まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

割烹旅館臨水 他の客室、廊下など

2021-06-21 23:11:59 | 建物・まちなみ
高知 割烹旅館臨水の続き。



他のお客さんが到着する前に、他の部屋を宿の方に案内して頂く。私たちが泊まった思い出の間が一番派手ではあるが、
それ以外のお部屋もやはりいろいろと趣向を凝らしてある。

なんじゃこれ!?レンガのトンネルみたいな通路を通って入っていく「竹」の間。ただの廊下でなくてアーチ型に
塗りこめてあるのがなんとも奇妙。通路が途中でカクッと折れていて先が見通せないのもまた秘密めいていて面白い。


竹の間という名の通り、天井は全面竹貼り、竿縁も丸竹である。照明は古いものではないが、これも竹製だ。


床柱や落とし掛けも太い竹が使われている。


客室前の廊下。




こちらの部屋は「杉の間」。セミオープンな踏み込みに曲がった枝付きの木を使ってあって、茶室の待合のようだ。


室内には柳瀬杉が使われているという。これがその柳瀬杉だろう、美しい木目の入った一枚板の長さに驚く!


こちらは「もみの間」、突飛な装飾はなく落ち着いた雰囲気の部屋。正面側と裏庭の両方に窓があって風通しがよさそうだ。




階段まわりもいろいろと意匠が見られる。まずは階段の吹抜けを囲うように立ち上がった壁に開けられた大きな丸窓。


壁の足元には巾木替わりに板が段違いに並べて貼られている。ギザギザ模様がリズミカル。
天井は木と木の間の漆喰部分には渦巻の模様がつけられていた。この模様は宿の方も最近気づいたそうで、今でもまだ新しい
発見があると言われていた。


階段を下りて1階へ。
こちらは玄関脇のロビー。足下に敷き詰められているのは色とりどりの大理石だ。ここは増築か改修された部分と思われる。






さて1階の廊下を進んでいくと、食事用の大きな広間がふたつあるのだが、その前の廊下にまた驚かされる!!
部屋の中に軒が張り出したような設え。


こんな太鼓橋が廊下に架かっている。


それが架かっているのは、池だ!!ええっ、ここは建物の中のはず・・・


そしてこれは!?これもなんか悲恋の物語っぽいな・・・


見上げれば部屋の中まで続く網代天井。


投網をモチーフにした組子の格子がくっきりと映しだされる。ちょいちょいと入れた横線だけで薄雲のかかった
夕べの情景が目に浮かぶからすごい。


いろんな形の窓があって楽しいな~~


奥の階段は桜の幹が柱になっている。


さて次は食事用の広間の中へ。

続く
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

割烹旅館臨水 思い出の間に泊まる2

2021-06-18 22:26:49 | 建物・まちなみ
高知 割烹旅館臨水の続き。

ここはかつて土佐藩主山内一豊公のお屋敷が建っていた場所で、1945(昭和20)年の空襲で焼失後、臨水の
初代館主が山内家十八代ご当主より土地を譲り受け、土佐の銘木、奇岩、貴石を集め、数寄屋造りの名人と言われた
名工熊沢棟梁の手により建てられたのが現在の建物。初代は昭和初めに高知市内で旅館を創業していたというが、
終戦直後に巨額をつぎ込んでこれほどの建物を再建するというのは、一世一代の大勝負だっただろう。すごい心意気だ。


私たちが泊まった思い出の間は2間続きの部屋だったが、前回紹介したのはまだ手前の部屋のみだった。
奥の部屋も負けず劣らずすごいのだ!


床の間の落とし掛けの彫刻、あちらの部屋は梅の木だったがこちらは松の木だ。


その上の壁にはまた激しい戦いの場面が描かれている。有名な事件なのかな?








どちらも戦いの場面。




歴史好きの人なら隅から隅まで楽しめるだろう。


そしてこれがまた驚きの床柱!さっきの部屋と同じく超立体的な彫刻だが、こちらはフルカラー!!


斧(?)を振り上げ襲い掛かる武士。


こちらの人は太鼓をたたく役!?


実物大・・・よりは少し小さいが、80%ぐらい!?それでもこの大きさの人物像はすごい迫力!
いやはやもう、感嘆するばかり・・・


あっ、ここにもう一人いた!(笑)


2間の境の欄間の山内一豊公御国入の図は、裏側はちゃんと後ろ姿になっている。










分厚いケヤキの一枚板、色を塗っているのもちょっともったいない気も。。。


そして、2部屋の他に小さな2畳の控えの間が付属しているのだが、この天井は!?ライオンかな?
なんだか、秘密の小部屋みたいじゃない!?撮影のために布団を押し込んでおくだけじゃもったいないスペース(笑)


これは控えの間の欄間。


広縁の床が細長い板ではなくこんな細かいひし形の寄木というのもなかなかない。


目の前は広々と開け、鏡川の水面と河川敷をゆっくり散歩する人々を眺められる、申し分ないリバービュー。
・・・しかし私たちにはこのチェアにゆったり腰かけている間などなく・・・もったいない(苦笑)




広縁の欄間は太鼓橋を渡る行列。






広縁側から見るとちゃんと後ろ姿になっている。


こんな数々の彫刻に囲まれ、土佐の歴史を感じながら酌み交わす酒の思い出は、生涯忘れることはないだろう、
そういう思いを込めて「思い出の間」という名がつけられたのだという。


※彫刻の戦いの場面は忠臣蔵の場面だと、友人に教えてもらった・・・ギザギザの模様の服がそれっぽいとは
 思っていたんだけど(苦笑)。毎年やってるのにストーリー意識して見たことなかった(爆)

さて、臨水はまだまだ他の部屋もすごいのだ!

続く
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

割烹旅館臨水 思い出の間に泊まる

2021-06-15 22:36:11 | 建物・まちなみ
友人が見つけた、ほとんど知られていないけどすごい宿、臨水に泊まりに高知へ行ったのは去年の11月下旬。
11月からの転勤が急に決まったものだから、急遽伊丹発をキャンセルして羽田発に変更したりもうドタバタ
だったけど、本当に行ってよかった!!


金曜日午後休をとって高知へ飛び旅館へ直行。高知のまちのど真ん中、はりまや橋から歩いて10分ほどの
ところ。その名の通り、鏡川に臨む土手の上に建っていた。
手前のRC造の部分が先に見えたので最初それとはわからなかったのだが、隣に二階建ての和風建築があった。


外から見るとそれほど古そうに見えないし特に変わったところもない。
石段を上るアプローチからは直接玄関戸が見えず、玄関に坪庭のような空間があったり、京都の町家のようだ。
気分が高まる~~
※写真はいろんな時間帯に撮ったものが混ざっています(笑)




玄関を入ると正面に数寄屋風な床の間の設え、天井は格天井。
・・・しかしこれは序の口。この先には想像もつかないような濃厚な空間が私を待ち受けていたのだ!!


私たちが泊まるのは、この旅館の中でもスペシャルな部屋、「思い出の間」。友人が予約してくれていた。
その部屋は建物の中央に位置する2間+控えの間付きの贅沢な部屋。階段を上り、一歩部屋に入ると・・・


うわぁ~~すごい!!格天井の格間すべてに絵が描かれている!


丸くかたどられた中におさまった花々は一つ一つ全部違っていて、写実的でありながらデザイン的に優れ、
高名な絵師が描いたのだろうと想像する。


どの花もそれぞれに美しく甲乙つけがたい。


片っ端からもれなく撮りたいのだが首が痛い痛い・・・(苦笑)


そして・・・欄間という欄間が彫刻で埋め尽くされていた!
奥の部屋との境の襖の上には、着色された透かし彫りが。・・・しかしこれは欄間と呼んでよいものか!?


馬の行列。これは戦国時代の物語なのだろうか。歴史に疎いのでよくわからないが・・・


よく見ると「山内一豊公御国入」と隅に書かれている。山内一豊は土佐藩初代藩主。なるほど、この土地の
歴史上の逸話の場面が描かれているのだな。


馬と人の体勢は皆違っており、いきいきとして躍動感に満ちている。








そして度肝を抜かれるのが、この床柱!柱は一刀彫で人物が飛び出さんばかりに彫り出されている。
折り重なるように人が3人。矢が刺さっているじゃないか!折り重なり絡み合っている武将たちの、熾烈な戦いの光景。


首に矢を受け苦悶の表情でなお、敵に馬乗りになりまげをつかんで短刀でとどめを刺そうとしている勇猛な武将。
見開かれた目は血走っているように見えてくる。これも戦国時代の歴史上の事件を描いているのだろうな。


しかしこんな場面を床柱に彫るという発想自体がすごすぎる。。。柱の直径はゆうに40cmはあるだろう。


思いおこされるのは、去年の夏に見た東京のホテル雅叙園の百段階段。あそこの柱もこんな立体的な彫刻だったな!
ここは雅叙園を模して造られたのだろうか!?


床の間の落とし掛けにも、彫刻が。紅梅、白梅、その上にも・・・お城の風景だろうか?






「丸に土佐柏」紋が見える。やっぱりここは土佐城か。










旅館が土手の上に建っているので、目の前が川。素晴らしいリバービューを楽しめるように、正面に広縁が付属している。


この境にも透かし彫りの欄間が。この欄間は無垢の板を両面から彫ってある。


書院が地味に見える・・・


入口の上の壁の彫刻。もうありとあらゆる壁に彫刻があるのだ!


着色されたものと無垢のもの、彫り方も違うので複数の職人さんが手掛けたのだろう。
着色されたものはちょっとケバケバしく見えるが(笑)、情景のいきいきとしていること!!






写真がめちゃくちゃ多くなってしまったが・・・この部屋のすごさを伝えるには、写真を並べるしかないのだ(笑)
あぁ、部屋に入っても全然リラックスできない。

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金澤園の2階

2021-06-14 21:13:23 | 建物・まちなみ
金澤園の続き。

お風呂に興奮したあと、トイレを見せてもらう。こちらもも男性用である。


木のドアを開けたら、いきなり目に飛び込んできた派手な床!!よく見たらタイルじゃないの!六角形のタイルを
赤白それぞれ一列に並べてあるのでしましまに見える。これなら酔っぱらっていても目が覚めそうだな(!?)


天井に面白い木目の板を張ったり、皮つきの木材を使ったり、数寄屋風の意匠。


さて、二階へ。




おお~~っ、広い角部屋の座敷!24.5畳に1間幅の畳敷きの広縁が2面についているので、実質37.5畳かな。


水平連続窓のような開口部は、欄干もないのでとっても開放的。窓の外の花はちょうど目線の高さ。いいなぁ!!


現在シーサイドラインの走っているところはもともと海で、海岸線はもっと近かったという。今では海はあまり
見えないが、当時は敷地ももっと広く眼下に海岸が見えていたそうだ。


格天井の中央に八角形の凹みが作られシャンデリアが下がっている。ダンスホールのようだな!


3間半の幅の広い床の間は、床柱に黒柿、落とし掛けは黒檀だろうか。書院もついている立派なもの。




大広間の他に8畳が2室、10畳が1室あり、それぞれに凝った意匠が施されていた。
旅館時代にはこれらの部屋が客室だったのだろう。








廊下の照明のブラケットもオリジナルで素敵。


2階のトイレのドアの透かし。


あぁ、朝っぱらからいい建物を見て満足満足!
建物を出てぐるっと外観を見て回っていたら早くも雨が降り出した~~
せっかく1時間ぐらいかけて来たのでこのあとランチを食べてうろうろしようと思っていたが、午後にかけて
雨が本降りになってくるらしいので、諦めてもう帰ることに。まぁ、昼前までもっただけでもラッキーかな!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金澤園でモーニングを。

2021-06-13 21:37:11 | 建物・まちなみ
もうだいぶ前になるが・・・友人と横浜のカフェ金澤園へ行ってきた。
この日も天気は下り坂の予報だったので早めに行こうということになり、がんばって早起き。一人だといつも
ダラダラして出発が遅れるが、人との約束があると早く動ける(笑)


金澤園は、横浜と言っても横須賀とのちょうど中間ぐらいで、八景島の近く、金沢区にある。
「金沢シーサイドライン」というニュートラムみたいな電車の「海の公園柴口」駅で下車、ちょっと坂道を
上った小高いところに建っていた。
まだ9時前なのにもう現地に着いているとは、いや~素晴らしい(笑)。今日はここでモーニングを食べるのだ。


金澤園は、桜木町で1916(大正5)年に創業した料亭「満月」を前身とし、1930(昭和5)年に
この地に移転、料亭旅館として開園した。景勝地であり一大リゾート地であったこの地で長年、政財界人から
文人まで広く親しまれてきたが、創業100周年を機にいったん営業を停止。再生プロジェクトが立ち上がり
クラウドファンディングで資金を集めて改修して、再び旅館・レストランとしてオープンしたが、、、
コロナ禍のためか(?)2020年5月に営業停止。。。


その後の行く末を案じていた友人が、カフェとして再開したことを知り今回行くというので私も便乗したのだ。
実はここの存在自体私は知らなかった(苦笑)




しかしこんな素晴らしい建物が残っていたのだな!
玄関を入ると、格天井、組子の格子窓、雲模様の入った建具など、全体的に格式高さが感じられる。
「海軍航空技術廠支廠指定旅館」という墨書きの看板もかかっている。戦時は軍の指定旅館となっていたのだ。




玄関の土間のこれはタイル?石?


もちろん一番乗りの客である。1階の右手奥の厨房だったところが改装されてカフェになっている。


部屋の中を撮るのを忘れたのだが(汗)、天井は吹抜けで広々して明るい。
ここでパンケーキのモーニングをいただきま~す!




食べ終わったらオーナーの方に内部を案内して頂く。まずは、いちばん見たかった1階のお風呂場へ。。。
途中の廊下にある手洗い場にも萌える~~!一部に色ガラスやすりガラスを使った、木製ステンドグラスと
言えそうな、細かい割付の窓だ。


2ヶ所ある階段の佇まいにも惹かれるが、後でゆっくり。。。


じゃーん!!こちらがお風呂場。うひゃ~~~素敵~~~
豆タイルを貼り詰めた壁の山並みを遠景に、浴槽の縁に組み上げた本物の岩を近景に。まるで露天風呂に
入っている気分になるじゃないの~~(笑)


楕円形のかわいらしいタイル貼り浴槽は1人サイズ。いや2人ぐらい入れるかな?仲良しなら(笑)


そしてこの色ガラス窓に興奮!!セロハンを貼ったような優しい色合い。窓の向こうに目隠し板が
取り付けられているのか、光があまり入らず色が鮮やかに出ないのが惜しい。。。


面白いのは、カランのついている腰壁部分にカワイイミニチュアのモザイク風景画があるのだ。
これは300x600サイズ。さすがにドットが粗いが、ぽつんと浮かぶ帆船の帆にはちゃんと半分に割った
タイルが使われている。


こちらはもう少し大きくて600角。


そして天井もまた凝っている。中央が少し凹んでおり換気口がとられている。


しかし何でコの字型をしているの??という疑問は、隣を見ると答えが分かる。
こちらが女風呂。豆タイルの山並みも岩も、色ガラスの窓も全部同じようにあるのはあるが・・・広さは1/3。
もし宿泊客だったらがっかりするパターンだが(苦笑)、今は両方見学できるので良しとしよう。






続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厚木市古民家岸邸 その3

2021-06-09 22:12:11 | 建物・まちなみ
厚木市古民家岸邸の続き。



2階の板の間の階段ホールに上ってきた。2階には洋室も1室あり、窓からタイル壁が見える。


う~んわくわくする~~!お楽しみは後に取っておいて、先に和室から見よう。


2階には広々した3間続きの座敷がある。
まず目に入るのは正面側の廊下の窓。桟と欄干の面白い形がずらりと連続したさまに目がぐいぐい惹きつけられる!


1階の客間の廊下のガラス障子と同じように一部にすりガラスをはめてあるが割付のデザインが「お多福窓」と
呼ばれる形である。すりガラスの部分が白いラインになってカットガラスのように見え洋風なイメージを
醸し出している。


転落防止のために取り付けられた和風の欄干の丸い形と重なって面白いシルエットを見せている。


3室全てにつながる廊下は6間もの長さ!


そして右を向くと、一番奥の廊下の赤い市松模様のガラス窓!!うひゃあ~~~!
これを見て声をあげない人はいないのでは!?なんと派手で鮮やか!!


落ち着いて、手前の部屋から順に見て行こう。
この家は全体的に装飾づくしだが、天井も部屋ごとに違った意匠で、それぞれ上質の材が使われている。
階段に近い部屋の天井は押縁が横方向の3本しかない。種類の違う木材の一枚板を段違いに並べ、その厚み分を
切り欠いた材で押さえてある。中央の黒っぽいのは神代杉。この幅、この長さ、タダモノではない。。。


襖は銀箔が貼られ落ち着いた光沢を見せる。引き手も派手ではないが渋い襖に調和している。


階段ホール側の建具は中央に細かい組子が入っている。


真ん中の部屋の欄間もまた素晴らしい。六角形のハニカムデザインと麻の葉を組み合わせた美しいデザイン。


そして一番奥の座敷、設えられた床の間は比較的シンプルに見えるが、床柱の太いこと!!




書院の繊細な意匠の技術にはもう感嘆しかない!


隙間の少ないこんな組子は見たことないなぁ~連続花模様がとってもカワイイ。


欄間の彫刻の立体感も半端ない。


欄間の立体的な彫刻は裏側から見ると翁の後ろ姿がちゃんと彫られている。それだけ板が分厚いわけだ。


そして赤い色ガラスがはまっているのが、廊下の外側に張り出した、奥行き半間、長さ3間の畳敷のスペース。
これはいったい何だ?出窓?小上がり?ショーウィンドウ!?白い部分は結霜ガラスが使われている。


3間の長さにわたって続く赤白の市松はもう圧巻!!こんな度肝を抜くような派手な窓、当主の岸氏はいったい
何を考えて作ったのだろう。人を驚かせて楽しんでいたのだろうか(笑)、いやはやすごい空間だ。


銅板葺きの屋根。


さて、ついに洋室だ。なぜか和室の座敷よりも少し低くなっていて、階段を2~3段下りなければならない。


うわぁ素敵~~!!広さは8畳程度とそれほど広くはないが、腰板や天井のレリーフやドアや窓・・・本当に
こだわったデザインと丁寧な仕上げ、それに当時のままの雰囲気がよく残っていて、最高に素晴らしい~~


中央の照明はオリジナルと見える。周囲の4つの照明はあとで追加したものと見えるが、ガラスの笠の模様が
天井や壁に映りなんとも幻想的な感じ。。。


こちら側の窓と奥の廊下の窓はお揃いで、お多福窓と市松格子を組み合わせたデザイン。
すりガラスと透明ガラスの正方形の市松が上品で洋室にも違和感なくはまっている。


驚くのがこちらのドア、かわいいハート形の窓~~~奥さんか娘さんの部屋だったのかなあ。


展示してあった、建築当初の岸邸の絵図。当時は周囲は畑ばかりで、岸邸の敷地は今よりずいぶん広く、
客用の玄関はまだなかったことが見て取れる。客用玄関はあとから改築で作られたという。派手なガラスなども
あとからの改築で作られたのではないかと想像する。


あぁ隅から隅までスキのない上質な意匠の数々。素晴らしかった!最後にお庭から建物を眺めよう。
ここに着いた頃から降り出した雨はすでに本降りになっていて、雨粒が写り込んでうまく撮れないほどに(汗)。


庭に入る門の軒裏はこんな網代が組まれていた。


二階の赤白市松の窓は、夜に明かりが灯ったらいったいどんなふうに見えるのだろう~~


1階の座敷裏の廊下の青い壁が外からよく見える。床下までデザインされていてすごい。


タイル貼りのあの部分が洋室だ。不思議としっくりおさまっているなぁ。


写真がめちゃくちゃ多くなってしまったが、これでもだいぶ端折ったのだ。こんな素晴らしい建物はまさに
厚木市の宝。残して頂いた岸家と厚木市に感謝だな!
大雨予報でお客が少なくゆっくり見れたのはよかった。アクセスの悪さがネックだけど、天気のいい日に
もう一度見に行きたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厚木市古民家岸邸 その2

2021-06-06 22:25:31 | 建物・まちなみ
厚木市古民家岸邸の続き。
玄関の間の左手には紺色の壁の落ち着いた10畳の座敷があった。


座敷を囲むように回った廊下のガラス障子がとってもおしゃれ!!
桟の間の細い部分がすりガラスで、まるでチェック柄のよう。美しいなぁ~~


この部屋の天井は全体が大きく8分割されている。10畳の8分割だから、それぞれの天井板は
1畳よりも大きな一枚板なのだ。ひゃ~~~!幅10cm以上ある押さえ縁は漆が塗られている。


隣の部屋も同じく全体が濃紺色の壁の座敷。これら二間は客間であり、お役人などをもてなしたのだろう。


天井が高いので欄間も高さがある。梅の木の透かし彫り。


2部屋は同じ広さだがこちらの方が床の間の奥行がある。床柱は直径30cmぐらいあろうかという
磨き丸太がど~んと!根本が太くて上の方には枝の跡。まるでそこから生えているよう!?
床框や落とし掛け、敷居や鴨居、建具、どれを取っても、上質な木材が丁寧に仕上げられ、全く狂いがない。


廊下に張り出した付書院。
廊下は床の間や書院が張り出した部分がかなり狭くなっているが、さっきと同じ青い漆喰壁だった。


この座敷の横の廊下を進むとトイレがある。ここの手洗い場がまた面白いのだ!


古い銅製の水タンクは、狛犬?獅子?がてっぺんに乗っていて、左側には龍の頭、右側には舌を出したおっさんの顔!?
いや、ガーゴイルかな(笑)




その隣には小便所、大便所が並んでいる。


こちら小便所。便器は水洗に変えてあるものの、窓や照明などはそのまま残されている。
天井もこの通り凝っているなぁ!




球状の照明が素敵~~これは大便所との境の壁に埋め込まれていて、両方の灯りを兼ねている。


大便所の窓は桟が山形のデザインになっていて、桟の間に何と細い細い赤色ガラスが嵌められていた!
幅は2~3cmほど。こんな細くカットしてはめ込むって、ステンドグラス並みじゃない?
よく外れず、割れずに残っているなぁ!!


