6月末に尾道で開催された、台湾の日式建築に関するトークイベントに行ってきた。
せっかく山陽方面に行くので、行き帰りにタイル友の会メンバー情報によるタイルスポットを訪れようと計画していたのだが、
土日ともほぼ100%雨の予報。雨の中うろうろして靴の中まビショビショになることを思うと気分が萎える、、、
うろつかず1ヶ所だけピンポイントで見れたらいいや、と何とか自分を奮い立たせて、ゆっくりめに家を出たのだった。
しかし、福山で電車を降りてもバスで鞆の浦に着いても、全然雨は降っていない。ラッキ~!
となると気分はのってきた(笑)。まずは目的の太田家住宅へ行こう。鞆の浦にはだいぶ前に建築めぐりツアーで
来たのだが、時間がなく太田家住宅は外から見ただけだったのだ。
雨っぽい天気だからか、お客はいない。入場料を払い、係りの方にさらっと建物内を案内してもらう。
太田家住宅は元々は「保命酒屋中村家」の建物で、江戸中期、18世紀頃に建てられたらしい。
保命酒とは、あの「養命酒」のような味の薬酒で、代々漢方医であった中村家の家伝の薬法を活用して、1659年に
中村吉兵衛が製造を始めた。中村家は保命酒の製造販売の独占権を持ち、全国に販売して隆盛を極めた。
その後7軒が製造するようになって保命酒は鞆の浦の名産品となった。
元祖保命酒屋の中村家だが1901(明治34)年に保命酒屋を廃業しており、その後宅地建物は太田家の所有となった。
尚、現在は4軒の酒蔵で保命酒が作られており、それぞれ配合が違い味も異なる。しかし薬事法により薬効はうたえないため
あくまでリキュールであるとか。
敷居を跨いだ途端に度肝を抜かれるのが、この市松模様の土間だろう。何と斬新でモダンなのだろう!!
どんな豪商の家でも通り土間は普通はたたきで、装飾のある土間など見たことがない。
建物は数寄屋造りで、店の間、玄関の間から続く部屋は待合と茶室として使えるようになっており、その奥に広間がある。
居室の接客空間と生活空間の間には「場所回し」と呼ばれる廊下のような板の間が挟まれ、分離されている。
市松模様の土間は店の間と玄関の間の前だけであり、その先は普通のたたきであるので、接客空間向けの装飾である。
土間を抜けると・・・半屋外のトイレの手洗い場に本業タイルが見えていた。うぉ~っ!
手洗いシンクや床のタイルは昭和の工業製品に取り替えられているが、よくぞタイルを残してくれたものだな!
いちばんメジャーな柄の8寸の銅板転写タイルだ。よく見ると一枚一枚雰囲気や色がだいぶ違っている。
補修時にあとから入手したものか、当初からロットの違うものが混じっていたのか。
こちらは水洗便器に取り替えられているが、背後の6枚(5枚か?)だけタイルが残されていた。おそらくこちらも
洗面所同様左右の壁にも貼られていたに違いないが、現役のトイレに一部でも残してくれているのはありがたいことだ。
主屋の裏には大きな保命酒蔵が残っている。主屋と蔵の間の通路の部分に敷かれている四角いのは、敷瓦??
聞いてみたところ、中村家では保命酒を入れる瓶を焼く登り窯を自前で持っていたそうで、その窯で使っていた
窯道具か窯の部材らしい。
カラミレンガのような風合い。
蔵の片隅に積まれていた。結構分厚いな。
主屋のお風呂場に庭側からアクセス。ここが見たかったんだよ!
レンガ造の五右衛門風呂の横の壁2面に本業タイルが。さっきのとは違うがこちらもメジャーな柄だ。
まるで屏風を立てたようで素敵だなぁ!
タイルの間隔はかなり広くとられていて、防水の意味ではあまり効果がないかもしれないが、装飾効果は大きい。
そして隣接して便所があるのだが、こちらの男子小便所がまたタイル貼り!しかも床までタイル貼りだ。
案内してくれたおばちゃんに、タイルをよく見たいからと頼んだら戸を開けてくれた。ありがとう~~
壁のタイルはお風呂と同じもので、床は時々目にする青と茶の2色刷りの本業タイルだ。6寸角だな。
本業タイルが床に敷かれているととても贅沢な感じがするなぁ!
※ブログ掲載承諾済
このお風呂とトイレは母屋から中庭を挟んだ向かい側にあり、廊下で結ばれている。
蔵の壁は皆きれいななまこ壁で、さいころの目のような模様が施されている。これは釘隠しのためだろうか。
鞆のまちの他の建物でも同様の模様が付いているところも多い。
続く。
※「旧」ではなく「太田家住宅」でした。文中訂正しました。失礼致しました。
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