まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

撤去間近の阪和貨物線を見に行く

2009-09-09 03:01:53 | 鉄道風景
Aさんから「阪和貨物線もいよいよ10月から撤去されるそうです」とのメールが。あぁついに!
だいぶ前から見に行きましょうと言っていたのに都合が合わずまだ行ってなかったのだが、
日曜日に急遽行くことに決まった。
阪和貨物線は関西線の久宝寺と阪和線の杉本町を連絡する貨物線用の路線であったが、
2004年6月末で休止、2009年3月末付で正式に廃止となっていた。


貨物線を見る前にちょっと、その横にある大学のキャンパスを見学。
Aさんはこないだまでそこの大学院にいて、実は私もそこが母校である。
卒業してすでに10数年(汗)・・・近いにも関わらず卒業以来ずっと行ってなかったので、
見慣れない建物や覚えのない空間が多い。懐かしい~という思い出や記憶があまり
ないことに愕然・・・。学生時代あまり学校に寄り付かなかったからなぁ~。
初めての場所を探検するかのようにうろうろとうろつき回った。


・・・思わぬところで長居してしまったが、さて本題へ。

杉本町駅南側の踏切脇に、貨物線の終点があった。写真を撮っていたら警報機が
鳴り始めて、踏切脇の小屋のおっちゃんに牽制された。。。




私は北側の踏切の方がなじみ深い。旅客線の踏切を渡るともう一つ、そうそう、
あったあった、カーブを描きながらそれてゆく貨物線の踏切が。


当時すでに通過列車は少なく、これに引っかかると留年する、と言われていたように
かなり不運なことだった。残念ながらか幸運なことにか、私は引っかかったことはない。
いや、その頃は全く興味を持っていなかったので覚えていないだけかもしれない。


Aさんによると、道路際は金網で全面バリケードをしてあったのが、撤去の告知が
出されてからの数日間で一部金網が外されトラロープになったという。
見やすくなったのはよいが、撤去作業が近い証。バーの外された遮断機があわれを誘う。


小さな踏切がいくつも。


木の電柱。


味のある木の踏切。


Aさんが、そういやこの辺に「特急きのくに号が通過します」とかいう看板が
あったんだけど・・・と。え?


昔兄からお座敷列車の添乗で阪和貨物線を通ったという話を聞いており、旅客列車も
臨時便はここを通ることがあったと知っていたが、定期便の特急も走っていたのか!
うわぁ、、、乗りたかった。。。


しかし看板は見あたらない。一つぐらいどこかに残っていないかと見て歩いたが、
もれなく撤去されたようだ。
こんな看板は現存。「一2点 踏切不停止」???
あぁ、マイナス2点、か。記事を書いている今、やっとわかった。


枕木の山。こんなに積まなくったって、レール上を勝手に走る列車はいませんよ~


大和川沿いに走る区間は、地図上で見ていたら窓から川が見えそうに思うが、
堤防のすぐ横を走っているわけではなく1ブロック分の建物を挟んでいた。
どちらにしても堤防の下だから川が見えるわけないわな(笑)。

近鉄南大阪線をくぐる手前まで来た。
この部分は切り通しのようになっていて、橋の上から線路を見下ろすことができる。
葛のつるに覆い尽くされた軌道敷。もう二度とここを列車が通ることはないのか。。。
茫漠とした寂しさを漂わせる。

今日のところはここで終わりにしよう。機会があれば久宝寺方面からもたどってみたい。

バスで西田辺まで戻り、お茶しようと入った喫茶店「水車」はなんとも素敵なお店だ。


山小屋風インテリアの店内も素晴らしいがトイレが圧巻!見て見て、タイル尽くし~!!


Aさんお疲れさまでした~

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7 コメント

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消えゆく「宝物」… (A)
2009-09-09 03:25:21
「灯台下暗し」とでも言いますか、今回、辿った阪和連絡線をはじめとして、頻繁に通っていた頃には気付かず、ただ横を通り過ぎていた場所に、これほど沢山の「宝物」が眠っていたんだな、と改めて感じました。
しかし、それらの「宝物」も、1つ、また1つと消えゆくのですね…。いつか踏切脇で、ふと目にした「ふれあい紀州路号」の看板も、知らぬ間に消え去ってしまい…。
また機会に恵まれれば、久宝寺方面からも辿ってみたいものです。そして最後は、喫茶「水車」で、暫し歩き疲れた身体を癒し、乾いた喉を潤したいものです。
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いい時間 (yume)
2009-09-09 22:37:49
ぷにょさん、またいい時間を過ごされましたね。。

灯台下暗し。。 石山の引込線だって、列車が通っていた時期があったはずなのに一度も見なかった。 あの頃に戻りたいなぁって思う。。

 この間の、北陸鉄道石川線「加賀一の宮駅」から先。。線路が続いていました。
紀州鉄道のように、「立入り禁止」に注意書きがあるわけでもなかったので、もっと前へ進んでみたら良かったなぁと後悔しています。
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Aさん、 (ぷにょ)
2009-09-10 01:19:56
猛暑の中お疲れさまでした~
教えてもらったサイトをいろいろ見ていたら、ふれあい紀州路号や、
トワイライトエクスプレスも赤いディーゼル機関車に引かれてここを通ったなんて!!
驚きですね。それに2002年には阪和貨物線を乗るためのツアーが
あったなんて!!まさにJR東日本の貨物線の旅の先を行く企画だったじゃないですか!!
あぁその頃知っていたら・・・
今となってはもう想像、というか妄想しかないですね。
また行きましょう。
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yumeさん、 (ぷにょ)
2009-09-10 01:27:58
大学のころはバイトと彼氏のことしか頭になかったですからねぇ・・・(呆)
身近にあったのに気づかなかった。私も十数年前に戻って見てみたいです。
そして、貨物線ツアーの情報を早くから仕入れて先頭車両に乗りたかった~(笑)

http://outdoorsite.biz/railway/etc/hanka/ederu2004/2004ederu.htm

上のコメントで2002年と書きましたが2004年ですね。
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はじめまして (Kazu)
2016-06-30 07:31:15
一枚目の画像は、杉本町駅の南踏切ですが、行き止まりになっているのは、その昔、現在の大阪市立大学の中まで、引き込み線があった名残です。
戦時中、大学が軍隊に利用され、物資等が運ばれていたそうで、また、戦後はアメリカ軍(MP)に大学が接収されてからも、引き込み線は利用されていたようです。
私は、子どもの頃から、阪和線沿線に住んでいたので、貨物線に杉本町から、入って行く貨物列車を、よく見かけました。
他に懐かしいのは、東貝塚駅から、ユニチカ貝塚工場へあった引き込み線や、天王寺駅の阪和8ホームから、環状線へ連絡していた渡り線も、懐かしいですね。
夕方になると、23時発だった、B寝台付きの南紀号の客車列車が、環状線の側線に、寺田町のほぼ手前まで、張り出して待機していた記憶があります。
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古い懐かしいモノってイイですね。 (Kazu)
2016-06-30 07:50:26
私も、昭和40年生まれの50歳ですが、懐かしいモノ、特に昭和の時代の懐かしいモノに、色々と興味があります。
修学旅行で九州へ行く時に、山陽新幹線の車窓から見えた、古い高架橋梁。
何年間も、その当時、まだ中学生だった私は、気になったままでした。
後に、既に廃止された姫路モノレールの残骸である事がわかりました。
他に、堺筋の日本橋に現存する、高島屋東館が、昔は松坂屋大阪店であった事や、難波の高島屋は、昭和7年の完成で、それ以前の高島屋呉服店と呼ばれていた頃は、堺筋の長堀橋南側にあった事、阪急神戸線の、昔の終着駅は、三宮ではなく、王子公園の北側辺りにあった上筒井駅であった事、若い頃によく聴いたMBSヤングタウンを放送していた、毎日放送の千里丘放送センターなど、とにかくレトロなモノに興味があります。
こちらのブログを拝見して、かなり共通するモノを感じましたので、コメントさせていただきました。
これからも楽しみにして、拝見させていただきます。
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kazuさん、 (ぷにょ)
2016-07-04 23:45:11
ようこそ、いらっしゃいませ!
昭和の風景はもう懐かしいものになってしまいましたね。。
ここ数年で急激に風景が変わっていますね、これまでは
長らくほったらかし状態だったものが白黒つけられていくというか・・・
廃線跡もそうですが、痕跡や名残というものがきれいさっぱりなくなって、
記憶の中の風景と目の前の風景が結びつかない、古い記憶は
忘れ去られる一方・・・というのは寂しいですね。
こんな風に感じるのは歳をとったせいでしょうか(苦笑)

たくさんコメントありがとうございます。これからもよろしくおねがいします!
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