわざわざ足を伸ばす価値あり。

このあと近くの東京梵天という店でモチモチのたい焼きを買う。そこは古民家をリノベーションしてあり、
宿もやっているという話だった。甚の丸邸のようなお屋敷だったのか??と興味がわいたが、
宿泊客がいたので見学はできなかった。。。

続く
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旧四国銀行春野支店

2021-08-04 23:11:24 | 建物・まちなみ
高知の続き。

高知市内へ戻る前にもう1件、旧四国銀行春野支店を見に行く。
細い道に面していて、なぜこんなところに銀行があったのかといぶかしむような場所だった。
元々伊野支店西分出張所が1932(昭和7)年に現在地に移転したときに建てられたもの。その後春野支店となり、
1964(昭和39)年までここで営業していたが新築移転とともにお役御免となった。


洋館付き住宅のような半切妻屋根のかわいらしい外観。オレンジ色っぽい壁が特徴的。妻壁についているのは
昔の四国銀行のマークだろうか。ちなみに現在の四国銀行のマークは「四」に「コ」「ク」の文字を組み合わせたもの。
こういうロゴ好き~~(笑)。これも結構昔からのデザインだと思うけど。


横から見ると道路に近い部分のみ洋館で、奥に和風の建物がついている。銀行の支店だが駐在所のように
居住空間がついていたのだ。それとも、簡易郵便局みたいなものだったのだろうか。


近所の人によると現在の所有者の方がおられるそうなので、銀行移転後に売りに出されたのだろう。
よく残してくれていたな!


高知市内へ戻り、夜の便で帰る友人と別れ、夕方の高知駅前をひとりでうろうろ。私は明日の朝の便で帰るのだ。


高知駅前のメインストリート、電車通り沿いに近代建築っぽいのがあった。しかし「キッズルームあいあい」とか
書いているな?あとから見ると、皮一枚残すパターンの保存(?)のようで、後ろには別の建物が建てられていて、
そこがキッズルームになっているようだ。どう見ても銀行なのだが・・・元の建物の詳細分からず(汗)


丸窓のある建物もあった。


江ノ口川に架かるコンクリート橋。親柱が放物アーチっぽい形で、欄干もモダンなデザイン。
普通、親柱に橋の名と川の名、架橋年月などが彫られたプレートがはめ込まれているが、見るとプレートを
撤去した跡があった。なので、橋名分からず・・・


欄干が低くて歩いて渡るのはちょっと怖そうだけど・・・でもご安心を。歩行者専用の橋が別途、隣に架けられている。


高知神社にもお参りして、家族の健康と世界の安定を祈る。


はりまや橋のあるこのあたりは、高知城下町の商業地で、移住者の出身地である地名や職業名を付けた町名が
多かったとか。地図を見ると今も「堺町」とか「帯屋町」などの町名がある。
城下町っぽさの残る高知のまち、前回少し見て回ったがじっくり歩くといろいろ興味深いものに出会えそうだ。
まだまだ奥深そうな高知、また機会を見つけて訪れたいな!


終わり。今回も盛りだくさんで楽しかった~~いろいろチェックしてくれた友人に感謝!
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須崎の建物めぐり

2021-08-02 23:11:23 | 建物・まちなみ
高知の続き。

佐川から須崎へ移動。お目当てはこちら、黒壁の塗家造りの三浦商店(三浦邸)。総二階建てなうえに豪壮な
軒蛇腹が1階、2階とダブルでせり出す。この存在感は半端でなく、威圧感すら感じる。


三浦商店は和紙の原料や製品を商い朝鮮半島とも交易していたという有力商店であった。
角地に建つ店舗の2方向への入口が人の出入りの多さを思わせ、商売の繁盛ぶりが想像される。


現在はギャラリーになっていて、このときもアートイベントをやっていた。
壁は真っ白に塗られアート作品が展示されていたので、当時の雰囲気はあまり感じられなかったが、天井は格天井。


ここから廊下で奥の主屋へとつながっているらしい。主屋へはここからは入れず、ぐるっと回って外から入る。


塗家造りの店舗に接して築地塀が伸びており、薬医門がある。こちらが主屋の入口である。


建物との間には小さな前栽があり、須崎市のキャラクター「しんじょう君」のマンホール蓋が飾ってあった(笑)
須崎市の新荘川が、絶滅種となったニホンカワウソの最後の生息地(目撃地)だったことから生まれたカワウソの
キャラクター。ゆるキャラとか興味ない私だが、いたずらっ子そうな表情がカワイくてなんか微笑んでしまう(笑)


こちらが主屋の玄関。結構あっさりしているな。この建物は大正時代中期ごろの建築。ものものしい式台付き玄関
などはなく軽やかなつくりの玄関はモダンな時代の雰囲気を漂わせる。


中に入るとやはりあちこち意匠を凝らした上質なお座敷である。
ここでもアートの展示をやっていたが、作品は空中に吊るされているので、建物を見るのにはありがたい(笑)。
また作品自体も、ここが紙問屋だったことにちなんでいるような作品で、この空間に合っている感じでなかなかよかった。


やはりここでも欄間の彫り物の立派さが目につく。






おや、これは象じゃないの!?


象だよ!?珍しいなぁ!しかもちゃんと象らしい体つき(笑)。この頃ではもう象の姿も世間一般に知られていたのだろう。




巨大な金庫。どれほど儲かっていたのか・・・




どこを見ても土佐の良質な木材がふんだんに使われていることが分かる。
深い軒に覆われた裏庭側の濡れ縁もまた、分厚い一枚板だ。こんなところにまで・・・林業が盛んなところには、
素晴らしい邸宅があるのだ。


三浦商店を出てぶらぶら歩いていると、近くに木造旅館もあった。


ガラス戸に「吉村旅館」の金泥の文字が。


ガラス越しに覗いてみると、ちゃんとしつらえがなされている。今も現役の旅館らしい。


玄関はモザイクタイル敷だ。これはなかなか良さそうだなぁ~~


間口は狭いが建物は奥にも続いていて結構広そうだ。次回来るときは泊まってみようか。。。


駐車場の近くにこんな小さな洋風の建物もあった。他にもいろいろありそうな雰囲気の須崎のまちだった。


続く
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司牡丹の酒蔵建築

2021-07-30 23:11:40 | 建物・まちなみ
高知の続き。

佐川の古いまちなみエリアをぐるっとめぐると、司牡丹酒造関係の建物が半分ぐらいを占めている。半分は言い過ぎか(笑)
とにかく旧浜口家住宅から東側はほぼ司牡丹である。


佐川はもともと清廉な水に恵まれた地であったところに、1600(慶長5)年、山内一豊に伴って入国した家老深尾氏が
佐川1万石の領主となったとき、美濃から酒造りの職人を連れてきたことで、酒造業が発達したという。
のちに、いくつかあった酒造家が合併して司牡丹酒造となった。
天保時代に建築された1号庫をはじめ、2号庫から5号庫まである蔵造りの建物は、明治以前のものというが
建築年代は不明。


この長さ80mもある迫力ある蔵が1号庫。さっき模型展でも見た建物だ。すごいな!!今も現役の酒蔵なのだ。


こちらは現在焼酎蔵としてつかわれている建物。1号庫以外はどれが何号庫か正直よくわからない(苦笑)


こちらの司牡丹のアンテナショップ「酒ギャラリー」は、浜口家から譲り受け料亭「ほてい」としていた建物。


日本植物学の父、牧野富太郎博士の生家ももと酒造家であり、その建物も司牡丹の一部となっている。
(どの建物か不明)


道を挟んで両側に蔵や工場や事務所があり、可動式の雨よけが設けられている。もう全体が司牡丹村(笑)
右奥の下見板張りの建物は昭和初期頃のものだろうか。これもなかなか素敵だ。








いろんな時代の建物が混じっているがいずれも現役なのがいい。会社の発展の歴史を物語る建物たちである。


こちらは竹村家住宅。
「黒金屋(くろがねや)」という酒造家で、司牡丹の前身であった。主屋、店舗部が1780(安永9)年頃、
座敷部は1838(天保9)年頃に改築されたとか。建てられたのはもっと古いわけだ。
領主に謁見が許される「お目見え町人」であった竹村家では上客を迎えるための上質な座敷を備えており、
土佐地方特有の様式で建てられた建物は重要文化財に指定されている。


内部は見学できなかったが、リーフレットの写真を見ると、やはり一刀彫の欄間や花頭窓のような付書院など、
今回あちこちで見たお屋敷と共通する。これがやはり土佐様式なのだな。


続く
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佐川の建物めぐり

2021-07-28 23:05:59 | 建物・まちなみ
高知の続き。

※タイトル間違い・・・訂正しました。
※旧浜口家住宅はまちの駅ではなく観光協会でした・・・訂正しました(汗)

いったん四国のど真ん中の本山町まで上ってきていたが再び南下、佐川町上町地区にやって来た。
ここは土佐筆頭家老、深尾家の城下町であったところで、商家や酒蔵など近世~近代のまちなみが残っている。
中心にあるのはこちらの旧浜口家住宅。


元酒屋だった建物は見学もでき、物販コーナーで買ったおやつを座敷でイートインもできる。




外観は長屋門のように見えるが、土間に面して部屋が並ぶ町家である。太い大黒柱!


そして変わっているのは、天井や壁に網代が貼られているのだ。


ん~~こんなの見たことない。


奥には庭に面した座敷がある。ここでちょっと一休み。。。




旧浜口家住宅の向かいにあるのが、深尾茂澄が創設した家塾、名教館の玄関だった建物で、天保元年に建てられ、
後年佐川小学校に移築されていたが、平成26年に現在地に再移築された。


そして旧浜口家住宅の隣にあるインパクトある木造の洋館は、旧須崎警察署佐川分署。1886(明治19)年の築で、
高知県下最古の木造洋館だそうだ。桟瓦葺、何層も重なった軒蛇腹や、丸みを帯びたペディメントなど
和風の味が加わった建物は擬洋風建築の一種と言えるだろう。


見上げると軒蛇腹の美しさが際立つ。
警察署が新庁舎へ移ったあと、1930(昭和5)年に払い下げられ、私設図書館として使用され、川田文庫、青山文庫と
名を変えたが、現在は「佐川文庫庫舎」という名になっているようだ。


ポーチの敷石が正方形の四半貼りでなくひし形の石になっているのは、やはり寺院の入口っぽくなるのを避けようと
いう、洋風への努力なのだろう。


こちらも2010(平成22)年の再移築なので中はきれいになっている。がらんとしているが、警察署時代の展示物も少しあった。




これは番傘!?木製の警察署のマークだ。デカイ!!ペディメントの中央に取り付けられていたのだろう。


階段があり2階へも上れる。急勾配の階段だが、美しいおさまりの手すり子。




2階はさらにがらーんとしているが(苦笑)、澄宮(三笠宮)様がご来町時に休憩所としてこの会堂を使用されたとか。
階段の横には分署長室と電話室の二つの小部屋がある。


玄関真上のベランダにでることができた。ベランダから眺められるのは、司牡丹酒造の平成蔵。
この建物には特に趣はないが、現役の酒造メーカーである司牡丹の各建物は佐川のまちなみの中で大きな部分を占め、
重要な景観の要素となっている。その中で各時代の建物のひとつとして、こういうのもあっていい。


佐川文庫を出て、ランチをやっているところがないかと佐川地場産センターへ来てみたら、模型展をやっていた。
作者の方は佐川の建物を趣味で片っ端からミニチュアで制作されている。それが本当のまちなみよろしく、広い室内に
ぎっしりと並べられていた。


うわぁ、すごい蔵だ!これは司牡丹の蔵で実物は長さ80mもある。
つくりは多少粗いが、まるまる佐川のまちなみを再現できるほどたくさんの建物の模型があり、いやはやすごい迫力だった。


外側の壁に青い釉薬のタイルが。これは海をイメージしているのだろう。そして白いのは、島かな??

結局ここの併設レストランは営業しておらず、ランチにはありつけなかった。。。

続く
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高知屋旅館に泊まる2

2021-07-21 23:04:07 | 建物・まちなみ
高知の続き。



高知屋の2階には、大広間の他に4部屋続きの座敷もあった。


ここは端の部屋と中庭側にしか窓がなく眺望はイマイチだが、各部屋の境にある欄間が全部違うデザインの
透かし彫りで、見ごたえがある。


名所の風景や松竹梅などのおめでたいモチーフ。







床の間も小さいながら変化をつけてある


オウム柄の壷。かわいい~~


おや、このちんくぐり、見たことあるぞ。安田町の旧柏原邸で見たのと同じじゃないか!?
安田町とはずいぶん離れているが、やはり時代は昭和初期と同じ頃であり、廊下側の欄間には組子の障子が
使われているのも共通する。職人はあっちこっちへ出かけては邸宅や旅館を手掛けていたのだろうか。
それともこういうパーツは既製品として売られていたのだろうか。


夜の高知屋もまた風情があっていい。


さて、翌朝出発前に付近をちょっとうろついてみると、元郵便局か?と思しき建物があった。


壁は錆びたトタン板張りだが、横に回るとミントグリーンのペンキ塗りの下見板が残っていた。


そして美しい石積み!


チェックアウトしてから、すぐ近くにある旧本山簡易裁判所を見に行く。細長い縦長の窓が並び直線的なフォルムが印象的。
1952(昭和27)年完成。あぁ、戦後建築なのか。1987(昭和62)年まで簡易裁判所として使われた。
現在この建物は、本山町出身の作家、大原富枝の作品などを展示し顕彰する「大原富枝文学館」となっている。
私はその名を知らなかったのだが(汗)、『婉という女』などの代表作があり、各種資料が展示されている。


上空から見るとコの字型をしており、裏に向かって2つの棟が突き出している形。
あの1階の足元から2階の天井近くまで貫いた細長い窓は、階段室だった。明るく開放的だな!


当時全国に建てられた簡易裁判所の基本パターンを踏襲しているといい、確かに、画像検索すると出てくる
旧牛窓簡易裁判所など、そっくりだ。
文学館にするときにだいぶ改修工事が施されたと見え、内部はかなりきれいになっていたが、大原富枝の書斎を
再現したこの部屋はなかなか雰囲気がある。






この山間の小さなまちでいきなり目の前に現れて、はっとさせられた瀟洒な建物だった。
田舎だがしっかり運営されている施設という印象。うまく活用されて建物も幸せだな!


続く
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高知屋旅館に泊まる

2021-07-20 22:32:41 | 建物・まちなみ
高知の続き。


土佐山田を出て、まるでもう高知を脱出するかのように、ぐんぐん北へ走る。
今宵の宿、高知屋旅館は四国山地のど真ん中にあった。すぐそばを蛇行する吉野川の少し上流には早明浦ダムがある。
渇水のニュースでよくその名を聞く「四国の水がめ」であり、そしてあの吉野川の上流だったのかとちょっと驚く。


この本山町というところは、古くは官道であり参勤交代道でもあった土佐北街道の宿場町だったのだろう。
外観はまったく和風の木造旅館である。


入口のポーチと玄関の床が無釉の八角形タイル貼り。壁の立ち上がりにはストレートエッジの白無地タイルも貼られている。
1931(昭和6)年築なら、建築当初からのものだろう。


さて上がってみると・・・


おぉ~~~!?中央に大きな中庭があって、建物が四方を取り囲んでいる。そしてその一辺が、洋館なのだ!!


中央に三角の破風があり、おでこにはエンブレムが。その下に「T」の字のような形の飾りがついている。
それらは窓枠と共にかすかな緑色に塗られていて上品な佇まいを見せている。




中庭に面して和館の入口があり、中庭の植栽はまるで玄関のアプローチのようにも見える。中庭は直接外へ通じて
いないのに、不思議な造りだな。ん、それとも洋館の1階が外に通じていたのか?
洋館の1階は今は洗濯場になっていた。


洋館と和館は互いにめり込むように完全に一体化している。中はどうなっているのだろう。わくわく!


宿のご主人に案内されて私たちの部屋へ。洋館かな~!?
一応洋館の一部と思われる建物の角の部屋で、親戚の家にでも泊まりに来たような(笑)ベッドのある普通の洋室だった。


興味津々の洋館部分ももちろん見せてもらったら、廊下の窓だけ洋風で、内部はなんと純和室だった。えぇ~、そうなの!?
意外でびっくり。




他に泊まっている人はいないようで貸切状態。。


客室はすべて2階にあり、1階は宿の方の生活空間のようだ。




ところで私がいたく気に入ったのがこれ。共同トイレの前の廊下の窓の外に、手洗いがある。
昔うちの実家にあったのと同じ、TOTO製の小さくて丸っこい手洗いシンクが、外壁に直接取り付けられているのだ。
古い和風邸宅などのトイレでは水洗でなく手水鉢が庭に置いてあるのが元の姿であるが、あとから水道を引いて手洗いを
増設してあることも多い。もと戸袋だったところを改造して手洗いを作ってあったりするのもちょくちょく見かける。


ガラッと窓を開けて覗いてみると、、、ストーーーーン!!(笑)一直線!!
うひゃひゃ~~~これは面白い!!


通常は臭いが上がってこないように排水管の途中にS字型のトラップがあるものだが、もう潔いほどストレート!!
地上のマスがトラップになっているのだろう。
古い建物の苦心の作なのだろうと想像するが、何ともユーモラスな姿じゃない!?(笑)


さてここから対岸に当たる棟を見に行こう。さっきと同じような階段があって、1階は食事部屋、2階は大広間である。


おぉ、立派な大広間!


