まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

週末山形旅 旧柏倉九左衛門家

2021-01-11 13:27:09 | 建物・まちなみ
2019年の山形旅の続き。

千歳館でランチのあと車で30分ほど移動、ちょうどタイミングよく紅花まつりの時期で特別公開されていた
旧柏倉九左衛門家へ向かう。
※この時はまだ通年公開していなかったが、重要文化財に指定されたことにより去年から通年公開された。


のどかな田園地帯に臨時駐車場が作られていて結構人が来ていた。
駐車場から紅花畑のアプローチを通って柏倉家へ。


板塀に囲まれた屋敷は、外からもその規模の大きさがわかる。柏倉区九左衛門家は紅花生産で財をなした豪農であった。


紅花はかつて山形盆地で盛んに栽培され、山形県花に指定されている。アザミに似て、葉や茎はトゲトゲしており
黄色~オレンジ色の花を咲かせる。花びらを集めて発酵させ餅のように搗いた「紅花餅」は染料の素として流通した。
淡いピンクから、何度も重ねて染めれば鮮やかな紅色、また他の色と染め重ねることで豊かな色彩が表現できる
貴重な赤色系の染料であったため、近代に入り化学染料が輸入されるまで換金作物として価値が高かった。


建物は1653(承応2)年に建てられたとされ、1898(明治31)年、14代九左衛門による大改修で
現在の形になったという。


大きな長屋門を入ると茅葺大屋根の主屋前方に横たわり、左右に配置された蔵と渡り廊下で連結している。
敷地は約4000坪といい、主屋の裏側に庭園が造られ、蔵や小屋も含め合計8つの建物が点在する。


北蔵。


前蔵。


屋内の写真が全くないのは、写真撮影NGだったのだな。写真がないと記憶は実に怪しいものだが・・・(苦笑)
庭に面した座敷や仏間などは近代和風建築らしい装飾が凝らされた空間だった・・・ように思う(汗)
京都の寺社などを見て高度な技術を学んだ職人が腕を振るい、障子の桟も銀閣寺と同じ「地獄組」で作られているとか。
→公式サイト こちら
→産経新聞ニュースが詳しい こちら

外回りにも見どころが多い。主屋から左の方へ進むと仏間の入口がある。


ここのポーチの足元に、変わったレンガが敷かれている。


何だこれは?瀬戸の印花文敷瓦とよく似た模様が陰刻されており、大きさも8寸角ぐらいだが、レンガ色の素地
なので明らかに本業敷瓦ではないな。


素焼っぽいものと釉薬がかかったようなものがあるが、焼きすぎレンガと似た質感だ。または自然釉なのかもしれない。


そして、分厚い!!計るのを忘れたが、、5cm以上はあったと思う。これは敷瓦というよりもやはりレンガだ。
どこで作られたものなのか・・・全く分からないが、ここは内陸部だし、よそからわざわざこの重量物を運んだとも
思えないので、周辺地域のレンガ工場で焼かれたものだろう。


そして、仏間から前蔵へつながる渡り廊下の部分には、踏み石代わりに瀬戸の本業タイルが点々と貼られていた。


松がデザインされた、銅板転写タイプだ。こちらは瀬戸から運んできたわけだが、中に印花文敷瓦も数枚混じっていて、
銅板転写タイルは版がないとダメだが陰刻だけなら簡単にマネできるということで、さっきの印花文レンガを
手近で作ったのではないかな。


この前蔵というのは1902~1909(明治35~42)年に建てられた来客用の座敷蔵だが、立ち入ることは
できなかった。説明書きによると、柱や長押、天井の竿縁などが春慶塗、上座敷と下座敷の間の欄間がケヤキの
一枚板の透かし彫りなど、ひときわ豪華な内装らしい。


この渡り廊下もその時に作られたのだな。木造の渡り廊下は元はなかったのだろう。仏間からいったん土間に
降りて前蔵へアクセスするのがめんどくさいので後年可動式の渡り廊下を造ったとみえる。
よく見ると主屋側の固定された廊下の下にも同じ本業タイルが敷かれていた。
まわりの土間の色と同化していたが、ウェットティッシュで拭いたら、目にも鮮やかな白がよみがえった!!
調子に乗って全部のタイルを拭いて回る(爆)。これで普通の人でもタイルに目を惹かれるだろう。
床下に隠れ埃にまみれていた本業タイルはようやく日の目を見られて喜んでいることだろう(笑)。


ぐるっと敷地を一周する。
雨だれ受けに使われていた、鳥の卵のような白い玉石。


主屋の角部屋の座敷が面するのは池もある立派な庭園。


裏手にある内蔵の各扉には鮮やかな鏝絵のポイントが。




ここは水路があったのだろうか、敷地の片隅にレンガアーチのトンネルが見えた。


これは防火用のものだろうか。柏の右側の字が読めない・・・
他に人力車のような乗り物や、大工小屋には当時の道具類などもそのまま残っていた。


横から見るとかぶと屋根のような形の主屋。


柏倉家はとても規模の大きな農家建築だが、近代以降ほとんど手を加えられておらず、すべての建物が当時のまま
残ることが貴重として、重要文化財に指定された。去年から通年公開もされ、新たな観光資源にもなっている。
やはり貴重な建築は日本の資産でもあるのだから、国などによる相応のバックアップが必要。
すばらしい建物が残ってよかったな!

続く

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
やったー (以志橋福助)
2021-01-12 22:07:44
鏝絵が出てきましたね。いいですねー。
煉瓦アーチもあって、テンション上がってます。
ところで、柏の前の字ですが、「岡」でしょうね。岡の俗字で、山の部分が止になってるのがありますから。つまり「岡柏」。ここらが岡という地域で、岡の柏ということで岡柏と言っていた!
・・・いや、実は門の写真に、岡柏と書かれた提灯が下がってるのが見えちゃって。確かなのは、あの箱は「竜吐水」だということです。江戸から明治にかけての消防ポンプです。内子の上芳我邸にも置いてあります。上部が壊れて、なくなってるのが残念ですが。
返信する
以志橋福助さん、 (ぷにょ)
2021-01-12 22:23:22
岡柏、でしたか!提灯、気づきませんでした(苦笑)
そして、竜吐水、あぁ見たことあります。ポンプの部分がなくなっていたからただの容器になっていたのですね(笑)
ありがとうございます。
返信する

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