まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

伊豆大島 旧港屋旅館

2021-08-15 23:28:00 | 建物・まちなみ
伊豆大島の続き。

さっきヒイコラ言いながら上ってきた石段は「踊子坂」と呼ばれている。踊子たちはお呼びがかかるとこの坂を
上り下りしたことからついた名だ。


そのふもと近くにもう1軒古い建物がある。これが港屋旅館だ。
朝イチここを通った時にはまだ開いていなかったので甚の丸邸に先に行ったのだった。


「やとなみ」ではなく「みなとや」。
傾斜地に建っているので、下から見ると1階分ぐらいの石積みがあり、2階建てでも見上げるような高さ。
しかし実はこの山側の奥にさらに3階建ての棟が続いているのだ。崖の中腹の狭い土地を目いっぱい使って
建てられた大バコ旅館。この規模から見ても当時の波浮港の繁栄ぶりが分かる。


この石積みの上に造られた小さな前栽には池まで設えてある。


さて中へ。広い玄関は開放的で明るい。お客や仲居さんが入り混じってどやどやと出入りしていた情景が浮かぶ。
この2階建ての旧館は明治時代に建てられ、背後の三階建の新館は大正時代に増築された。
夜ごと宴席で賑わい、混雑を避けるために階段は前後に造られていたという。


上の写真の左手が帳場で、左奥に電話室がある。島で電話交換業務が開始されると港屋旅館ではいち早く電話を設置し、
郵便局の「一番」に次ぐ「二番」を使用した。それほど港屋旅館は有力だったのだ。


ところでこの港屋旅館の見どころは建物ばかりじゃない。当時の様子を再現した等身大の人形がたくさん
飾られていて、さながら「人形の館」である。この人形たちがとても面白いのだ!
こちらの客は若い漁師のようで髪が潮焼けして茶髪になっている。


新館の2階の広間では踊りを披露する踊子の一行と、それを見物する泊り客の宴席風景が再現されていた。
川端康成の「伊豆の踊子」の「薫」のモデルになったのはタミという実在した踊子だった。
踊子の一行は5人で、踊る人、三味線を弾く人、鼓を鳴らす人・・・人形はいずれもきれいどころで、こちらは
特に面白くもないのだが、何と言っても客の方が面白い!特におっちゃんたちが、いかにもその辺にいそうな
個性的な顔ぶれ。髪型も皆違う。


こんなマネキン、想像では作れない。これは絶対に実在のモデルがいて、知ってる人が見たら絶対に分かる。
表情やしぐさもリアルで、何なら石膏で型取りまでしたんじゃないか!?
昔のパンフレットの写真には載っているが現地では見かけなかった顔もあるので、時々入れ替えているのかもしれない。
せっかくだから全員集合でぎっしり並べてほしいところだが、交代で休憩が必要か(笑)。


部屋の欄間も見事な透かし彫り。




床の間もちゃんとある。・・・いや、この建物は正直建物よりも人形の方が面白くて(爆)




3階は残念ながら非公開。曲がり階段の裏側が三次元曲面に塗りこめられていた。




港近くのまちなみ。あまり古くないのは、1956(昭和31)年に波浮港で大火があり16戸が焼失したため。


2階の窓辺に欄干のついた旅館風の建物や銅板張りの建物など少し古そうな建物もいくつかあった。




このまちなみの中ほどにあるお寿司屋が評判がいいので早めのランチをと思っていたのだが、予約のみらしく・・・
食べ損ね。。

続く

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