中庭と表側と両方に欄干付きの縁があって、広さは50畳ぐらいあるだろうか。
しかし今は長らく使っていないような雰囲気。。。




書院には鳳凰の透かし彫りが。


あぁ、ここにも雲形?唐草?の漆塗りの枠がついているな。奈半利の濱田典弥家住宅ではこの隅に色ガラスがはまっていた。
こういうスタイルは四国の邸宅ではよく見られるんだろうか。




続く
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ヒビヤレコーズでお茶を。

2021-07-18 22:39:01 | 建物・まちなみ
高知の続き。



安田町をあとにして宿へ向かう前に1件寄っておきたいところがあった。土佐山田のまちなかにあるカフェ、
ヒビヤレコーズ。ん、これか?住宅のような門。その名前からのイメージとは全然違うなぁ(笑)


建物の左手の方へ行くと開けていて建物全貌を眺めることができた。もともとはこちら側にも塀や前栽があって、
さっきの門が医院へのアプローチだったのだろうと想像する。


木造モルタル塗りの古い洋館。この建物は産婦人科の旧八井田医院で、1930(昭和5)年ごろに建てられたものとか。
昭和40年代に医院をやめられた後、一時期キリスト教会として使われていたらしい。


最初建物は閉まっていて照明も点いていなかったが、外観の写真を撮っている間に帰ってきた軽トラのお兄さんに、
入れますか?と聞いたら、どうぞ、と言って開けてくれた。よかった!


このお店は、ランチタイムは「cafe vert lime」、カフェタイムには「軒下屋台オトキチ」と名前を
変えて営業しているという変わったスタイル。営業日も不定らしいので、うまく入れてラッキーだったな!


うわぁ・・・素敵。高い天井、使い込まれた板張りの床。外観はちょっと薄汚れた感じだが(笑)内部の方は
リノベーションされて生き生きしている。




思いのほか奥行があり、廊下も広くゆったりした造り。やはり産婦人科だと手術や入院もあるし、地域の中でも
大きな医院だったのだろう。


待合室の雰囲気がそのまま感じられる。丸いストーブや卓上の扇風機がハマっているなぁ。


外国のバーのような雰囲気を醸し出しているハイチェアの並んだバーカウンターは、元々は受付か調剤室
だったのだろう。医院建築でこういうカウンターよくあるが、構造そのままでうまく転用しているな!


奥の部屋の窓辺の席で、ブラックベリージュースを頂く。




あぁ素敵な空間。


2階への階段は立入禁止。




地域の人々が代々子供の誕生というおめでたい場でお世話になって来た医院が、90年以上経った今も当時の姿そのままに
こんな雰囲気のいいカフェになって、誰もがそこで過ごせるというのはほんとに素晴らしい。
ここで生まれた人にとってはなおさら感慨深いだろう。


コロナ禍を乗り越えて長く続いてほしいなぁ。


続く
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安田町まちなみ交流館 和(なごみ)

2021-07-16 22:30:32 | 建物・まちなみ
高知の続き。

奈半利から少し移動して安田へ。現在は安田町まちなみ交流館 和(なごみ)となっている、旧市川医院を見に行く。
市川家は藩の御殿医を務めた家で、この建物は1913(大正2)年頃の築と伝えられている。
白い塀の向こうは、旧市川医院とつながった旧柏原邸。


道路に面した入口の小さな三角破風はまるで鳩時計のような(笑)かわいらしさ。


玄関を入ると、奥まで貫く廊下に面して、待合室、レントゲン室、診察室、処骰室(?)、と一列に部屋が並んで
いるのが面白い。中は割ときれいに改修されていて、資料など展示されている。


そして旧柏原邸へ行くには、いったん外へ出て庭から。こちらは昭和初期の築とされる近代和風住宅である。
格子の玄関戸から入る。


玄関で見上げると格天井だ。


欄間部分には組子のポイントが。ん?さっき見たのと似ているな・・・


おぉ、ここでも欄間の透かし彫りがすごい!


床の間は落とし掛けが二段構えになっているスタイル。それにしても柾目の材の長いこと!


書院も細かい組子の格子と、大胆な松の木デザインの透かし彫り。


布袋さんが指をさしているデザインのちんくぐり。


各部屋の境の欄間が圧巻!木材の産地だけに良材がふんだんに使われている。






組子の欄間も。




あれっ、これもさっきの奈半利の濱田家と同じ神棚だな。


全体的に端正なつくりで、意匠も材の良さを見せるようなものとなっている。近代和風でよく見られる数寄屋風の
意匠は全くない。真っ向勝負という感じで潔い。
奈半利の濱田家といろいろよく似ているのは、やはり同じ時代に造られた家で、同じ職人衆が手掛けたのだろうな。


続く
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奈半利で濱田典弥家住宅を見学

2021-07-15 22:40:39 | 建物・まちなみ
高知の続き。

奈半利では非公開のお宅を見せて頂ける幸運に恵まれた。


そこのお宅は中庭に浴室棟があり、その外壁にはこれまた本業タイルがずらりと貼られていた!すごい!!


浴室棟は建物に囲まれていて外からは全く存在も分からない。建物は比較的新しそうに見えるのにこのタイルは
いったいどこから・・・尋ねてみると、10年ほど前に浴室棟を建て替えたときに、もともとトイレの内壁や床に
貼られていたタイルがきれいで気に入っていたので、大工さんと相談してこんななまこ壁風のおしゃれなデザインに
して貼ったのだとか。よくぞ残してくださった!!


やはりこういう模様入りの本業タイルは美しくて存在感があるから捨てるのが忍びないのだ。それに古い本業タイルが
使われた明治~大正期は、まだモルタルでなく漆喰で固めているところが多いから、解体しても無傷で取れるのだ。
時代が下ってモルタルになるともうがっちりタイルと一体化してしまって取れないから、再利用は難しい。。。

あぁ、こんな素晴らしいプライベート空間を見せて頂いたお家の方に心から感謝!!ありがとうございました!

また、なはり浦の会のガイドさんに濱田典弥家住宅へも案内して頂けた。そこは前回パーマ屋のおばちゃんがおすすめして
くれたのだが場所が分からず引き返したのだった。
途中で洋風意匠のある家も見かけた。


濱田家は小作人を400人も抱える大地主だった。主屋、かま屋、米預かり場、石塀、土蔵の5件が登録有形文化財である。
敷地奥に見える6段もの水切り瓦が壮観な蔵は明治の築。手前の主屋は1934(昭和9)年に新築されたものだ。


主玄関は閉められていて、勝手口のような入口から入らせて頂く。




その脇には井戸があった。


覗いてみると、うわぁ、あの石垣と同じような玉石をみっしりと積み上げてある!これは芸術的ですらあるな。。。


建物に上がり、内側から主玄関を見る。シンプルな格子戸だが欄間のポイントに組子の模様が入っている。


見上げれば、重厚な折り上げ格天井~!


