少し前のことになるが・・・
お正月休みの間に、前から機会をうかがっていた二つの廃駅跡を、兄と共に訪ねてきた。
ひとつは、マユ35さんのブログで見た孔舎衛坂(くさえざか)駅跡。
近鉄石切駅は昔仕事で何度か行ったことがあったが、そこからほど近いところに
こんな空間があったと知って驚き、行ってみたいと思っていたのだった。
近鉄石切駅と生駒駅の間の現在の生駒トンネルは1964(昭和39)年に開通した
「新」生駒トンネルである。それ以前に使われていた1914(大正3)年開通の旧トンネルの
大阪側の坑口手前に、孔舎衛坂駅はあった。
駅のホームは廃止から約50年たった今もほとんど手をつけられた様子もなく、
今にも列車がカーブの向こうから現れそうな雰囲気を残している。
旧生駒トンネルは開削工事での落盤事故や度重なる列車事故で多数の人が亡くなったことから
心霊スポットとして有名だという。長らく放置されているのはそういう事情からだろうか。
閉ざされた坑口を隙間から覗いてみたが、数m先から暗闇が始まり静まり返っていた。
廃線本によれば、石切駅はもともと現在の駅の200mほど大阪寄りにあり、旧線が今より少し
北側を通っていたようだが、どのようにあそこへつながっていたのか、高低差がありすぎて
どうも見当がつかない。
10年ほど前、駅北側のバイク駐輪場が工事中のときは、その先には荒れ地が広がって
いたような記憶がある。・・・いや、記憶があるというより無関心な空間だった。
今では真新しい建売住宅が建ち並ぶその区域が、廃線跡だったはずなのであるが。
しかしこうして見ると、トンネルを抜けてすぐこのカーブ、勢い余れば眼下に広がる大阪平野へ
飛び出して行きそうでちょっと怖い。
実際、1948(昭和23)年の事故では、このトンネル内でブレーキ制御不能となった
列車が、この下り坂を暴走したというのだから恐ろしすぎる。。。
この孔舎衛坂駅を見下ろす崖の上に「白龍大神」のお社がまつられており、
ここへの「参道」として、道路から駅構内を横断するアクセスが確保されている。
実質的に出入り自由な状況なのに駅跡が荒らされずに済んでいるのは、白蛇様のおかげか、
トンネルからの霊気(?)によるのか。。。とにかく大都市近郊でこんなに状態よく
残っている孔舎衛坂駅跡は、ほとんど奇跡である。
お正月休みの間に、前から機会をうかがっていた二つの廃駅跡を、兄と共に訪ねてきた。
ひとつは、マユ35さんのブログで見た孔舎衛坂(くさえざか)駅跡。
近鉄石切駅は昔仕事で何度か行ったことがあったが、そこからほど近いところに
こんな空間があったと知って驚き、行ってみたいと思っていたのだった。
近鉄石切駅と生駒駅の間の現在の生駒トンネルは1964(昭和39)年に開通した
「新」生駒トンネルである。それ以前に使われていた1914(大正3)年開通の旧トンネルの
大阪側の坑口手前に、孔舎衛坂駅はあった。
駅のホームは廃止から約50年たった今もほとんど手をつけられた様子もなく、
今にも列車がカーブの向こうから現れそうな雰囲気を残している。
旧生駒トンネルは開削工事での落盤事故や度重なる列車事故で多数の人が亡くなったことから
心霊スポットとして有名だという。長らく放置されているのはそういう事情からだろうか。
閉ざされた坑口を隙間から覗いてみたが、数m先から暗闇が始まり静まり返っていた。
廃線本によれば、石切駅はもともと現在の駅の200mほど大阪寄りにあり、旧線が今より少し
北側を通っていたようだが、どのようにあそこへつながっていたのか、高低差がありすぎて
どうも見当がつかない。
10年ほど前、駅北側のバイク駐輪場が工事中のときは、その先には荒れ地が広がって