こちらは格天井のバリエーションで、格間に色違いの板をはめ、通気のために入れられた透かし彫りは何と優美なのだろう!
このトイレは座敷に招いた上客用だったのだろうな。しかしここは何と現在、来館者用として使用されている。


トイレ前の廊下の窓ガラスはグラデーションのついたすりガラスで稲妻のような模様が入っている。




外から見るとこんな感じ。さりげなく目隠しを兼ねた美しいデザインに感服するしかない。。。


トイレは他にもあって、故障したときなどに代替としても使われるというトイレもちらっと
見せてもらったが、まぁそちらも負けず劣らずこだわりの意匠が。

この先1階の裏側の部屋はバックヤードなので非公開だった。

ところで、さっきの座敷の隣の部屋は玄関の間の後方にあたり、四方を部屋に囲まれた「海なし県」の
ような部屋である。他の部屋と同じように畳敷きで襖絵も描かれているなど抜かりない。
ここは各部屋へつながるホールのような位置づけだろうか。


この、中央の部屋に曲がり階段がついているのが不思議な感覚。。。和風のお屋敷だとだいたい
廊下の途中にあるか、部屋と部屋の間に挟まれているか、玄関ホールに降りてくるような形が
ほとんどではないかと思う。家人用だと押入れの中に階段があったりもするが。。。


案内の方と話していると、階段の下半分は改修したと言われていた。でも場所は変わっていないだろう。


この部屋の中央にぶら下がっているピンクの切子の電笠のかわいらしいこと!!
階段を上りながらじっくり見ることができる。


さらに階段の屈曲部の頭上は、折り上げ格天井のようなS字型の「亀の尾」になっているのも
変わっていて面白いなぁ!


さて2階へ!!階段を上ると板張りの階段ホールである。手すりにはいろいろなモチーフのかわいい透かし彫り。
板が分厚い!


続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厚木市古民家岸邸 その1

2021-06-04 23:45:48 | 建物・まちなみ
しばらく前のこと。
週末下田へ1泊で行こうと思っていたのに雨の予報。しかも土曜の夜には100%って・・・(涙)
仕方ないからどこか近場へ行って早めに帰ってこよう。・・・ということで、家から1時間ちょいで行ける
厚木へ行くことにして、私にしてはちょっと早めに出発。目的の古民家岸邸は本厚木駅からバスだと40分と
かなり遠く、雨も降ってるので、ちょっとお金はかかるけどカーシェアを借りてぴゅーっと行こう。


やってきた岸邸はすごかった!!入り組んだ住宅地の中に、神社かと思うようなうっそうとした森と、
長い長い生垣と、この門構え。おぉ、、、これはタダモノじゃない!


岸邸は1891(明治24)年築とされている。岸家は豪農であり、養蚕家でもあった。
平成10年に厚木市に建物が寄付され、修復工事を経て一般公開されている。なんと入館料は無料!?

そろりと門をくぐって玄関に向かってゆっくり進んでいくと、足下には切り石の石畳や、丸っこい川石を
並べた敷石や、アプローチの脇に鎮座する大きな石など、石使いにこだわりが感じられる。


雨に濡れてぬめっとした光沢を放つ黄色い石がとても印象的。


石畳は途中で二手に分かれ、その奥に破風が突き出した別の玄関があった。そちらが客用の玄関だな。
ちょっと先に見に行ってみよう。


おぉ、立派な式台つきの玄関。これもこだわって選んだのだろうと思わせる沓脱石。土間には海老茶色の
八角形タイルが敷かれている。




玄関の間には正面に衝立が置かれて部屋の中はちらりとしか見えないが、う~ん、良さげ!!
期待が高まるねぇ~~


そしてこの玄関の壁の外側には、四国の旧引田郵便局で見たのと同じようなピンク色の布目タイルが
使われていた。


玄関の内側の壁なら装飾的な目的だろうが、こんな外側の目立たない部分にタイルを貼っているのは、
雨垂れから壁を保護する実用的な目的なのだろう。しかしピンクとは、かわいい~~♪


塀の向こうは庭園だ。


さて見学客の入口へまわり入館しよう。中へ入ると農家のような土間がある。


しかし普通の農家と違うのは、土間の端がタイルで縁取られていたり、高窓にかわいい色ガラスがはまって
いたり、元台所との境に透かし彫りの欄間があったり、変なところに洋風な意匠のドアがあったりするのだ。


何これ!!こんな土間見たことない。


ステンドグラスのような色ガラス窓。


建物のいたるところに装飾があるんですよ、と管理のおばちゃん。あぁ、土間でいきなり萌え萌え~!


ワクワクしながら部屋に上がる。最初の部屋は15畳と広く、天井が高い。


奥にはいくつもの部屋がつながっている。


そしてその天井が、格天井と根太天井の中間のような、びっくりするほどゴッツイ格子状の天井だった!
格間も一枚板で見るからに分厚そうだ。。


庭側には廊下がつき、その壁は青色なのにびっくりするが、突き当りに飾り窓があるのもまた不思議な感じ。。




この窓の枠は漆塗りで、さらに金泥で着色されている。なんで廊下の窓がこんなにゴージャスなんだ!?


・・・と思ったら、窓の向こうはあの客用玄関だったのだ。玄関側から見ると漆塗りの窓枠には金泥で
模様が描かれていてさらにきらびやかである。玄関の間から外を見ると、青々とした新緑が眩しい。


ここがさっき衝立の向こうに見えていた玄関の間だ。稲妻型の枠に籠目の入った面白い欄間障子。
奥に階段が見える。


隣の座敷との間の欄間は豪快な透かし彫り。松の古木と群れる鶴が折り重なるように彫られている。
分厚い板からの一刀彫だ。この立体感、迫力あるな!




続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大倉集古館

2021-05-24 23:13:00 | 建物・まちなみ
建物のいいミュージアムをぐるっとパスでめぐる。
大倉集古館は虎ノ門のホテルオークラの敷地内にあった。大倉とはホテルオークラの「大倉」なのかと、
常識のことにようやく気づく(苦笑)


新橋駅からごちゃごちゃした繁華街を抜けると再開発真っ盛りの虎ノ門。巨大なホテルの敷地を回り込んで
坂を上ってくると、反り返った屋根が見えてきた。外壁は石張り、朱色に塗られた軒裏や窓の桟は中国風。
左右対称の建物正面の1階には5連アーチ、2階にはバルコニーが。両側には六角形の窓が配されている。


楽山亭で見た「六方積」の石積みと同様、ひとつの石が6つの石に接し花びらのように見える貼り石。


大倉組の創始者である大倉喜八郎は、1902(明治35)年に自邸敷地内に大倉美術館を建てていたが、
1917(大正6)年、財団法人大倉集古館にすべてを寄付、日本初の財団法人の私立美術館が誕生した。


関東大震災で当初の建物と展示品が消失したあと、伊東忠太設計の建物が1927(昭和2)年に完成。
ホテルオークラ建設に伴い1962(昭和37)年に大規模改修が行われ、ほぼ現在の姿になったようだ。


建物の内部は天井が高く開口部がほとんどない大きなワンルーム空間であるが、梁の持ち送りや鉄扉のレリーフ
などに風格を感じる。しかしやはり建物内部の写真撮影はNG。残念~~


このときやっていた展示、「彩られた紙」展も見たいと思っていたのだが、これが想像以上に面白かった!
料紙とは書に使われる紙のこと。書の主役はもちろん文字で紙はしょせん背景、という考えは覆された!


奈良時代の書から見ていっても、材質、色、質感・・・本当に書が生きるような紙が選ばれている。
紙の原料としては楮やミツマタが有名だが、麻やマユミ、竹なども原料に使われ、胡粉や石膏、樹脂や
澱粉などを混ぜたりして白さ、肌理、強さを追求したり、艶が出るように表面を磨いてあったりもする。
それらの紙のマイクロスコープ画像が並べられているのが面白い!


さらに、文字に合わせて背景を飾る、そのこだわりようはもうどちらが主役なのか分からないほど!!
染める、模様を刷る、空刷して模様をつける、金銀を貼る、吹き付ける、散らす、絵を付ける・・・
それらの自由自在な合わせ技で飾られた、平家納経(模本)の美しいこと!!田中親美という人が厳島神社の
依頼を受けてオリジナルと同じ材料同じ技法で制作したという。文字もいろいろ。背景のグラデーションに
合わせて読みやすい色で書かれている。これがまた、青、緑、金色・・・など実にファッショナブル!!
文字の形状だけでなく料紙も書の一部、さらに表紙や見返し、軸先の意匠なども全部合わせて「書」という
芸術なのだと、なんとなくわかった気がした。

国宝の普賢菩薩騎象像も見ることができた。体つきが象に見えないけど(笑)
展示物の点数は少なかったが閉館まで1時間半ほどゆっくり堪能した。

そして建物の前庭にあった、石の羊。
これと似た羊の彫刻は春日野会病院(紅塵荘)や、他の場所でもたまに見かけて、なぜ羊なのだろうと思っていたが、
中国や朝鮮半島では、王領や陵墓の両側に置かれ、墓を守護し霊を鎮魂する「鎮魂獣」なのだそうだ。
大阪の新ダイビルの旧建物の羊もこの石羊をモデルにしたのだろうか。


新橋駅からぶらぶら歩いて来る途中のまちが面白かったので、帰りにもう少しうろつこうかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝倉彫塑館

2021-05-18 23:06:03 | 建物・まちなみ
ぐるっとパスで朝倉彫塑館にも建物目当てで行ってみた。
日暮里駅から徒歩10分ほど。書道博物館のあった鶯谷もそうだが、山手線の上野から池袋の間ってほとんど
行ったことがないエリアだ。鶯谷と日暮里は隣りの駅だったんだな、一緒に行けばよかった(苦笑)。

塀越しに真っ黒な洋館がそびえているのが見える。おぉ、これか!
彫刻家朝倉文夫が自ら設計して建てたもので、1935(昭和10)年に完成。
こちらの洋館がアトリエで裏側には和館の住まいがある。


まず門と塀が変わっている。六角柱か五角柱か、細長い石を縦に隙間なく並べて塀にしてあるのだ。
これは玄武岩のように柱状節理のある石だな。しかし玄武岩のように黒くないしも質感も違う。
こちらに来てから時々見かけて気になっていたのだが、これは伊豆で産出する「伊豆六方石」という石らしい。
火山の溶岩が冷えて固まるときに繊維状の柱状節理ができるのは玄武洞の玄武岩と同じだが、伊豆六方石は
角閃石デイサイトや輝石安山岩だという。


六方石は門の付近だけで、そこから続く塀には大谷石が使われていた。関東らしい地方色を感じる石使いだな!
しかし、塀に単管が組みつけてあったのは何か工事の予定があったのだろうか。ちょっと景観が・・・(汗)


えっ、建物の内部は写真撮影NGなの!?ん~~残念(涙)。


門の脇に建つ茶室の待合のようなあずまやを先に見よう。こちらも古そう。当初のものだろうな。


ダイヤモンド型の五角形、面白い形をしている。垂木を放射状に配し網代を貼った傘天井の中央に吊り灯篭が。


足元を見れば擬木の丸太が敷き詰められ、その隙間には、チャートだろうか、赤い小石が詰められている。
壁沿いにはベンチが造りつけられているが、腰張りの板も互い違いに高さを変えてあり、いろいろ凝っている。




三階建てのコンクリートの壁は真っ黒に塗られ、なんかすごくものものしいというか、威圧感があるというか・・・
しかし、近寄ってみるとひさしの下の壁は小さな粒々の青石がみっしりと貼られた洗い出し。そして塀と同じく
六方石が段違いに並べて貼られている。竹や木のような石使い。RC造の洋館なのに、数寄屋のようじゃないか!?


さぁそろそろ入ろう。
玄関を入ったところからびっくり!!エントランスホールは玄関付近の数寄屋の雰囲気が続いているのだ。
足元には、さっきのあずまやと同じようだが擬木でなく本物の木の輪切りが敷き詰められ、隙間には青石の小石が。
空調が仕込まれた出窓の下の壁には割竹が貼られているし、階段には絶妙にカーブした自然木が手すりとして
使われている。
そしてそこから続くアトリエにまた度肝を抜かれる!高さ10mぐらいあろうかという吹き抜けの天井は
隅がすべて丸く塗りこめられていて、モヤモヤした黄色の壁がまるで大きな繭の中にいるような感覚を起こさせる。
このマットな壁は和紙?と思ったら、真綿壁といい、真綿、つまり絹のくずを壁に塗ってあるのだ。へぇー!!
アトリエには大きな塑像を制作するときのために電動昇降装置が仕込まれている。というか、これを備えつける
ためにRC造の洋館を作ったというのだからすごい。このアトリエにはたくさんの作品が展示されていた。


隣の書斎は四方の壁が天井まで本棚となっている。その隣の応接室はまた面白い。おそらくここから和館だと
思うのだが、台形の出窓にソファが造りつけられている一方で壁はベンガラ入りの赤い漆喰壁という不思議な部屋。
その先は中庭をめぐる廊下が伸びていて、和館の玄関へと至る。
中庭も朝倉文夫自ら設計し、西川佐太郎という庭師に依頼して作らせたという。中庭をぐるっと囲むように
配置された廊下や各部屋のどこから見ても、さらには2階から見ても美しく違った表情に見えるように、
計算されているのだ!中庭のほとんどを水面が占め、朝倉氏がこだわって集めた石が配置されている。
数寄屋意匠満載の和館の各部屋はどの部屋も本当に面白くて素敵で、写真を撮れないのが本当に残念。。。


ただ屋上と蘭の間という部屋だけは写真撮影可能ということだったので、ここぞと写真を撮る(笑)。
3階の屋上にはなんと緑豊かな庭園が広がっていた!!


オリーブの木がこんなに大きくなるなんて、知らなかった!
朝倉文夫はこのアトリエで「朝倉彫塑塾」を開き後進の教育にもあたった。そのカリキュラムの中で必須と
した園芸実習をこの屋上庭園で行ったのだ。今はバラ園になっていたが花にはまだ若干時期が早かった。


このあたりはあまり高い建物がないので眺めも素晴らしく本当に気持ちいい。あぁなんて素敵な実習場所だろう。


再び階段を降りて蘭の間へ。


蘭の間の前にパステルカラーのタイルを乱貼りしたかわいい水場があった。
ルーフバルコニーの床はキャラメルのようなクリンカータイル、腰壁はスクラッチタイル貼りとタイル尽くし。


そして豚の顔の壁泉がユーモラス!!青銅製と見えるのでこれも氏の作なのかな?


蘭の間は温室のように明るいガラス天井だった。そう、その名の通りここでは蘭が栽培されていたのだ。
朝倉文夫は蘭の栽培にも熱を入れ、「東洋蘭の作り方」という本まで書いている。
アトリエや1階の外側の温室に蘭の鉢が並んでいるが、焼き物としての蘭の鉢もまた見事なものがある。


現在はこの部屋では猫をモチーフにした彫塑作品が展示されている。
猫好きで多い時は10匹以上の猫を飼っていたという朝倉氏。まるで生きているかのような表情やしぐさの
リアルな描写からは、半端でない猫好き加減が伝わってくる(笑)。
「猫百態」展を構想し製作していたが途中で亡くなってしまったため100点には及ばないが、ここや
アトリエにたくさんの猫が展示されていた。人間よりも猫の方が得意だったという話も(笑)


この写真の朝倉氏の表情を見れば納得。猫にまみれてこの上なく嬉しそうだ!