装飾豊かな近代和風建築、やはり座敷はすごかった!


付書院の障子は松皮菱を入れ子にしたデザイン。


障子の上辺には花灯窓のような漆塗りの唐草風の窓枠がついていて、隅には何と黄色い色ガラスがはまっていた!
こんなの見たことなかったなぁ!


ケヤキだろう、分厚い一枚板から彫り出したと思われる書院の楕円形の欄間には菊の花や小鳥が。




床脇の違い棚の筆返し。


2段になった床板。銘木であろう床框は縞の木目が美しい。


隣室との間の欄間もケヤキ材の一刀彫で、こちらも竹垣に菊と小鳥。濱田家にゆかりのあるモチーフなのか、
単にお気に入りだったのか。


すべてに良い材が使われていて高い技術で細工された意匠の数々は見どころ満載。


壁に埋め込まれた神棚も、細かく造り込まれている。


雨戸の戸袋の内側にあけられた引き出し用の窓も、ただの四角でなく花形になっていておしゃれ!


さて手洗い場とトイレは真っ白でぴかぴかの白無地タイル貼り!昭和9年ともなると、白無地タイルが衛生の象徴と
して使われるようになってくるのだ。ストレートエッジで馬目地・・・古い貼り方だが、あらためて写真を見ると、
これほどきれいなのでやはり新しいものかな。改修工事が行われたというから、元の状態に忠実に貼り直したのだろうか。




濱田典弥家住宅も定期的な一般公開はしていないものの、広い庭がいろんなイベントなどに使われたり、ガイドツアーなどで
建物を見学できる機会もある。今回はうまくタイミングが合ってラッキーだった。ありがとうございました!
こういう見学できる建物やカフェなど滞在できる建物が他にも増えればいいなぁ~

→まちなみガイドのご相談はなはり浦の会

奈半利の古いまちなみエリアは歩いて回れるぐらいの範囲だが、木材の集散地としてや、捕鯨、製糸業などの産業で
栄えた地だけに見どころは多くまち歩きが楽しい。魚梁瀬森林鉄道の遺構めぐりなどもしたいし、また行きたい!

続く
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奈半利で敷瓦に出会う

2021-07-14 19:33:28 | 建物・まちなみ
岬観光ホテルからの続き。



室戸で金目丼を食べたかったのだが、朝食を食べたばかりで時間が合わず、涙をのんで室戸をあとにする。
昨日来た道を引き返して奈半利を再訪。奈半利には吉良川の「いしぐろ」に勝るとも劣らぬかわいい玉石塀があり
すっかり恋してしまったのだった(笑)。夢にまで出てくるほど会いたくてすぐに再訪計画を立てたのだが、
新型コロナウィルスの第1波のせいで飛行機も運休となり行けなかったのだった。
そういえばあのときの返金分のバウチャー失効したな。。。LCCへの寄付とするか・・・

観光案内所になっている「なはりの郷(広瀬家住宅)」に立ち寄ってから、まちなかをひと回りしよう。




浜田家(増田屋)の背の高いレンガ蔵。


改田家の足つぼがめちゃくちゃ刺激されそうな石塀(笑)。




森家は前回イベントをやっていたので入れてラッキーだったが、この日は入れず。


卵のような石が均一に並んだ石塀は相変わらず美しい~~


石塀は裏の方までずっと続いている。回り込んで歩いていく。




前回道がよく分からなくて行けなかった藤村製絲記念館へ。藤村製絲は藤村米太郎が1917(大正6)年に創業し、
2005(平成17)年までこの地で操業していた。停止後ものこぎり屋根の工場建築が近代化産業遺産に指定され
公開もしていたようだが、老朽化のため2013年頃に解体されてしまった。


明治時代に建てられた酒蔵を移築したと伝えられている繭蔵を記念館として残し、機械や資料を展示してある。
土日祝日は定休日なので見れなかった。




別の道から回って戻ろうと歩き出すと、おやっ、あれは洋館じゃないの?


よくある洋館付き住宅だ。しかし白い漆喰壁と灰色の瓦屋根のまちなみの中で、黄色っぽい壁にピナクルの載った
赤い屋根瓦はひときわおしゃれに見えるな!


野村家住宅。


もと奈半利町農業協同組合の倉庫だった齊藤家住宅。




町をひと回りして戻ってきた。なはりの郷の向かいにある高田屋(竹崎家住宅)は、国道55号に面した角地に建ち
奈半利のランドマークとなっている。また奈半利で唯一の(?)古民家カフェで、見学もできる。


土間に面して蔵の入口がある。中は資料館になっていて竹崎家の商売や家の歴史を物語る資料が展示されている。





・前回のなはりのまち歩きの記事→こちら
・かわいい石塀の記事→こちら
・森家を見学したときの記事→こちら

カフェではランチはやっておらず、隣の小僧寿しで買ってきてここで食べてもいいよと言っていただいたので
飲み物だけ注文して、池の見える明るい座敷でほっとひと息。金目丼じゃないけどまぁいいか(笑)


ちょっとお手洗いに・・・建物の端っこにあったトイレへ案内してもらい、ドアを開けたら・・・


うひゃぁ~~~~!!!タイルがぁ~~~!!!
瀬戸の本業タイルが三方の壁にみっしりと貼られていたのだ!しかも結構分厚い。


聞くと、母屋のトイレを改修したときに、もともと離れのトイレに貼ってあったタイルがもったいないから再利用したのだとか。
しかも四半貼りにしてあるし、入口ドアの下のわずかな立ち上がり部分や、腰壁の細い天端の部分などにも
細かくカットしたタイルを貼ってある。あぁ素晴らしい!


私たちが大はしゃぎしていると、ご主人が「余りのタイルまだあったよ」と出してきてくれ、何とまた頂いてしまった(笑)。
厚さ11mm、半乾式の本業タイルはずっしり重く、銅板転写の模様は鮮明だ。大正初期頃のものではないか。
竹崎家は大地主で樟脳で栄えた家で建物は明治期の築。この本業タイルは名古屋港から太平洋を回って高知まで
運ばれてきたのだろう。


いや~~驚いた!前回は時間が遅くカフェは閉店していたので入れなかったのだが、まさかトイレにこんなタイルが
あったとは、そのとき思いもしなかった。再訪してよかったぁ!!

