3月の台中の旅の続き。
翌朝、早朝からmayumamaさんは朝活へ繰り出していたが、私も時間差で朝の散歩に出る。
泊まっている宿は立派な旧台中駅舎のある西口でなく、裏側の東口にある。日本でもだいたい古い駅では街の顔である
立派な駅舎と駅前広場がある表側のまちが発展している半面、もう一方の側には出口がなかったりとても不便だったりして、
同じ駅の駅前でも表側とは全く違った印象であることが多い。そして大きな駅であるほど、表と裏のギャップが大きい。
おそらくここもそうであり、駅が新しい高架駅になってはじめてこちら側にも立派な出口やロータリーが作られたのだろう。
私が昔の台中駅をよく知らないのにそう感じたのは、最初私が台中駅に到着して階段を降りてきたときに、ピカピカの
駅施設に追いやられるように、隣接する敷地の一角にボロボロの廃墟の一群が残っているのを目にしたからだ。
ホテルを出て道を歩いていると、商店と商店の間に、商店街の入口にあるゲートサインのようなものが見えた。
おや、あの色・・・
よく見ると、やっぱり!青に赤ラインの台鉄カラーだ。そしてその奥には・・・駅舎が!おぉ!!
思わず道を渡って駆け寄り、ゲートのところで立ち止って、通りから少し奥まったところにある駅舎を眺める。
あの堂々たるレンガ造の駅舎が建っているちょうど真裏あたりだ。
「台中後站」と書いてある。なんだか別の駅みたいだが、台湾では裏側の駅舎をこのように「後站」と呼ぶ。
あぁこちら側はこんなにかわいい駅舎だったんだ。そろそろと近づいてみると、駅舎の脇には平地の駐輪場、
そしてボロ屋の有人自転車預かり所。まったく、これはどこか地方都市の各停駅の駅前風景じゃないか!
ホームが切り替わったのですでにこの駅舎は機能停止しており鋼板塀で囲われていたが、入口は開いていたので
ちょっと覗いてみたら・・・
うぉぉ・・・そのまま。物悲しいほど、そのまま。
あの歴史をまとった華々しい赤レンガの台中駅舎、そして未来に羽ばたく台中の新しい顔となった新駅舎。
それらとのギャップが激しすぎる・・・
駅舎は通りから15mか20mぐらい奥まっている。かつてはこのアプローチに面して食べ物を売る店などが並んで
いたのだろうが、今ではシャッターばかりである。
ノスタルジックな気分に浸っていたのだが、今これを書きながらネット検索をしていたら、この駅舎は何と
かつてここから台中糖廠へ伸びていた台湾糖業鉄道中南線の台中駅だったとか!!へぇ~~そうなのか!
1961年に中南線が廃止され、旅客用の「後站」として使い続けられたのだな。妄想は広がる(笑)
そのあと、昨日ちらっと見えて気になっていた建物を見に行く。
1階のギリシャ神殿風の列柱や2階の5連のアーチ窓など、かなり洋風の濃い建物だが、「文」という屋号の
レリーフが入ったバロック風の装飾壁が立ち上がる。トップには鳥、左右には、象!?
貿易商社か何かだったのだろうか。
天井の照明の台座飾り。
裏の方は赤レンガだった。
他にも古い建物もちょくちょく残っていて、大通りを歩くだけでも結構楽しめる。
台中林氏宗廟まで2kmぐらい歩いた。朝の廟は清々しい。
清朝時代に台中市大里区内新里に造られていたものを、霧峰林家の林献堂が建築実行委員長となり、この場所に移転、
1930(昭和5)年に完成した。
とても大きく美しい廟だ。屋根の上の豪華な剪黏の他にも、見事な装飾が随所に見られる。
漆喰による妻壁のレリーフも大変精密で凝ったもの。
石の柱の彫刻や木組もすごいというほかない。林氏の私的な宗廟がこれであるから、勢力の大きさが知れよう。
そうこうしているうちに、mayumamaさんはもう宿に戻ったとの連絡が。今日は台湾花磚博物館の徐さんが
迎えに来て台中郊外へ連れて行ってくれることになっているのだ。急ぎ足で戻る。
前回見た元酒廠の文化創造産業園区の前の道路にあった車止めが、お酒の瓶の形をしていてカワイイ~
続く。
翌朝、早朝からmayumamaさんは朝活へ繰り出していたが、私も時間差で朝の散歩に出る。
泊まっている宿は立派な旧台中駅舎のある西口でなく、裏側の東口にある。日本でもだいたい古い駅では街の顔である
立派な駅舎と駅前広場がある表側のまちが発展している半面、もう一方の側には出口がなかったりとても不便だったりして、
同じ駅の駅前でも表側とは全く違った印象であることが多い。そして大きな駅であるほど、表と裏のギャップが大きい。
おそらくここもそうであり、駅が新しい高架駅になってはじめてこちら側にも立派な出口やロータリーが作られたのだろう。
私が昔の台中駅をよく知らないのにそう感じたのは、最初私が台中駅に到着して階段を降りてきたときに、ピカピカの
駅施設に追いやられるように、隣接する敷地の一角にボロボロの廃墟の一群が残っているのを目にしたからだ。
ホテルを出て道を歩いていると、商店と商店の間に、商店街の入口にあるゲートサインのようなものが見えた。
おや、あの色・・・
よく見ると、やっぱり!青に赤ラインの台鉄カラーだ。そしてその奥には・・・駅舎が!おぉ!!
思わず道を渡って駆け寄り、ゲートのところで立ち止って、通りから少し奥まったところにある駅舎を眺める。
あの堂々たるレンガ造の駅舎が建っているちょうど真裏あたりだ。
「台中後站」と書いてある。なんだか別の駅みたいだが、台湾では裏側の駅舎をこのように「後站」と呼ぶ。
あぁこちら側はこんなにかわいい駅舎だったんだ。そろそろと近づいてみると、駅舎の脇には平地の駐輪場、
そしてボロ屋の有人自転車預かり所。まったく、これはどこか地方都市の各停駅の駅前風景じゃないか!
ホームが切り替わったのですでにこの駅舎は機能停止しており鋼板塀で囲われていたが、入口は開いていたので
ちょっと覗いてみたら・・・
うぉぉ・・・そのまま。物悲しいほど、そのまま。
あの歴史をまとった華々しい赤レンガの台中駅舎、そして未来に羽ばたく台中の新しい顔となった新駅舎。
それらとのギャップが激しすぎる・・・
駅舎は通りから15mか20mぐらい奥まっている。かつてはこのアプローチに面して食べ物を売る店などが並んで
いたのだろうが、今ではシャッターばかりである。
ノスタルジックな気分に浸っていたのだが、今これを書きながらネット検索をしていたら、この駅舎は何と
かつてここから台中糖廠へ伸びていた台湾糖業鉄道中南線の台中駅だったとか!!へぇ~~そうなのか!
1961年に中南線が廃止され、旅客用の「後站」として使い続けられたのだな。妄想は広がる(笑)
そのあと、昨日ちらっと見えて気になっていた建物を見に行く。
1階のギリシャ神殿風の列柱や2階の5連のアーチ窓など、かなり洋風の濃い建物だが、「文」という屋号の
レリーフが入ったバロック風の装飾壁が立ち上がる。トップには鳥、左右には、象!?
貿易商社か何かだったのだろうか。
天井の照明の台座飾り。
裏の方は赤レンガだった。
他にも古い建物もちょくちょく残っていて、大通りを歩くだけでも結構楽しめる。
台中林氏宗廟まで2kmぐらい歩いた。朝の廟は清々しい。
清朝時代に台中市大里区内新里に造られていたものを、霧峰林家の林献堂が建築実行委員長となり、この場所に移転、
1930(昭和5)年に完成した。
とても大きく美しい廟だ。屋根の上の豪華な剪黏の他にも、見事な装飾が随所に見られる。
漆喰による妻壁のレリーフも大変精密で凝ったもの。
石の柱の彫刻や木組もすごいというほかない。林氏の私的な宗廟がこれであるから、勢力の大きさが知れよう。
そうこうしているうちに、mayumamaさんはもう宿に戻ったとの連絡が。今日は台湾花磚博物館の徐さんが
迎えに来て台中郊外へ連れて行ってくれることになっているのだ。急ぎ足で戻る。
前回見た元酒廠の文化創造産業園区の前の道路にあった車止めが、お酒の瓶の形をしていてカワイイ~
続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます