まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

萬華の路地と大稲埕辜宅

2019-08-27 21:58:27 | 建物・まちなみ
3月の台湾の旅の続き。

萬華あたりを少しうろつくと、和平青草園というのがあった。ここは何?建物があったので覗いてみたが閉まっていて
よくわからなかった。


今ネット検索してみたら、この建物を含むきれいな三角形の土地は、台湾で最も早期の精神保健センターである
「台北仁濟療養院」の跡地のようだ。数年前に整備され、緑豊かな萬華公園となった。




その公園の奥に細い路地があり、レンガの壁が見えたのでちょっと行ってみる。


うわぁ、、、この雰囲気。何と魅惑的なのだろう。見上げると細い空。路地の幅は1mそこそこしかない。
緑色に透けた木の葉がきれい~~




赤レンガ積みの建物は基壇部が例の砂岩の條石積みだ。やはりかなり古そうだな。
レンガの接合部は手の込んだ45度の切り欠き。変わっているな!


車がバンバン走る萬華大道から一本入っただけの静まり返った別天地。


付近には日式住宅も。エアポケットは結構あちこちにあるのだ。それが台北の面白いところ。


さて、ここのところ大進化を遂げているらしい迪化街に偵察に行ってみよう。
MRTの大橋頭駅からの道すがらにあった、延平基督教会。古そうに見えるが光復後の建物だろうか。


地域に密着した教会のように思える。


ゴージャスなレリーフと八角形の窓のある建物。




迪化街に近づくにつれこういったレンガ造の建物も目についてくる。しかしこれは完全に廃墟だな。。。


賑やかな迪化街の北端から歩いて南下するが、写真の枚数の関係で先に大稲埕の辜宅のことを先に書こう。

大稲埕は、19世紀半ば頃から淡水川の水運を利用した交易の中心地として大きく栄えた場所。
特にイギリスで名声を得た茶葉が欧米へ大量に輸出されるようになり、商館や豪商の邸宅が河畔に建ち並んだという。
それまで台湾の中心地であった台南に取って代わるほどの、台北の発展の基礎を築いたエリアである。


そしてこの大稲埕辜宅は、塩の専売権を得ていた豪商の辜顯榮が、港近くの一等地に構えた事務所と住宅。
昨日鹿港へ訪れたときに、鹿港辜家の豪華な洋館を見学した、あの辜家である。
ここへはGOOGLEマップで探しながら行ったのだが、とても分かりにくかった。驚くほど狭い道に面していて、
こちらは裏口か!?と驚いてしまう。写真を撮ろうにも全く引きがとれない。
おそらく元々は前がもっと開けていて、今あるような高い堤防や川沿いの広い道路はなく直接川に面していたと想像。


1階部分には辰野式を思わせる石のボーダーが入っているが、赤レンガタイルでなくクリーム色のタイルなので上品な感じ。
こんな路地奥にくすぶっているのはかわいそうなほど、晴れがましく美しい建物だ。


やがて新しい時代になり他のまちにお株を奪われてしまった大稲埕であるが、迪化街をはじめてとして当時の繁栄ぶりを
うかがわせるバロック風商店建築や洋館が今もたくさん残っていて、往時の情景を思い描きながら散策するのが楽しい街だ。


続く
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