続く
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岬観光ホテルに泊まる

2021-07-07 18:25:07 | 建物・まちなみ
高知の続き。

夕闇に急かされて車を走らせ、室戸岬の先端にある岬観光ホテルに到着。このホテルは室戸岬の本当に先端から500m
ぐらいのところにぽつんと建っていて、まわりには集落というようなものはないので、漏れる灯りにほっとする。
着いたら早々ご飯なので、翌朝明るいときにゆっくり館内散策しよう。


爽やかな朝!完全な逆光で撮るのにはなかなか苦労した。。。
岬観光ホテルは、1933(昭和9)年に資産家の別荘として建てられ、その後ホテルに変更された。
1964(昭和39)年には海側に新館を増築。2016年に現在の女将が前オーナーから経営を引き継いだとか。
(クラウドファンディングの説明による)


もともと総二階建ての切妻屋根の両側に大きなドーマーウインドウが載った形状だったのが現在は片方のみに
なっている他は、ほぼ建築当初の外観を留めている。
外観はそれほど目を引くような装飾はないが、一方建物内部はいろいろと装飾が見られる。一番雰囲気があるのは
このエントランスホールである。


角を落とした形のレトロな雰囲気の玄関ドア、壁の腰張りには型押しの二丁掛タペストリータイル(布のような
表情のタイル)が貼られている。靴を脱いで上がる形式はホテルというよりもペンションや旅館っぽいな。
それにこうして見るとやはり住宅として建てられたことがよく分かる。




エントランスホールには階段が下りてくる。手すりや梁のハンチの装飾などしゃれているな。


2階へ。


目の錯覚か!?中央部が船底天井のように勾配がついて見える。


客室は全て割と簡素な造りの和室だ。どの部屋からも海が見える。




そして3階へも案内して頂く。細いがちゃんとした階段がつけられている。


屋根に合わせて両側に勾配のついた天井は少し低いが、柱もなく広々した空間だ。奥の窓は正面の妻部分にふたつ
並んだ窓だな。


屋根裏の小屋組を覗くとやはり洋風のキングポストトラスだ。
そして、現在は窓を無くしたドーマーウィンドウの部分も、内側から見せて頂いた。


お話を聞くと2018年の台風で屋根が飛ばされたといい、クラウドファンディングを利用して補修された。
しかし、こんな台風銀座の室戸岬の先端の吹きさらしに建っていてよく今まで大丈夫だったな、室戸台風の
時はどうだったのか!?という疑問が湧くが、自然の不思議というか、岬の先端からわずかに東側にずれている
ことで台風の風が直撃しなかったのだという。岬の西側にある集落はニュースの通り壊滅状態だったのに、地形の
わずかな違いで長年被害を免れてきたとは、驚きである。しかし2018年の台風は、いったん過ぎた台風が
戻ってくる形で東側から襲ってきたため、これまでにない大きな被害となったそうだ。

1階へ戻る。廊下の垂れ壁に稲妻型の装飾が。


私たちの泊まった部屋は新館で風呂なしの部屋だったが、お風呂付の部屋もあるというので見せてもらった。
すると・・・うわぁ、カワイイ昭和のタイル風呂♪床に玉石タイルがみっしり敷かれ、浴槽もモザイクタイル貼りだ。


お風呂付の部屋はいくつかあって、それぞれに違ったタイル風呂である。新館が増築されたという昭和39年、
まさにモザイクタイルの最盛期だ。


ここのは浴槽の縁に窯変調の小丸タイルが使われていてヘビのうろこみたいでかわいい(笑)


浴槽の内側は同じ大きさの小丸タイルだが爽やかな水色。こちらももやもや濃淡がついていて縁は茶色、一粒一粒
みな違う。工芸品のような味わいのあるこのタイル、私の好きなタイプだ。


こちらの部屋のお風呂は少し大きな浴槽。壁いちめんの藤色の長方形モザイクタイルがきれい!!床は無釉の
モザイクタイルを市松に。


同時に造られたお風呂でも全部違うタイルが使われているのが面白い。いまなら同じ形のお風呂を作って
同じタイルのせいぜい色違いを使うくらいだろう。
この時代の建物、お風呂屋などでも、あっちの壁、こっちの壁、床、浴槽、手洗い、トイレ、玄関、と全部バラバラの
モザイクタイルが使われていて楽しいのだが、これはたぶん、タイルの選択肢がたくさんありすぎて目移りして
選べなくて、あれもこれもちょっとずつ使ってみたい!!ということだったのだろうと想像している(笑)


各部屋から海が見えると言っても見える方向や景色も違い、リピーターの方はお気に入りの部屋を指定して
毎年泊まりに来るのだとか。


そして、こちらの物置のようになっている部屋も特別に見せて頂いたのだが、新館の客室にはない数寄屋風の
意匠があってちょっと面白い部屋だった。


屋根裏などを整理していると昔使っていた浴衣や従業員の制服などが山ほど出てきて、ほとんど処分したが
少しだけ残していると言って見せて下さった。この浴衣を着た風呂上りのおじさんたちが広間で宴会してごきげんで
酔っぱらっている姿が目に浮かぶ(笑)


本館の広間はもちろん畳だがドアは洋風だった。昔はそこで結婚式もやっていたのだそうだ。


チェックアウトしてから外回りをぐるりと。見えているのは前室オーシャンビューの新館だ。
敷地は石積みの低い塀で囲われている。


ところどころに入れられた動物のレリーフがカワイイ~


残っている方のドーマーウィンドウを、ここからやっと見ることができた。もう窓はなく閉ざされている。


ホテル新館の前はほんとにすぐ海。プライベートビーチならぬプライベート岩場だ。ゆっくり滞在して海辺を
日がな一日散策するのもよさそうだなぁ。台風でないときに限るけど。。。


続く
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高知から東へ、建築めぐり2

2021-07-05 20:57:21 | 建物・まちなみ
高知の続き。

次にやって来たのは、旧末延堂医院。
以前通りすがりに道路標示の「和食」という地名を見て面白い地名だなと思っていたが、この建物はその地区にあった。


屋根は濃灰色のいぶし瓦、壁も黒い下見板張りなので、正面側の半切妻破風、側面の洋風の切妻破風、そして
窓枠の白がくっきり目立ちとても美しい!1927(昭和2)年築というからすでに90年以上経っているとは
信じられないほど状態よく保たれているのは、今もお住まいだからだろう。庭木もすっきり剪定されている。


入口の鉄扉ごしに玄関へのアプローチを見ると、白い八角形タイルが弧を描くように地面に並べて敷かれている。
これは観音開きの鉄扉のレール代わりにしたものだ。こんな使い方初めて見たな!!