さてこの部屋の階段がまたちょっと面白い。温室と数寄屋?・・・う~ん、なんと斬新な。


階段を数段下りたところにちょっとしたスペースがあるのだが、スキップフロアなのか踊り場なのか・・・


絨毯の下はモザイクタイル貼りだとわかったのだが、この丸みはいったい・・・?今はポールとか置いてあるけど
手すりもないから誤って落ちそうじゃないの!?このよくワカラン仕上げに想像を掻き立てられるなぁ~


オリジナルグッズや本も充実。タダで(ぐるっとパスで)入館したので少し売り上げに貢献しておこう(笑)


裏に回ったらお墓の前に和館の入口が。


あぁ素晴らしい建物でめちゃくちゃ楽しかった!また行きたいなぁ~


朝倉彫塑館公式サイト
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書道博物館の敷瓦

2021-05-15 23:54:43 | 建物・まちなみ
GWでブログを中断したら書けなくなってしまった(汗)。リハビリが必要かな・・・

東京に来てから、多様なミュージアムが身近にたくさんあることに気づいて時々訪れているのだが、
料金が結構高い(汗)。もちろん展示にはそれだけの費用がかかるわけだろうが、、、関西では
千円前後の相場感だったのが1800円とか1600円とか普通にするので、ちょっと痛い(苦笑)
それで、「東京・ミュージアムぐるっとパス」というのを2500円で買って、それで入れるところを
チェックすることにした。有効期間は2ヶ月。今は緊急事態宣言で休館休園が多くちょっと損した気分
だけど、、、もちろんこれで入れなくても見たい展示は行くし、別に見たくもないところを無理して
回るわけでもない。
古い建物が使われているところも多いので、見学目当てでも行く。素敵な建物の中でゆったり滞在
するのは至福のひととき。特に興味なかった展示でもチラ見していると結構面白かったりするのだ。


さて、前から行こうと思っていた台東区立書道博物館。鶯谷駅からほど近い静かな道に面して建っていた。
ここは、洋画家・書家であった中村不折の旧宅で、1913(大正2)年から30年間住んでいた場所。
中村不折は1936(昭和11)年に書道博物館を創設し、書道史に関する貴重な収集資料を収蔵する
ためにこの建物を建てた。


元入口は閉められている。


敷地内にあった居宅は空襲で消失し、現在、博物館開設当初からの本館と、平成7年に中村家から寄贈
されたあとに建てられた中村不折記念館の建物で、コレクションの展示が行われている。さぁ入ろう。


記念館の展示をさらっと見てから、中庭へ。中庭には居宅があった当時の名残とみられる庭園が残り、
牡丹が華麗な花を咲かせていた。館内は写真撮影不可だが、中庭はOKなのだ。


大正時代に建てられたというこの蔵の犬走りには、瀬戸の本業敷瓦が埋め込まれているのだ。




2種類の印花文はどちらも比較的よく見るタイプで、色違いの敷瓦をセットに、そして白ばかりをセットに。
それらの間にはなまこ壁に使われる張り瓦のような、瓦質の敷瓦が敷かれている。




黄瀬戸、緑釉、鉄釉、天目釉、志野などの釉薬がこってりかかった敷瓦は歪みが大きくかなり古そう。
とても大正時代のものとは思えず、明治初期か江戸末期じゃないか!?という気がする。




もともとここにあった建物に使われていた敷瓦を転用、または別の建物に使われていたものをもらってきて
再利用したのではないだろうか。施設の方に尋ねてみたけどわからないようだった。


さらに近年、明治時代に建てられた蔵が現存していたとわかり、敷地内に移築された。
中村不折はこの根岸周辺で何度も家を建て替え引越していたといい、以前住んでいた家で蔵を建てたが
現在地に引っ越して以降忘れ去られていたのだった。道路拡張工事のため偶然発見され、救い出されたと
いう話である。


祠のような小さな大谷石積みの蔵。


これで明治、大正、昭和、平成、に建てられた建物が敷地内に揃った。時代はつながっているのだ。
静かな展示空間には「書」というものばかりでなく、文字が刻まれた銅器や碑や、外国から持ち帰った
民俗資料的なものも並んでおり、結構楽しめた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手旅 宮澤商店のレンガ蔵

2021-04-28 22:38:41 | 建物・まちなみ
2020年3月の岩手旅の続き。

まちの北側の少し小高いところに花巻城跡があり、城下の町とは少し高低差がついている。
元の城内は公園のほか学校や官公庁などになるのが常だ。ここも例にもれず小学校、幼稚園、体育館、市役所、
裁判所などが集まっている。


城に近いところには武家町が造られる。丘のふもとにあったこのお屋敷もそんな武家屋敷の名残だろうか。
しかし奥深くて様子すらうかがえない。


花巻城のふもとから、豊沢川までの間に町人の町が広がっていた。花巻は戦災にあっているためまちなみは
昭和だけど、ぽつぽつと古い蔵などが残る。




ビジターセンターあたりに戻ってきて、そろそろ花巻の建物めぐりも終わりにしようか、、、まだちょっと
時間があるけど、いつもギリギリになるからちょっと早めに空港へ行っておこうかな。・・・と車に乗り込んだが
少し外れたあたりに宮沢賢治の生家であるという宮澤商店があるのを見忘れていたので、戻る(笑)。

道を渡って行くと、おや、中国パブの派手なピンクの看板のついたこのビルもなんか気になるぞ。
正面の三角破風はあとからつけた飾りだろうが、ビル自体は古そうだ。




近寄ってみるとやっぱり、間違いなく近代建築ビルだ。入口付近は全く元の姿をとどめていないが、側面に
並んだ縦長窓を見ると銀行建築の雰囲気だな。しかし花巻の銀行建築でネット検索しても出て来ない。。。


裏には民家のような和風の建物がくっついていた。裏は住まいなのか・・・?




さて数軒隣の宮澤商店(写真奥)は宮澤賢治の母イチの実家であり、1896(明治29)年、イチはここへ
里帰りして賢治を出産した。「賢治誕生の家」「賢治産湯の井戸」として観光マップにも載っている賢治ゆかりの
スポットである。


もう夕方5時近かったが木扉が半分開いていて事務所もまだやっていたので、終業時間間際に悪いなと思いつつ
ちょっと敷地に入って見学してもよいかと尋ねたところ、わざわざ出てきて案内して下さった。


こちらが産湯の井戸。花巻の鍛冶町地区は豊沢川の伏流水が地下を流れているため各家に井戸があり水が豊富に
湧いていた。


ふたを開けてつるべを引き上げて見せて下った。白っぽい石(大型のレンガ?)が積まれた大きな径の井戸だ。


敷地内には蔵も残っている。花巻も空襲を受けたが宮澤商店は戦災を免れたらしい。
宮澤商店は砂糖、小麦粉、雑貨、灯油などを扱い、専売品であった塩やたばこも扱っていた。
それぞれの品を分けて保管するためにたくさんの蔵が必要だったのだろう。


奥の白い3階建て(?)のレンガ蔵がさっきから気になっていた。


何でこんな白いんだ?耐火煉瓦でもないだろうが、、何か塗ったのだろうか。ペンキではなくちょっと粉っぽい感じ。
うす茶色の部分もあるので、鉱滓レンガなのだろうか。


明治時代の築というレンガ蔵は窓に重厚な鎧戸がついていてドアもまるで金庫のようだ。さっきの土蔵とは
格段に違う防犯性。これは専売品であるたばこや塩用の蔵だったのか、それとも、家のお宝をしまっていたのか。
そのときいろいろとお話を聞いたのだが時間がたちすぎて忘れてしまった(汗)