いたような記憶がある。・・・いや、記憶があるというより無関心な空間だった。
今では真新しい建売住宅が建ち並ぶその区域が、廃線跡だったはずなのであるが。
しかしこうして見ると、トンネルを抜けてすぐこのカーブ、勢い余れば眼下に広がる大阪平野へ
飛び出して行きそうでちょっと怖い。
実際、1948(昭和23)年の事故では、このトンネル内でブレーキ制御不能となった
列車が、この下り坂を暴走したというのだから恐ろしすぎる。。。
この孔舎衛坂駅を見下ろす崖の上に「白龍大神」のお社がまつられており、
ここへの「参道」として、道路から駅構内を横断するアクセスが確保されている。
実質的に出入り自由な状況なのに駅跡が荒らされずに済んでいるのは、白蛇様のおかげか、
トンネルからの霊気(?)によるのか。。。とにかく大都市近郊でこんなに状態よく
残っている孔舎衛坂駅跡は、ほとんど奇跡である。
現在の石切駅は、鷲尾トンネルを開削して設けられたので、旧線との合流点はわかりにくいです。
孔舎衛坂駅は、私とは違う角度で撮影されましたね。さすがです(笑)
この日はお天気がよくきれいな青空をバックに撮ることができました!
今の石切駅のあるところがトンネルだったということは
山肌がそのあたりまであったのでしょうか。
孔舎衛坂駅はトンネルに挟まれた駅だったのですね。
ところで廃止から約70年と書いていたのは数え間違えでした(恥)
20年もサバを読んでしまいました・・・(汗)
1946年に火災事故ですか、戦後すぐですね。。。
事故が多かったのはやはりカーブや勾配など、設計に
無理があったせいでしょうか。
その頃はそのすぐ横の生駒霊園 石切霊園だったかな〓 へ行く道が 今は道の入口に門があって 夕方5時には閉まるけど 登場は門がもう少し先にあって その門の前まで夜中でも行けるので 車からの穴場的夜景スポットでしたよ
立ち入り禁止になっていたのですか!警察に報告とは、穏やかでないですね。
昼間に数人でホーム跡を写真を撮るくらいなら
黙認していたのが、
よっぽど誰かやんちゃしたのでしょうか。。。
夜には霊園前からの夜景がきれいと・・・ん~、
夜に行くのはちょっと遠慮したいなぁ。
元駅のすぐ隣にある民家の子供でしょうか。
家と駅の構内を何人かで行ったり来たりして
遊んでいるのがのどかでよかったです。
フェンスはあるものの、施錠はしてなくて
勝手に開けて入れるようです。
トンネルの中は勝手に入ると同時に警備会社と
警察が来るようですが、駅構内は大丈夫のようですね。
もちろん、私は勝手に入ったりはしませんでしたが(^o^;)
孔舎衛坂駅に行ってこられましたか!
廃線になったそのまま時が止まったような
雰囲気ですよね~
フェンスに完全にカギをかけてしまうことは
やっぱり神社がある以上無理なんでしょうね。。。
部外者はマナーをわきまえて行きたいものです。
記紀に現れる頃からあった由緒ある地名、歴史的な史跡も色々ありそうで興味深いものがあります。
尚、昭和23年の事故では200形木造車等が脱線転覆して破砕され、多数の死傷者を出した事から、以後、急勾配を含む生駒越えの木造車通過は禁止され、残存木造車は奈良盆地に封じ込めの上、順次、鋼体化改造や鋼製車代替新造による廃車で消滅する事になります。
オールドfanには寂しくはあったでしょうが、一般の利用者には車両の質の改善や安全性向上と云う事で、禍を転じて福と為した結果ではありました。
近鉄にも木造車が走っていたのですか、戦後すぐのことですね。
奈良盆地に封じ込め・・・私の実家はその奈良盆地です。
私が物心ついた時はすでに木造車などかげもかたちもありませんでしたが(笑)
見てみたかったですねぇ~