金谷港からの続き。
鋸山をめぐるルートはいくつかあり片道約1時間。結構本格的な山登りだということは事前にネットで調べていた。
久里浜からのフェリーの中では鋸山へ行くらしいハイキングスタイルの人々も見かけた。
まちなかならいくらでも歩けるけど坂道となると途端にヘナヘナになるヘタレな私、ロープウェイがあるので
上りはそれを使って下りだけ歩こう、と楽観していたのだが、、、なぬ、ロープウェイは休業中だって!?そんな~~(泣)
今日の予定はここのみなので、とりあえず、港近くの鋸山美術館の奥にある鋸山資料館に入る。
ここは鈴木家住宅の古い二階建ての石蔵で、中には房州石についての資料が凝縮して展示されている。
詳しい上にとても分かりやすいので鋸山登山の予習にぴったりだ。
石材業者だった鈴木家だけあって、蔵自体も最上級の房州石が使われている。
凝灰岩である房州石は耐火性があり加工しやすいので建築や土木材料に適している。
鋸山での採石は江戸時代中期ごろから始まり、近代化の進む時代に大量に切り出されて海路で東京方面へ運ばれた。
房州石は伊豆石と似ているがちょっと違う。「桜目」「井桁目」「砂目」「梨目」「ガリ目」「磯石」という種類があり、
模様や石質が異なる。花びらのようなピンク色や白い模様の入った「桜目」が最上級とされる。
品質の高い石の地層に沿って縦に横に掘り進むのは大谷石の石切り場でもどこでも同じである。
昔は手掘りだったが、昭和33年以降は機械が導入され生産性は10倍にアップした。
「尺三」と呼ばれる棒状の定型(26cmx29cmx82cm/80kg)で切り出された石を、昔はねこ車に
3本ずつ積んで女性が山道を下ろしたという。信じられない!トロッコや索道ができ楽に下ろせるようになった。
1985(昭和60)年で採石は終了し、一部が切り落とされたような山容の鋸山は観光名所となった。
山全体が産業遺産と言える。
資料館を出て鋸山の方へ向かって金谷の集落内を歩くと、そこここに房州石の塀が見られる。
ここは、さっきの資料館の石蔵の所有者である鈴木家の住宅主屋である。さっきの場所は庭の一角だったのだ。
さすがに立派な房州石の石塀が長々と続いていている。土木構造物には縞模様の「井桁目」の石が向いていると見える。
繊細でやわらかそうな「桜目」はやはり建築物向けなのだろうな。
歩いていくと、なんか異様な建物が目に入る。何だ、あの民家風の建物は!?敷地の入口にはロープが張られ閉まっている。
緑色の大きなこう配屋根は、こんな海辺のまちにあるようなものではない。古民家「風」でもなく本当に古そうではあるが・・・
こちらは裏側のようなので表へ回ってみよう。
ここの外構もまた房州石の塀で、路地はとっても雰囲気がある。
塀の向こうを覗いてみると、「合掌館」と書かれている。何?道場?宗教施設??
表に回ってみると、立派な房州石の門があって「珈琲道えどもんず」との看板が。あぁ、カフェなのか。しかし
やっぱり閉まっていて、一月三十一日まで臨時休業とのこと。
ちょっと検索してみると、飛騨高山の白川郷から移築した合掌造民家で築2百数十年なのだとか。。。
浜金谷駅も古い木造駅舎だ。フェリーが頻発する港の最寄り駅だが、船を降りてここから鉄道で移動する人は
それほど多くないのだろうか。
いや、私はお客が増えてもこのままの趣ある木造駅舎のままでいてほしいよ。1916(大正5)年開業。
駅前というのにくねくねした路地があって、入り込むと房州石の塀や蔵や畑の土留めなどが見られ楽しい。
モルタルで補修した跡がちょっと残念。もう少し自然な感じで補修できる材料はないのだろうか。
美しい曲面の塀。
房州石の産地ならではのこういう風景がやっぱりいいね。
さぁ、鋸山案内書でマップをもらって、覚悟を決めて登山口へ向かおう(笑)。
内房線をくぐるガードがいい感じ。
この橋脚は国鉄仕様だから房州石ではなさそうだな。
続く。
鋸山をめぐるルートはいくつかあり片道約1時間。結構本格的な山登りだということは事前にネットで調べていた。
久里浜からのフェリーの中では鋸山へ行くらしいハイキングスタイルの人々も見かけた。
まちなかならいくらでも歩けるけど坂道となると途端にヘナヘナになるヘタレな私、ロープウェイがあるので
上りはそれを使って下りだけ歩こう、と楽観していたのだが、、、なぬ、ロープウェイは休業中だって!?そんな~~(泣)
今日の予定はここのみなので、とりあえず、港近くの鋸山美術館の奥にある鋸山資料館に入る。
ここは鈴木家住宅の古い二階建ての石蔵で、中には房州石についての資料が凝縮して展示されている。
詳しい上にとても分かりやすいので鋸山登山の予習にぴったりだ。
石材業者だった鈴木家だけあって、蔵自体も最上級の房州石が使われている。
凝灰岩である房州石は耐火性があり加工しやすいので建築や土木材料に適している。
鋸山での採石は江戸時代中期ごろから始まり、近代化の進む時代に大量に切り出されて海路で東京方面へ運ばれた。
房州石は伊豆石と似ているがちょっと違う。「桜目」「井桁目」「砂目」「梨目」「ガリ目」「磯石」という種類があり、
模様や石質が異なる。花びらのようなピンク色や白い模様の入った「桜目」が最上級とされる。
品質の高い石の地層に沿って縦に横に掘り進むのは大谷石の石切り場でもどこでも同じである。
昔は手掘りだったが、昭和33年以降は機械が導入され生産性は10倍にアップした。
「尺三」と呼ばれる棒状の定型(26cmx29cmx82cm/80kg)で切り出された石を、昔はねこ車に
3本ずつ積んで女性が山道を下ろしたという。信じられない!トロッコや索道ができ楽に下ろせるようになった。
1985(昭和60)年で採石は終了し、一部が切り落とされたような山容の鋸山は観光名所となった。
山全体が産業遺産と言える。
資料館を出て鋸山の方へ向かって金谷の集落内を歩くと、そこここに房州石の塀が見られる。
ここは、さっきの資料館の石蔵の所有者である鈴木家の住宅主屋である。さっきの場所は庭の一角だったのだ。
さすがに立派な房州石の石塀が長々と続いていている。土木構造物には縞模様の「井桁目」の石が向いていると見える。
繊細でやわらかそうな「桜目」はやはり建築物向けなのだろうな。
歩いていくと、なんか異様な建物が目に入る。何だ、あの民家風の建物は!?敷地の入口にはロープが張られ閉まっている。
緑色の大きなこう配屋根は、こんな海辺のまちにあるようなものではない。古民家「風」でもなく本当に古そうではあるが・・・
こちらは裏側のようなので表へ回ってみよう。
ここの外構もまた房州石の塀で、路地はとっても雰囲気がある。
塀の向こうを覗いてみると、「合掌館」と書かれている。何?道場?宗教施設??
表に回ってみると、立派な房州石の門があって「珈琲道えどもんず」との看板が。あぁ、カフェなのか。しかし
やっぱり閉まっていて、一月三十一日まで臨時休業とのこと。
ちょっと検索してみると、飛騨高山の白川郷から移築した合掌造民家で築2百数十年なのだとか。。。
浜金谷駅も古い木造駅舎だ。フェリーが頻発する港の最寄り駅だが、船を降りてここから鉄道で移動する人は
それほど多くないのだろうか。
いや、私はお客が増えてもこのままの趣ある木造駅舎のままでいてほしいよ。1916(大正5)年開業。
駅前というのにくねくねした路地があって、入り込むと房州石の塀や蔵や畑の土留めなどが見られ楽しい。
モルタルで補修した跡がちょっと残念。もう少し自然な感じで補修できる材料はないのだろうか。
美しい曲面の塀。
房州石の産地ならではのこういう風景がやっぱりいいね。
さぁ、鋸山案内書でマップをもらって、覚悟を決めて登山口へ向かおう(笑)。
内房線をくぐるガードがいい感じ。
この橋脚は国鉄仕様だから房州石ではなさそうだな。
続く。
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