白い蔵の一部が灰色に汚れているのは、戦時中に防空色に塗装した名残だという。


このあたりのレンガを見ると白い色はしっかり焼き付いたように見え、塗ったようにも思えないのだけど・・・




敷地の一番奥には小さなレンガ倉庫があった。これは油の保管庫だったと言われていたと記憶している。


こちらの建物の石段を下りたところには石組の池がある!?井戸から引いているのだろうか。
観賞用の池には見えないので防火用水だったのだろうな。


賢治の祖父にあたる宮澤善治氏は岩手軽便鉄道の設立や花巻温泉の開発などにも関わった人。
宮澤家は花巻の近代化・インフラ事業の経営に参画し、現在までずっと地域経済をけん引してきた名家である。
はじまりの地に今も宮澤商店の小さな事務所があり古い蔵などがそのまま残っているのは、宮沢賢治のゆかりと
いうだけでなく、花巻のまちの歴史をたずねるスポットとしても興味深い。

遅くまで案内ありがとうございました~~

楽しかった岩手旅、これにて終了。

おわり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手旅 花巻の建物めぐり

2021-04-27 23:40:43 | 建物・まちなみ
2020年3月の岩手旅の続き。

台温泉に泊まった翌日大沢温泉に行く前に花巻のまちをうろついた。

花巻ではこの建物を是非見たいと思っていた。「黒ぶだう ベチュラ公爵別荘」(旧菊池邸)。
まちの中心部から見ると端の方にあったが、車を停めるところがないのでビジターセンターのあたりで
車を停め、10分ほど歩いて見に来た。


おぉ~~素敵な洋館だなぁ!黒っぽい色に塗られた下見板張りの壁、半切妻屋根の建物の少し右寄りに
マンサード型の破風の玄関があり、その上に2階が載っている。その横には小さな三角のドーマーウィンドウ。




この建物、斜めから見るとまた見え方が面白い。側面にも入口があって、半切妻破風から緑色の鉄板葺きの
入口のひさしが突き出している。そして反対側も全く同じように入口がついている。正面側の玄関と大して
違わない大きさなので、3世帯住宅にでもなりそうだ(笑)


この建物は菊池捍という人の住まいだったが、宮沢賢治の童話「黒ぶだう」に出てくる「ベチュラ公爵の別荘」
のモデルとされている。赤狐と子牛が留守宅に忍び込んで皿の上の黒ぶどうを食べてしまうという話。
旧菊池邸は花巻生まれの宮沢賢治にゆかりの深い建物として、心ある人々により買い取られ、2013年に
改修工事が施された。訪れたときは門が閉まっていたし、公開されているような雰囲気もなかったが、
レストランやカフェなど誰でも入れるような施設として活用されればよいなぁ~~


花巻のまちをうろうろ歩くと他にも気になる建物がちらほら。
こちらの古い和風建築は園芸屋さんとして使われていたので、ちょっとおじゃまして建物を眺める。


1階も2階も庭側全面パテ止めのガラス窓が連続し、温室みたいだ!
タダモノではない感じで、建物の内部を見てみたいが、お店になっているのは庭だけのようだった。


こちらは住宅街の中にあった建物だが、敷地の角から見た左右対称の玄関が印象的。なんとなく医院っぽいな。


右側には和館が連続していて、こちらが住まいなのだろう。
外に出ておられた近所のおっちゃんにちょっと尋ねてみるとやはりここは医院だったようだ。
元は藤井医院、その後はたふく医院と変わり、空き家になっていたが戦争で焼けなかった、と。
なので戦前の築であることは確かなようだ。


この辺の建物なんかも実は古そうだ。


真ん中あたりにこんな古めかしい「今文第二大町荘」の看板が掲げられた入口があるのだ。
まぁでも右文字だから戦後の建物かな。


平入の町家の側面に見える妻壁はこんな梯子を重ねたような規則正しいタテヨコの材で装飾されている。


門の奥にチラッと見えたこんなドーム屋根のお寺を発見。気になって門をくぐってみた。


中央に塔がそびえるドーム型の屋根はインド風なのか!?どう見ても普通のお寺じゃない(笑)。
松庵寺というこのお寺、いわれも何もよくわからなかったのだが、浄土宗のお寺のサイトに少し書かれていた。
こちら
昔は真言宗の寺であったが、念仏庵になった、と。高村光太郎のゆかりのお寺でもあるらしい。


建物は戦後の築に見えるが、年代や設計者など全く不明。


花巻駅の方へちょっと歩いてこれを見に来た。「高源」という看板が掲げられた古い蔵のような建物は何と、
高源精麦株式会社の現役の事務所である。


モルタル塗りの蔵っぽい建物だけど、妻壁の三本ラインや軒下の平行四辺形の模様など・・・モダン。
のぼりが立っているということはここでは小売りもしているのかな!?


商店街のアーケードの後ろに石蔵が。


戻ってきて歩いていると、古い木造の建物が並んでいる一角が。何これ??


洋館付き(?)の大きなお屋敷もあるな!玄関の欄間の彫刻など、割と新しいけどかなり手が混んでいる。


なんだか不思議な雰囲気の通り。
道端に「岩手軽便鉄道鳥谷ヶ崎駅跡」という石標が立っていた。
岩手軽便鉄道は花巻電鉄とは逆方向、花巻駅の東側に伸びていた私設の鉄道で、1913(大正2)年に
最初の区間が開業。宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」のモデルになったと言われる。鳥谷ヶ崎停留所は
花巻駅を出てすぐのところで、開業2年後の1915(大正4)年に設置された。


岩手軽便鉄道は1936(昭和11)年に国有化され、国鉄釜石線(現JR釜石線)となった。
その後改軌とあわせてルートの変更工事が行われたため、現在の釜石線とはルートが違っている。
鳥谷ヶ崎駅はこのとき廃止された区間にあったので、1943(昭和18)年、切替と同時に役目を終えた。
これらの建物が戦前からのものかどうかは分からないが、ここに列車が走っていた情景を思い浮かべるのに
十分な雰囲気を残した一角だ。


続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手旅 大沢温泉の迷路宿

2021-04-23 22:07:27 | 建物・まちなみ
2020年3月の岩手旅の続き。

台温泉に泊まった翌日は、花巻のまちをうろつき、そのあと大沢温泉へ立ち寄り湯に行ってきた。夕方はまた
タイムリミットまで花巻歩きの続きをしたので、花巻のことはまとめて書くことにして、先に大沢温泉を。

大沢温泉は宮田珠己さんの四次元温泉日記の本に載っていた「O温泉」であり、迷路宿好きの私としてはいつか
行きたいとずっと機会をうかがっていたのだった。


道路から敷地に入ると下り坂で、豊沢川の谷に向かって降りていく。
おぉ・・・見下ろす屋根は鉄板葺きになっているが古めかしい建物が残っているなぁ!渡り廊下が左側の棟
にも続いていて、そちらは斜面の上の方まで廊下が伸びている。ははぁ、あっちの方が複雑そうだ(笑)


「大沢温泉」というのは温泉地の名前であると同時に宿の名前でもある。自炊部「湯治屋」と旅館部
「山水閣」に分かれており、昔ながらの長期湯治客と快適な滞在を望む旅行者、両方のニーズに対応できる
宿となっている。


さぁ入ろう。あぁガラスに書かれた筆文字に気分が高まるねぇ~~
長い歴史のある温泉で、約1200年前の延歴年間に征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の際に毒矢を受けて負傷したが
ここの湯に浸かるとほどなく傷が癒えたという伝説がある。宮沢賢治や高村光太郎らも通ったという。