外回りにあるぐらいだから、建物内部にもタイルが使われているに違いない~~~あぁ見てみたい。


裏からも見えるかなと思って回り込んだら、裏には酒造工場があった。
仙頭酒造場、志ら菊(しらぎく)と書いてある。検索してみると今も現役の酒造メーカーのようだな。




古い邸宅もあった。創業者のお宅だろう。




また車を走らせ、マップにも載っている有名な「野良時計」を見に行く。野良時計と聞くと、田んぼの真ん中に
やぐらが立って時を知らせる鐘かなんかぶら下がっているようなイメージだが(笑)、そうではない。
実際は周囲の牧歌的な田園風景からは思いもよらないような、洋風のおしゃれな時計台なのだ!


野良時計という名で知られているが正式には畠中家住宅で、土台の建物は和風の構造をもち、時計台の部分だけが
洋風に造られているという。建物は1897(明治30)年頃までに建てられたようで、時計台の時計は、
当時のご当主が外国製の時計を分解研究して自作したものなのだとか。
遠くから見るなら高い方が良いと思うが、この時計台がまわりの屋根に半分隠れるようにあまり突出していないのは、
当時景観に配慮したからだろうか。


ここの塀がまた素晴らしい。瓦を積んだ練塀なのだが、みっしり等間隔で積み上げられたこの美しさは
あの玉石積みの塀の美しさに通ずるものがある。




前回私がとても気に入った吉良川へ立ち寄り、また「蔵宿」へ。と言ってもここに泊まるのではない。
いや、ぜひ泊まってみたいのだが、今回はまた別のところに・・・


離れの建物が素晴らしいので友人にも見てもらいたかったのだが、今回は宿泊客がいたので内部の見学はできなかった。
カフェでお茶をしてひと休み。


離れを見学した前回の記事→こちら


吉良川のまちの中で、お風呂屋っぽくて気になっていたこちらの建物、友人が調べてくれたところによると、
元室戸市消防署吉良川分団の建物らしい。そうなのかぁ、どう見てもお風呂屋っぽいんだけどなぁ。。。


あっ、こんなところに亀が・・・


おや、ここは、「かどや」という看板が下がっているな。宿か。前回はなかったような気がする。
蔵宿の他にも泊まれるところができて観光客が滞在するようになれば地域にもメリットがあるだろう。


水切り瓦の美しい民家の多くが現役というのは一番素晴らしいことだが、この特徴的な建築の内部見学できる
ところがいくつかあって、ゆっくり食事やお茶ができるところ、地場のお土産を買えるところがあれば、私たち
観光客としては嬉しい。


あぁもう夕暮れが迫ってきた。


続く
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高知から東へ、建築めぐり

2021-07-04 18:01:24 | 建物・まちなみ
だいぶ間があいてしまったが・・・高知の続き。
車で東へ向かいながら、ちょろちょろ寄り道して近代建築を見て行こう。
こちらは田中石灰工業の事務所。下見板張りの洋館風。


このあたりは実際に石灰岩を切り出している山のふもとで、古い工場というか作業場のような建物が建ち並ぶ。
埃っぽい細い道路を歩いていくと、洋風意匠のあるRC建築がふたつ現れた。いずれも事務所だったのだろう。


窓枠の隅々についている白いものが目につく。あれは何だ?


近寄って見ると、タイル!?白と水色の無地だが縁が丸まっていないストレートエッジなのだ古いものだ。
無地タイルをぽつぽつと装飾に使うとは、面白いな!


アーチ型のペディメントの中にマークが。「カネヨ」かな?


この建物は川沿いに建っており、やはりこちら側が正面っぽい。水運によっていた時代の建物は川に向かって
正面玄関を設けているのも多い。


川の向こう側に渡るときれいに眺めることができた。


次は旧高知県電気局庁舎へやってきた。円柱型の塔屋が角部分にそびえ見栄えのする建物だな!
塔屋の正面お3本の横線がモダニズムの雰囲気を印象付けているが、入口上の細い三連アーチ窓や建物のフォルムを
縁取るひらひらした瓦などちょっとスパニッシュっぽい印象もあり、また尖塔アーチの装飾なども目を惹かれる。


丸いのは電気局のマークだろうか。


壁のブルーグレー色はオリジナルかどうかは分からないが、とても爽やかな印象。窓枠や入口まわりだけ色を
違えて、オレンジ色っぽい石の洗い出し仕上げにしているのが、いいコントラストとなっている。


1928(昭和3)年頃の築という。戦後は四国電力の営業所や南国市立青年の家としても使われてきたが、
現在は使われている気配がない。
入口のドアがアルミ建具に変わっているのがちょっと残念な他は往時の姿をよくとどめていると思われる。
もちろん内部を見ることはできないが、アールデコ風の装飾がよく残り、塔屋部分には2階から3階へ上る
螺旋階段もあるらしい。




ここは駐車場の入口だったのだろう、壁がゲート状になっており、六角形を3つ並べた装飾がついている。
建物の裏は広い空き地になっている。


東へ向かう途中で赤岡へも再訪。こちらは前回も見た「赤れんが商家」。前にも書いたが旧赤岡村の初代村長、
小松与右衛門の住まいだった建物で、「赤岡町家再生活用プロジェクト」の方々を中心に活用が進められている。
このときはイベントでカフェをやっていたのでお茶を頂く。

前回訪問時の記事→こちら

前回は見なかった2階も見せて頂く。急な梯子のような階段を上ると、結構高さもありちゃんと使えそうな広い空間。






ワークショップも取り入れ建物の改修をするとともに調査研究をすすめイベント企画など活用も積極的に
進められているようだ。NPO法人化も目指しているようで、さらに進化していくことだろう。


優れた建物が次世代へ受け継がれていく。素晴らしいな!


これはふと覗き込んだ町家の土間。寺尾木材店跡、だったかな。
台車で荷を運び出すためだろう、部分的にレンガが敷かれている。


続く
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割烹旅館臨水 松と月

2021-06-23 23:47:24 | 建物・まちなみ
高知 割烹旅館臨水の続き。


1階の広間は食事用の部屋として使われており、「松」と「月」の2部屋がある。
まずは私たちが食事を頂いた松の間から・・・その名の通り、松をモチーフにした模様が見られる。


床柱は松材だろう。


そして廊下側に美しいシルエットを映し出していたガラス障子の窓があるのもこの部屋だ。


部屋内から見ると組子の細工もよくわかる。ひらひらと飛んでいるコウモリのかわいいこと!ちゃんと桟にはめ込んである。


もう一方の窓は組子の外側に竹を組み合わせたもの。


そして、この部屋の前の廊下には石で組まれた池があったが、その池は何と部屋の床下にまで続いていたのだ!!
敷物をめくると、ガラス板(アクリル板?)の下に岩が見えた。今は水は張られていなかったが、かつては床下にまで
通じた池に泳ぐ鯉などを眺めながら宴会を楽しんだのだろうな!何という風情・・・これが高知のお座敷文化か!




ここで「まるで夕食のような贅沢朝食」を頂いた。地の食材がふんだんで、さすが鰹のたたきは分厚くて味が濃厚、
塩で食べるのが最高においしい!


そして奥にある月の間。こちらもまた凝った意匠が満載!


2つの部屋からなり、控えの間っぽい手前の部屋は「竹の間」さながらに随所に竹が使われ、地袋の戸にも
笹の絵が描かれている。


床框には四角い四方竹が。




こちらの欄間の障子の桟は星のように見えてかわいいな~


二間の間の欄間は「千羽鶴の欄間」と呼ばれ、分厚い板に鶴の群れが両面から彫られている。


鶴がうじゃうじゃ!!


そして奥の方の部屋の床の間が「月の間」の名のゆえんである。
琵琶床のような形で2畳分張り出していて、その背景には老松の絵が描かれている。そこにぽつんと照らし出された
赤い丸が月なのだ。どこから照射されているのかよくわからないのだが、なんだか火の玉のようで不思議。。。


そしてこれが何と、動くのだ!!左端にあった光の玉は眺めている間にじりじりと位置を変え、右端へ。
えぇ~~っ、なんという面白い仕掛け!昭和23年、建物が建った当初に造られたからくりだといい、三日月にも
変わるらしい。これもまた宴会の場を盛り上げたことだろうな!
どうなってるんだろうと興味深いが、粋な演出の種明かしは野暮なのでしくみを詳しく聞くのはやめておく(笑)。


そして横には書院もついている。書院の欄間は厚い板に松の木が彫られている。
障子の方に飛んでいる鳥はつばめだろうか。ぽっちゃりしててつばめっぽくないな、ひばりかな?


この書院と広縁との間に用途不明なスペースが挟まっている。天井もちゃんと独立していて、こんな折り上げ天井に
なっているのだ。窓側なのだから配膳スペースではないだろうし、いったい何のための空間だろう。


不思議な間取り、面白い意匠、それが近代和風の木造旅館の面白いところだ。


月の間からさらに廊下を奥へ進んで行くとトイレやお風呂などがある。こちらの手洗いは自然石をザクザクと
組んだ、ミニチュアの岩風呂のようなシンク。袖壁にひょうたん型の透かし窓、正面には組子の格子入りの
変形窓に装飾のひさしが架かっている。お座敷の世界観がここまで続いている。


こちらはトイレの手洗い場。かわいいグリーンの豆タイルがシンクの内側と全面の壁にも立上げて貼られている。


自然のままの曲がった形の木や竹を使った数寄屋風の意匠と、工業製品であり短小軽薄な豆タイルは全く異質で
ミスマッチと思いきや、意外となじむのだ。数寄屋は懐が深い。


「御手洗」と書かれたガラスドアの奥にあるトイレはまたモザイクタイル貼りの壁だった。






そしてこちらがお風呂の入口。石畳の廊下を通り、階段を上ると脱衣所にたどり着く。ここも十分迷路宿だ(笑)






お風呂へはまた階段を数段下りて・・・浴槽はもちろん床や壁にも石が貼りつめられていた。
床には吉野川の青石が使われている。中央構造線が四国を横断するように走っており、それに沿った
三波川変成帯では青石を産出するのだ。


そしてこちら側の壁は・・・どひゃ~~!子供ぐらいの大きさの石が天井近くまで積み上げられている!!
ほの暗い灯りの中で湯気で湿った石が鈍くてかっている。まるで身を乗り出しているような石たち・・・
すごい存在感で、視線を感じる(笑)。また、古い木造船の虫食い板を転用して壁に使ってあったりするが、
穴がいっぱい空いていて・・・ちょっと苦手かも(汗)

ちなみにお風呂はもう1ヶ所あって、落ち着いて体を洗うのはそちらの方がいいかもしれない(笑)

あぁ、もうあっちもこっちも、圧巻の意匠に埋め尽くされた臨水。丸ごと堪能した!!やはり、泊まって食事もして
お風呂も入って、ゆっくり滞在するのがいい。
ロビーの壁に肖像画が飾られていた初代の女将はとてもしっかりした方で、毅然とした態度で経営を切り盛りされたとか。
老舗旅館でも行き詰まり破綻するところも多い中現代まで続いているのは、長年地元とともにありしっかり根付いて
いるからだろうな。本当に貴重なことだ。コロナ禍も何とか乗り切ってこれからも長く続けてほしいなぁ。
皆さんどんどん使ってあげて下さ~い!

割烹旅館臨水のサイト

続く
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