中へ入ると昔の木造の学校のような素朴なつくりで、天井の低い帳場みたいな部屋に土産物を売っていた。


お風呂は左手の廊下を奥へ行った先にあるらしい。やった~奥まで入れる!入浴後に館内を見学してもよいか
尋ねたら快い返事を頂けた。そして川の向こうに茅葺の建物があって、橋を渡って行けるが今は閉めている
との話だった。


サンダルに履き替えて橋の手前までは行けますよと言うのでちょっと見に行ってみた。
橋は途中でカクンと曲がった「曲がり橋」。茅葺の建物は「菊水館」といい元は客室として使っていたが、
現在はギャラリーとなっているらしい。たまたま閉めていたのか、不定期営業なのか。。


温泉はモザイクタイルを貼りつめたレトロなタイル浴槽で、ぬるめのお湯にゆるゆる浸かってリラ~ックス!
大沢温泉にはかつて花巻電鉄の駅があった。花巻電鉄鉛(なまり)線は、花巻市街から西鉛温泉まで走っていた軌道線。
以前藤三旅館に泊まったときに見た馬づら電車もそこを走っていた車両だ。
かつては沿線に鉱山があり貨物輸送もしていたとか。
近隣の温泉地を数珠繋ぎにしていたので温泉巡りに便利だっただろうが、1969(昭和44)年に廃止。
今は車がないと行きにくいな。。


お風呂から上がってちょっと館内を散策しよう~~


廊下を進んでいくといくつもの棟が繋がっている。
小さな食堂があった。社員食堂とか昔の学食のような飾らない食堂。湯治屋のお客専用の食事処かな。
まさか旅館部のお客の食事をここで提供しているわけではないだろう(笑)


その手前に2階の客室へ上る大きな階段がある。


この「ピンポン ゲートボール ごらく場」と書かれた看板がどうしても気になるよね~


二階へ上ってきたら、階段はさらに奥へと続いている。


ここが新館とは!本館は寛政年間からのものというから、これでも新しいのだろう。


湯治用客室の中を覗いたわけではないが、廊下も明るくて開放的で十分快適そうだ。
以前泊まった有名な玉川温泉の湯治部の部屋はキツかったけど、、、


さて奥へ続く階段を上がったところに大きな部屋があった。覗くと、確かに卓球台が並んでいてステージもある。
ゲートボールがあったかどうかは不明・・・(苦笑)。でも使われてなさそうな雰囲気だったな。。


この部屋の前から下を見下ろすと客室のあった「新館」と奥の浴室などが一望できた。
この部屋が斜面の一番高いところにあるのだ。


ごらく室の内部はベニヤっぽい板が貼られサッシも新しくなっているようだったが、廊下の床は古い。
それぞれの棟がいつ建てられたものかは分からないが、黒く光る艶が年代を感じさせる。


最後に売店で「ヨーグルトにかけるお醤油」というのを買ってみた。
ちなみに帰ってから食べてみたら、甘みのある醤油?醤油風味の蜜かな?アイスクリームにも合いそうだ。


お湯もよかったし、面白かった~!




大沢温泉を出てから帰るまでまだ時間があるのでどうしようか・・・遠野まで足をのばそうか、などと
考えながら車を走らせ、途中にある旧小原家住宅に立ち寄る。
寒い気候のため家畜小屋を人間の住む棟と繋げてひとつ屋根をかけた、「南部曲り家」というこの地方独特の
農家型民家である。上から見ると屋根がL字型をしている。


残念ながらまだ冬季のため開いておらず内部は見ることができなかった。
本によると、元は別の場所にあったが町に譲渡されたときに似た環境のこの場所に移築された。
そして、18世紀中ごろに建てられた当初はL字型をしておらず四角い建物だったが、あとから手前の馬屋の
部分が増築されて曲がり家になったのだとか。へぇ~!


小さな水車小屋もあった。


おや、外構に青石が使われているな。しかもかなり鮮やかな黄緑色が入っている。青石の三波川変成帯が
岩手まで続いていたのか!?


ん?これは蛇紋岩じゃないの?
そういえば岩手銀行赤れんが館で話を聞いていたときに、蛇紋岩は近くの早池峰(はやちね)山で採れると
言われていた。こんな民家の外構に蛇紋岩が使われているなんて初めて見たな!!


その山は蛇紋岩でできているというから、このあたりでは本当にありふれた材料だったのだろう。
う~ん面白い!


付近にフキノトウがたくさん生えていたので少しだけ摘んで帰る(笑)。
あぁしかし遠野まではちょっと遠い。行ったらトンボ返りになってしまうな。。。飛行機の時間に遅れるのは
怖いし、無理せず花巻へ戻ってお茶でもするか。

続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手旅 台温泉の旅館

2021-04-21 00:42:21 | 建物・まちなみ
2020年3月の岩手旅の続き。



盛岡市内から台温泉にわざわざやってきたのは、古い木造4階建の中嶋旅館を見てみたかったからだ。
・・・とは言っても私が今宵泊まる宿はそこではなく、ずっと安い旅館なのだが(苦笑)。
こういう宿は一人泊はもったいないし、そもそもシングルプランがなかったのだったと思う。

荷物を置いたら夕食までの間にちょっと散歩にでかけよう。


台温泉は陸上競技場のトラックのような長円形の道路に沿って温泉旅館が建ち並ぶちょっと不思議な形をしていて、
地図で見て気になっていた。
実は宿に入る前に長円形の道を車でぐるっと一周してみようと思ったのだが、温泉街が途切れると急に道が
細くなって殺伐としてきたので、心細くなって引き返したのだった(苦笑)。意外とこの長円形は大きいのだ。


木造の古い旅館が並ぶまちなみは雰囲気があるが、実際はバスターミナルに近いあたりではお客がいるが
少し上っていくと廃業済みのような旅館が目に付きちょっと寂しいな。。。


こちらの「楽知館」も閉まっている。


かわいい形の窓。
台温泉は600年前に発見された古湯で(坂上田村麻呂伝説では1200年前)、南部藩の中で最初に
開けた温泉地だという。かつては置屋があり芸妓もいて花街としても有名だったらしい。まぁ温泉地なら
だいたいどこでもあったのだろうが。


丘のふもとに温泉神社があったが、寄り道している時間はない。
というのは、例の中嶋旅館へ立ち寄り湯に行くのだ。もう夕方なので急いで行かないと。。。


おぉ、あれだ。傾斜地に建っているので奥の棟は4階となっている。


他の旅館と違って、道路に面してはいるが町家形式ではなく、大きな入母屋破風の玄関が道路に張り出し、
両脇には短いながら塀があったり、前栽が造られているなど、お屋敷型である。


道路から少しセットバックして三階建の客室が、ひと部屋ごと雁行するように建っている。
縦に長いので本当に地面からそびえ立っているように感じるな!
昭和初期の築で宮大工により造られたという。美しく反った入母屋屋根が重なる。




立ち寄り湯はぎりぎり駆け込みだったけど入れてもらえた。


階段を下っていくのが、地底へ降りていく感じでぞくぞくするね~~
大理石風呂は暗くてすごく熱くて、ミストサウナのように湿度が高く、上がってもずっと汗が止まらない(苦笑)


手洗い場には昭和レトロな雰囲気が残っていた。玉石タイルとひび割れした竹のようなタイル。




もうお客が入っている時間帯だし勝手にうろうろするわけにもいかないので、玄関から浴室の間だけしか
見れなかったけど、客室には手の込んだ意匠もあるらしく、いつかは泊まりに来たいなぁ。


向かいの旅館の壁にあったモザイク壁画。何か昔話があるのかなぁ。


続く
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする